中央暦1639年3月3日
パーパルディア皇国 皇都エストシトラント
エストシトラント港 出入国管理所 政府専用口
カイオスの話はまだ続いていた。
「…だからフェン王国には租借という話を持ちかけるというのも一つの方法ではないかといま…」
ここでようやく馬車が止まった。
「お話の所すみませんが、港に到着しました。大きな船が来てますよ」
イノスには救いの声に聞こえた。
(やっと着いたか…)
「もう着いたのか!」
カイオスは勢いよく立ち上がった。
「よし。どんな船か見てやろうじゃないか」
そのまま勢いよく飛び出していった。
(始まる前からもう疲れた気分だ…)
イノスはゆっくりと立ち上がり、馬車から降りる。
(おっと!)
カイオスにぶつかりそうになった。
(なぜ立ち止まってる!)
イノスはそんな不満の目をカイオスに向けた。
カイオスの両眼が沖を見つめている。口が大きく開いている。
(え?)
イノスもつられるように視線を移していく。
(な、なんだあっ! あれはっ!)
イノスは大きく目を見開いた。
視界の左には多数の戦列艦が浮かんでいる。
そしてその右、というか波止場から正面の沖合にその艦隊はあった。
戦列艦より遥かに巨大な軍艦―――
それが列をなして…いや陣形を組んでいた。
戦列艦のマストは高い。
艦種にもよるが、50メートル級だと、艦の全長と同じくらいの高さがある。
つまり戦列艦の帆柱はもともと驚くほど高いのだ。
(なのに…さらに高いとはどういうことだっ!)
少なくとも二隻、周囲のマストの上に船楼が頭を出していた。
帆柱らしき柱は見える。だが帆は見当たらない。
そのせいで巨大な船楼が余計に威容を放っている。
(ま、まるで建物じゃないか!)
帆柱より高い船楼など聞いたことがない。
そんなことすれば風受けの邪魔になる。
イノスが初めて見るのは当然である。
見たくなんかなかったが…
あんな船で来るような連中相手に強気で
(む、無理だっ!)
イノスは腹がよじれそうだった。
あの時、最高司令のアルデ殿は何て言ったっけ?
たしか…
イノスは思い出した。
「軍の威容で後悔させてやれた、と思うかね? カイオス」
イノスは努めて冷静に語りかけた。
馬車の中で、文明圏外国の扱い方を得意げに語るカイオスに耐え続けたんだ。
これくらいは言ってやっても良いはずだ。
(本来ならばもっと皮肉を言ってやりたいところだが…)
(あれを前にしては、それどころではない!)
「…どちらかというと、我が軍の方が慌てているように見えるな」
カイオスは腕を組んで、そう言った。
だがその顔を明らかに引き攣っている。
(…まったくだな!)
イノスは頷いた。
艦隊の威容に血の気が引いていく。
5キロほど沖合にいるのか?
その周辺に海軍の戦列艦が群がってく。
「海軍は…戦列艦で取り囲むつもりのようだな」
イノスは空しい気分が声に出てしまう。
まるで犬が地竜に挑もうとしているみたいだ。
そんなことしても、地竜はなんとも思わないというのに。
(頬に触れる潮風が冷たい…背筋まで冷たい…)
「あのような船を作る国がミリシアルやムー以外にあるとは…」
カイオスの声から威勢がなくなっていた。
「ムーの『貨物船』か…」
イノスは思い出した。
二年前にムーの巨大な船がこの港に現れた時のことを。
あの時はパルソと二人で駆けつけた。
話に聞いていたより遥かに巨大な船で、二人して度肝を抜かれた。
船員に声を掛け、“輸送船の一種”で『貨物船』と呼ばれていることも聞き出した。
あの時の『貨物船』に比べると、わずかに小さいようだ。
(それでも、ムーにやや劣る程度の船を作れる国なわけだが…)
しかもあの時は一隻だったが、今回は数が多い。
皇国には到底できないことだ。
「圏外文明国というやつらしい」
イノスは報告にあった言葉をつぶやいた。
『圏外文明国』――文明圏に属さない未知の文明国のことである。
「接岸してくる艦は少し小さいな」
話しているうちに、一隻の軍艦が波止場へ近づき、側面を見せている。
まもなく接岸するのだろう。
「それでも戦列艦の3倍はありそうだ…」
イノスは見比べてそう言った。
「150門級ならそんなことはないぞ!」
カイオスの言葉に、イノスは横目を向ける。
そして心の中でツッコむ。
(わたしに強がってどうするっ!)
確かに《超フィシャヌス級》戦列艦は全長70メートルある。皇国最大の軍艦だ。
だが目の前の軍艦はどうだ。
どう見ても150メートルはある!
(倍以上あるじゃないか!)
イノスはむなしい気分になった。が、すぐに気を取り直した。
「われわれもそろそろ行くべきではないかね?」
「そうだな」
二人は波止場まで歩いていき、接岸する場所で立ち止まった。
そのまま眺めていると、大きな船がなんでもないかのように静かに接岸した。
「タグボートが見当たらないな」
2年前に訪れたムーの貨物船はタグボートというのを使っていた。
だがあの軍艦は使わないみたいだ。
やがて階段が降ろされ、人影がゆっくりと波止場へと降りてきた。
先頭は、ずいぶんと背が低い。
イノスがよく見ようと目を細めると、ダークドワーフだった。
(ドワーフが軍服を着ている! 初めて見た!)
続いて身分の高そうな銀髪の貴婦人降りてきた。
耳がやや長い。
服装の色味は少ないものの、陽光をキラキラと反射している。。
(あれが例の代表か…)
さらに少し背が高い黒髪の男。
変わった服装だが、どこかで見たような気がする。
その後ろからぞろぞろと人が続いて降りてきた。
イノスはその中に見覚えのある顔を見つけた。
(無事だったか…)
イノスは安堵した。
(特に拷問された様子もなさそうだ)
「うちの連絡員たちだ」
イノスが教えてやると、カイオスが渋い表情になった。
「局長!」
連絡員の主任、ガルドールが駆け寄ってきた。
その表情には悪びれる様子はまったくない。
(こいつ…脳天気な顔しやがって…)
イノスはイラッとした。
(お前たちのせいで…国家戦略局の極秘計画が露見する羽目になったんだぞっ!)
「連絡しましたとおり、トルキナ連邦外交団の代表を連れてきました」
「連れてきた? お前たちが連れてこられたのではないかね」
帰国して喜んでいる様子の三人に、イノスはつい厳しい口調になった。
すると自分の失敗に気付いたのか、ガルドールが狼狽の表情を浮かべた。
「え? あ…はい。ですが…われわれがここまで案内を…」
「案内させられたんだろ」
カイオスが皮肉を差し挟んできた。
すると三人が「誰?」という表情になった。
ん? カイオスを知らないのか?
(何を隠そう、お前たちがロウリア王国に行くことになった原因を作った男だ)
イノスはそう教えてやりたかった。
だが、すでに異国からの客人達が目の前に来ていた。
「では紹介してもらおうか」
立ち止まった貴婦人に顔を向け、イノスは部下に指示した。
おそらく彼女が報告にあった王族だというエルフ女だろう。
「はい。ではご紹介します。ニムディス殿下」
ガルドールが呼びかけた。
「こちら国家戦略局のイノス局長、我々の所属する部署の長です。そしてこちらは…?」
ガルドールが言い淀んだ。
やはりカイオスの顔を知らないようだ。
「第3外務局の局長、カイオスだ」
カイオスが自ら名乗ると、ガルドールがさっと表情を変えてカイオスを見た。
(名前は知っていたか…)
だが、その話は今すべきではない。
そう。
エルフの貴婦人が悠然と頷いた。
「これは出迎え、痛み入る。わらわはトルキナ連邦最高監査人の1人、ニムディス・オーレノン・コーワじゃ」
銀色の髪と尖った耳は確かにエルフのようだが…
我々がよく知るエルフとは違う印象だな…
「そしてこちらが…」
ニムディスと並んだ男に視線を移すと、黒髪で長身の男が自分で名乗った。
「同じくコウ・ジローです。こちらは護衛のスラトシャール隊長です」
男が後ろに控えていたダークドワーフを手で示すと、ドワーフが優雅に頭を下げた。
軍服はふんだんに織り込まれた金糸が陽光に反射し、黄金の輝きを放っている。
(ずいぶんと派手な軍服だ。近衛兵だな…よく見ると女じゃないか)
「国家戦略局のイノスです。このたびは私がお話を伺うことになっております」
(う…思わず丁寧な口調になってしまった)
しかもニムディスが、まるでそれが当然だと言わんばかりに悠然と頷いた。
「うむ。トルキナ連邦は貴国との話し合いを望んでおる。イノス殿。まずは話し合いの場に案内を頼む」
「この艦の帆柱のような鉄柱は、いったい何だ?」
カイオスがいきなり質問を差し挟んできた
(お、おい、カイオス! まずは挨拶だろ!)
相手が誰であろうと最低限の礼儀は大事だ。そうイノスは教わってきた。
そう言えばカイオスは“圏外国に舐められないための接し方”について熱く語っていた。
(これがそれなのか?)
カイオスは礼儀など気にしない様子で、目の前の艦を見上げている。
ぶしつけな態度である。
(はたしてこのエルフ女…ニムディスはどうする?)
イノスは注視した。
だが、ニムディスは特に気にする様子も見せずに、同じく軍艦に目を向けた。
「あれか。あれは対空砲じゃ」
カイオスの態度に動じる様子はない。
それどころか悠然としている。
むしろ、自分が上から教えてやるといった態度を見せている。
「対空砲?」
「上空の敵を撃ち落とすためのものじゃ。射程は40キロほどじゃな。そしてあちらの大きな艦のものは条件次第で射程が100キロに届く」
(あれがそうなのか――)
イノスは思い出した。
海岸から50㎞も内陸にあるロウリア王国の王都ジン・ハーク。そのすぐ近くまで砲撃してみせたという報告。
彼らは「大きな艦」から砲撃したと主張しているとの話だったが、それがまさに今遠くに見えている軍艦なのだろう。
「ばかな! あり得ん!」
カイオスが吐き捨てるように否定した。
(これにはわたしも同感だ!)
皇国海軍の艦砲の射程は2㎞である。
ただ爆裂魔法と砲身を工夫すれば5㎞くらいは飛ばせるようになるかもしれない。
だからそれくらいだと言われれば、まだ想像が付く。
(なのに100キロだと? 桁が二つも違うではないかっ!)
何バカなことを言ってるのか!
「ホラを吹くのも大概にしろ!」
カイオスが吠えた。
イノスも同意するように視線を向けた。
するとニムディスが銀色の眉をひそめ、不思議そうに返した。
「なぜホラを吹かねばならぬ?」
(自国を大きく見せるためではないかね!)
イノスはそう言いたかったが、先にカイオスが声を張り上げた。
「わがパーパルディア皇国相手に、強がりは通用せんぞ!」
カイオスは“文明圏外の蛮族には強気で臨むべし”という信条を、まさに実践していた。
するとニムディスの口元に笑みが浮かんだ。
皮肉な笑みだった。
「はて? 強がるとは弱者がするのであろう?」
まるで面白い玩具を見つけたかのように、
「小さな木造船しか作れぬような国を相手に、なにゆえ強がらねばならぬのか、わらわには分からぬのう」
「くっ…」
カイオスが言葉に詰まっていた。
“小さな木造船――そんなものしか作れない皇国相手に強がる必要はない。なぜなら、われらはそれを遥かに凌駕する軍艦を持つ強者なのだから”
貴婦人はそう言ってるのだ。
(これは…思ったよりもずっと手強いぞ…)
カイオスの挑発がまったく通じていないじゃないか。
簡単には行かなそうだ。
(これからこの女を相手にせねばならないのか…)
職員を拘束した事に対して「きっちりと礼をしてやれ」というのが皇帝陛下のご命令だというのに…
イノスは
するとカイオスがさらに語気を強めた。
「単なる木造船ではない! 魔道戦列艦の装甲は〈対魔弾鉄鋼式装甲〉だ! 〈風神の矢〉の爆裂魔法にも耐えられるぞ」
(ええ? なぜそこで張り合う?)
イノスは呆れつつ、目の前の軍艦に視線を向けた。
この船はどう見ても鉄鋼式装甲を貼り付けたものじゃないぞ。
今の“木造船しか作れぬような国”という彼女の発言から考えても明らかだ。
これは鉄鋼式の軍艦だ。
直接見ればわかるじゃないかっ!
なぜカイオスはわからない!
砲弾が100キロ飛ぶというホラ話を非難するならわかる。
(だが、この装甲と張り合ってどうするっ!)
イノスは驚きと呆れの表情でカイオスを一瞥し、再び視線をニムディスに戻す。
ますます面白い物を見つけたような愉しげな表情がそこにはあった。
「なるほどのう。あれは鉄の装甲なのじゃな」
ニムディスが感心するように、沖合の戦列艦の方に目を向けた。
「さらに魔道砲の数は最大で150門あるぞ!」
カイオスが得意気に付け加えた。
“どうだ! スゴイだろ!”
そんな心の声がイノスにも聞こえる気がした。
次の瞬間、ニムディスが堪えきれなくなったように笑い出した。
「アッハッハッハ!」
(わ、笑われたっ!)
「連邦には戦列艦にちょうど良いことわざがある。『下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる』というものじゃ。あれだけあれば飛竜にも当たるやもしれんのう」
そう言ってまた「アッハッハッハ」と笑い出す。
潮風が笑い声を運んだのか、周囲の人々が振り返った。
イノスは高笑いをするニムディスを恨めしげに見つめてしまう。
唇を固く結んで、苦々しげに心の中でつぶやく。
(いや、ワイバーンには当たらない…)
(ワイバーンはそんなに低く飛ばないし…)
ちらりとカイオスに視線を向ける。
カイオスは歯ぎしりするような悔しげな表情で、ニムディスを睨み付けていた。
何も言い返せないようだ。
心なしか顔も赤くなっている。
(ダメだこりゃ…)
イノスはこの場を収めることにした。
「では案内しましょう」
(やはり、わたしがやらねばならないか…)
馬車に三人を案内し、カイオスと共に乗りこむ。
ニムディスの配下たちもいつの間にか降りて来ていたため、出入国管理所に馬車を手配するよう頼んだ。
馬車が動き出すと、ニムディスがまたも楽しげに声を上げた。
「ほほう。ちゃんとバネが効いとるのう。感心じゃ」
それはイノスにはこう聞こえた。
“木造船しか作れぬ国”だから“バネも知らぬ蛮族だ”と思ったぞ“と。
(嫌味か? 嫌味なのか?)
「トルキナ連邦というのは、トルキア王国と関係があるのか?」
カイオスが問いかけた。
さすが“仕事横取り男”のカイオス。
多少笑われたくらいで、口を閉ざすようなヤワな図々しさはしていない。
(確かに名前は似ているが…おそらく関係ない)
「トルキア王国というのは初めて聞くのじゃ。われらは、こちらの海に来たのは初めてじゃからな」
予想どおりだった。
「では国際常識を知らないのでしょうな」
イノスはようやくこの“戦い”に口を挟めた気分だった。
文明圏の知識ならこちらに分がある。
「そうじゃな。教えてもらいたい」
ニムディスの顔から笑みが消え、真剣な表情が浮かんだ。
イノスの胸に、かすかな光が差し込んだ。
(ならば! 文明国の何たるかを教えてやるっ! 優位に立てる材料を、ようやく見つけたぞ!)
イノスは心の中で拳を握った。
(皇国の威信は、私が守るっ!)
だがその決意は、すぐに打ち砕かれる。
ニムディスがふいに窓の外へと視線を移し、つぶやいたのだ。
「町並みはなかなかじゃ。われらが宮殿回りの町並みに似ておる」
宮殿――やはり王族!
町並みが似ている――つまり建築の水準もほぼ同等ということか!
イノスも窓の外に目を向ける。
皇都の町並みはいつものように列強の富と力を誇示していた。
(どう考えても、蛮族とは思えない……)
皇帝陛下の「礼をしてやれ」というご命令。
だが、そもそも“礼をしてやる”ことができるような相手なのか?
(陛下のご命令を果たさなければ、失態を挽回できない。でも、果たせる気がしないっ!)
イノスは目を閉じた。
(いったい、どうすれば……)
両肩に“皇帝陛下のご命令”が、重石のようにズシリとのしかかっている。
馬車の中には、ニムディスの高笑いと、カイオスの空回りが、まるで余熱のように漂っている気がした。
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