トルキナ連邦召喚   作:mogatoku

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誤字報告ありがとうございます。



15 理解と不理解 ―― 軽油エンジンと軍事力

 

3月5日 日没後 『皇都ホテル』 

 

 

 ムーゲが肩をブルッと震わせると、ニムディスが気付いたようだ。

 

「寒くなってきたな。グリオナよ、暖炉の火を頼む」

「かしこまりました」

 

 ニムディスが振り返ると、その背後から返事が聞こえた。

 ドワーフの女兵士のようだ。

 

(え? ずっといたのか? 気付かなかった!)

 

「そちらの軍艦は、どういうものじゃろうか?」

 

 ニムディスは向き直ると“今度はこちらの番”とばかりに、ムーの軍艦について尋ねてきた。

 ムーゲも、差し障りのない範囲で説明していった。

 だが、強い関心を示したのは、ニムディスではなく、ジローであった。

 

「連装砲ですか?」「旋回砲塔ですか?」「対空兵器はありますか?」

「はい、そうですね…」

 

(あの…)

 

「口径は?」「砲身の長さは?」「砲塔の配置は?」

「それは…」

 

(えーと…)

 

「衝角はありますか?」「魚雷は?」「探査手段は?」

「さ、さあ…」

 

(いや、その…)

 

 次々と飛んでくる質問に、ムーゲはたじろいだ。

 そもそもそこまで軍事に詳しいわけではない。

 答えられる範囲で応じようとするが、説明に窮する場面も多かった。

 

(……ロスランを連れてきた方が良かったかな)

 

 武官のロスランなら答えられただろう。

 でも、最初の対面にいきなり武官を連れてくるというのは、さすがに気が引けたのである。

 

「戦艦の動力は?」

 

 この問いの答えは、以前に耳にしたことがあった。

 

「軽油エンジンだと聞いています」

 

 なんとはなしにそう口にすると、ジローの目がぱっと見開かれた。

 

「軽油発動機? …で1万トン越えの軍艦を動かしてるんですかっ!?」

 

 声が一段高くなり、身を乗り出してくる。

 それまで興味を示しながらもどこか落ち着いた様子で尋ねていた男が、突然興奮気味に目を輝かせたのだ。

 

(な、なんだ?)

 

 ムーゲは思わずたじろいだ。

 

「はい…そう聞いてますが…」

「それは――」

 

(何か、まずいこと言ったか? もしかして、トルキナにとっては、時代遅れなのか…?)

 

 そんな不安が胸をよぎる。

 だが、ジローの口から出てきたのは、侮蔑や呆れではなかった。

 

「――素晴らしいですねっ!」

 

 賞賛だった。

 

(……へ?)

 

 ムーゲは思わず呆けてしまった。

 

 軽油エンジンとは、そんなに褒められるものなのか?

 時速900キロを越える航空機を持つトルキナ連邦に?

 

(まったくその理由が思い浮かばないんだが?)

 

「ジローは何をそんなに驚いておるのじゃ?」

 

 ジローの同僚、ニムディスもまた同じ疑問を抱いたようだ。

 

「それはね。軽油圧縮着火式発動機というのは――」

 

 ジローが喜々として、答えている。

 

「――振動が激しいし、高温になるんだ!」

「ふむ」

 

 その答えに、ニムディスが分かったと頷く。

 

(確かに、軽油エンジンは音が大きいな)

 

 ムーゲもそこは理解できた。

 だが、ジローの話はそれで終わりではなかった。

 

「だから摩耗が激しい。だから頑丈に作る必要がある」

「ふむ」

「だからとにかく重い。だから大型の発動機を作るには適さない」

「ふむ」

 

 ニムディスは同僚の話を聞くのが初めてではないのだろう。聞き慣れているといった様子で頷いている。

 ムーゲもまだ話についていけていた。

 

「でもその問題を解決できれば高い出力が得られる。だからこそムーは軍艦の動力に使っているんだろう」

「ふむ」

「でもそのためには、高熱に耐えられる耐熱合金。損耗が少ない高強度合金。激しい振動に耐えられる構造。高温になっても摩耗を防ぎ続ける耐熱潤滑剤。こうした高い技術が必要なんだ。つまり…」

 

(……ダメだ。ついていけない。早口だから余計に話がわからん…)

 

 その時、ニムディスが言葉をつなげた。

 

「ムーの合金技術は高い、ということか?」

 

(へ?)

 

 あたかも話を理解している風なニムディスの発言に、ムーゲは呆気にとられた。

 

(つ、ついていけてないのは、わたしだけかっ!)

 

 専門用語の洪水に、外交官の自分は理解が追いつかないというのに!

 

「そのとおりっ!」

 

 ジローの言葉にさらに熱が入る。

 

「非魔法工学技術の結晶だ! 貴国の冶金(やきん)技術は素晴らしいですよ! ムーゲ大使!」

 

 大絶賛であった。

 

「そうなんですか? わたしは詳しくないので……よくわかりませんが…」

 

 ムーゲはそれしか言えなかった。

 だが、ジローの目は本気だった。

 

「連邦の非魔法工学船舶は、たしか3千トン程度までしか軽油発動機を使っていません。それ以上になると蒸気回扇なんです!」

 

 ――どうやらムーにも、トルキナより優れた技術があるらしい。

 

 先ほど感じていた恐怖が和らいでいくのを感じる。

 胸の奥に温かいものが広がり、背筋の冷たさが消えていく。

 暖炉の火で部屋も暖まってきたようだ。

 

 その後、空母と艦載機の話になった。

 

「複葉機ですか?」

「軽油発動機?」

「ガソリン発動機ですか?」

「ぜひ見てみたいです!」

 

 ジローが興奮気味に身を乗り出してくるのを見て、ムーゲは少しずつ、自国の技術に誇りを取り戻していった。

 

(わがムーの技術は、決して劣ってはいない!)

 

 ――なら必ずしも恐れる必要はない。

 

「非魔法工学」という呼び方は引っかかるが、それでも語り合うことはできる。

 

 魔法文明の中に在って、ムーは常に孤独だった。

 他国にとって「科学」は“魔法ではない何か妖しげな術”であった。

“魔法を使えぬ者が魔法の代わりに使う劣った妖術”に過ぎなかった。

 誰もムーの語る言葉を理解しようとせず、また理解できる者もいなかった。

 

 列強2位の地位にある現在、あからさまな態度を取られることはないが、「妖しげな術」という扱いはあまり変わってはいない。

 それはここパーパルディア皇国でも時折、住民から向けられる不審者を見るような視線からも感じる。

 

 だが、いまここに、トルキナ連邦が現れた。

 ムーは“唯一無二”ではなかった。

 そして、それは裏を返せばこうも言える。

 

 ――我々はもう孤独ではない!  

 

 両者には「科学」という共通の言葉があるのだ。

 

(今度、ロスランも連れてこよう)

 

 きっと互いに得るものがあるだろう。

 それに、語り合うのは技術だけとは限らない。

 

(この国となら、未来を語れるかもしれない――)

 

 ムーゲの体は、いや心は、すっかり暖まっていた。

 いつの間にか燃えさかっている暖炉の火が、ムーゲの胸の奥に希望の灯と重なって見えた。

 

 やがてニムディスが尋ねた。

 

「パーパルディア皇国と国交を樹立できたら、ムーゲ大使を窓口にムーと国交樹立の交渉をしてよいのか?」

「それは…まだわかりません。本国が別の者を派遣してくるかもしれません」

 

 今の自分はあくまでパーパルディア皇国駐在大使だ。

 国交交渉を任されるかどうかは分からない。

 

「一度ムーに訪問したいのじゃが、今回の遠征はこのパーパルディア皇国で終わりなのじゃ。一度戻らねばならぬ」

 

 ニムディスの表情には、わずかに残念そうな色が見えた。

 

「そうですか。機会がありましたら、ぜひ一度訪問してください」

 

 ムーゲは本心からそう言った。

 一方で不安もまだ拭えきれたわけではない。

 

(トルキナ連邦がムーに牙を剥いてきたら、我が軍は防ぐことができるのだろうか…)

 

 だがムーゲは思う。

 

 だとすれば、なおさら交流が必要だ。

 交流を通じて争いを避ける。

 

 ――我々外交官はそのためにいるのだ!

 

 ムーゲは背筋を伸ばし、二人を静かに見つめた。

 

 ――たとえ火種があろうとも、言葉で橋を架けることが、我々の役目なのだから。

 

 

 

中央暦1639年3月5日 夜

 パーパルディア皇国 皇都エストシラント

  パラディス城 〈皇帝の間〉

 

 

 イノスは〈皇帝の間〉に足を運んでいた。

 どうやら、エルトから重大な報告があるらしく、幹部に集合が掛かったのだ。

 あやうく、もう帰宅するところだった。

 

(本日2度目の集合とは……)

 

 会議の方は一度、午後3時過ぎに終わったばかりだ。

 

 皇都に潜入していた諜報員の捕縛について報告があった。

 2名は捕らえたが、3名は捕縛しようとした兵士を巻き込んで自爆したという。

 昨日の午後に聞こえた爆発音もその時に生じたものだったらしい。

 

(思い返せば2回聞こえた気がする……)

 

 捕らえた間諜は何も話さないが、トルキナ連邦からの情報によると、グラ・バルカス帝国なる西の新興国の間諜らしい。

 至急、対策を講じることが決まり、会議は解散となった。

 

 イノスは直接関係ない話であったため、局に戻ってから、自分の今後の計画について思案を巡らせ、 そろそろ帰ろうとしていたところだった。

 再び、呼び出しが掛かったのだ。

 

(なんだか、嫌な予感がする…)

 

 夜の城の廊下をここまで歩む足取りは、自然と重かった。

 

「皆、集まったな。では――エルト! 報告せよ!」

「はい。本日昼過ぎ、ムー大使館のムーゲ大使がトルキナ連邦の代表が宿泊している『皇都ホテル』に現れました」

 

(ムーが?)

 

「昨日“宿泊先を教えてやれ”と命じた件だな」

「はい。わたしは先の会議の直後に部下から報告を受け、すぐさま『皇都ホテル』に向かいました。すると両者の会談はすでに始まっているとのことで、部下と一緒に張り込みました。やがて、ムーゲ大使と、トルキナ連邦の二人――ニムディスとジローがロビーに現れたところで、ニムディスがわたしに気付いたのです」

 

(局長自らが、そこまで露骨に張り込む必要があるのか?)

 

 イノスは、思わず眉をひそめた。

 そんなところを見られたら、あのエルフ女に何を言われるか、わかったものではない。

 

(担当を外されて良かった!)

 

 イノスは内心で安堵した。

 だが実際はそんなことにはならなかった。

 

「すると、ニムディスが言ったのです。『おお、ちょうど良かった。今アルタラス王国という国の話を聞いたところでな。紹介してはくれぬか?』と」

 

(な、なんと……)

 

「アルタラス王国を――紹介しろだとっ!」

 

 皇帝陛下が明らかな憤怒の声を上げた。

〈皇帝の間〉の空気が一瞬で重苦しくなる。

 

 イノスの胸はざわめいた。

 

(嫌な予感が……)

 

「はい。魔石をぜひ買いたいとのことです」

「ムー大使め! 余計なことを!」

 

(これは――マズい!)

 

 今ごろ、カイオスの元で“アルタラス王国魔石鉱山獲得計画”が始まっているはずだ。

 計画自体は元々わたしのものだったのだが、カイオスが『アルタラス王国は第3外務局の管轄だ』と 主張したせいで、国家戦略局の手から離れてしまった。

 

 わたしが進めていれば、今ごろは鉱山を掌握していたというのに…

 

(お前がもたもたしているせいだぞ! カイオス!)

 

 イノスは歯噛みする思いで、カイオスを睨みつけた。

 

「アルタラス王国を紹介してよろしいですか?」

 

(なっ! エルトは命が惜しくないのか!?)

 

 イノスは思わず息を呑む。

 

(皇帝陛下の怒りが爆発するじゃないかっ!)

 

 イノスはヒヤヒヤしてしまう。

 

「バカを言うな! 奴らに鉱山を()られたらどうする!」

 

(や、やはり怒っておられる!)

 

「ですが、いずれは知られてしまいます」

 

 エルトの言葉にはどこか(あきら)めの響きがある。

 

(まさか……鉱山を諦めろと……エルトは言いたいのか……?)

 

 だが皇帝陛下はそんなエルトに何も言わず、鋭い視線をカイオスへと向けた。

 

「鉱山の件はどうなっている!」

「現在、関係各所と調整中でございます」

 

 カイオスがやや力なく答えた。

 どうなっているも何も、第3外務局の管轄は広い。他にもやることが多い。

 すぐに実行できないことは容易に予想できた。

 そのためか、皇帝陛下も強く責めたてることはできないようだ。

 

(だから、わたしにやらせてくださればよかったのに……!)

 

 イノスはそう言いたかった。

 皇帝陛下の顔がますます険しくなる。

 

(な、なんか、マズい気がするっ!)

 

 イノスの不安はますますつのる。

 

「なぜ! 奴らの言動に右往左往せねばならないのだ!」

 

 皇帝がうなるような声を出し、机の上で拳を握りしめた。

 

(ひいっ!)

 

 その声色からにじみ出る剣幕に、イノスは肩をすぼめる。

 その場の誰もが押し黙る。

 皆が下を向き、部屋全体に重苦しい沈黙がのしかかる。

 

 長く続く沈黙。

 誰もが、身動きすら止めている。

 

(重い……空気が重い……)

 

 イノスは沈黙に耐えられなくなってしまった。

 

「……あの艦隊のせいです」

 

 思わずボソッと口走ってしまう。

 

 これがとんでもない事態を引き起こすとも知らずに――

 

 イノスは場の視線が自分に集まるのを感じた。

 

 あの艦隊は、港の沖にただ居並んでいるだけで、間違いなく大きな圧力となっていた。

 イノスの指摘は、皆が納得する程度には正しかったのである。

 

 皇帝陛下が皇国軍最高司令をジロリと見た。

 

()()を何とかできないか? アルデ」

 

(何とかと言われても、できるわけが……)

 

「ご命令とあらば、すべて沈めてご覧に入れましょう」

 

 意外なことに、アルデが自信に満ちた表情を見せた。

 すぐさま「おおっ」と感心する声が聞こえてくる。

 

(はあ? 何をバカな……)

 

 イノスは困惑した。

 

 あれに勝てるつもりなのか?

 やつらは、飛行機械から爆弾を落とすんだぞ!

 

 イノスの目がゆっくりと見開かれていく。

 驚きと困惑が入り交じり、次第に大きくなっていく。

 事態の深刻さが、徐々に心に染みこんできたのだ。

 

 だが、さすがに口に出すことはできず、飲み込むしかなかった。

 

「そうなれば、そのエルフの女もさぞ慌てることでしょう」

 

 アルデの言葉が、皇帝の間に静かに響いた瞬間――

 

 イノスは唖然とした。

 

(ま、まさか、あれを見ても、簡単に勝てるとまだ考えている者がいるとは……)

 

 そんなことは思ってもいなかった。

 イノスにとっては、一目瞭然だったからだ。

 

 だがそうではなかったらしい。

 あまりにも予想外だ。

 

(もしかして……アルデは……わが軍の最高司令は……アホ国王と同じ……アホなのか……?)

 

 言葉が出なかった。

 口だけポカンと開けてしまった。

 

「陛下」

 

 すると女の声が、静かに皇帝陛下に呼びかけた。

 声の主は、皇帝とは遠い親戚であるも皇族と認められている人物――

 

「何だ、レミール」

「その女の相手は、私にお任せください」

 

 皇女レミール。

 現在皇妃の第1候補と目されているも、政治に強い関心を示す女性であった。

 

「よかろう。どうするのだ」

「女を海の見える場所に連れて行き、奴らの船が沈む所を見せつけてやりましょう」

 

 レミール殿下が残酷な笑みを浮かべる。

 

「絶望の底に突き落としてやるのです」

 

 天井の照明がその顔に妖しい影を落とし、可憐な顔立ちに、冷酷さが映し出される。

 

(ひいっ!)

 

 その表情に、イノスは顔が引き攣りそうになった。

 

「そうだな……」

 

 皇帝陛下が顎に手を当て、少し考える素振りを見せた。

 

「その後、軟禁し、従属を条件に解放してやるか」

 

 その言葉が〈皇帝の間〉に静かに響きわたると――

 なんと他の臣下たちの口元にも笑みが浮かび始めた。

 

(マズい! このままではこの城が瓦礫になってしまう!)

 

 イノスは焦った。

 焦燥のあまり、一歩進み出る。

 

「恐れながらっ!」

 

 声が少し裏返った。

 

「なんだ? イノス」

 

 これ以上、陛下のご不興は買いたくない。だが――

 

(それでも黙っているわけにはいかない!)

 

 視線が一斉に自分に注がれた。

 背筋に冷たい緊張が走り、喉がかすれる。

 

「トルキナ連邦の国力は侮れませんっ。たとえあの艦隊を沈めたとしても、全面戦争となれば我が方も大きな痛手を被ることになりかねませんっ!」

 

 三人から直接聞いた報告が頭を離れない。

 

 50キロ先の目標を砲撃で爆破――これはさすがに荒唐無稽だ。

 だが見たこともない巨大な爆発――これは疑いようがない。

 飛行機械から爆弾を目標に命中させた――これもおそらく間違いない!

 

 しかもあれは『第13軍』と『第15軍』。

 ということは、同様の戦力が――

 

(あと6個、もしくは7個は存在するはずだ!)

 

「何を言うか! お前は心配しすぎだ! 奴らの話はホラに決まっている!」

 

 陛下の怒号に近い声が皇帝の間に響きわたった。

 

(奴らの話? 奴らの話って、何だ? 誰か説明してくれ……!)

 

 イノスは思わず眉をひそめた。

 

 イノスは昨日の緊急報告――「皇都に間諜が潜んでいると連邦が主張している」と報告された場には呼ばれていなかった。

 呼ばれたのは、軍関係者だけだったのである。

 

 ただ、皇帝陛下はそのことに思い至らないようだ。

 

「そうです! あれほどの艦隊、きっと奴らの全海軍に違いありません!」

 

 最高司令アルデが、皇帝陛下の言葉に勢いよく追随した。

 

(はあ? なぜそう言える?)

 

 そんなイノスの内心とは裏腹に、その場の空気は一気に楽観へと傾いていく。

 

「おおっ」

「頼もしいですな」

 

(頼もしい? 何が? どこが?)

 

 イノスは信じられない思いだ。

 

「仮にまだあるとしても、あの艦隊と同程度が残っているだけだろう。あれを沈めてしまえば、残りではもう大したことはできまい!」

 

 陛下が自信たっぷりに笑みを浮かべた。

 周囲の者達も、つられるように笑みを浮かべ始めた。

 

(なぜ、そんなに……ん?)

 

 イノスはふとエルトの顔が視界に入った。

 彼女は唇を一文字に結び、何も言わずに立っている。

 

(……あの顔は“何も言いたくない”、いや、“言っても無駄”って顔……昨日、何があったんだ?)

 

 さらに信じられない発言が飛び出す。

 

「エルフ女を人質にして、トルキナ連邦に従属をせまる――という先ほどのお考え、さすがは陛下。ご名案と思います」

 

(な……)

 

 イノスは思わず発言者に振り返る。

 

 皇女レミールの可憐な顔に、ニヤリと冷たい笑みが浮かんだ。

 イノスの背筋にゾクリ――と寒気が走る。

 

(こ、怖い……)

 

 イノスは慄然とした。

 

「そうだ。戦果次第ではそういうこともできるだろう」

 

 皇帝陛下がニヤリと笑みを浮かべて頷いた。

 

(……)

 

 イノスは心の声さえ出なくなってきた。

 陛下が声を張り上げた。

 

「アルデ! 明日の朝にでも攻撃できるか!」

「は! もとより準備万端整っておりますれば、いつでも開始できます。お任せを」

 

 アルデが力強く答え、自分の胸に手を当てた。

 

「よし! では明朝に攻撃せよ! あの艦隊を全て沈めてみせよ!」

「はっ!」

 

 アルデが踵を鳴らして、姿勢を正した。

 

(なっ・・・なんと・・・)

 

 あまりの事態に、イノスはただ呆然と立ち尽くす。

 

(……あれは……鋼鉄の軍艦だぞ……!)

 

 ワイバーンロードの導力火炎弾で、戦列艦の砲弾で、沈められると思ってるのか?

 

 イノスの“職業上の感覚”が大音量で警鐘を鳴らしていた。

 

「お、お待ちを…! ま、まだ…」

 

(…連邦についての報告書も上がってきておりません!)

 

 イノスはそう続けようとした。

 例の三人が報告書を提出することになっているのだ。

 

「イノスはもう下がれ!」

 

 だが皇帝陛下は、もう聞きたくないとばかりに、即座に退出を命じた。

 

「…!…お、仰せのままに…」

 

 イノスは引き下がった。

 

(マズい・・・最悪の場合、皇都が…このエストシラントが‥占領されるかもしれない…)

 

 イノスは暗澹たる気持ちでトボトボと退出する。

 

(これはマズいぞ……だがどうすれば……)

 

 廊下に出ると、照明は不安げな様子で、いつもより揺らいでいた。

 イノスはさらに重くなる足を引きずるように、歩みを進めるのであった。

 





次回の更新日は未定です。
今のところ、週末あたりを目指しています。
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