志す者たちの彼方   作:d1ce-k

12 / 21
2部 間章: 「桐生萌郁のノート」

 

 

 

暗い部屋の中で、液晶の光だけが世界の輪郭を縁取っていた。

 

安いテーブル。飲みかけの缶コーヒー。

散らばった紙の上には、ところどころ、プリントアウトされた英数字の羅列。

 

《SUBJECT:時空間異常観測ログ/発信源候補:JAPAN – AKIHABARA近辺》

 

画面に並ぶ単語を、桐生萌郁は淡々と目で追っていく。

 

……また、秋葉原。

 

携帯を持つ指先に、ほんのわずかに力が入る。

SERN――いや、“組織”は前から気づいていた。

不正アクセス、異常ログ、消え残ったノイズの向こう側に、いつも同じ「ラボ」がいることを。

 

なのに、これまでは――

 

「進行度は低い。既存研究の模倣に過ぎない」

「監視継続。積極介入の必要なし」

 

そう判断されてきた。

 

だからラウンダーは、ただ“見るだけ”で良かった。

報告して、命令を待って、また報告する。

それだけのはずだった。

 

けれど、今回の報告書には、はっきりと別の言葉が載っている。

 

《時空間座標の局所的歪み》

《観測値:既存データベース外》

《安全保障上のリスク:HIGH》

 

指示は、簡潔だった。

 

「現地調査」

「発信源の確保」

「必要であれば排除も辞さない」

 

排除。

その一語に、胸の奥がかすかにざわつく。

 

――発信源。

 

誰かの顔が、ふいに浮かびかけて、慌てて打ち消す。

 

違う。感情を、はさまない。私はラウンダー。命令に従うだけ。

 

そう繰り返しても、頭のどこかでひっかかる。

 

「発信源がヒトである可能性も視野に入れろ」

 

報告の文面に、さらりと書かれていた一文。

ヒト。

人間。

名前を持つ“誰か”。

 

……もし、それが。

 

胸の奥で、ひとつの可能性が形を取りかけて――

 

 

「……やめて」

 

萌郁は、自分のこめかみを指で押さえた。

脳裏に浮かんだ情景を否定するように、ゆっくりと目を閉じる。

 

仕事と個人感情を混同してはいけない。

私は、そういうふうに作られていない。

 

そう思いたいのに、思考は勝手に過去へと遡っていく。

 

 

初めて、その子を腕に抱いた日のこと。

 

未来ガジェット研究所の一角。

乱雑な機材とコードの隙間。

場違いなほど、ちいさなちいさな存在。

 

「……無理」

 

そのとき、本気でそう思った。

腕の中にある重さが怖かった。

落としたらどうしよう。

泣かせたらどうしよう。

壊してしまいそうで。

 

「……わたし、こういうの……」

言い訳のように呟いた声は、自分でも驚くほど頼りなかった。

 

そのときだった。

 

~萌郁さん。

 

静かな声が、自分の名前を呼んだ。

 

携帯越しではなく、

メールの文面でもなく、

真正面から、はっきりと。

 

顔を上げると、槙島聖護がいた。

あの、どこか世界から半歩ずれたような眼差しで、まっすぐに。

 

すぐ隣には、紅莉栖が、不安そうにそれでも信頼を込めた目でこちらを見ていた。

 

~志乃と、一緒にいてくれ。

 

命令じゃない。

強制でもない。

ただ、預ける側の覚悟だけが、そこにあった。

 

腕の中の赤ん坊――志乃が、ふにゃりと顔を動かす。

大きな瞳が、まっすぐに萌郁を見た。

 

小さな指が、シャツの袖をつまむ。

 

「……っ」

 

拒絶の言葉は、喉の奥で消えた。

怖い。

何をどうしていいのか、全然わからない。

それでも、その指先は、確かに自分を“選んで”縋っていた。

 

「……少しだけ、だから」

 

誰に向けたのか、自分でもわからない小さな声。

志乃は安心したように目を細め、

やがて、すうすうと小さな寝息を立て始めた。

 

そのあいだ、萌郁はほとんど動けなかった。

けれど、不思議と、その重さが嫌ではなかったことだけは覚えている。

 

――あの日以来、

「萌郁さん」という呼び方と、

「志乃と一緒にいてくれ」という言葉は、

どこか自分の中で特別な位置を占めてしまった。

 

ラウンダーでもなく、記者でもなく、

ただの「桐生萌郁」として、そこにいても良いと、

一瞬だけ思ってしまったから。

 

 

液晶画面に視線を戻す。

指先が、ゆっくりと文字をなぞる。

 

《発信源の確保》《排除も辞さない》

 

もし、発信源が――あの子だったら。

 

考えるな、と自分に命じる。

SERNの指示に、個人的な過去は関係ない。

 

……それでも。

 

「……まさか、ね」

 

声にならない声が、暗い部屋に溶けていく。

 

志乃が、あのラボが、

“世界の異常”の原因だなんて。

そんなのは、ただの勘ぐりだ。

ただの――希望か、あるいは恐怖か。

 

携帯が、小さく震えた。

新着メール。

差出人は、いつも通り“FB”の名。

 

『至急現地へ向かえ。

ラボ周辺の対象すべてを記録し、報告。

判断は上で行う。』

 

萌郁は、短く息を吸い込む。

 

命令だ。

私は、行かなければならない。

 

たとえ、その先に何が待っていようとも。

 

あの日、腕の中で眠っていた小さな重みが、

記憶の中でそっと、もう一度こちらに手を伸ばすような気がした。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。