第一章の9話以来の登場ですね。
中央歴1639年 3月23日午前9時過ぎ
トルキナ連邦首都 園都 両院議事堂正面
メッサルは今、クイラ王国の外務卿としてトルキナ連邦の首都に立ち、ドワーフの低い目線で、白く雄大な建築物を見上げていた。
(これに比べると、王城は地方の砦にしか見えんな…)
しかもこれが一番大きな建物というわけではない。
メッサルは後ろを振り返る。
広い道がまっすぐと延びており、たくさんのリンシャが往来している。
そのずっと先には、とてつもなく巨大な建物の森がそびえている光景が嫌でも目に入る。
(あの辺は商人街だと話していたが……なぜあちらの方が為政者の建物より大きいのだ…?)
顔を戻し、再び白い建物を見上げる。
(連邦の三頭の一つか…)
両院議事堂。
ついにここまでやって来た。
――王国は変わらねばならない。
(最初にそう思ったのはいつだったか……)
メッサルはふと自問する。
薄黒い艦隊を見たときか?
それとも、兵士たちの馬鹿力を目の当たりにしたときか?
――確かにそれもあったかもしれん。
突如大陸に現れた巨大な軍船の艦隊は、まず隣国クワ・トイネ公国に押しかけて基本合意を結び、次に我らがクイラ王国に現れた。
事前に連絡があったため、なんとか歓迎の準備をして迎える事ができた。
二人の使者は見るからに高貴な者たちだったが、馬車で荒野の道を移動する時も、揺れる馬車に特に不満を口にすることはなかった。
荒れた土地を見ても、驚きも憐れみも示さず、ただ興味深げに観察しては、話し合っていた。
侵略戦争はしないと聞いていたが、それでも軍事大国の使者であることを考えると、随分とおとなしい。
(悪くない相手だ)
――そう思った。
基本合意に達した後には、陛下への謁見を告げて驚かせてやった。
実際、二人の使者はとても驚いた表情を見せていたというのに、謁見の時にはなんと献上品を出してきた。
白磁の大皿――ミルクよりも白い白が淡く輝き、ドワーフが寝転がれそうな程に大きかった。
独特の輝きと色を持つ大剣――力自慢の獣人騎士しか扱えないだろう。
あのような大きな品が入りそうな箱を持参したようには見えなかったが、いったい、どうやって持ち込んだのやら…
歓迎の宴の準備はなんとか間に合い、二人の使者には楽しい時を過ごしてもらえたようだ。
(特にジロー殿の角笛の音色は良かったな)
翌日には来た道を戻り、数日後、二人の使者は艦隊を引き連れて去っていった。
一息つきたい気分だった。
――だがむしろ、それからが本番だった。
二人の使者は配下の者たちを残していた。
「わしの名はブリン・ギブルスと言いましてな。連邦監査府外務局の職員で、今は臨時の政府代表と言ったところです」
(せ、政府代表! ならそれなりの身分に違いあるまい!)
「実務者協議の責任者と思ってくだされ」
代表はなんとドワーフであった。
(ギブルス殿か。なかなかの風格だ)
次は人間の男が名乗った。なんだか軽そうな男だった。
「レオナルド・ロッシと言います。同じく外務局の職員です」
次は初めて見る種族の女で、緑色の肌をしている。
「ヤナ・ゾルです。書記を務めます」
(小さいな。白髪なのに若そうに見える。初めて見る種族だから年齢がわからん)
「セナタです。臨時の書記です。クワ・トイネ公国で雇われました」
最後の一人は、隣国のエルフの男だった。
「トルキナの文字は我々とは違うので、わたしが読み書きを担当します」
メッサルは分かったというように頷いて見せた。
「残りの二人は護衛でしてな。名前は――」
近衛兵のような装いの人間の男兵士二人。
ギブルス殿が名を教えてくれたが、特には覚えなかった。
「外務卿のメッサルだ。お手柔らかに頼みたい」
「こちらこそ」
――それがギブルス殿との出会いだった。
新たな客人たちを連れて再び王都に戻った翌日、メッサルはギブルス殿を自身の屋敷に招待した。
もちろん普段からニンゲンや獣人を歓待するための部屋の用意はあるが、ギブルス殿は自分と同じドワーフであるため、日常の椅子やテーブルがそのまま使える。つまり家中を案内し、心を尽くした歓待ができた。
食事中は会話が弾んだ。
妻と共に連邦の話を聞き、驚きが止まらなかった。
話を聞くほど、メッサルは思いを強くしていった。
(なんとかこの国を巻き込めないか)
――その時はまだそう思っていた。
食事の後のことだった。
妻が部屋を辞し、使用人に自慢の蒸留酒を持って来させ、二人で飲んでいた時である。
メッサルは話を切り出した。
「ところでギブルス殿。ペイン殿から…クワ・トイネ公国の外交官殿から聞いたのだが、貴国は公国からの同盟の申し出を断ったそうですな。貴国はどこかの国と同盟を結ぶ事はないのですかな?」
「と言いますと?」
ギブルス殿が眉をひそめた。
「例えば、もしクワ・トイネを守る事が貴国の利益になるとしたら、同盟を結ぶ事はありますかな? あるいはクワ・トイネに援軍を出す事はあるのですかな?」
クワ・トイネ公国の話題であるが、メッサルの念頭にあったのは、もちろん自国のことだ。
するとギブルス殿が笑い声を上げた。
「ワッハッハ。もし利益になるからという理由で軍事行動を起こすなら、その国を守って戦うよりも、まずその国を占領してしまった方が早いですな!」
そう言い放ち、ギブルス殿は再び豪快に笑った。
(なっ! 侵略戦争はしないのではないのかっ!)
陽気に笑うギブルス殿の表情に悪意は感じられない。
メッサルは内心の動揺を隠さなければならなかった。
「貴国はっ、国是として侵略戦争はしないと聞いておりましたが?」
メッサルの言葉に、ギブルス殿が満足げに頷く。
「そのとおりです。単に連邦の利益になるからという理由で戦争することはないでしょうな。つまりクワ・トイネ公国を守る事が利益になろうとも、それを理由に戦争をする事はないというわけです」
(ん? どういうことだ?)
メッサルは、ギブルス殿の物言いに違和感を覚えた。
何かが変だった。
「利益を理由に援軍を出す事と、利益を理由に侵略する事の間には、大して違いはありませんからな」
そう言って一口酒を飲むギブルス殿。
(はあ? そんなバカな!)
メッサルは違和感の原因に気付いた。
この異国人は“侵略すること事”と“援軍を出す事”を同列に語っているのだ。
メッサルにとってこの二つを同じに語るなど、思いもしないことだった。
(確かに“軍を出す”という点は同じだが……)
――その高潔さが全く違うではないか!
「それはいささか極論に過ぎないのでは?」
眉をひそめ、ついうろんな目を向けてしまったメッサルに対して、ギブルス殿は眉を上げ、目を開いた。
意外そうな、そして物問いたげな表情だった。
「逆に伺いたいのですが、クワ・トイネ公国は国を守るために何をしていますかな?」
「もちろん、警戒を厳重にしていることでしょう」
メッサルが間髪を入れずに答えると、ギブルス殿がふうっと息を吐いた。
首を小さく振っている。
そんなことではダメだ、という表情を見せてから、すぐに強い視線を向けてきた。
「兵を可能な限り募っていますかな?」
「可能な限りとは…?」
「今現在、かき集められるだけ集めているかと訊いておるのです」
「それは…」
(今からそんなことをしては、領民の暮らしは立ち行かないではないか…)
「武器を可能な限り作っていますかな?」
「それは…いざとなれば…」
(輸出用の武器をこちらに……と、これはクワ・トイネ公国の話か…)
クイラ王国では石炭と鉄が採れる。多くはないが、刀剣や槍、矢じりも輸出している。
ただ鉄の質に問題があるらしく、あまり評判がよろしくない。
「船を可能な限り作っていますかな?」
「船…ですか?」
「船で戦わないのですかな?」
「……戦いますが…」
クイラ王国では木がほとんど育たない。船を作りたくとも作れないのだ。
(だから買うしかないのだが…)
そんなメッサルの考えを見透かすように、ギブルス殿がさらに問いかける。
「軍資金を可能な限り集めていますかな?」
「軍資金……ですか?」
「戦えば兵士を失いますぞ。戦いを続けるには兵をさらに募る必要があるでしょう。それにはカネが要ります。兵糧を燃やされることもありますぞ。再び買い入れるにもカネが要ります。カネがあれば船だって買えますぞ。船があれば国外から武器や兵糧を運び込めます。戦争中は、カネはいくらあっても足りないものですぞ」
「それは……」
(兵を失い、兵糧が燃やされてからそんなことをしても、戦いに間に合わないのでは…?)
だがギブルス殿の問いは続いた。
「新兵を可能な限り鍛えていますかな? 水兵を可能な限り訓練していますかな? 罠や細工は用意してありますかな? 防衛計画はどうなっていますかな? 予測される敵の侵入経路は? 海岸防衛策は? 前線への輸送計画は?」
「い、いや…その……」
(ま、待ってくれ。そんなにいろいろとは…)
捲し立てるように繰り出される質問に、メッサルは気圧されていく。
(公国の話なのに、まるで、わが国が非難されている気分だ)
「こ、国境の兵を増強したとは聞いていますが、可能な限り兵を募ったとか、訓練しているとか、そういう話はとくに聞いておりません」
メッサルは正直に答えた。
だがその答えがお気に召さなかったのか、ギブルス殿の眉が不満げに歪んだ。
「それで我々に戦わせようとは、いささか虫が良すぎるようですな…!」
ギブルス殿の声は静かだったが、それでいて力強かった。
そして、どこか恐ろしかった。
「わがトルキナ連邦は貴国に比べれば国土は広大で、人口も多い。連邦軍の兵員はおよそ300万」
(さ、300万だと! ロウリアの倍? いや3倍? と、とにかく圧倒的ではないかっ!)
その数のあまりの凄まじさに、思わず酒の入ったカップを落としそうになる。
「これまで見てきた印象では、連邦の軍事力はこちらの2カ国よりはるかに強大と言えましょう。その上、市民皆兵。皆、種族に応じて一定期間の徴兵訓練を受けており、兵を増やそうと思えばいくらでも増やせることになります」
(おまえの国なんか簡単に吹き飛ばせるぞ、と言いたいのかっ!)
「ですが!」
ギブルス殿の目がきつくなった。
「我々は、連邦のため、自身のために訓練に耐えたのであって、クワ・トイネ公国のために耐えたわけではありませんぞ!」
(ん? どういう意味だ? 何が言いたい?)
そんな問いがつい口から出そうになるメッサル。
だがギブルス殿が相変わらず厳しい視線をこちらに向けていたため、声は出なかった。
「自分の国は自分で守る。国が危機に陥った時は、日々日常の不便に耐えてでも、軍のために家財を提供し、国を守るために協力を惜しまない」
(そ、それは見上げた忠義心だ…)
「若者、力のある者は連邦軍に志願する。若くない者、裕福な者、果てはその辺の街のカネ貸しや小売店までもが戦時国債…いや『戦争に役立てて欲しい』と自主的に政府に財産を貸し預ける」
(大商人に借金することなら我々もあるが……小さな店まで自分から出すとは…)
「農家は働き手が減る中でも食糧増産に努め、残された労働者連も懸命に働いて生産と輸送を維持する。子供たちはささやかなお小遣いを互いに持ち寄り、役所に届ける」
(こ、子供が? …連邦の領民はそれほどまでに勤勉で、忠義心に溢れているというのか!)
「市民の誰もが協力して、連邦軍と連邦政府を支え、連邦軍はそんな市民達のために命を賭して戦う。連邦とはそんな国なのです!」
口ぶりはどこか誇らしげだが、目には深い影が差している。
(つまり、誰もが軍を支え、戦争をする国……という事か?)
貴族や騎士だけでなく、農民や商人、職人や行商人、果てはその子供たちまで、国内の領民すべてが国に、陛下の軍に尽くすようなものか……?
(理屈は分かる)
王国では誰もが王に尽くさなくてはならない。
(だが現実はそんな風にはならない!)
国全体がギブルス殿の話のようになるなどありえない。
(理想論でしかない!)
そんなメッサルの内心を知ってか知らずか、ギブルスが語気を強める。
「連邦はそうやって国難を乗り越えてきたのですぞ!」
(く…だが…それは……王国には無理な話……)
いや、貴族や騎士ならまだわかる。
彼らは忠誠心というものを知っている。
国王陛下への恩に報いる心を持っている。
(だが領民がそこまで王に忠義を尽くすなど…)
戦争とは、王や領主、そして騎士がするものだ。
もちろん兵は領民からも徴集するが、彼らが従うのは領主であって、王ではない。
しかも忠義の心がそこにあるとは思えない。
ただ処罰を恐れて命令に従うだけだ。
「我々はすでに多くの犠牲を払いました」
ギブルス殿が声を落とした。少し俯いている。
「連邦軍兵士はもちろん、民間人の犠牲者も少なくありませんでした。今年も、戦没者追悼式典は連邦各地で盛大に行われることでしょう」
ギブルス殿の目が潤んでいる。酒のせいではなさそうだ。
(
もう
潤んだ眼差しがそう告げていた。
――貴殿らは一体何と戦ったのだ?
「つまり、ギブルス殿から見て、公国は努力を怠っていると?」
ギブルス殿の表情がすっと柔らかくなった。
「まあ、もっとできる事があるだろうということですな。もちろん、他国を騙くらかして戦わせ、自分たちは血を流さずにぬくぬくと暮らす。そういうやり方も一つの外交戦略ではあるでしょうがね」
(そんなつもりはっ! いや…戦わせようというのはそのとおりか……だ、だが、ぬくぬくと暮らすなど…)
異を唱えたものか迷うメッサルをよそに、ギブルス殿の言葉は続いた。
「ですが、少なくとも連邦はそんな連中のために連邦市民の血を流す気はありませんぞ!」
(う…)
「王国を守りたいなら、まずは自分たちで最大限、可能な限り、たとえ暮らしが貧しくなろうとも、努力すべきではないですかな。いや、失礼、公国の話でしたな。公国の守りたいなら、と言うべきでした」
(わざと言い間違えたか…!)
こちらの意図はお見通しという訳らしい。
メッサルは反論の言葉を持てなかった。
「確かに、仰る通りなのかもしれません…」
メッサルは椅子に深く沈み込んだ。
トルキナは他国のために血を流す気はない。
つまり――
(――わが国を守ってくれはしない!)
その考えが楔のように心の底にしっかりと突き刺さった時、メッサルは自分の楽観が砕け散るのを感じた。
(自分たちで守るしかないのか。だがどうすれば…今のままではとても…)
気持ちが沈んでいたせいか、考えも沈んでしまう。
しばしの沈黙の後、ギブルス殿が思い出したように口を開いた。
「今回の基本合意により、連邦は石油を採掘し、石炭を継続的に購入する事になりますな。連邦はそれなりの収益を貴国にもたらす事になりますぞ。その収益を軍備に回してはいかがですかな」
「軍備? ですがカネが手に入っても、まだ平時です。刀剣鍛冶屋の作った刀剣の輸出をすぐに止めるわけにはいかないし、刀剣鍛冶職人を増やすのもすぐには…」
「連邦にも鍛冶屋はいますぞ。協議がまとまれば、連邦政府は貴国代表団を連邦へ招待することになるでしょう。条約調印後になりますが、鍛冶工房の視察を予定に入れることができます。興味はありますかな?」
(外交貴族の自分に鍛冶場を見ろと?)
「鍛冶場なんか視察して何に…」
思わずそう言いかけて、メッサルは口をつぐんだ。
ギブルス殿がまるでこちらを値踏みするように、目を細めていることに気付いたためだった。
王国は危機にあるのではないのか?
なのにおまえはその程度の手間を惜しむのか?
王国を本気で守る気はないのか?
おまえの王への忠義はその程度なのか?
そしてなにより――
おまえは戦わないのか?
そんな憐れみと蔑みの混じった、問いかけの目。
――そう、あの目だった。
メッサルは思い出す。
――あの目を見たとき、自分はもう以前の自分ではいられなくなった。
周囲の壁が、屋敷が、王城が、王都が、王国が、
くたびれて今にも崩れ落ちそうな、古びた
そして、傭兵が、兵士が、騎士が、領主が、貴族が、王が、なによりそれまでの自分が、
皆等しく、その
――あの時だった。自分の何かが変わったのは。
それはメッサルの長いドワーフ人生のなかで、初めて味わう感覚。
今までの封建社会の価値観と、よく分からないが何か新しい価値観の境目を、ほんの一歩だけ跨いだ感覚。
一度越えると戻る事のできない境界。
まさに”時代”を踏み越えた感覚であった。
「メッサル卿! メッサル卿!」
自分を呼ぶ声に顔を左に向けると、文官が走ってきた。
「王太子殿下がそろそろ中に戻れとおっしゃっておられます」
三つある巨大なドームのうち、左のドームに今ザッツ王子がおられる。
「そうか。わかった。ザッツ殿下はどうしておられる」
「挨拶の練習をなさっておいでです」
「挨拶は午後のはずでは? 今日はただ会議の様子を見学するだけだと聞いていたが」
宮廷会議に相当する重要な会議の様子を見学する事になっている。
午後はトルキナ政府要人との会談だ。
「練習は明日の式典の分です。それも短い挨拶文ですけどね。自分はすぐに覚えましたよ」
若い文官が愉快そうに話す。
ギブルス殿は挨拶の例文まで用意してくれていた。
「ああ、明日の分か」
二人の監査人の意向で、急遽開かれることになったと聞いた。
なんでもトルキナ連邦にとっては、君主への謁見の儀に相当する格式のある式典らしい。
その式典では、ギブルス殿の例文を文官が修正したとおりに、殿下が挨拶する予定だ。
「では、参ろう」
まずはこの大きな会議場だ。
これほど繁栄した国の会議の様子はどんなものか?
――この目で確かめてやろう!
メッサルは足取りも力強く、歩き出すのだった。
王国の夜明けぜよ!
という回でした。
次回の投稿日は未定ですが、書き上がり次第投稿します。