井芹仁菜の鏡像は何を見る? 作:鏡合わせ
「井芹さんの曲、井芹さんのための曲……」
おでこに手を置きながらも、唸り声を上げてしまう。
わざわざ漫画喫茶に来てまでやっているのが井芹さんの為のCDジャケット絵を頭の中で模索。このまま行くと、絶対に隣で寝ているかもしれない隣人に迷惑を掛けることになるかも。もっと、自然に満ち溢れた場所とかで着想を得て天啓を得るとかの方が絶対によかったかも……。
今更になって後悔をしつつも、手元にあるマウスで私はどうにか何かを得ることが出来ないか考えてみる。
「あーダメだダメだ」
すぐに却下の指令が頭で下される。
これはバンドの命運を賭けるかもしれない代物だ。既製品のものから学びを得て描くなんて失礼にもほどがある。いや、でも花とかそういうものぐらいならいい……。いや、ダメだ。一旦、此処を出よう。
気分転換に借りていた漫画を手に掴んで私は一旦部屋から出る。
数時間粘って、何も世界が出ないのは頭がおかしいことだけど。いつまでも、グタグタとしているよりはマシだと切り替えることにする。
「はぁ……どうしようかな」
漫画喫茶を出ても、何も変わらないという事実に頭を悩ませてしまう。
『えええええ!!?わ、私がトゲトゲのジャケットイラストをですか?!』
頭に手を置いていると、あのときのことを思い出す。
椅子から転げ落ちそうになるぐらい動揺を隠すことが出来なかった。最初聞いたときはその程度お安い御用ですよ井芹さんなんて能天気なことを考えていたけど、自分で描いたものを使用されるということに気づいてしまったのだ。
『椿ちゃん、確か絵上手だったよね?神社巡りしているとき見せてくれた奴』
『い、いやいや!!趣味程度ですよ!!?』
偶に出掛けるときがあってそのときにスケッチしているときがあって見られることがあった。
尊敬している人が私のことを褒めてくれてのは勿論、嬉しい。
『お願いね、椿ちゃん!!』
『いや、無理ですってば!他の人にお願いしてください!!』
謙遜しなければ、このまま私がトゲトゲのイラスト担当になってしまうのだから。そんなのは恐れ多い。
『ごめん!もう桃香さんには伝えてあるの!』
『え!?ちょっ!?ええええ!!?』
滅茶苦茶強引なやり方で決定を言い渡される。
首を横に振るが、井芹さんは聞き届けてくれなかった。川崎に戻って来てからというものの、どうも井芹さんに振り回されることが増えた気がしてしょうがない。この前だって、神社の御朱印集めを手伝って欲しいと頼まれてついて来てしまうほどだった。いや、これに関しては私の方にも問題があるんだけど……。
『椿ちゃん、この神社には商売繁盛の神様が祀られていてね』
『椿ちゃん、何お願いした?』
『椿ちゃんも御朱印集めてみない?』
……まあ、楽しかったからいいんだけどね。
井芹さんと何処か出かけるなんてことが昔の私が知っていたら怒られていたかも。私にとっての救世主にそんな気安く触れるな……なんて言い出すのが目に見える。こうして、私が井芹さんの近くにいられるのは最早幻想を通り越して夢のようにも思えるけど、確かな事実……。
「って……思い出しても何も進まないんだけどね」
輝かしい青春みたいな思い出に振り返っていても、ジャケ絵が決まるわけじゃない。
今にも途方に暮れそうな自分をどうしようか?と悩んでいると、私のスマホに着信音が鳴り響いている。
「師……桃香さん!!?」
スマホを確認すると、相手が相手が手元が狂いそうになる。
手から落としそうになったスマホをなんとか着地させてから急いで電話に出る。
「し、師匠!?な、なんでしょうか!!?」
『その呼び方照れ臭いからやめてくれって言ったろ?』
「い、いや……!桃香さんは井芹さんの師匠みたいなものですから当たり前じゃないですか!?」
『まあ、お前から見ればそうなるんだろうけどな……』
似たようなことをSAでも言われた。
桃香さんは私にどうして師匠なんて呼ぶんだ?と聞いてたから、私はあのときと同じことを返した。そのときの桃香さんは誇らしげにしていたけど、すばるさんに苦笑いされていたのをなんとなく覚えている。まるで、それは桃香さんは何も教えてないと言っているようにも見えていたから。もしかした、そういうこともあったから桃香さんは恥ずかしいのかもしれない。
単純に自分が育てたなんて言い方をするのが恥ずかしいのもあるのかもしれないけど。
「それで師匠どうしたんですか?」
『ああ、そうだった。仁菜の奴に頼まれたんだろ?CDのジャケットイラスト』
「うっ、そ、そうですね……」
心臓がきゅっとした感覚になる。
そりゃあ、井芹さんがもう桃香さんに伝えてあると言っていたんだから当たり前なんだけどさ……。
『その様子だと押し付けられて仕方なくって感じだな』
「い、いや!違いますよ!!井芹さんのためなら、火の中水の中でも行きますよ!!」
『おいおい、さっきまで萎縮してただろ……』
自分でも体が熱くなっているのを実感していると、師匠がちょっとだけ呆れたような声を出している。流石に井芹さんに押し付けられたとか強制させられたとかは言いたくなかった……から。
『それで上手く行ってそうか?』
「す、すみません……」
思わず、頭を下げたくなってしまう。
一応自分で引き受けるみたいな流れから何も出来上がってないのはあまりにもお粗末が過ぎると自分でも思うから。
『急に押しつけて悪かったな。椿、今日の夜空いてるか?』
「今日の夜ですか?特に予定は入ってませんけど?」
『なら、予定を入れないで空けておいてくれるか?お前のインスピレーションを刺激するいいものを見せてやるからさ』
電話を切られる。
刺激するもの……?私の創作意欲を刺激するもの……。いったい、何処に行くんだろう?疑問を抱えつつも、私は夜という時間になるまでひたすら待ち続けることにした……。
「師匠、来ましたよ?」
言われた通りの場所で待っていると、桃香さんが寒そうにしながらも待っていた。
自分の方が遅く来てしまったのをちょっとだけ悔いながらも……。
「来たか、それじゃあ行くか」
「あ、あの……此処ライブハウスですよね?しかも、今日って此処は確か」
「なんだ、知ってたのか?流石だな」
桃香さんがどう見ても、私を揶揄っているようなことを言い始める。
ムッとしながらも師匠の後から続くようにして追いかける。抑えられそうにない自分の中に潜む火を付けながらも……。
「はぁ……」
五月蠅い、帰りたい。喧騒という言葉が此処まで相応しいのはないだろう。
チャラチャラとしていて、その上綺麗さだけで並べられているように見せかけている。私には見えている。このバンドの汚さが売れ線などというくだらない餌に喰いついて、自分達を表現している。
「どうだ?ダイダスのライブは?」
「どうもこうもしないです」
手すりに寄りかかりながらも、私はダイダスを睨みつける。
「私の言いたいことは貴方がバンドを抜けた頃から変わりません。私に決意を変えて欲しくて此処に連れて来たんですか?」
サービスエリアで伝えてあったはずだった。
私の意志は変わらない。桃香さんが居た頃のダイダスは好きでも、今のダイダスは好きじゃないということを……。それを曲げる必要もないし、変える必要もないと言ってくれていた。
「インスピレーションって言ったろ?椿から見れば、敵のバンドであるダイヤモンドダストのライブを見て、刺激を受けて対抗心を燃やして絵にするというのも一つの手なんじゃないかなって思ってな」
「なるほど、一理ありますね。あそこにいるピンク髪が井芹さんの友人でしたっけ?」
ならばと言わんばかりで私はスーパーで井芹さんが話していたことを思い出す。
あそこにいる奴が井芹さんの友人であり、井芹さんを虐めていた人間。
「ああ、確かヒナって奴だったな」
この言い方的に桃香さんはやっぱりボーカルのオーディションに関わっていなかったみたいだ。
一安心しながらも頭の中にあった悩みが一つ消える。
「井芹さんが彼女のことを友人だと語っていたとき、私は逃げ出したくてそれどころじゃなかったですけど、今に思えば……」
「ゾッとするんです」
溜まっていたものが吐き出される。
手すりを握る力には力が入っていなかったが、声には力強さがあった。
「こういうことを言うと、よくお前が虐められていたからそう思うんだろ?とか訳の分からないことを引っ張り出す奴が居ますけど、私は認めますよ?」
「軽井沢で蕎麦屋の娘だと周りに勝手に期待を寄せられて抑圧させられ続けていましたから、虐められているようなものだったからこそ納得できないと言って何が悪いんですか?そもそも……」
「井芹さんのしていることは彼氏にDVされてるのにでもあの人は本当はいい人なんだと言い聞かせているのと一緒じゃないですか?」
逆に言えば、今まで父親を何も語らない人、悪だと認識していた私が父と話したことで此処が居場所でもいいんだと安心できていたのは言い聞かせているのと一緒でしかないと指摘されても私は頷いて肯定する。
「おかしいのは分かっています」
「井芹さんに助けて貰ったとかほざいておきながらも今度は勝手に幻滅して気に入らな部分があるとか言い出すなんて恩人に対しての発言じゃないのも分かっていますが、見て見ぬフリや聞かなかったフリなんて出来ないんです。私は進みだしたからこそ…‥」
「盲目的にいるのは難しいんです」
過去の私だったら頬を殴っていた頃だろう。
一発じゃ絶対にすまない、数発殴ってお前が井芹さんを語るなんて言い出していたに違いない。自分のしている発言だと到底思えないからこそ。
「なるほどな……」
桃香さんが納得を示しているのか、それともその反対なのか微妙に読みづらい表情をする。
「なんですか?桃香さん、私間違ったこと言っていますか?尊敬してるからとか、好きだからとか理由ならやっぱり神様だとか思い込んでないと駄目ですか?」
「いや、似てないと思っていたのがまさか似てくるようになるなんて考えてなかったからな」
桃香さんがニヤついてるのが気に障って私が指摘をすると、腕を組み始める。
私が似て来たって言いたいんだろうか、井芹さんと……。
「椿、今お前が抱えているのは矛盾だ。前に歩き出したお前が自分がなにをするべきなのか悩んでいる余裕が出来たからこそ、自分で考える能力がついてきた。それは明らかに武器だ。しかも、ただの武器じゃない。研ぎ澄まされていて人を傷つける」
「棘そのものだ」
「アタシは仁菜の奴に歌うときにその怒りを、感情をぶつけろと言ったことがある。椿の場合は、お前が今まで抑えつけて来た感情を絵として描き上げて見せればいい」
「いいんですか?そんな自己中心的なもので?絶対に合いませんよ、トゲトゲと」
遠慮ではなく、はっきりとした意志を伝える。
自分なりの欲求で描き続けたものなんて所詮自分の欲望でしかないからこそ、意味がないと私が桃香さんの目を見てはっきりと言い切る。
「寧ろ、相性抜群だろ?」
屈折のない笑みを浮かべている桃香さん。
完成前最後のパズルのピースを見つけたように見えてしまう。
「何処がですか?」
「椿のトゲと仁菜のトゲ、その二つが合わさればアタシは最高のロックが出来ると信じてる。見せてくれないか?お前が作り上げる」
「最高の矛盾を」
強い意志がある。
桃香さんはどう見ても私に期待してる。絶対に合うわけがない。井芹さんのトゲの方が圧倒的に優れているから、感情能力も言語化能力も高い。比べて、私は自分の中で抑え込んでいたものをようやく出せた。
長野の一件があったからこそ、私は強くなれた。
スタートラインが違い過ぎる。
「いや、違う」
自分で自分の考えを否定する。そうだ、もっと前から私は触れていたはずだった。
書き記すという行為をすることで自分が何者かで何を感じているのかを……。なら、武器もやり方も最初から決まっている。
「分かりました」
桃香さんは最初からこれを分かっていて、言ってくれていたのかもしれない。
だとしたら、もっと直接的で教えて欲しいなと私は文句を付けたくなりながらも……。
「やってみせます」
自分の決意を固めることにする。
「覚悟を決めたって顔だな?」
「桃香さんが言ってくれたように、私は私なりの自己矛盾をぶつけます」
私が一ヶ月の間、手を触れることしていなかったあのノートのことを思い出したからこそ、私はあのノートの……。
「それが私ですから」
封を解く覚悟を決める。
◆◆◆
ライブ会場から一旦離れて、私はスマホを耳に当てる。
『どうでしたか?』
スマホからかかって来たルパの電話に出る。
「ああ、椿の奴は大丈夫そうだ。智の方は納得してくれているか?警戒するのも無理はないけどな」
ルパから直接の電話ではなく、これが智経由からの電話だということは気づいていた。
『あの子に頼んだわけ?』
『え?ダメだった?智ちゃん?』
『当たり前でしょ、椿に頼んだらアンタがメインのビジュアルになるでしょ!この曲がどういう楽曲とか伝わらなくなるじゃない!』
あいつは仁菜が椿にジャケ絵を頼んだと伝えたとき、真っ先に大反対をしていた。
反対していたのも分かる内容だ。椿が仁菜の奴しかほとんど見ていないからあいつはCDとしての品格が下がると思っていたんだろう。
「ルパ、智に伝えてくれるか?椿は椿なりに向き合ってるってな。今日だって、仁菜のことを救世主だと見ているけど言いたい事はあるとか言っていたし、なによりもあいつは矛盾は抱えていながらも真面目だよ」
「嫌いなダイダスのライブを一通り見ておきたい。この目でちゃんと焼き付けておきたいから、最後まで見せて欲しいなんてあいつは頼んできた。嫌いなはずのバンドのライブを見学するのはあいつにとってもストレスのはずだが、あいつはやめなかった。私達が思っていたよりも」
「あいつはしっかりしているよ」
アタシはライブ会場の方へと目を向けていると、通知が来る。
『明日までに仕上げてくるので待ってください』
連絡を寄越したのは椿だった。
明日か……。
「こりゃあ傑作の誕生になるかもな」