誤字報告ありがとうございます。
1639年3月6日午後
パーパルディア皇国 エストシラント港沖
トルキナ連邦 第13軍 海軍団 甲艦隊 輸送艦《親潮》
レミールは、飛んできた小さな小屋に押し込まれ、柔らかい椅子に座らされていた。
(なぜわたしが、こんな狭い部屋に…揺れてる…)
「着きました。出ましょう」
言われるままに、開いたドア口を出ると――
そこは船の甲板だった。
見るからに異種族の者が数名近づいてくる。
(お、大きい!)
その身体の大きさに驚いていると、ここまで案内した女が声を張り上げた。
「セラ! 間身族の職員は今から城に向かうから、あなたがこの女性の世話をして。昼食はまだだそうよ」
「わかりました」
大きな身体の隙間から進み出てきたのは、幼児のように小さい、緑色の肌をした種族だった。
頬は蝋細工のように艶やかで、髪はクリームのように白くふんわりとしている。
(なんだ? こいつは? ゴブリンか? 白髪の?)
「こちらはレミール殿下。皇族のお姫様だそうよ」
異種族が頷くと、女はこちらを向いた。
「殿下。こちらはうちの職員でセラです。交渉が終わるまで、面倒を見てくれます」
(わたしが、これに?)
「外務局西方部のセラ・ズム調査員です。ボクがあなたの世話を担当します。よろしくです」
(世話を? されるのか?)
容姿はいかにも蛮族だが、身なりは整っている。
小さな体がちょこまかと動く様子は妙に可愛らしい。
だが、緑色の肌には抵抗を感じる。
「お、おまえは、ゴブリン?」
思わず尋ねる。
「ゴブリン? ボクはノウブ族です。レブではありませんですよ」
(レブ? ゴブリンとは違うと言いたいのか…では…)
「オスなのか?」
すると小さな異種族は振り返った。
「女です!」
腰に手を当て、憤然とした表情で見上げてきた。
その態度にレミールは苛立つ。
「ふん! どうでもいい」
「どうでもいいなら尋ねないでください。時間の無駄です」
冷ややかな声だった。
(何を生意気な! 蛮族のチビのくせに!)
レミールは睨みつけたが、セラは気にする素振りも見せずに前に向き直って歩き始めた。
広いとは言えない廊下を進み、ドアの一つを開けた。
「ここは間身族用の部屋です。しばらくこの部屋で過ごしていただきます」
聞き慣れない言葉に、レミールは尋ねる。
「間身族? とは何だ?」
「ニンゲン族とエルフ族のことです。長身族と短身族の間なので、間身族と呼ばれています。ドワーフ族はどっちつかずですが」
「長身族? 甲板にいた大きな異種族のことか?」
「はい。ノーク族のことです」
「短身族とはおまえのことか」
「はい。ノウブ族とパント族のことです」
トルキナとは異種族の国なのか。
「どうぞお入りください」
中に入るとベッドが一つあるだけの、何もない部屋だった。
レミールは、じっくりと部屋を見回す。
やはり、狭い上にベッド以外は何もない。
「この部屋は何だ! こ、これではまるで使用人の部屋ではないか! わたしは皇女だぞ!」
「先ほど、上司達が貴国政府との交渉に向かったようです。きっとあなたの処遇も話し合われることでしょう」
セラも部屋に入ってきた。
「これは寝台です」
「見れば分かる!」
だがセラは軽く肩をすくめて、トコトコと壁際まで歩き、腕を伸ばしてドアを開けた。
「洗面台はこちらです。使い方を説明しますので、こちらに来てください」
ドアをくぐり抜けると、小さな部屋になっていた。
「ここの蛇口をこのようにひねると水が出ます」
セラが子供用の足台らしき物の上にあがり、小さな腕を伸ばしてつまみを回す。
(水が出た!)
「お手洗いはここです。ここに座って用を足します。ここを押すと水が流れますので、必ず流してください。どちらも上の給水槽に水がなくなれば、出なくなります。その時はこのボタンを押していただければボクが来て、水を入れます。夜中はさすがに来ませんが。よろしいですか?」
レミールはよくわからないまま、頷いた。
「では何かご質問はありますか?」
「ここには、いつまでいればいいのだ?」
(いつまでこんな部屋にいないといけないのか?)
「わかりません。交渉が上手く行くことを願ってください」
「おのれ、皇女たるこのわたしに、このような扱いをして、許されると思うのか!」
レミールは怒りを露わにするが、セラはまったくひるむ様子がない。
「ボクは下っ端なのでわかりません。他にご質問は?」
レミールはふと空腹を感じてきた。
そう言えば、早朝に食べたきり、今日は何も食べていない。
「ジローなる男に後で食事を出すと言われたはずだが?」
「そう言えば昼食はまだという話でしたね。ご用意します」
そう言って、部屋から出て行った。
レミールがドアを開けようとしたが、ドアノブはビクともしなかった。
「鍵が掛かっているのか!」
どうやら逃がすつもりはないらしい。
やがて食事が運ばれてきた。
「お待たせしました。昼食です」
パンとシチュー、揚げた肉と芋類、果実の切り身、そして紅茶。
どれも傷の目立つ金属の器に盛り付けられている。
料理も器も、どう見ても皇女の食事にふさわしいものとは言えない。
「わたしに平民の食事をしろと?」
レミールが眉をひそめると、セラが首をかしげた。
「これでも将官用の食事だそうです。味も悪くありませんよ。ここは軍艦ですので料理に期待されても困ります。今日は波が静かですので、そのまま置きますね」
「将官が…こんな器で?」
「はい。船が揺れて床に落としても、割れないんです。素晴らしいですよね。良く考えられてます」
「…」
みすぼらしい金属の器を“素晴らしい”と褒めるセラに、レミールは言葉を失った。
(ば、蛮族が…)
黙って椅子に腰を下ろし、シチューを口に運ぶ。
(…確かに味は悪くない…)
食事を終えてしばらくすると、またセラがやって来た。
「今から、空母艦載機の離発着訓練が行われますので、一緒に見物します。寒くないようにこちらを着用してください」
渡されたオーバーコートを羽織り、セラについて行く。
甲板に出ると、大小様々な異種族の兵でごった返していた。
レミールが歩くと、皆の視線が集まった。
青白い肌もいれば、セラと同じ緑色の肌もいる。人間もエルフもいる。
(こ、こんなに異種族がいるとは……)
小さな種族には、大きな種族の両肩に座る者。甲板の手すりに座る者もいる。
軍服を着ている者、鎧を着ている者、どちらでもない服の者もいる。
宙に浮かんでいる者もいる。
その異様な光景に顔が引き攣りそうになった。
(な、なんだ……こやつらは……)
「あれが輪空母艦です。あそこから飛び立つそうです」
セラの指差す方を見ると、なんだかテーブルのような巨大な船が見えた。
(あれは…やつらの竜母…)
やがて次々と飛行機械が飛び立ち、レミールは目を見開いた。
(な! ムーの飛行機械ではないか!)
「お、お前たちはムーと繋がりがあるのか?」
ムーのヤツらが密かに支援していたのか!
「ムーですか? そういう国があることは聞いてますが、まだ国交はありませんね」
セラが淡々と答えた。
「馬鹿な! あのような飛行機械はムーにしかないはずだ!」
レミールもよく知っている。
皇国はそのムーに対抗するために、品種改良の末、ワイバーンオーバーロードを生み出したのだから。
「連邦にもあるんですよ。だから連邦軍があなた方に負けるはずがないのです」
さらに遠方の船からも飛び立った。
轟音を上げ飛ぶ飛行機械もあった。
信じられない速度で城がある方に飛んでいった。
「な…」
(蛮族があのような物を持つはずがない。ムーが支援しているに決まってる)
だがそうだとすると、皇国には勝ち目がないということにならないだろうか?
恐怖が湧き起こりそうになる。
(そんなはずはない! 皇国軍が助けに来るはずだ。その時は必ず思い知らせてくれる!)
レミールは怒りで恐怖を押し殺し、空を睨み付けた。
3月7日
翌日は2度甲板に連れ出されたが、特に何もされなかった。
3月8日 夜
さらに次の日の夜、あのエルフ女がやって来た。
レミールは怒りを込めて睨み付けてやるが、エルフ女の表情は動かない。
「そなたは戻れぬ」
その言葉は、まるで死の宣告のように、冷たく、容赦なく、レミールの胸を貫いた。
(な…)
背筋に戦慄が走り、手がかすかに震える。
だが、レミールはすぐに怒りを爆発させた。
「なんだと! 戻れないとはどういうことだ!」
だがエルフ女は、その反応を予期していたかのように、表情を変えない。
「賠償金の支払いが終わるまで、そなたの身柄は連邦政府が預かることとなった」
そう言うと、口元に笑みを浮かべた。
「要は人質じゃな。文字通り質入れされたわけじゃ」
(ひ、ひ、人質だと……!? わ、わたしはっ!)
「わたしは皇族だぞ! 皇族を人質にするなど、考えられぬ暴挙! 何という野蛮な…。」
するとニムディスの目がすうっと細くなった。
「皇族ゆえに人質となり得るのじゃ。専制君主国にとって平民が質草になるわけなかろう」
その声は冷たく、揺るぎない。
レミールが睨み続けていると、ニムディスが呆れたように眉を持ち上げ、愉快そうに笑みを浮かべた。
「そなたは話しておったではないか。最小限の犠牲で相手の心を折り、屈服させるのがそなたのやり方なのであろう?」
「う…」
確かにそう言った。
言葉に詰まるレミールに、ニムディスはにぃっと口の両端を広げ、歯を見せた。
「偶然じゃな。我らも同じなのじゃ」
まるで鼠をいたぶる猫のような愉しげな表情だ。
「そなたらの軍の飛竜騎手397名と水兵11名の犠牲で、皇帝を屈服させることができた」
「な…」
レミールは言葉を失った。
皇国が蛮族を従える方法を、反対に辺境の蛮族が皇国に使った…?
というのか……?
「そなたの身でそれが叶うのじゃ」
「わ、わたしを利用したのかっ!」
皇女たるこのわたしを盾にして、恐れ多くも皇帝陛下を屈服させたというのか!
「当然じゃ」
ニムディスは頷くと、何かを思い出したようだ。
「そう言えば、あの時に眠らせた飛竜3体が、輪空隊に攻撃しようとしおったゆえ、撃ち落とした。その騎手3名も加えねばならぬな。せっかく殺さずにおいてやったというに、残念じゃな」
竜騎士が…? 殺された…?
皇女の身を奪われ、責任を感じ、奪還しようとしたか…
「支払いが終われば戻れる。しばしの辛抱じゃ」
慰めにならない言葉に返事をする気にならない。
「おとなしく過ごしておれば、外出くらいはできる。案内も護衛も付ける。こちらの国情をしっかりと見ておくことも為政者の責務であろう」
「辺境の国情などに興味はない!」
レミールは憮然として言い放った。
なぜこのわたしが辺境の国情などを調べねばならないのだ!
「だとすれば、そなたには為政者としての資質はないな」
「なに!」
わたしに資質がないだと!
いずれ世界を征服する陛下の妃となり、万民の母となるこのわたしに!
憤然と立ち上がるレミールにニムディスが冷たく、そして力強く言い放つ。
「なぜ自分が人質となったか。なぜそなたの主君がそれを許したのか。いったいわれらに何があるというのか。それを知って今後に生かそうとは思わぬのか? さような為政者しかおらぬのであれば、そなたの国の前途は暗いであろうな」
まるで自分が女王であるかの如く悠然と、上から正論を説くニムディスに、レミールは声をますます荒げる。
「皇女たるこのわたしに説教するか! 辺境のエルフの分際で!」
「皇女か…」
ニムディスがふっと苦笑した。
「わらわもかつては皇女と呼ばれておった。そなたの寿命よりも永い時を囚われの身で過ごしたこともある。そなたも皇女としての矜持があるなら、祖国のためにその責務を果たすが良い」
蛮族が皇女だっただと?
「それと、わらわはエルフ族ではない。エルデン族じゃ。覚えておくがよい」
最後にそう言って、部屋から立ち去った。
「おのれええええ!」
一人となった個室の中で、レミールは感情を爆発させた。
よくもよくもよくも!
上から見下すような態度を見せるとは、許せん。
いずれトルキナを滅ぼし、その泣きっ面を見てくれる!
レミールは怒りの情念を燃やし、復讐を誓うのだった。
同3月8日 夜
トルキナ連邦 第13軍 甲艦隊
旗艦 輪空母艦《銀鷹》 監査人執務室
「どうだった? レミールさんの様子は」
ジローは戻ってきたニムディスに尋ねた。
「元気なものじゃったぞ。まったく心は折れておらぬ」
「なら心配ないか。付き人も四名まで認めたし」
(自殺でもされたら面倒だからね)
「それにしても、ジローには感心したぞ」
「ん? わたしに? 何かあったっけ?」
ジローは首をかしげる。
「要求額を黄金15トンにしたことじゃ。ヤツらの必死な顔は見ものじゃった」
約15トンになるように要求額を計算したのはジローである。
「皇帝の命令で、向こうは減額しなければならなかったわけだけど…あそこまで必死とは意外だったよ」
(特にあのカイオス局長は必死だった)
「通知で2トン減額してやったが、さらに5トンあまりの減額のために、まさか関税自主権放棄と治外法権承認まで許すとはな。よほど黄金の支払いを避けたかったようじゃ」
属領が72カ国もあるなら、金準備として2000トンくらい持っているはず。
自由準備金が15パーセントあるとして、15トンくらいが、金融制度を脅かさずに負担を感じてもらえる、ちょうど良いクスリになるはず。
(そう思ったんだけど、この国の金融制度は予想より脆弱みたいだ)
破綻されるのは、もちろんジローの望むところではない。
(ただ、こうなるとニムディスは容赦しないからなあ)
ニムディスは交渉の席で、“納得のいく代替案”を厳しく要求していた。
「でも、それが分かってる相手なら、ある意味信頼が置ける」
「“それが”とは何のことじゃ?」
ニムディスが、その鋭い目を向けてくる。
当人は“普通の目”のつもりだとジローは知っているため、特に気にせずに答える。
「自分達が出せる金の量だよ。把握できているということは、今後も大きな取引ができるということだ」
(連邦の継続的な利益につなげやすくなる)
「後になって『金15トンをかき集めて支払ったせいで、信用経済が破綻しちゃいました』なんて言われるよりずっとマシだよ」
そんな無責任な政府相手では、まともな取引などできない。
「そういうものか?」
「そういうものだよ」
ニムディスが納得の表情で頷いた。
「なるほどのう。己の限界を知る者は交渉相手として信頼できるか。じゃがあの皇帝は、そうでもなさそうじゃったぞ」
輪空隊や航空隊を見せた後も、皇帝は相変わらずニムディスを睨んでいた。
ただ、交渉の場にいた二人は、もう戦いたくなさそうにジローには見えた。
「少なくとも臣下達はわかっていそうだ。皇帝が不安定要素として残るのは嬉しくないけどね」
「己の限界を自覚せぬ者は、時に恐ろしいことをしでかす。あの時もそうじゃった」
ニムディスが軽く目を閉じた。
ニムディスの言う“あの時”とは、昔あった『国家転覆事件』と呼ばれるクーデター騒ぎのことだ。
首謀者達は“自分達こそが、連邦をさらなる強国に生まれ変わらせることができる”と主張していた。
連邦に軍事政権なんか作っても、経済力が衰退するだけだというのに。
「己の限界を自覚しない者か…」
(皇帝も同じだろうか。ならば…)
「戦争の可能性は消えてないかな」
「そういうことじゃ」
そう強く頷くニムディス。
「火種は風が吹けば燃え上がるものじゃ」
不吉な言葉を、どこか楽しげに語っている。
(そう悪いことばかりじゃないぞ)
「これでロウリア王国の借金の半分はこちらの預かりになった。当初の目論見は早くも達成したよ」
今回の合意で、ロウリア王国に対して皇国が持っている債権の半分が、連邦に譲渡される。
パーパルディア皇国を訪れた目的は“ロウリア王国の債務整理の足掛かりを築くこと”にあった。
つまり、当初の目標を大きく超える成果を上げたと言える。
「全部引き取るつもりじゃったが、あの男、半分残すことにこだわっておった」
あの男とは、交渉相手の一人だったカイオス局長のことだ。
たぶん「自分の交渉によって、支払う額を相手の要求の半分まで減らした」という“わかりやすい手柄”が欲しかったんだろうな。
「残りの半分も整理しておきたいところだ」
「三者協議でもするか?」
「それも一案だけどね」
ロウリア王国とパーパルディア皇国。
どちらも戦争の火種が完全に消えたとは言いきれない。
両国と協議するのは骨が折れるだろう。
(やれやれ。まだまだ仕事は尽きそうにないな)
ジローはそっとため息をつくのだった。
翌3月9日 レミール邸
「レミール殿下は公務でトルキナ連邦に赴き、しばらくそこで暮らすこととなった。よって従者四名の同行を命ずる。従者は殿下が異国の地で暮らすために必要な着替えなどの物品を揃え、運び出せるようにしておくように」
宮廷からの使者が留守を任されていた執事に告げた。
「そんな! 急に!」
メイド長の声は震えていた。殿下を異国に送り出すなど、想像もしていなかった。
「急に決定したことだ。出発は明後日午後だ。では頼んだぞ」
使者は冷たく言い残し、背を向けた。
「か、かしこまりました」
話し合いの結果、レミール殿下の従僕一名、メイド二名、料理人一名が随行することとなり、不安と困惑の面持ちで荷造りに取りかかった。
衣装箱、宝石類、食器ほか様々な品々が積み込まれ、荷物は馬車三台分となったという。
次回はエピローグです。投稿は明日の予定です。