誤字報告ありがとうございます。
混沌とする〈謁見の間〉。
そこに、場違いな程に落ち着いた声が静かに響いた。
「あの、わたしが発言しても?」
近衛兵の突入時に、エルフ女の配下に一言だけ指示を出していた男だ。
「なんじゃ? ジロー。遠慮せずに発言せよ」
「はあ、では」
そう言ってその男は前に出てきた。
上半身だけのガウンの様な上着と、スカートと見間違えそうなズボンを履いている。
その下は靴下のような黒いブーツだ。
「わたしはニムディスの同僚でジローと言います」
(同僚だと?)
配下ではないのか?
どういうことだ?
と考える間もなく男は声を張り上げた。
「後ろに下がっている臣下の皆さん! どうぞ、そんなに遠慮なさらずに、元の位置にお戻りください」
そう言って男が大きく手招きする。
銃弾を避けるために後ろに下がっていた左列の重臣達が、顔を見合わせている。
「そこでは話が聞こえづらいでしょう? こちらからは何もしませんので、こちらへどうぞ!」
重臣達がそろそろと歩き始めた。
しばらくすると、玉座から見て左側の臣下の列も元通りになった。
右側もまた、兵士達が倒れたままだが、重臣達はそのまま並んでいる。
それに満足したのか、ジローと名乗った男は切り出した。
「ルディアス陛下、及び臣下の皆さんにお尋ねします」
まるで、ついさきほどの混乱などなかったような調子で話している。
「今朝の戦闘で我が連邦軍の死者が何人出たのか、ご存じですか?」
突然、その場が落ち着きを取り戻したような空気の変化。
臣下達が困惑の表情で互いに顔を見合わせる。
「知るわけがなかろう!」
そう叫んだのは最高司令のアルデだ。
その声の意味するところは明らかだ。
(ことさらに被害を叫び立て、その賠償金も払えと要求するつもりか!)
そのような声に聞こえたのは、ルディアスも同じ思いだったためか。
するとジローが静かに口を開いた。
「連邦軍の死者は――ゼロです」
(へ?)
ルディアスは予想外の言葉に一瞬理解できなかった。
そして理解すると思わず驚きの声を上げようとして、喉が詰まる。
「なっ…!」
――なんだと?
重臣達も凍り付いている。
男は軽い調子で続けた。
「まあ、ケガ人が8名ほど出ましたがね、死者はいません」
(そ、そのような戯れ言!)
――到底、受け入れられぬ!
ルディアスはそんな思いを声に出す。
「ありえぬっ!」
(あれほど砲声が聞こえていたではないか!)
「一人も死なずに海軍を制圧したなど…仮にも栄えある皇国海軍だぞ! 一人も倒さずに降伏したとでも言うつもりかっ!」
「そのとおりですよ」
男が飄々と答えた。
(バカな!)
「い、いったい海軍は何をやっているんだ!」
その声は、皇国軍最高司令のアルデである。
「バルスめ! 役立たずの根性なしが!」
忌々しげに海軍をなじっていた。
だがルディアスは、そもそも認められない。
(皇国海軍が一人も討たずに制圧されただと? そんなバカなことがあって溜まるか!)
「余は信じぬぞ!」
すると、ジローが言い聞かせるように問いかけてくる。
「今のを見ても信じられませんか? あなた方の銃では我々を傷つけることもできませんでしたよ?」
「そ、それは…」
銃弾は“防殻魔法”なる魔法によって弾かれてしまった。
(そうか…)
その事実の重みを、ルディアスはようやく理解する。
(こやつらの兵は銃弾を弾いてしまうのか…)
「貴艦隊制圧に際し、なるべくそちらの乗員を殺さずに制圧しましたが、飛竜を400体程撃ち落としました。これがそちら側の死者の大半を占めます」
男はこちらの返事を待つことなく説明を始めた。
「バカな!」
(ワイバーンロードだぞ!)
ルディアスは信じたくなかった。
だが、これはすでにアルデから報告を受けていたため、信じるしかなかった。
「連邦軍は誰一人命を落とすことなく、半日で、飛竜約400体を撃ち落とし、軍艦346隻を制圧しました。その際、貴国の水兵11名が死亡したと報告を受けていますが、それ以外は負傷で済ませています」
(な…)
ジローが信じられないことを次々とまくし立ててくる。
「いいですか? 味方の被害を出さずに敵の軍艦を制圧するのは、同じく味方の被害を出さずに敵の軍艦を撃沈するよりも、はるかに困難なのですよ。それでもこちらは死亡者なしで制圧しているのです」
ジローの口調はまるで生徒に講義する教師のようだ。
その後ろでは、ニムディスが愉快そうな笑みを浮かべ、何度も頷いている。
(く…おのれ…)
「ではここで問題です」
ジローが本当に教師のような事を言い始めた。
「この調子であなた方の全陸海軍を制圧するとしましょう」
その言葉に皆が息を呑む。
誰もが後に続く言葉を恐れていただろう。
(いったい何をしてくるつもりなのか?)
(何を要求してくるのか?)
ルディアスもまた不安に負けじと、男に向ける視線に力を込める。
だが男が口にした言葉は、ルディアスの予想とは違うモノだった。
きっと誰の予想とも違うものだったろう。
「果たして、こちらの死者は何人になるでしょうか?」
は?
な?
な…
(何人になるか? だと?)
トルキナ軍は一人も死ぬことなく、皇都に集めた大艦隊を制圧してしまった…
それが事実なら…
「どんなに多く見積もっても、二桁で済むのではありませんか?」
その言葉は〈謁見の間〉に静かに染み渡った。
(な…!)
そしてルディアスは思った。
……いや誰もが、思ったことだろう。
皇国全軍が戦っても、トルキナ軍の死者は100人にも満たない。
(下手をすると10人にも届かないのではないか?)
一人も死ぬことなく、海軍を制圧したのなら。
それが事実であれば。
”――確かにそういうことになりそうだ”と。
「仮にこちらの死者が90人になるとしましょう」
空気が重く沈んでいく。
まだ死者がいないにもかかわらず、それでも90人になるとは、かなり多く見積もっているのではないか?
そう感じてしまう。
「その代わり、そちらは全陸海軍を制圧されます」
(う…)
重臣達が愕然とした表情で、動かなくなっている。
「全陸海軍を失ってまでこの戦果を手にしたいですか?」
(く…)
そんなわけがない…
全軍を失って得た戦果が、敵兵90人では…
しかもこれは多く見積もった数字だ。
(それでは、あまりにも皇国軍が報われぬ…)
しかし、ルディアスはまだあきらめられない。
(だがそれを認めることは、敗北を認めることと同じ!)
ルディアスは反論を絞り出す。
「…だが…こちらには地の利があるぞ!」
(そうだ! 地の利だ! 陸軍は簡単にはやられたりしないはずだ!)
するとジローが首をかしげてきた。
「地の利なら、今朝の戦闘でも、今の戦闘でも、充分にあったのではありませんか?」
その声には非難も嘲りもない。
それはただ事実を確認するための問いかけだった。
地の利なら二回ともあったのではないか、と。
「奇襲攻撃でしたよね? 特に今朝の攻撃には、完全に不意を突かれてしまいました。それでも、こちらは一人も死んでいませんよ?」
完全に不意を突いたのに、一人も殺せなかった――だと?
「う…」
ルディアスはその事実にうめくも、すぐに反論を思いつく。
(そうだ! 距離だ! こやつらの国は辺境! 皇国から離れているはずだ!)
「だが、補給…」
「補給についてご心配いただいているかもしれませんが、まったく心配は要りません。なにしろ連邦軍は、戦闘よりむしろ補給の方が得意なのです」
予期していたとばかりに、ジローが自信たっぷりな様子で断言した。
「すぐにでも大量の物資を輸送できる体制を組めます」
その表情を見ると、本当にそうなのだろうとしか思えない。
(誰か…誰か、反論を…)
ルディアスは左右の重臣達に目を向ける。
だが、誰もが当惑の表情を浮かべるだけで、口を開こうとはしなかった。
その沈黙がルディアスをさらに追い詰めてくる。
ルディアスは唇を固く結び、押し黙るしかなかった。
ジローがその様子をじっと見つめてから振り返り、ニムディスに向かって頷く。
ニムディスは愉快そうな表情からすぐに真顔に戻り、見据えるように力強い視線を向けてきた。
「どうじゃ? 停戦せぬか? 今なら偶発的な衝突として扱ってやる。さすれば、先ほどの賠償金に加えて、今の銃撃の慰謝料として多少の特権の譲渡で済むぞ」
野性味のある視線でルディアスを追い込む。
「全面戦争となれば、そなたらの軍ではどうあっても連邦軍には勝てぬ。そなたらも戦死するか良くて収容所じゃ。国土もわが連邦の一部となるであろう」
自分の優位を確信している目が、ルディアスは気に入らない。
(余はパーパルディア皇国の皇帝ルディアスだ。その余が、このような女に膝を屈するなど、受け入れられるか!)
ルディアスは懸命に反論を絞り出す。
「なら、なぜそうしない! それほどに強いと言うなら、今すぐに我が皇国を征服すれば良いではないか!」
停戦を求めるのは、征服する力がないからではないか?
(そうだ! きっと、そうに違いない!)
ならば――
(ここで強気に出ても征服されないはずだ!)
ルディアスはこの思いつきにしがみついた。
(余が下手に出る必要はない!)
「開き直ったか」
ニムディスが心底呆れたという表情になった。
「では臣下の皆はどうじゃ? 皇帝が開き直って国益を害そうとしておるぞ。そなたらはそれで良いのか?」
重臣達はみな押し黙っている。
賛成の声も反対の声も出ない。
「まあ絶対君主国では君主に逆らえぬか」
その様子を一瞥したニムディスが続ける。
「じゃが感情にまかせ、どうあっても勝てぬ相手にわざわざ戦いを挑み、祖国を滅亡させるような君主に、君主の資格があると思うか?」
エルフ女が突然、君主の資格を問い始めた。
(お、おのれ! 余に資格がないと言うつもりか!)
「もちろん、負けると判っておろうとも、戦わねばならぬ時というのはあろう」
ニムディスが理解を示すように一度頷き、また口を開いた。
「じゃが我らはそのような相手なのか?」
そんなことはあり得ないと言わんばかりの問いかけだった。
「こちらは賠償金としての身代金と、慰謝料を求めておるだけじゃ。いまここで停戦するなら、そなたらを征服するつもりも、そなたらの家族を奴隷としてこき使うつもりも、まして殺すつもりもない」
負け戦をする必要がない理由を並べ立ててくる。
「しかも捕虜20万と軍艦346隻を返そうとまで言うておる」
その言葉がわずかに残った戦意をさらに、そして確実に奪っていく。
「そのようなカネで話が済む相手と、わざわざ滅亡覚悟で戦わねばならぬのか?」
ニムディスは重臣達の方に顔を向け、さらに問いかける。
「もしさようなことを主張する君主がおれば、斬って捨ててでも諫めるのが、真の愛国者というものではないか?」
な、な、なにぃ!
(こやつ…黙って聞いておれば…とんでもないことを!)
「貴様っ!」
ルディアスは怒りにまかせて怒鳴りつける。
「余の臣下に謀反をそそのかすかっ!」
するとニムディスは蔑むような視線をこちらに向けてきた。
「国が君主のためにあるのではない!」
その声は高い天井からもこだまし、まるで天からの言葉であるかのように、鳴り響いた。
「君主が国のためにあるのじゃ!」
その言葉はまるで雷鳴のごとく、広間に厳然と響き渡った。
(なっ…)
「君主のために国が滅ぶくらいなら、国のために君主が死ぬ方が良いと思わぬか!」
(なんだとっ!)
そ、そのような危険思想を口走りおって!
重臣の一人が反論を述べようとしたのか、わずかに口を開きかけたが、すぐに閉じて、何も言わない。
その表情に浮かんでいるのは困惑か? 混乱か?
そんな複雑な表情を見せている者は、一人や二人ではなかった。
(重臣達まで動揺しているではないか!)
「なにをバカなっ! 皇帝なくして皇国は成り立たぬわ!」
(皇国は皇帝あってこその国だ!)
だが、ニムディスの目はどこまでも冷たい。
「別に皇帝はそなたでなければならぬわけではあるまい。まあ臣下の皆も死にたいというのなら、あるいは収容所で余生を過ごしたいというのなら、それでもかまわぬがな」
(こやつは…余に退位しろと言うつもりか!)
「貴様はまだ質問に答えていないぞ! ならなぜすぐに征服しないのかと」
(できないからしないのだろう!)
ルディアスは挑むように睨み付ける。
「理由か」
ニムディスの表情がふっと和らいだ。
「グラ・バルカス帝国の諜報員を捕らえてくれたことに対する礼じゃよ。わらわの言葉を信用して諜報員を捕らえてくれたのじゃ。そのことに感謝するのは当然であろう」
(礼だと?)
礼で征服しないだと?
「じゃがこのまま戦闘を続けるというのであれば、話は別じゃ。すでに礼は済ませた。これからはもう殺さずに制圧などせぬぞ」
それでは…
それではまるで…
――皇国が温情を受けているみたいではないか…
もはや反論の言葉が見つからなくなってしまった。
ルディアスは力なく言った。
「皆で話し合いたい。時間をくれ」
何も思い浮かばない。
(考える時間が欲しい…)
だがそれさえも許さないとばかりにニムディスは告げた。
「なら1時間だけやる。その代わり連邦軍を上陸させる」
――じょ、上陸だと!
その言葉はルディアスをさらに追い詰めていく。
「ま、待てっ。なぜ上陸させるのだ?」
思わず声がかすれたのは、恐怖のためだった。
皇都を占領するつもりか!
(そうなれば、もう交渉どころではないっ!)
「1時間あればそちらの軍を動かせるであろう。ならばこちらも動かすのが道理じゃ」
(こやつは何を言うのだ!)
「こちらは動かんっ。だから上陸は待ってくれっ!」
その声はまるで悲痛な叫びのようになってしまった。
するとニムディスは先ほどの男に顔を向けた。
「どうする? ジロー」
「そうですね。ならこちらは監視を入れましょう。もし動いた場合はその時点で捕虜20万人とレミール殿下が生きて皇国に戻ることはないと考えてください」
ジローはまるで事務手続きを説明するように、飄々と恐ろしいことを言い放った。
(お、おのれっ! 何もさせないつもりか!)
「な、卑劣な!」
「そちらが先にニムディスを人質に取ろうとしたのでしょう? 自分たちを卑劣だと罵るのですか?」
ジローの言葉は相変わらず事実を問いかけるものだった。
「くっ!」
ルディアスはうめいた。
返す言葉が見つからない。
「では今より1時間じゃ。始め!」
ニムディスが容赦なく宣告した。
ルディアスは玉座から立ち上がり、袖にある専用扉へと早足で向かう。
重臣達も臣下用のドアへと向かっていった。
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