井芹仁菜の鏡像は何を見る? 作:鏡合わせ
「椿ちゃん、何処!!?」
ダメだ、何処を探しても椿ちゃんがいない。
さっき買い物を終えてそう遠くには行っていないはずなのに、どうしよう。私のせいだ。私がヒナの話をしたから、椿ちゃんは目の前から去ってしまった。
『私はあの対バン……行かなかったんです』
あれはどういうことだったんだろうか。
椿ちゃんは私のことを話しているときも、私と一緒に料理の話をしているときも楽しそうに話してくれていた。あれは偽りなんかじゃなかった。
「ずっと傷ついてた?」
足を止めてしまう。
運命の華を1000回再生してるって言ってくれたときも本当は心の何処かで泣いてた?私と話しているときもずっと心の中ではずっと雨が降り注いでいたのかな。だとしたら、椿ちゃんはずっと苦しんでいたってこと?
やっと椿ちゃんのことを知れた。
ちょっとだけ純粋な女の子な一面を知れたのに、話もちゃんと出来なかった。
「これで……いいのかな?」
身体に力が入らない。ダメなのは分かってる。
動こうとしても、足がもう動いてくれない。目に映るのは曇天ばかりで一粒の光もなかった。悔やんでも、悔やみきれないものを抱える中で私はスマホを手に取って、指を震わせながらもこの前、偶然見つけた椿ちゃんっぽいアカウントを表示する。
『もう全部がどうでもいい』
『結局、私はもう何もかもから逃げることなんて出来なかった。盲目で居られたら幸せだった。自分を騙すことが出来なかった。さようなら、そしてありがとう。私は私の現実と向き合わなくちゃ……』
持っていたスマホを落としてしまう。
断片的に椿ちゃんだと思っていたアカウントが確定で椿ちゃんだと分かった途端、私は無性に誰かに電話をしたくなってしまった。桃香さんに電話を急いで繋いだ。
部屋の中でギターを手に抱えて、智が言っていたことを思い出す。
すばるや智との電話からもうかなり時間が経っていた。
『私は認めないからね!あの子のこと!!』
智が言っていたことは確かに危惧すべきことなのかもしれない。
すばるが冗談で『仁菜様』なんてことを言っていたときもあったが、本当にそれに近い内容だった。
『ざけんな!お前に井芹さんの何が分かる!!』
『ダイダスなんてその辺の便所の落書きバンドと一緒にすんな!!』
『アイドルバンドなんてクソだ!!おままごとがしたいなら地下でやってろ!』
これぞ、ロックバンドの手本みたいな奴ではあるが周りすらも食っててかかっている状況でしかない。
「やっぱり言うしかないか」
スマホを手に取る。
仁菜の奴に伝えるのはもっと後にするつもりだったが、どうして伝えておきたかったことがある。どの道、仁菜の奴にとっても大切なことなのは間違いない。導くのにも、一歩を押してやるというのも一つの手だからな。
『桃香さん……ですか?』
やけに仁菜の声が低い。
雨なんて降っていないのに、まるでずぶ濡れになっているみたいな声だ。
「何かあったのか?」
『別に何もないです』
明らかに何か起きたような感じだ。
こういうとき、仁菜の場合掘り起こそうとすると逆に怒りだすことが多い。まあ、どうやったって結局怒り出すのが見えているから聞き出すしかないんだが……。
「悪い、椿のことで電話したくてな」
話を進める。
椿の名前を出した途端、黙り込む。
単にエゴサして椿っぽいアカウントでも見つけて勝手に凹んでいる訳じゃない。
仁菜は、椿に会いに行っていた。言葉にしなくてももう口を開かないという事実だけでもう確信へと変わっていた。
「あいつと話でもしたのか?」
「別にしてないです……ただその桃香さんは例えばアーティストから成功体験を貰うって珍しいことじゃないって思いますか?」
何処からどう考えても、椿の奴と何かあったようにしか聞こえない発言。
私は敢えて触れずに話を続ける。
「疑似成功体験って奴だろ?自分が得ることが出来なかったものを持っていることが凄いとか、この先を見たいとかそういう感情を持ってるからこそアーティストに惹かれたりする。ただ、これは一般的にはだ」
「一般的には……?」
「ああ、確かに疑似成功体験にあやかって惹かれるなんてことはよくある話かもしれないが、じゃあそれだけか?そうじゃないだろ?音楽ってのはこの人だから良さがあるとか、この人だから出せるパフォーマンスだとか、見せてくれる感動ってのがある」
「もし、それがただの疑似成功体験って言うならそいつは音楽が何なのかをまるで理解していない。まあ、今は音楽も多様性の時代だ。やれ、推しだのやれエモいだの言われることもあるがそれも一つの表現なんじゃないのか?」
これは正直、音楽をしている人間に限らないことだ。
例えば、陸上競技をやっている人間が居るとしてオリンピックで金メダルを取れる優秀な選手だとして、自分が持っていない才能に魅了されて応援したくなるっていうのは当然あることだ。
だけど、それ以外の可能性っても全然あり得る。
簡単に言ってしまえば、単純に凄いっていうフィルターで見て選手のことを賞賛したり感激したりすることはこれは疑似成功体験じゃない。どちらかと言うと、純粋に応援したいっていう想いだ。
「椿に言われたのか?アタシは疑似成功体験していただけだって」
『違うって分かったんです。椿ちゃんは私に似ているようで全然似てないって』
『多分ですけど、ダイダスのことも、私達のこともそうなんですけど……椿ちゃん。私達と出会う前は、鬱屈した人生を送っていたみたいなんです。ずっと辛くて、苦しそうで一人で抱え込んでたみたいで……そのときに桃香さんが居た頃のダイダスと出会えたって……』
『自分らしく生きていいんだって……』
推測なのかエゴサをして把握した内容なのかが分からない。
仁菜の場合両方って可能性は充分にあり得るが……。
「なるほどな……」
肩の力が抜けて、私は椅子に座り込む。
あいつがどうして私が居た頃のダイダスに拘っていた理由がようやくわかった。仁菜が背中を押しただけじゃなくて、アタシ自身も椿の背中を押していたんだな……。なら、仁菜みたいになるなじゃなくて盲目的になるのもそりゃあ……当然か。
仁菜の推測が当たっているなら、そりゃあ自分にとっては疑似成功体験って言いたくなるよな。
『私、どうすればいいんですかね?』
「自分の境遇と重ね合わせたのか?」
『別にそういうわけじゃなくて……』
元々、仁菜は熊本に住んでいた。
学校でいじめを受けて、親とも喧嘩をして自分で家を出て何も考えずにこの川崎にやって来ていた。となると、椿が学校を中退する前までの生活もどんな生活だったのかは多少想像はつく。
「じゃあ、お前はどうしたいんだ?一々自分のファンの過去に触れたからって感傷に浸るのか?」
『な、なんでそんな言い方するんですか!!』
仁菜のこっちの鼓膜が破れそうな大きな声がして、私は急いでスマホの音量を下げる。
「あのな……一つ言わせて貰うぞ?そうやって、ファンの事情を知った気になって抱え込んだところでお前に何が出来るんだ?共感とか、私達のロックでその傷を癒すことも出来ても過去の傷は過去の傷のまんまなんだ。お前はそうやって椿の傷に触れて修復してあげたいって言うのは勝手だが、他のファンの傷にも触れて一々共感をするつもりか?」
厳しいが、現実でしかない。
仮に椿の過去が悲惨なものであっても、アタシ達にできることなんてものは限られている。音楽であのときのことは間違ってなかったと言い聞かせてやることは出来ても、過去の傷を完全に縫うなんてことはできない。
『そ、それは……桃香さんに何が分かるんですか!?』
「流石に肩を持ちすぎだろ、何があったのか知らないけどな。ファン一人の肩を持ちすぎなん──「椿ちゃん、言ってました。ダイダスとの対バン来てなかったって……」
「来てない?」
畳み掛けるようにして言葉を並べていると、違和感を覚える。
ダイヤモンドダストをあんなに毛嫌いしていた椿が当日、アタシ達の様子を見に来ていたなんて異質だ。アタシ達が負ける姿を見るのが怖ったから、見に来なかったのか?それはあるかもしれないが、いや駄目だ。今此処で、踏み込むっていうことは特定個人のファンを助けるってことになる。
「理由は分からない……です。聞く前に椿ちゃんは何処かに行ったので、多分ですけど椿ちゃんはもうトゲナシトゲアリの音楽を聴かないと思います。川崎にも居ない気がして、言ってたんです。長野の空気が好きだって」
「あのな、エスパーでもないのにそんなことが分かるわけがないだろ」
「分かります!だって、椿ちゃんは長野の話をしているときに苦しそうだったけど、本当にあの土地が好きだったって顔をしていたんです。表情が緩んでいたんです!!」
「だからって、ファンの気持ちを背負って長野にでも行くつもりか?はっきり言って、アホにも程があるぞ。これからずっと、ファンの気持ちを一人ずつ掬い上げるつもりか?アタシ達には他にもやるべ──「分かってる、分かってますよ!!」
「桃香さんが言いたいことは分かっています!背負う覚悟もないくせに、誰か一人のために捧げる歌がどれだけのエゴなのかも含めて!でも、それでも私は桃香さんに助けられて今があるんです!例え、それが疑似成功体験だったとしても……!」
「今度は私が椿ちゃんを助けてあげたいんです!!それに言ってたじゃないですか!?自分で種を回収しろって!!」
あまりにも身勝手すぎる行動理由だ。
本当にあいつが長野に居るのかも、川崎に居るのかも分からないのに特定個人のファンの心を掬い為だけにこいつは長野に行こうとしている。そもそも、椿が長野の何処に住んでいるのかも分からないのに、どうやって仁菜の奴は行こうとしているのか。
頭に手を置いて溜め息をつきたくなっているのに全く出て来ない。
それどころか、出て来る感情がこれこそが仁菜そのものだよなっていう感情で自分が馬鹿らしくなってしまう。
「やるのか?大赤字になるぞ?」
「構いません、利益だけを気にしてバンドを始めたわけじゃないですから。私達は私達の武器、バンドの力で……」
「私達のロックで椿ちゃんに想いを伝えます」
誰かを傷に薬を塗るなんてことは自分でしか出来ない。
でも、後押しすることは幾らでも出来る。仁菜が何処に共鳴しようとも、椿に何を言いたそうにしていても伝えるのはまず口からじゃない。やっぱり、こういうところが……。
仁菜と音楽をやってよかったと思える。
ギターを持つ手がしっかりと握られているのを実感しながらも……そう思っていた。
景色が次々と移り変わる。
衝動的に行動するのはこれで何度目だろうか。
目に入る場所にノートを置いているのに手に取る気になれない。
もう言葉の手品は通用しないと分かっているのかもしれない、このノートを開けば井芹さんという救世主に助けられた私が存在するのに見ることができない。
「私はただ……譲りたくなかった、正しいと思いたかったのに……」
最後の最期でノートを広げようとしたのに、手に力が入らない。
もう視界がぼやけてしまう。
「同調圧力なんかに」
「屈したくなんかなかったのに……本当は怖いからなんだよね」
「SNSに投稿したのは……なにもかも譲れなかったから」
「正しいと思えなかったから」