井芹仁菜の鏡像は何を見る? 作:鏡合わせ
一旦、軽井沢でスタジオを借りてスタジオ内に来ていた。
駐車場に車を停めて、スタジオに来ていたはずだったんだが肝心の仁菜がいない。
「おい、仁菜の奴見たか?」
全員に確認すると、智とルパは知らないと反応を返して来る。
運命の華は私達にとっても大事な曲ではあるが、一番私達の楽曲の最初の曲という出だしが重要だ。なのに、あいつはいない。
「あれ?さっきちょっと出歩いているとか言ってたけど?」
「出歩いて来る?東京と神奈川が間違えた奴が軽井沢を出歩いて行けるわ……あいつまさか」
一つしかない、このタイミングで出歩いている。
自分は自分たちの演奏を聴かせる前に会いに行ったんだ。
椿の奴に……。
知りたかった。
どうしてもライブをやる前に椿ちゃんの理由を知りたかった。
どうしてダイダスとの対バンに来れなかったの?もそう。
一番、聞きたいのはどうして……。
『私に井芹さんの話を聞く資格はないんです』
泣いていた。
頬に一滴の涙が零れていた。
自分が泣いていたことには、椿ちゃんは気づいていなかったと思う。
あれはきっと自分を罰するための遮り方だった。私の勘違いじゃなければ、きっと椿ちゃんは──。
「此処……だよね?」
駅からタクシーを呼んで大体数十分だっただろうか。
踏まれないように気をつけて、私は一旦歩きながらもスマホで地図を開いてもう一度確認する。
今、私は蕎麦屋『朱鷺乃』の前に来ている。一旦、周りを見る。
旧軽井沢銀座通り。
初めて来た場所だった。人が多くて、立ち止まっているだけで靴が踏まれそうになる。この前、長野に来たときは諏訪湖ぐらいしか観光できなかったから、こうやって街並みに来るのは初めてだった。
椿ちゃん、こういう場所で働いているんだ。
街並みで人が多い。観光客だって来るはず。こんな日常が目まぐるしい日々の中で生きて来ていた。やっぱり、私とは違う。
同じところがあるとすれば、私にとって学校は檻だった。
桃香さんの『空の箱』を聴くことで自分が檻から解放されて、間違ってないと教えてくれた。
椿ちゃんはこの蕎麦屋さんのお店が檻だったのかもしれない。
私に出会って、檻が壊されて自分が間違ってないと信じて川崎に住み続けていた。私達の間に似ているところがあるとすれば、こういうところのはず。
目を開けると、古そうな蕎麦屋さんが視界に入る。
証明の証として一歩、前へと歩き出す。
覚悟なら、長野へ行く前にもう決まっている。
此処で立ち止まっていたのは、改めて椿ちゃんのことを考え直す為でしかなかった。並んでいる人達に「すみません」と言って、一旦中に入って行くと最初に聞こえて来たのは椿ちゃんの声だ。
「いらっしゃいま……」
持っていた注文用紙を落としている。
目の前にいる人物を椿ちゃんはまるで……。
見てはいけないものでも見ているみたいだった。
思考が鈍る。
ありえない、そんなわけがない。目の前にいる井芹さんは幻覚だ。
疲れていて幻が見えているだけに過ぎない。
忘れたい、もう私の世界に井芹さんはいない。そうだ、此処に戻って来て言われたことを思い出せ。
『あら?椿ちゃん戻って来たの?お父さんも喜ぶわ』
『やっぱり、お父さんのことが心残りだったのね』
『あんな薄汚れた場所なんかよりこっちの方がいいでしょ?お父さんもきっと跡取りが返って来てくれたと思うわよ』
もう自分の未来図を描くことは出来はしない。
所詮、私は穴倉の中で生活するのお似合いだった。此処が人生の終着点、最初から決められている運命だったはずなのに、私は自分を騙して此処まで行き続けた。あまりにも自業自得だ。
目の前にいる井芹さんもそうだ。
助けて欲しい、もう一度会いたいというあまりにも身勝手極まりない私自身が作り出したものでしかない。
忘れよう。
私が欲しかった未来、ねぇ……。
さようなら未来。
「椿ちゃん」
声と共に頭の中の霧が晴れてしまう。
ああ、そうだよね……。
知っているはずなんだ……。
どんだけ自分の都合のいいように世界を取り繕っても、井芹仁菜という人物がどういう人なのか?あの人は見返りなんて期待しない、利益なんて考えてない。いつだって、全力で生き続けている。
「椿ちゃん、来たよ」
ダイヤモンドダストとの無謀なほどの対バンを組んだ井芹さん。
そんな人が此処に来ないなんてことが1%でもありえてしまうのに、可能性という安易なものを捨てていたはずだから私は今こうやって目の前にいる井芹さんに救われる可能性を捨てていた。
目の前に現れてしまえば、救われたくなってしまうから。
「どうして……どうして……」
「来たんですか?」
凍り付いたような店の中で私は漏れ出したのは謝罪の言葉じゃなかった。
来て欲しくなかった。
残滓に縋りたくなかったのに……。
悲しい目をしていない、椿ちゃんの目は死んでる。
此処に来るのは考えてもいなかったんだと思う。
何も言わずに、私が歩み出していくと椿ちゃんが徐々に後ろに下がっている。
「あら?椿ちゃん、お知り合い?」
他の店員さんが声を掛けると、ようやくハッとした顔をして立ち止まる。
「突然押しかけてすみません、私井芹仁菜って言います。椿ちゃんをお借りしてもよろしいですか?」
「椿ちゃんを?ごめんなさいねぇ、椿ちゃんは今忙しくて……」
「ちょっとだけでもいいんです、ちょっとだけの間でいいですから」
お店の中を見れば一目瞭然だった。
蕎麦の注文を受けてすぐ厨房では蕎麦を作ったり、天ぷらを揚げたりしている。お店の中では注文を聞いたり、提供したりする時間がほとんど続いている。
見れば分かる。
どの時間帯も繁盛する時間帯でお店の手伝いが一人減るのは大変だということ。だとしても、今じゃなきゃダメだった。今じゃないと、椿ちゃんは私と話そうとしてくれない。
「ごめんねぇ、今はお店が忙しくてね」
お婆さんはどうしても椿ちゃんを此処から解き放つのを嫌がっている。
こんなとき、昔の私ならどうしていただろうか──。
『本気で助けに行くつもりと?』
高校の教室の中でヒナが言っていたことを思い出す。
『ばってん、あん子こっち見とた。助けてほしかって』
虐められていた子を助けたい。
人として当たり前のことを果たしたい。私は見て見ぬふりをして逃げ続けるつもりはない。胸を張って、虐められていた子を助けた。結果的に、虐めの標的は私へと変わってしまったけど、何も後悔なんかしてない。
かつての私なら、きっと此処で無理矢理でも椿ちゃんを店の外に連れ出していたはず。
居場所は此処じゃない。もっと相応しい場所がある。来て欲しいって……。
「椿ちゃん、軽井沢駅前で待ってる」
「ライブやるから」
届けたいことは音楽で話す。
今しか話せないことは今押し通す。
手も何も握らない。
ただただ瞳で椿ちゃんに待っていると、訴えかけてから私は蕎麦屋を離れる。
「井芹さん、対バンに行けなかったのは……私が長野に留まることを選んだからです」
違う、絶対に違う。
椿ちゃんは自分を責める為に嘘をついている。
本当に行かなかっただけなら、視線を合わせて語ることが出来る。
今にもそんな泣きそうな顔をしていないはず。身体を震わせて、下を俯くなんてことはしない。
「椿ちゃん……待ってるから」
お店を後にして此処から先、椿ちゃんが軽井沢駅に来るかは本人次第。
これ以上は何も言わない。私は信じている。
必ず来てくれるって……。
井芹さんは私のことを信じてくれていた。
何もない、ちっぽけの私のことを……。
空虚でも貸し付けられたものでしか動けなかった私を放っておくことなんてしなかった。
見捨てるなんてことは絶対にしないと言う人なのはなんとなく気付いていたはずなのに、いざこうやって手を差し伸べられてどうするべきなのか迷ってしまう。
「あの……注文言ったんですけど?聞いてますか?」
「す、すみません!!もう一度よろしいでしょうか?」
井芹さんが店から去った後も私は蕎麦屋の手伝いを黙々と続けていた。
感情を殺して、心を殺して私の居場所は此処だって言い張り続けていた。周りもそうだって目を向けてくれている。期待と言う眼鏡に私は越えなくちゃいけなkった。看板娘で、跡取りなんだから。
「お父さん、注文……」
「椿、さっきのは……」
「え?誰のこと……?」
注文用紙をお父さんに渡そうとすると、お父さんが聞いてくる。
恩人のことを忘却の彼方の中に埋め直そうとしていた私は敢えて知らないふりをすると、お父さんは手をタオルで拭いている。
「井芹と言っていたな?お前は……さっきの子はお前を待っているんじゃないのか?」
「いや、お店あるし……行く暇ないよ」
行く価値なんてない。
私にはトゲナシトゲアリの居場所に相応しくない、自分の自尊心のために井芹さんという鏡像を信じ続けていただけに過ぎないから。
「店なら、俺の方がなんとかする。だから行って来い」
手から力が抜けて行く。
お父さんが言っていたことを理解するの時間がかかってしまう。
今更、父親面するな?って反論すればいい?
違う、私に言う権利はない。お父さんに聞こうとしていなかったから。
バンドを見に行ける力も残ってない?
違う、本当は行きたくてしょうがないはずだ。井芹さんが待っているから。
「話が終わったら、俺と久々に話をしよう」
「お前との日常を久々に話したい……」
「……え?」
返せるものが疑問しかなかった。
同時にハッとさせられてしまうものもあった。何度も言う、私はお父さんの話を一度聞いていなかった。お父さんがこのお店を継がせる気があるのか?継承する気がないのか?話をしたことがなかったから、こうやって話をしようと言われて……。
例え、それが日常の話でも私の心の中では出来上がっていた溝がほんの僅かでも埋められたような気がしてならなかった。だからこそ、私は迷いなく……。
「ちょっと店離れてくる」
「ああ、行ってこい……」
エプロンを脱ぎ捨てる。
行く準備をする。お父さんが言ったから、誰も抗議をすることが出来ない。
「うん……行ってくる」
こんな面倒なことを考えるのは嫌だ。
嫌だけど、もっと早くちゃんと話せていれば拗れることもなかったのかな。
それだと、井芹さんに出会う事なんて……。
なかっただろうけどさ……。
「随分、遅かったじゃないか?話せたのか?」
スタジオの方に戻ると、桃香さんは何か言いたげそうにしていたけど引っ込めていた。
勝手に一人で行動をするなって忠告をしたかったんだろうけど、私の表情を見て上手く行ったって気づいて何も言わなかった。
「一つ、気になったことがあるんです」
「気になったこと?」
桃香さんが楽譜に目を通しながらも、疑問を投げかけてくれる。
「行けなかったと行かなかったの違いってなにかなって思ったんです」
桃香さんが何か答えようとしたときだった。
私の質問に答えてくれたのは意外な人物……。
「自分を正当化させるため……じゃないでしょうか?」
反応をしてくれたのは意外にもルパさん。
思わず、私は食い気味で話を広げて貰おうとすると話を続けてくれる。
「行かなかったなら、自分が悪いと言い聞かせることが出来ます」
「逆の場合は……人のせいにしてしまう可能性があります。例えば、大切な人がいたとします。自分にとって、その人達は家族も同然の人達でいつかに会いに行くと言い聞かせていたのに会いに行くことができなかった」
「ちょっとルパ……!」
例え話をしようとしたときに智ちゃんが止めようとする。
「構いません」
ルパさんは表情一つ変えずに、首を横に振っていた。
私はルパさんの話したい事が単なる例え話しじゃない気がして、目をはっきりと開いて視線をルパさんの方へと追う。
「都合が悪かった、いつか会いに行けばいいなんて願ってしまえばそれは自分のせいではなく人のせいになってしまう。人によってはそれを許せず、自分のせいにしてしまえば楽だと考えてしまうこともあります」
「椿ちゃんがそうだってことですか?」
「そうかは分かりません。ですが、椿さんが後悔した顔をしていたのならば何をするべきかはもう決まっているはずです」
「ルパさん……」
智ちゃんが必死に止めようとしていた理由に触れたような気がする。
ルパさんの話はやっぱり、単なる例えば話なんかじゃなかった。いつものように笑っているルパさんなのに、何処か笑顔が張り付いたような顔に見えてしまった。目の錯覚なんかじゃない、光の反射でもない。
紛れもなく、知っているからこその反応だった。
行かなかったじゃない。
行けなかったんだ。なら、まだ通じ合えるはず。私達の音楽で──。
「川崎から来ました!トゲナシトゲアリです!!今日はよろしくお願いします!!」
届けるだけでしかない。
椿ちゃんのためにも……。
見てるよね?椿ちゃん、だって今から歌うのは──。
「それでは聞いてください、運命の華!!」
椿ちゃんが前に進んでいるって言ってくれた。
あの楽曲だよ?再生回数がたったの103回だった曲。
椿ちゃんが何度も聴いてくれたあの楽曲。
「ちゃんと届いていたみたいですよ」
「ルパさん?」
ベースを持った状態でルパさんが声を掛けてくれる。
ルパさんが向けている視線の先を見ると、そこには──。
「さて、後はやるだけだな」
桃香さんも気づいていた。
「あの子、仁菜とは違って素直じゃん」
「厄介なことには変わりないけど」
すばるちゃんと智ちゃんの声も聞こえて来る。
すばるちゃんの発言に一瞬ムッとなりそうになったのを我慢していると、桃香さんが軽く背中を押してくれる。
「これまでのお前があって、あいつは来てくれたんだ」
「もし、これがあいつにとっての最後だとしてもちゃんと爪跡を見せてやればいい」
「それこそがロックだからな」
「分かっています、私達はトゲナシトゲアリです。言いたいことは全部、バンドで響かせます!!」
「椿ちゃんの背中をもう一度引っ張れるような歌声で……!」
ただ真っ直ぐな瞳を送り届けていている。私も送り返す。
エプロンも脱ぎ捨てて、上着を着ていて何も言わずにポケットに手を突っ込んだまま……。
今にも目を下を向けて口元を隠しそうな……。
椿ちゃんが来てくれていたからこそ私もまた……。
これまでの自分が間違っていなかった、負けなくてよかったと言えるライブを届ける。
この運命の華で……!!