井芹仁菜の鏡像は何を見る?   作:鏡合わせ

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忘れ形見

 居酒屋の天井のシミが目に入る。手にはグラスをずっと握ろうとしているのに、力が入らない。

 何度も、何度も力を入れて実感を魂に戻そうとしているのに戻らない。くだらないシミを数えながらも、私は椿ちゃんに言われたことを思い出して、とうとうと観念して机に顔を伏せてしまう。

 

「はぁ……あれでよかったのかなぁ……」

 

 溜め息すら出ていなかった。

 それほどまでに悩みの種を収穫できていなかった。

 

「なんだ?まだ自分のファンのこと悩んでいるのか?」

 

「そりゃあ、当たり前じゃないですか?私のファンだって言ってくれたときは嬉しかったですよ」

 

 そう、私の個人のファンだって言ってくれていたのはとても心が温まるものだった。

 今までファンレターとかそういうものを貰った事はないし、SNSだとトゲトゲの悪口ばかり気になって仕方ない。やれ、『劣化ロック被れ』だとか『売名バンド』とかそんなのは日常茶飯事。桃香さんに見るなと言わているのに、見てしまう始末。

 

「仁菜のファンってことはそれはそれはもうヤバい子でしょ」

 

「すばるちゃん~?」

 

「まあまあ、落ち着きなよ」

 

 手にグラスを握ってしまう。

 危ない、すばるちゃんにあの日みたいに勢いで飲み物を掛けそうになってしまう。

 このままだったらきっとその場の勢いに呑まれて麦茶を頭からまた被せるところだった。幾ら、すばるちゃんの日頃の行いが悪くてもまた同じことをするのはよくないだろうし……。

 

「実際そうじゃない?桃香さんのファンならまだ元ダイダスのファンだったとかで納得はつく。ルパさんの場合は社交的だし顔がいいから、ファンがつくのも当然。私もまあ……それはそれはもう当たり前かな?」

 

「智ちゃんはまあ……ロリコン需要?」

 

「蹴られたい訳?」

 

 桃香さんやルパさん、そしてすばるちゃんの納得は示す中で冷たい視線を智ちゃんが向ける。

 すばるちゃんも明るくて人と話すのは得意だ。猫被って話しかけて来るのは正直、未だに寒気がするときがあるけど今はもう慣れた。智ちゃんに関してはなんかこう犯罪的なものを感じるから敢えて濁してる。

 

 智ちゃんもすばるちゃんの反応に一瞬、溜め息を吐いていたし……。

 そうなると、私ってどうなんだろ?どういう人達がファンなんだろう?なんて疑問が湧いてしまうと……。

 

「そして、問題は……仁菜」

 

「え?私!?なんで!?」

 

 思わず、カウンター席から立ち上がってしまう。周りのことなんて目に入っていなかった。

 まるで自分が問題児みたいな扱いをされて、私は声を張り上げてしまう。ただ歌っているだけなのに、どうしてこうも言われもしないことを言われなくちゃいけないんだろうか……。

 

「仁菜の歌声は悪くないけど、歌声が真っ直ぐ過ぎるし感情のままに自分を歌ってる。トゲトゲもどちらかと言うと、反アイドルバンドみたいな位置づけもあるしそりゃあリーダーに見える仁菜のファンも厄介、めんどくせえ~ってなるのは当たり前じゃない?」

 

「すばるちゃんって人の心無いよね」

 

 何故か黙り込むすばるちゃん。

 口を尖がらせて何かを言おうとしていたのに、言うのを止めている。あれは、絶対にいや絶対に私に対して「仁菜も人の心ないじゃん」なんて言い出そうとしていた。

 

 私だって、人の心はある。

 人の心があるからこそ、こうやって椿ちゃんのことでどうしても悩んでしまう。

 

「ヒナって子のことか?」

 

 桃香さんは店員さんから渡されたビールを軽く一口美味しそうに飲んでから言う。

 しかも、口には泡を付けて……。

 

「……違います」

 

「いや、どう考えてもダイダスの今のボーカルのことでも悩んでいるんだろ?だから、あの子に声を掛けられたとき、素直に応じられなかった。違うか?仁菜」

 

 ヒナのことは事実。

 

『仁菜、最近は路上ライブで小遣い稼ぎしてるんだって?』

『小遣い稼ぎ!?』

 

 テーブルの上でスマホを確認してしまう。

 今はヒナとも連絡している。さっき居酒屋に来る前に来ていた連絡を見る。

 

『あーごめん、仁菜は仁菜なりに真剣だったっけ?』

『久々に連絡したかと思ったら、なんなの!?』

 

 

 

 

『次はあんな無様な対バンしないでよね?次があればだけど』

『次!!?』

 

 匂わせるような発言をして連絡を終えているヒナ。

 昔なら今すぐに今の私自身を凶器で殺しに来ているはず。ふざけんじゃねえ!ヒナなんか私の友達じゃない。あんな最低ないじめっ子と馴れ合うなんてナイフを背中に突き立てていたに違いない。だけど、今はヒナとのことがあるからこそ、椿ちゃんに対して素直にお礼を言い返せなかったこともある。

 

「だから、違います。桃香さんの勝手な推測です」

 

 なのに、私は肯定することを拒んでいたのは桃香さんに腹の内を探られたくないからという意志表明。自分でもこんなの分かりやすすぎてどうせすぐに気づかれるのは知っているくせにどうしても隠したくなってしまう。此処はどれだけ前に進んでも変わることはない。

 

「まあ……お前がファンのことで悩むのは勝手だが元はと言えば、自分で招いた種だ。私達はあのダイヤモンドダストに対して、中指を立てた同然の対バンを行った」

 

 お通しを軽く口の中に入れてから桃香さんは再び喋り出す。

 まるで、それはお酒のおつまみとして食べているかのようだった。

 

「あれは宣戦布告とも取れる行為でしかない」

 

「どう捉えるかのなんてのは結局、見ている側次第ってことさ。仁菜のファンになった、椿はお前のそういうところに惹かれたからファンになってくれた。私はそう捉えてたけどな。運命の華のことも含めて……だから、仁菜もサインを渡したんだろ?」

 

 身体が徐々に冷めて行く……。

 感情のままに帯びていたものは消えていき、次第に座るという意志に変わっていた。

 

「それは……そうですけど」

 

 納得してしまった。

 確かにサインを渡したのは意味があった。感謝を込めた意味もあったけど、なによりも私にとって大切な曲を褒めてくれた。彼女があの歌を間違っていないんだって教えてくれたから。進んだことを後悔しなくていいと教えてくれたから。

 

「まっ、アタシから言わせるならああいう過激なファンが居てこそのロックだ」

 

「元々、ああいうクソ喰らえだみたいな姿勢の奴が居てこそ盛り上がる、だったらそのファンを背負う覚悟でアタシ達もトゲトゲの熱気に導く必要があるんじゃないのか?」

 

 不意に力を込めていた、拳を緩んでしまう。

 もう反論なんてできなかった。私はダイダスに負けたくないからあのとき対バンから逃げずに真っ向から戦った。結果なんて目に見えていたのに、私たちは事務所を向けるという退路を断ってまで自分達で生きて行くことを選んだ。

 

 確かに椿ちゃんは今日の野次馬たちとは違う。

 純粋の私のファンだった。それは間違いないのに、どうにも言えない感情があってしまう。悪循環に駆られながらも、私は悩みに悩んでしまう。

 

「どうしましたか?智ちゃん?」

 

 すばるちゃんの向かいに座っていたルパさんが智ちゃんに声を掛けている。

 智ちゃんの方を見ると、膝に手を乗せたまま何かを考えているようだった。

 

「その……桃香の意見はよくないと思う。ああいう子を付け上がらせるのは、結果的にバンドの評判を下げることになる」

 

「私は彼女のこと面白いとは思いますよ?」

 

「ルパはそうかもしれないけど、ああいうファンってのは結局自分にとって正しいところしか見ていない。こっちが否定しても、これが私達だって評価をする。結果的に、バンドの評価を下げることしか出来ないし、足を引っ張ることしかできない」

 

「ああいう子だから、他のファンとSNSでレスバなんて目に見えてそうだもんねー。私の仁菜様の方が凄いってー」

 

 智ちゃんの意見にすばるちゃんが賛同しながらも頷いていた。

 ダイダスのことをゴミだって言っていた。智ちゃんの言っていることはそうなのかもしれない。きっとネットで活動していた頃も同じことを言われていたはずだ。でも、それで本当にいいんだろうか?私達が誘い込んで、椿ちゃんに救いの手を差し伸べていたのかもしれない。

 

 勝手な行為なのかもしれない、助けて貰ったなんて思うのは……。

 焦がれる事は……。

 

 

 

 だとしても……。

 

 

 

『私はただ、桃香さんがやっていたダイヤモンドダストが好きなんです』

『あの歌で人生が変わったんです!だから負けてほしくないんです!!』

 

 

 私は椿ちゃんのことを否定なんてできない。

 

 私だって同じだ。

 桃香さんに勝手に背中を押して貰った気になって、熊本から抜け出してきた。お父さんと話もせずに、抜け出してきた。話したら、何かが変わっていたかもしれないなんて今更思わない。今更思わないけど……。

 

 

 

 否定することはかつての自分を否定して、息が詰まりそうになってしまう。

 

 

 

 

 

 私は完全に智ちゃんの意見に頷けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 次の週、椿ちゃんのことに答えが出せないままで今日も路上ライブを終えていた。

 智ちゃんは時折、ネットを確認しているようで監視の目をしていた。桃香さんはこのままでいいと言っていた。私は何も言い出すことは出来なかったけど、やっぱり何かを言うべきなのか悩んでしまう。

 

「あ、あの……」

 

 片付けをしていると、話しかけて来る弱々しい声が聞こえて来る。

 聞き覚えがある声がして、後ろを振り返るとそこには……。

 

 

 

「椿ちゃん?」

 

「え!?は、はい!わ、私の名前覚えていてくれるなんて……光栄です!!」

 

 名前を呼ばれて、急いで足を閉じている。

 笑ってしまいそうになるのを堪える。懐かしいな、まだ一年前なのに昔のことを懐かしんでしまう。

 

「今日も来てくれたんだね」

 

「は、はい!それは勿論……!井芹さんのためなら、例え北海道でも沖縄でも何処でも行きます!!」

 

 例えにまた笑ってしまいそうになる。

 純粋な椿ちゃんのことだ。きっと、本当に来てしまいそうな予感がするから。

 

「じ、実は昨日の件で……どうしても言いたかったことがあって……」

 

 目線を合わせず、視線を下に向けたままになってる。

 何も言わずに、ただ黙って待ち続けていると椿ちゃんは……。

 

 

 

 

 

 

 

「先週は……すみませんでした!!急に……話しかけてすみませんでした!!」

 

 椿ちゃんは頭を下げている。

 ただ深々と下げていて、すばるちゃんはルパさんはその行動に興味を示している。すばるちゃんなんかは首を傾げている。当然なのかもしれない。話しかけて、すぐに謝って来たから……。

 

 私も正直、どうやって受け答えをすればいいか悩んでいた。

 

「それでも、私は否定したくないんです!井芹さんの歌声は本物!誰よりも真っ黒なものを掲げていますけど、その正体は宝石のように輝いている。私は……貴方の歌声に惹かれたんです!」

 

 

 

 

「だから、私は……!」

 

 

 

 

 

「ダイヤモンドダストなんてくだらない石ころに負けて欲しくないんです!!昨日のことはすみませんでした!いきなり話しかけて、それでも私はダイダスなんかよりも、井芹さんの方が優れてるって信じています!私に譲らなくていい、正しいと信じるものに従えと教えてくれた井芹さんを……!!」

 

 

「では、失礼します!今日のライブも……止まって見ない目が死んだ畜生共が頭おかしいぐらいで!!ほ、本当によかった……でした!!」

 

 

 

 

 

「急に話しかけてすみませんでした!!」

 

 椿ちゃんは言いたい事を言い切って、去ってしまう。

 どれもこれも自分勝手なもののはずなのに私は言い切ることが出来なかった。

 

 

 

 

『絶対に負けませんから!私達が正しかったって言いますから!』

 

 

『間違ってなかったって言ってやるから!!』

 

 話す度に思ってしまう。

 彼女は……。

 

 

 

 

 

 忘れ形見なんじゃないかって……。

 もう自分の中には存在しない。

 

 

 

 

 棘が生えていた自分の存在そのものに見えてしまう気がしていたんだ……。

 

 

 

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