雪降る東北の温泉街にて、入浴券を買う小銭が無いと困っている女性がいた。
たったの三百円だし、俺は奢ってあげることにした。


小説家になろう・カクヨム・アルファポリスにも掲載

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三百円

 俺は今、しんしんと雪が降り積もる東北の温泉街を歩いている。目的地は街外れの公衆浴場だ。シャワーも何もない小さな温泉だが、泉質は抜群。冬が来るたび、必ず訪れている。

 

 駅から十分ほど歩き、風呂屋の前に到着した。相変わらずボロイ見た目だが、慣れると逆に安心感があるというものだ。

 

 外に置いてある古い券売機で入浴券を買おうとすると、何やら困っている女性がいた。鞄の中をゴソゴソと漁っている。俺は話しかけてみることにした。

 

「どうされましたか?」

「あの、それが…… 小銭がなくて」

 

 そう言って、彼女は財布を開いて見せてきた。一万円札が数枚入っているものの、千円札や小銭を全く持ち合わせていないようだ。

 

 どうしたもんかな。俺も万札を両替できるほどの現金は持ってないし、近所にお札を崩せるようなコンビニもない。

 

「よければ、僕が奢りますよ」

「ええっ? 悪いですよ」

「別に、三百円ですから」

 

 そう言って俺は二枚分の入浴券を購入し、そのうちの一枚を彼女に手渡した。

 

「はい、どうぞ」

「ありがとうございます。どうお返ししたら良いものか……」

 

 困った表情の女性に対し、俺は返事をした。

 

「僕は毎年ここに来ますから。またいつか会ったときに、返していただければ」

 

 女性の返事を待たずして、俺は男湯に入っていった。正直寒かったので、早く風呂に浸かりたかったのだ。

 

 浴槽の中で、俺はさっきの出来事を振り返っていた。よく考えれば、こんな田舎の公衆浴場に若い女が一人で、なんて不自然だな。身なりも綺麗だったし、どうにも分からん。まあ、旅好きの人かもしれないしな。俺は適当に納得して、風呂から上がった。

 

 翌年、俺は仕事の都合で引っ越すことになった。例の温泉も遠くなってしまい、訪れることもなくなった。あの女性、どうしてるだろうか。毎年来ますと言ったのに、結局一回も行けずじまいだからなあ。

 

 五年後、久しぶりに冬の東北を訪れた俺は、あの温泉に行ってみることにした。駅から十分ほど歩くと、懐かしいボロ屋が見えてくる。さっそく券売機で入浴券を買おうとしたのだが、見当たらない。よく見ると、壁に「券売機故障中 番頭にお支払いください」との貼り紙があった。

 

 あの券売機もボロかったからな、壊れるのも無理はないか。そんなことを思いながら、男湯の扉をガラガラと開けた。

 

「すいません、大人ひとり――」

 

 そう言いかけた瞬間、俺は番頭の正体に気づいた。

 

「あなたは……!」

 

 番頭もこちらに気づき、驚いたような声をあげていた。そう、あの女性が番頭をしていたのだ。何が起こっているのか分からず、俺は固まってしまった。

 

「ど、どうしてここに……?」

 

 しばらく互いに見合ったあと、俺は問いかけた。すると彼女が、ことの経緯を説明してくれた。

 

「あなたと会ったとき、私はもう死ぬつもりだったんです」

「ええっ?」

「この近くの谷に身を投げて、死んじゃおうって。だから綺麗な服を着て、お風呂で体を清めようとしていたんです」

「それで、ここに来ていたんですか?」

「そうです。あの時は何も考えられなくて、銀行で下ろしたお札だけ握りしめてて…… だから小銭がなかったんです」

 

 彼女は粛々と話していた。まさかそんなつもりだったとは、気づかなかった。

 

「でも、なぜここで働いているんです?」

「あなたに奢ってもらったのが、心残りだったんです。このままじゃ死ねないなって」

「そんな、三百円だったのに」

「私にとっては、それが生きる理由になったんです。あの後、ここの管理者の方に直談判して働かせてもらえることになりました。そしたら、いつかあなたに会えるかと思って」

 

 そして、彼女は俺の方を見た。そうか、来る日も来る日も番台に立って待ち続けてくれていたのか。たったの三百円、それを返すためだけに。

 

 思いがけない出来事に、俺はぽりぽりと頭をかいた。そして、番台に三百円を置いた。

 

「なんにせよ、あなたが元気でよかった。じゃあ、ゆっくりさせてもらいますから」

「いえ、お代は結構ですから――」

 

 彼女は三百円を俺に返そうとしたが、その手を止めた。

 

「……やっぱり、三百円頂戴しますね」

「おや、いいのですか?」

 

 俺がそう問うと、彼女は静かに答えた。

 

「返してしまったら、ここにいる理由が無くなってしまいますから」

 


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