井芹仁菜の鏡像は何を見る? 作:鏡合わせ
このノートを開くのは一ヶ月ぶりだ。
最後に開いたのは……井芹さんとスーパーと出会う前。井芹さんに連れ戻して貰ったときだった。助けて貰ったときようやく開けることができるなんて自分の中で豪語していたのに、開けることはできなかった。
「っ……!」
恐怖で手が震えている。
誤魔化すことができない自分の怯えを私は必死に受け入れたいけど、受け入れたくなくて目を瞑りたくなる。事実を目の当たりをして逃げたくなるなんて愚かでしかない、「ふざけんな」といつもならぶつけていたはずだから。
「逃げないでよ馬鹿……」
捨てて欲しくなというか、DV彼氏だとか井芹さんのことを強く言ってしまった。
いざ自分が自分のことを厳しい目で見ようとしたら、怖くなってその場から離れたくなるなんて私が今まで見下していた奴らと同じでしかない。
覚悟ならとっくに決まってるんだ。
私はもう自分を譲るつもりも正しいと信じたいものを掴む。なら、こんなところで一歩踏み出すことを怖がっている場合じゃない。手の震えを偽物の感情、幻覚と見ない。
覚悟を導き出したくて、息を呑む。
自分の力へと変えるためノートを開いて行く……。
「はぁ……」
ノートを開いて、一ページ目で頭を抱えたくなる。
黒歴史なんて単語を安直に使うのは嫌だけど、実際相応しい言葉でしかない。
「なにこれ……」
開いてみてわかったのは、どうにも私は反復が多いこと。
書き記されていたのは川佐伯駅前で井芹さん達と出会ったときのことだ。内容自体は覚えているつもりだったけど、字が読みづらい。最初の方こそは語彙は強いけど、普通の文章に見える。途中から明らかにおかしくなってる。
『私はあれが本物だと信じたい。ダイダスなんて表面上だけは綺麗に見せている川。河原はゴミだらけになっていることにも気づかない蛆虫集団とは違う』
『あの人は偽物なんかじゃない、私の心を見事に掴んでくれた。もし、今後もライブをやるというのは私がこの瞳で確かな事実を見つめて行きたい。輝きを放つ原石として』
過去を乗り越えた私が言えたことじゃないだろうけど……。
「本物」という単語を重複させないで似たようなもので並べているだけ。これこそ、私がこのノートで見せていた手品そのもの。自分自身を納得させたい、刷り込ませたい。不安でしょうがないから文字として残して信じていいいんだと思い込ませ続けようとしたんだ……。
どうにも目を逸らしたくなる。
ノートの内容を目で追って言えることは自分の感情と向き合うことの難しさ。過去の自分が思い描いていたことを紐解くぐらいの余裕が出来たのはいい。普通に恥ずかしいということを除けば……。
「変わらない」
どれだけ恥ずかしくても、井芹さんのことを救世主だと思っていることは変わりない。
一通り、ノートを読み進めて私は何も書かれていない空白のジャケ絵を描き始めようとする。過去の自分に触れて、自分が無敵だとそんなハッタリをする気はない。それでも、自分の中であった感情たちを読み取くことは己を改めて知り得ることにも繋がるから……。
なによりも……。
『私には未練なんて存在しない』
違うよ、私……。
本当はね、未練なんかいっぱいあったんだよ。
バイト先を蕎麦屋にしたのだって大家さんに恩を返そうとしたのだって。
私が人と人との繋がりを断ち切ることができなかった。井芹さんへ気持ちを伝えようとしたのも同じ理由。繋がりは呪いかもしれない。自分の首を絞めて、自分をいつも不幸だと酔わせるためのものに繋がるものだとしても、私は……。
ここまできてよかったよ。
今が幸せだから……。
「なるほどな、こういう奴か」
真っ先に反応を返してくれたのは桃香さん。
作品が出来上がった頃にはもう朝だった。急いで電話をして作品を見て欲しいと連絡。それから、私はファミレスに来て欲しいと言われて桃香さん達の前で見せている。き、緊張する……。
「これが私達の……」
「なんかこう芸術みたいな感じ……?」
井芹さんがじっくりと見つめている。すばるさんが率直な意見を言ってくれている。
納期である次の日まで本当に完成させてしまった。連絡をしたとき、桃香さんがどういう表情だったのか分からないし知らない。そもそも、スマホ越しに顔なんて分かる訳ないけど、どうにも驚いていたら嬉しいなという感情はある。誰かに作品を見せるということは今まであまりしないで来たから。
「詳細、話した方がいいですか?」
「頼めるか?」
何の躊躇いもなく、私は了承の返事をする。
今更口篭らせたりする方がおかしい。
「この作品は言ってしまえば、私の感情そのものです」
「「どういうこと?これが私達のCDの──「分かってます、だからこそなんです智ちゃ……智さん」」
頭の中では智ちゃんと呼んでいるのを思い出したけど、一瞬で引っ込める。
怪訝そうな顔つきで見られている。危ない、実は可愛いと思ってるとか言えない。ルパさんが僅かに笑みを浮かべていたのはきっと気のせい。もしかしたら、気づかれているかもしれない。
「このCDのイラスト、ぐちゃぐちゃですよね。色も背景も何もかも」
スマホに書き移したものを全員に見せる。
はっきり言ってしまえば、人によっては「なにこれ?」となるのは確かだと思う。
「井芹さんへの感情、井芹さんへ抱えている心の矛盾。そして、自分自身がこれまで抱えてきた感情を色として全部ぶちまけてるんです、もっと具体的なことを話すなら」
「私はダイヤモンドダストのことが好きじゃないですし、井芹さんがどうしてヒナのことを友人と言い続けられるのかは疑問でしかないです」
井芹さんの視線が私へと突き刺さっている。
気づいてるからこそ、私は話を続ける。
「私は0へと進めたからこそ、井芹さんを単なる救世主だとしか見ることはできない。本来だったら、ずっと井芹さん最高なんて戯言を言っていたいです。でも、私には嘘を塗って誤魔化すなんてことをしたくない。寧ろ、それをするぐらいなら」
「自分を殺した方がマシです」
言い切るのは異常だ。
しかも、本人の前でこんなことを言い出すのもアホでしかない。井芹さんへ傷を負わせるかもしれないなんてことは全く考えていなかった。
「椿ちゃん……」
「ごめんなさい、井芹さん。これが私の本音です、私は井芹さんのことを尊敬しているからこそどうしても誤魔化したり、思っていることを抑え込み続けることなんてできない。自分を正当化しているように聞こえるかもしれません」
「こんな出来の悪いファンを許してください」
頭を下げてまでやっていることが批判。
かなり狂っていることをしているのは自覚している。それでも、私は踏み止まらない。もう感情を置き去りにすることをしたくないから。
「椿ちゃん、椿ちゃん……言ってたはずだよ」
「事実だから歪めたくない。勝手、最低かもしれないけど浅瀬で溺死しかけている椿ちゃんにとって私が全てだったって……。言われたとき、凄く重く伸し掛かった。椿ちゃんの命と私の命が繋がった感覚すらあったけどね、こうやって」
「対等でいられて嬉しいよ」
井芹さんは笑みを浮かべてる。
対等、か……。
『井芹さん!この団子、美味しそうですよ!!一緒に食べませんか!?』
神社巡りをしているときのことだった。
私は神社周辺で偶々見かけた団子屋を指差す。
『椿ちゃん、団子好きなの?』
『は、はい!!』
反応が遅れていた。
何故なら、自分が好きな食べ物を尊敬している人を教えるという行為になるから。井芹さんと一緒に団子を食べるという時間は私にとって至福な時間だった。
『井芹さん、そういえば自炊どうでした?』
『あっ、あーえっと……成功したよ?』
前にスーパーで話をしていたことを思い出して、話を振ると井芹さんの目が泳いでいた。
思わず、笑ってしまいそうになっていると井芹さんが私の顔を覗き込んでくる。
『ど、どうして笑うの!?椿ちゃん!?料理ができるから!?』
『料理ができるから……ご、ごめんなさい』
何故かマウントを取られたと認識してる。
料理の失敗を知られたくなくて必死になっている井芹さん……。やばい、面白過ぎる。
『こ、今度教えてあげますから料理』
『椿ちゃんが?』
『はい!井芹さんの家で……いや、井芹さんの家じゃ駄目ですよね!?ファンが推しの家に行くなんて駄目ですよね!?あーごめんなさい!忘れてください!!』
『ううん、椿ちゃん教えてくれる?料理のこと』
対等でいられている。
この一ヶ月間の出来事が私と井芹さんの関係は大きく変わった。
『は、はい!!よ、喜んで!!わ、私でよければ!!やばい、井芹さんの家に行くってこと!?』
井芹さんの家に行くことに注目ばかりしていたけど、私は何歩も進めている。進み過ぎな気もする。助けられたこともそう。神社を巡ったり、ご飯を一緒に食べたりするなんてことがこうやって日常と変わるなんてことは思ってもなかった。毎日眩しくて、心が躍る人生ばかり。私は嬉しくてたまらないという気持ちを押さえながらも、他のトゲトゲのメンバーの反応を待つ。
◆◆◆
仁菜は納得しているみたいだった。
その隣で座っている私は居心地が悪いとか全く感じていなかった。寧ろ、今は桃香が昨日電話で言っていたことを思い出す。
『あいつはしっかりしているよ』
ダイダスのライブを最後まで見届けた。
仁菜のことを客観視している上で救世主だと思っている。なによりも、ちゃんと私達らしさも感じさせるイラスト。
「いいと思う」
イラストを見たときに「なにこれ?」と思った。
話を聞いて、納得感はあった。ぐちゃぐちゃで複雑な感情を描いていると言われれば分かる範囲内。多種多様な色を使っていて、円を描いたと思えば線で上書きしている。これが椿の心だと知ることができる。自分本位ではあるのは確か。ただ、それがトゲトゲらしさが出てる。
桃香の意見に納得を示して、椿の案を受け入れるのはなんか癪な気もするけど。私はこれでいいと思ったから、頷いた。
「なんでそんな意外そうな顔するわけ?」
「い、いや……そのありがとう!智ちゃん!」
「さんでしょ!」
認めた瞬間、これ。
いつか絶対に直球で呼んできそうと思った途端でこれで私は思わず突っ込んでしまうと、ルパが隣で笑っている。
「ジャケットイラストの方は決まりましたね、それでどうしますか?桃香さん」
「そうだな……やっぱり」
「ライブやりたいだろ?CD発売記念に」