2月22日
パーパルディア皇国 皇都エストシラント
パラディス城 〈皇帝の間〉
床に敷かれた絨毯に自分の革靴が沈んでいる。
まるで絨毯に捕まっているような気分だ。
目の前の壇上には、パーパルディア皇国の皇帝・ルディアス陛下が座している。
いつものように威圧的な空気を周囲に放っている。
その視線は氷のように冷たく、ナイフのように鋭い。
イノスはこの視線が苦手だった。
怯む心を抑え込み、イノスはすべてを語った。
懺悔するように。
ロウリア王国へ独断支援したこと。
突如“トルキナ連邦”なる未知の艦隊が現れたこと。
連絡員三名が拘束されたこと。
そして、艦隊が皇都に“挨拶”に来ること。
「こ、この度は、わたくしの独断でこのような事態を招いてしまいましたことを、お詫び申し上げますっ!」
イノスは深々と頭を下げた。
(……終わった。いや、まだだ! まだ終わったわけでは……)
背後の会議机には、皇国の重鎮たちがずらりと並ぶ。
その視線が、背中に突き刺さるのを感じる。
イノスはこっそりと陛下の顔色をうかがう。
(……ああ、絶対に怒って…ん、違う? 呆れておられる?)
皇帝陛下は眉を持ち上げていた。
その目はかすかに“呆れ”が混じっているように見えた。
ただ相変わらず厳しい視線には違いない。
イノスは宣告を待つ囚人の気持ちである。
やがて、陛下が重々しく口を開いた。
「エルトよ。イノスの件をどう考える」
その瞬間、イノスの心臓が跳ねた。
(い、生きた心地がしないっ…)
単に支援しただけではない。
独断でワイバーンロードと陸軍部隊まで派遣しているのだ。
エルトが進み出る靴音が聞こえた。
エルト――あのカイオスすらも踏み台にして、第一外務局の局長になった氷の女である。
(おしまいだ……)
「はっ。独断で事を進めたことは確かに問題ですが、ロウリア王国を支援し、ロデニウス大陸の資源獲得を目論んだ事自体は、陛下の方針に沿ったものであると思います。それにまだ失敗と決まったわけではありません」
(…へ?)
イノスは驚いた。
(え? ええ? エルトが? 氷の女が? まさかわたしを? 擁護してくれているのか?)
意外だった。
思わず振り向くと、冷ややかな眼でこちらを見下ろすエルトの顔があった。
い、いや、これは…“借りはちゃんと返してよ”っていう眼だ…!
(だが、それでも! それでも助かる…!)
「では、トルキナ連邦なる新興国の件はどうだ?」
皇帝陛下の表情から呆れが消えている。
眼付きが鋭い。イノスの苦手な厳しい眼だ。
ひっ!
や、やはり、怒っておられる!
イノスは体が縮み上がった。肩が狭まってしまう。
「はっ。国家戦略局の職員3名と武官1名からの連絡なので、重要と考えて報告に及んだものと考えますが…いささか…個別の情報に踊らされているのではないかと思います」
その言葉に振り向くと、エルトが横目でジトッと視線を向けている。
こんな馬鹿げた情報に踊らされてどうするの?
バカなの?
眼がそう語っていた。
「そうだな。その捕らえられたという三人はそう言えと脅されたのであろう。あとの一人は遠目に見ただけのこと。正確な情報とは言えまい」
皇帝陛下が我が意を得たり、というように頷いた。
(そうだろうか…)
擁護してもらっている立場だ。反論はしない。
反論はしないが…
国家戦略局では普段から正確な報告を徹底している。
そうでなければ戦略など無意味ではないか?
うちの部下はそんないい加減な報告などしないはずだ。
そんなイノスの考えをエルトが打ち砕く。
「さらに言えば、局員達はなぜ今日になって報告しているのでしょうか? その艦隊が来たのが17日であるなら、その時点で報告がなければおかしいと思います」
その言葉にイノスは顔を曇らせた。
(……た、確かに!)
なぜあいつらはすぐに報告してこなかったんだ?
もしかして、自分が思うほど指導が徹底されてない…のか?
(今までのわたしの仕事は…いったい何だったのか…?)
イノスの中で、先ほどまでの自信が急速にしぼんでいった。
「おそらくは、ようやく外洋に出られるようになったばかりの新興国が調子に乗っているのでしょう。であれば、ロウリア王国への支援はまだ失敗と決まったわけではありません」
エルトはこの報告を重視していないようだった。
(いつもなら反論するんだが……)
擁護してもらっている立場で、反論するのはさすがにマズい。
その上、自分は失態の沙汰を待つ身だ。
そんな身で声を大にして反論などできない。
さらには、報告が正しいという自信もなくなってきた。
イノスはただ恐縮して沙汰を待つしかなかった。
皇帝陛下はエルトの言葉に大きく頷き、皇国軍最高司令に眼を向けた。
「アルデよ。皇軍はこのような見え透いた見栄を張る国に遅れを取るまい?」
「はっ。皇都の港に来るというのであれば、皇国海軍の威容を見せつけ、姑息な手段で見栄を張ったことを後悔させてやりましょう」
アルデ最高司令は一度頭を下げてから、自信に満ちた表情で請け負った。
「その王族のエルフ女の驚く顔が楽しみですな!」
皇国軍最高司令の言葉に、周囲から笑いが起こる。
「「ハハハハハ」」
賛同を示すように皇帝陛下も口元に笑みを浮かべた。
エルトも笑みを浮かべている。
重臣の多くが、アルデの言葉に笑っていた。
(……)
イノスは笑えなかった。
戦列艦の何倍もの巨大な軍艦
ワイバーンを撃ち落とす魔導砲
数百の軍船を制圧する武力
50キロ先への砲撃
そして飛行機械
全てが事実――とまでは言わないが、このどれか一つでも事実なら、皇国は危ない。
イノスは、実はそうハッキリと認識しているわけではない。
ただ胸のざわつきが消えないだけである。
長年の経験から来る“職業上の感覚”が、静かに警鐘を鳴らしていた。
“すべてが全部まるまるウソだと本当に言えるのか? 一つでもホントなら皇国はピンチだぞ!”と。
「エルトよ。念のためにミリシアル帝国の公使に問い合わせよ。『トルキナ連邦なる国にミリシアル皇帝の親族はいるのか?』とな」
「かしこまりました。早速、問合せて参ります。ところで陛下はその女にお会いになられますか?」
「そのような必要はあるまい!」
皇帝陛下の口調は「そのような些事には興味ない!」と言わんばかりだ。
「イノス! お前が会うがいい。職員の待遇について、しっかり礼をしろ」
皇帝陛下がイノスにその役目を命じた。
(こ、これは“失態を挽回しろ”という意味! つまり、処分は免れたぞっ!)
「仰せのままに!」
イノスは安堵する内心を悟られまいと、勢いよく頭を下げた。
だが、皇帝陛下の次の言葉で、イノスの表情は曇る。
「カイオス! 文明圏外の国だ。お前が手伝ってやれ。余が会うかどうかはお前たちの話次第だ」
第3外務局局長のカイオスにも命令が下ったのである。
え…?
(か、カイオスだってっ? なぜ、よりによってカイオスをっ……!)
イノスの胃がきゅうっと縮んだ。
(こ、この男にだけは、手伝ってなど欲しくはないっ!)
イノスはそう叫びたかった。
だが、皇帝陛下の命令に逆らえるはずもない。
「御意」
カイオスの声は、まるで背後から冷や水を浴びせるようだ。
第3外務局――“文明圏外国”との外交を担当する部署。
トルキナ連邦はロデニウス大陸の東の海にあるという。
ロデニウス大陸は“文明圏外”。そこから東も当然“文明圏外”だ。
だから理屈の上では正しい。だがよりにもよってカイオスとは…
(……いや、待てよ)
イノスはふと思った。
(逆に考えれば……これはある意味、好都合……?)
実はイノスの“職業上の感覚”が、静かに警鐘を鳴らしていたのである。
“この仕事は危ない”と
(たとえば……)
イノスはそう感じる理由を高速で考えた。
陛下の期待どおりに話が進まなかったらどうなる?
なんとなくそんな気がする。
――だが、それでは陛下が納得しないだろう。
そうなればどうなる?
――誰かが責任を取らねばならない!
(そ、その時は、カイオスに責任を取ってもらおうっ!)
せめてそれくらいは役に立ってもらわねば!
イノスは内心で密かにほくそ笑む。
自分の保身に役立つと思えば耐えられそうな気がした。
だが、それでも胸中の不安は消えなかった。
(なんで、こうも胸騒ぎがするのか……?)
「他に何かあるか? ではこの件はこれまでとする!」
「「はっ!」」
皇帝陛下の有無を言わさぬ声が、〈皇帝の間〉に響いた。
イノスは頭を下げた。
廊下に出てから、すぐにエルトに声を掛けた。
「エルト殿! 先ほどは…」
「独断はカイオスを出し抜くため?」
礼を言おうとしたら、エルトが逆に尋ねてきた。
目がジトッと見てくる。
「な、なぜ…それを?」
「やっぱりね。でも、それが陛下のためになるなら結構よ。わたしも似たようなものだし」
カイオスを出し抜いて局長になった女…
「それにカイオスだって、あなたを出し抜いたわ」
(そ、それはそうだが…)
「だ、だが、助かった。礼を言う」
「陛下のためになるなら、それでいいのよ。アルタラスの件も、確かにカイオスがやる方が都合が良い面もあるし」
(ん? カイオスの方が都合が良い?)
「そ、それは…どういう…?」
「いま話すことじゃないわ。それじゃ、お互いに励みましょう。陛下のために」
「そ、そうだな…」
イノスは頷いた。
だが内心では、まったく同意していなかった。
(わたしはこれまで“自分のために”働き、成果を上げてきたんだが…)
イノスは自身の栄達のために、無能な上司を、私腹を肥やす同僚を、陛下から庇うことなく見捨て、ただ突っ走ってきたのである。
局長室に戻ると、ドアの前でパルソが待ち構えていた。
「ど、どうなりました?」
(報告書をまとめろと命じたんじゃなかったか? ……まあ、気になるか)
イノスは部下に教えてやることにした。
「わたしがトルキナ連邦の相手をすることになった」
「で、では、お咎めなしですか?」
(やはり。そこが気になっていたか)
独断で進めたことを咎められたかどうか。
「ああ。これで挽回せよということだと思う」
イノスが頷いてやると、パルソは安堵のため息をついた。
だが、すぐに心配そうな表情に戻った。
「第3外務局は何か言ってきませんでした?」
「陛下のご命令は『カイオスと二人で対応せよ』だ。つまり、国家戦略局と第3外務局は共同で対処せよということだ」
するとパルソが疑わしげな目を向けてきた。
「そんなことで…また第3外務局に仕事を奪われませんか?」
「……かもしれないな」
イノスはただ肯定した。
それで良いとは思わないが、悪いとも断定できない気がしたのである。
「そ、そんな……」
「すぐに報告書をまとめろ。対策を考えたい」
イノスは改めて報告書の作成を指示した。
パルソには“第3外務局対策”という意味で聞こえたかもしれないが、必ずしもそうではない。
トルキナ連邦が来たら“職員の待遇について、しっかり礼をしろ”というのが、陛下のご命令である。
だが、いったいどうすればいいのか……
(何か糸口を見つけるためにも、報告書を読んで考えたい)
そういう意味であった。
「わかりました!」
パルソは勢いよく返事をすると、慌てるように出て行った。
(トルキナ連邦か……)
――果たして、どんな国なのか……?
イノスの胸がまたざわつく。
(なぜだ? なぜこんなにも胸騒ぎがする……?)
イノスは理由が分からない。
だが、それをもたらしているのは、長年の経験によって培われたもの。
今まで幾度も彼を救ってきた“職業上の感覚”である。
それが今回もイノスに”何か”を告げようとしていた。
次回の更新は明日の予定です。