井芹仁菜の鏡像は何を見る?   作:鏡合わせ

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記憶のカタストロフィ

『あ、あの……その実は地元の長野……』

 

 空回りする日々なんて言うのはこういうことなのかもしれない。

 すばるさんにあの群衆の街を話をするつもりなんて全くなかった。

 

 ダイダスのヒナと出会ったこと。

 やっぱり、あのときの私は内心穏やかじゃなかった。どれだけ、冷静になろうとも私はダイダスが許せない。アイドルバンドなんてチャラチャラとしたものは、見た目重視のお弁当にしか見えなかった。味は大したことがないくせに……。

 

「やめよ」

 

 ダイダスのことばかり考えてしまうのは……。

 今手に取っているパックのお肉のフィルムを破いてしまいそうになっているのに、気づいて私はそれをカゴの中に入れることにする。

 

「お肉、高いな」

 

 どうせ家は一人だし、何回かに食べればお金は浮く。

 同じ調理法ばかりで食べていると飽きちゃうから、流石に野菜炒めとかや豚汁とかでも使い分けたりして、舌にもいつも同じものを食べている訳じゃないって分からせる必要はある。頭の中で今後の献立を考えながらも、かごを持って移動しようとしたときだった。

 

「あれ?椿ちゃん?」

 

「え?」

 

 名前を呼ばれた方を向くと、私は固まってしまう。

 

「井芹さん……」

 

 ぽつりと呟いてしまう。驚く余裕すらなかった。

 今このタイミングで会うなんて全く考えても居なかった人物と遭遇してしまったのは事実。なのに、声を裏返せることすらなかった。

 

 自分でもよく分からずに立ち続けていたけど、理由なんてのはこれまで何度も偶然のタイミングでトゲトゲの皆さんと会う機会が増えて来て感覚が麻痺してきたということにしておくつもりだった。

 

 

 

 本当は違うくせに。

 私の心の中に広がり始める無限の空虚を止めることすら出来ないでいる私には何も言う資格なんてなかった。

 

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

『そういえば、仁菜は自炊とかするのか?』

 

 桃香さんに連絡で言われたことを思い出しながらも、カゴに手を持つ。

 

『自炊ですか?家ではあんまり……』

 

『おいおい、大丈夫なのか?まっ、考えて見れば今までは熊本で母親が作って貰ったのを食べていただろうから、やったことないのも頷けるけどな』

 

 何処をどう読んでも、そう読み取ることしか出来ない返信が来ていた。

 私はそのとき、文字を打つ速度がそれはもう早かった。

 

『私が温室育ちって言いたいんですか!?』

 

 こんな文章を送ってしまうほどに……。

 桃香さんの言っていることは正しい。実際、実家に居た頃は家事とかは結婚してから覚えろみたいな昭和染みた思想がお父さんは持っているところはあったし。自炊というか、料理なんてものは全くしたことがない。

 

 川崎に来てからというものの……。

 基本的に外食とかだったり、スーパーのお惣菜とかコンビニのお弁当で済ませていることが多かったかも。これまで、私は自炊のじの字も知らないで育ってきたことになる。結果的に桃香さんが言っていたことが正しいと現実だけが残り果ててる。

 

 悔しいことに……。

 

「自炊かぁ……」

 

 声が漏れてしまう。

 いざ、じゃあ何かを作ってみようってなっても頭の中に出て来るのは炒め物とかそういうものばかりになる。からし蓮根カレーとかは作るの自体は簡単だろうけど、煮込むとかそういうのもやったことないからどうしよう。

 

「あれ?此処何処……?」

 

 スーパーという場所に初めて来た私は自分が今何処に居るのかもよく分からなくなってしまう。

 こんな場所で迷子になってたまるかと力を入れて、カゴを持って歩き出そうとしたとき──。

 

「あれ?椿ちゃん……?」

 

 自分がようやくお肉のところに居るのに気づいた頃。

 お客さんの方に目を向けていると椿ちゃんと視線が一瞬合う。

 

「井芹さん?」

 

 視線が合っていたのに、すぐ逸らされてしまう。

 違和感があったけど、こんなところで私と会うのは想定していなかったからなのかな?と考えてはいたけど、違うような気もしてならなかった。どうして?って言われたら、確証がないから何も分からない。ただ本当に喉を突き刺すような違和感だけがあった。

 

「結構買うんだね」

 

 カゴの中をちょっとだけ視界を入れていた。

 見えていたのは、野菜やお肉は勿論のこと、お魚まで入っていて自炊をやったことない自分からすれば凄い買ってる印象があった。後、多分調味料とかも入ってるっぽかった。

 

「え?は、はい。自炊するの好きなんです」

 

 自炊するのが好き。

 な、なんだろう?自分のファンの子が自分より出来るという事実が嫌という訳じゃないのに、何処か認めたくない事実があってしまう。

 

「独り暮らし?」

 

「はい、私は長野から川崎に来たんです」

 

「長野かぁ、私も行ったけどいい街だよね!」

 

「本当ですか!?あの街、本当に自然ばっかりなんですけど自然は本当にいいんですよ!!汚さと言うか醜さとかそういうものがなくて!!」

 

 長野と言った瞬間に椿ちゃんの顔が曇ったように見えた。

 なによりも、長野の自然の良さを聞いていたはずなのにどんどん滲み出ている何かあったのかも?と思わせる発言。

 

「なにかあったの?」

 

「いや、特に何もないですよ!?それよりも自炊するんですか?」 

 

「え?う、うん。するよ?」

 

 何かをはぐらかされた。

 触れられたくないものがあって、触れてしまえば壊れてしまいそうだから話を無理矢理終わらせたように見えてしまう。 

 

「いいですよね、自炊って火加減とか難しいですけどやればやるほど楽しくなりますから。井芹さんはやっぱり得意なんですか?」

 

「私は苦手というよりも、やったことがないんだ」

 

 これ以上は触れない方がいいかもしれない。

 そう判断して、私は椿ちゃんの話に合わせる。椿ちゃんもただのファンじゃないってことを再確認しながらも……。

 

「あっ、そうだ椿ちゃんって料理できるんだよね?じゃあ、教えてくれたりってできる?」

 

 ファンに対してこんなことを聞き出すのはおかしい。最悪、幻滅されるかもしれない。

 しかも、椿ちゃんに関しては今までずっと自分にかなり似ているからどう対応すればいいのかあ悩んでいたはずなのに、今は椿ちゃんという助け船がどうしても必要だった。このまま家に帰って、初めての自炊をしても次の日には桃香さんやすばるちゃんから笑われるのが目に見えているから。

 

「あっ……えっとその……」

 

 明らかに瞬きの回数が増えてる。

 何かを言おうとしてくれているのに、何度も「あっ」という声を出している。

 

 流石にまずいことをしてしまったのかもしれない。

 幾らファンのことは言え、椿ちゃんはかなり純粋の子だから料理を教えて欲しいなんて言ってしまうのはあまりにも椿ちゃんからすればかなり驚愕の事実だったのかもしれない。

 

 そもそもの話になるけど。

 私に何かを教えるなんて恐れ多いなんて感情にすらなってしまうのは当たり前のことでしかない。聞いてしまったという事実は変わらないし、今更謝罪するのも違うからお互いに何も言えなくなってしまう。

 

「そ、それは……その……!」

 

 

 

「井芹さんの家に行くってことですか!!?いや、その……駄目ですよ!!」

 

「え……?」

 

 いきなり飛躍されたかのような話になって、逆に戸惑ってしまう。

 

「あっ、そういうことなのかな……?」

 

 自問自答をする。

 椿ちゃんが言いたいのはこういうことだ。料理を教えて欲しいと頼まれたから、家に行って料理を教えるとか話が頭の中で出来上がっていて、自分が尊敬しているアーティストの家に行くなんて出来ないってことを言いたいのかもしれない。

 

 言われてみれば、そう捉えられてもおかしくはない内容でしかなかった。

 

「それもいいけど、椿ちゃんは料理をするときどういうところに気を遣ってるとかあるかなって思って」

 

「え!?あ、あっ……!」

 

 挙動不審になって椿ちゃんは視線を逸らしまくる。

 

「ご、ごめんなさい!」

 

 何を言われたのか、気づいたのか椿ちゃんは頭を下げている。

 

「その……料理の基本的な話でも大丈夫ですか?」

 

 私はそれに「大丈夫」と返すと、椿ちゃんは口元に手を置いて考え始めている。

 

「やっぱり基本中の基本かもしれませんが、味見は大事ですかね?どれだけ完璧のレシピでも、ミシェランとかのお店でもやっぱり味が美味しくないなんて感じてしまえば、こんなもんかってなりますし最初の段階で不味いものに当たるともうやりたくないってなるじゃないですか?」

 

「確かに一口食べて、美味しくないって感じたら嫌かも?」

 

「ですよね、私もそういうのは気をつけてるんです」

 

「椿ちゃんでも?料理得意そうなのに?」

 

 率直に思った事は言うと、椿ちゃんは顔を赤くさせる。

 

「い、いや……私は別に料理は得意じゃないですよ……。ただ、味見は滅茶苦茶大事なんです。どんなに料理が上達しても、経験で作れる気になって味見を怠ってしまうのは愚の骨頂じゃないですか?」

 

「それに、自分で作ったものを後で不味い不味い言いながら、食べてるほど滑稽の姿はないじゃないですか?あれこそ、馬鹿の極みですよ。ちゃんとレシピ通りに作ればいいのに、単細胞だからそうやっ──な、なんで笑ってるんですか!?」

 

 どんどん出てくる椿ちゃんの罵倒の数々にクスっと笑ってしまう。

 

「ご、ごめん。罵倒が多くて笑っちゃって」

 

「あっ!?す、すみません井芹さん……」

 

「ううん、全然気にしないでいいよ」

 

 椿ちゃんのことをほんの僅かだけど知れたような気がする。

 私も流石に多分?此処まで直球の罵倒をしたことは……。

 

『クソが死ねええええ!!』

 

 普通にあったかも……。

 一番記憶に残ってるのはダイヤモンドダストのライブを初めて見たとき、ヒナがあの場に居ることを許せなくて叫んでしまったあのとき。今にして見れば、かなり直球。椿ちゃんに負けず劣らずに……。

 

「ダイダス……か」

 

 対バンを経て、あれからもう数週間は経っている。

 私達は自分達で責任を取る形として独立をした。自分達で自分達の音楽を突き進もうと決めた。そして、今は目の前に私のファンだと名乗っていた子が目の前にいて楽しそうに二人で笑っている。

 

 

 こういう光景が広がりつつある度に、私はこのままでいいのだろうか?と踏み止まってしまう。

 椿ちゃんには何も言えてない。ヒナとの関係のことを……。言ったら、取り返しのつかないことになるのは明白に見えているはずなのに、言った方が絶対お互いに楽になれるのかもしれない。

 

 すばるちゃんが此処にいたら、きっと面倒くさいことになるからやめた方がいいって忠告してくれたと思う。

 

 

 

 

 それでも、やっぱり私は──。

 

 

 

 

 

「椿ちゃん、どうしても言っておきたいことがあるんだ」

 

 此処まで来た以上、迷いなんてなかった。

 さっきの椿ちゃんの話題に触れるのはやめたけど、こればかりはどうしても言うことをもう留めることはできない。

 

「実は……ヒナと友人なんだ」

 

 時間が止まったように風の音だけが感じてしまう。

 

「高校一緒だったんだ、桃香さんが居た頃のダイダスの曲をよく聞いてた。空の箱が一番多かったかな?私はヒナがダイヤモンドダストのことが好きだったのを気づけたのは対バンしているときだった。あのときにようやくヒナも好きだったんだって知ることが出来た」

 

 続けた。

 無理矢理でもいいから、続けた。どうやったって、私に誤魔化すことなんて出来ないからこそ、全部を話すことしか出来なかった。呼吸すらも忘れて。

 

「ヒナは私の虐めに加担していたけど、友人だってこと変わらない。だから、運命の華は──」

 

「すみません、井芹さん。私は帰ります」

 

「ま、待って椿ちゃん!!」

 

 さっきまで一緒にアイスを食べていた椿ちゃんが袋を力強く握り締めて帰り出そうとする。

 私は急いで腕を握ると、椿ちゃんの瞳を見てあることに気づいてしまった。

 

「ヒナのことを誤解しないで欲しいとかそういうことを言いたかったんじゃなくて──「違うんです、井芹さん」」

 

 

 

 

 

 

「私はあの対バン……」

 

 

 

 

 

「行かなかったんです。だから、私に井芹さんの話を聞く資格はないんです。馬鹿みたいですよね、いつもいつも井芹さんのことが好きだって言ってたくせに肝心なところは来ない。もういいんです、私は貴方に成功体験を感じていただけです」

 

 

 

 

 

「さようなら、井芹さん」

 

「待って、椿ちゃん!!」

 

 届かない。本当にさようならな気がしてしまった。

 手は振り払われて、追いかけようとした。追いかけようとしたのに……。

 

 

 

 

 

「はぁはぁ……」

 

 椿ちゃんの姿が気づけば、見えなくなってしまっていた。

 手に残っていた感覚は消えている。でも……。

 

 

 

 

 

 

 椿ちゃんが泣いていたのだけはちゃんと覚えている。

 どれだけ空が濁った夜空になっていても、この頭が、記憶が……。

 

 

 

 

 鮮明に覚えている。

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