志す者たちの彼方   作:d1ce-k

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2部 第10章:「沈黙の侵入」 後編

 

 

 

薄暗い廊下の先から、足音が近づいてくる。

 

槙島聖護は、壁に背を預けたまま息を殺し、わずかに顎を傾けた。

前を行く鈴羽も同じように立ち止まり、銃口を音のする方へ向ける。

 

「……来るね。」

 

「ええ。……二人分、かな。」

 

ほんの一瞬、呼吸が止まる。

 

影が、角の向こうから飛び出した。

 

先頭にいたのは、桐生萌郁だった。

そのすぐ背後──紅莉栖と志乃。

 

聖護の身体は、ほとんど思考を待たずに動いていた。

 

引き金を絞る感触が、指先にまとわりつく。

銃声が廊下に弾け──

 

キィンと火花が散った。

 

弾丸は萌郁の頬をかすめ、後ろの壁を抉る。

萌郁が咄嗟に身体を捻り、銃口を払ったのだ。

 

「……っ!」

 

すぐさま距離が詰まる。

銃は役に立たない距離。金属が床を転がる音。

 

萌郁はほとんど反射で、聖護の腕を掴み、体勢を崩そうとする。

しかし、次の瞬間──

 

「……遅いよ、君。」

 

視界が、ふっと反転した。

 

気づいた時には、萌郁は床に叩きつけられていた。

手首はひねり上げられ、背中には膝。動けば骨が折れる角度。

 

喉の奥から、かすかな息が漏れる。

 

聖護はほとんど無表情のまま、懐からナイフを抜いた。

 

冷たく光る刃が、迷いなく振り上げられる。

 

「……君は敵だ。」

 

それは、判断でも、葛藤でもない。

ただ事実を確認するような、静かな宣告だった。

 

刃先が、萌郁の喉元へと落ちていく──その瞬間。

 

「やめて!!」

 

小さな身体が、横から飛び込んできた。

 

志乃だった。

 

「お父さん、だめっ!」

 

彼の腕にしがみつき、必死に押さえ込む。

ナイフの軌道がわずかに逸れ、刃先は萌郁の頬のすぐ横、床に突き刺さった。

 

ガキンという嫌な音が響き、コンクリートにヒビが入る。

 

一瞬、時間が止まったようだった。

 

鈴羽は、その光景を数メートル先から見ていた。

ナイフを振り下ろす直前の聖護の目──

そこには、さっきまで自分と横並びで戦っていた“仲間”の色はなかった。

 

(……やば……)

 

背筋を、ぞわりと冷たいものが這い上がる。

 

戦場で何度も見てきた、“人を殺すことに一切の迷いがない目”。

だが、今目の前にいるのは、それを遥かに研ぎ澄ませた「狩人」だった。

 

「……志乃。」

 

聖護が、志乃の方へゆっくり視線を落とす。

 

しがみついていた志乃は、その目を真っ直ぐに見上げていた。

泣きそうな顔をしながらも、決して目を逸らさない。

 

「この人、守ってくれたの。……お母さんと、わたしのこと。」

 

萌郁の手はまだ震えていた。

床には、彼女がさっき撃ち抜いたらしいラウンダーの血痕が飛び散っている。

 

聖護は一度、その赤をちらりと見下ろし、

次に、萌郁の手の中の拳銃を見た。

 

照準は、自分ではなく、通路の奥──まだ息のある敵たちの方を向いている。

 

沈黙が、数秒だけ続く。

 

やがて、聖護は小さく息を吐き、ナイフを引き抜いた。

刃についたコンクリートの粉を指で払うと、あっさりと懐に戻す。

 

「……分かったよ、志乃。」

 

彼はそのまま萌郁から膝をどけ、立ち上がった。

 

「君がそう言うなら、彼女にはもう何もしない。」

 

その言葉は相変わらず穏やかだったが、

鈴羽には、底知れない重さを伴って聞こえた。

 

(……“志乃が言ったから”やめただけ。

 言わなかったら、本当に殺してた──)

 

萌郁は、床に倒れたまま、聖護を見上げていた。

 

その視線には、恐怖と混乱と、

うっすらと、自分でも理解できない安堵の色が混じっていた。

 

聖護はそんな彼女の視線を一度だけ受け止め、

ふっと口の端だけで笑った。

 

「……それで? 君はどっちなんだい。

 ラウンダーか、志乃の“味方”か。」

 

萌郁の喉が、小さく鳴る。

 

それでも、震える声で搾り出した。

 

「……志乃ちゃんを……守る。」

 

聖護は、その答えを聞いて満足したように目を細めた。

 

「いいね。じゃあ、君はまだ“生きる理由”がある。」

 

その一言に、鈴羽はまたぞくりとした。

 

人を生かすのも殺すのも、

この男の中では、きっと同じくらい軽い行為なのだろう。

 

ただひとつ違うのは──

志乃が触れた瞬間だけ、その天秤が確実に傾く、ということ。

 

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