それ自体は何ら珍しいことではない――ただ、今回の失踪者には少しだけ覚えがあった。
気まぐれで覗いた彼の部屋で、ヘルタは"凡人の記録"と出会う。
また一人、研究者が失踪したらしい――久方ぶりに訪れた宇宙ステーション『ヘルタ』で、そのような話を耳にした。すでに数週間前の出来事だった。
研究者が姿を消すこと自体は、何ら珍しいことではない。
この場所には数多の銀河から研究者が集う。研究に明け暮れ、やがて何も為せず消えていく者も少なくない。
自分の限界を悟った者。欲に目がくらんだ者。きっかけは様々だが、彼らの末路は決まって同じ。
はいはい、またいつものね――普段のヘルタだったら、それをただの日常として処理していた。
……しかし、今回は少し違った。今回の失踪者には見覚えがある。
――確か、私の研究結果を熱心に読み解こうとしていた人だったか。
「ふーん?」
これまで何度も私に付きまとってきた彼が、まさかそんな凡人たちと同じ末路をたどるとは思いもしなかった。
彼はなぜそのような行動をとったのか――一瞬だけ考えて、まあいいやとすぐに思考を切り捨てた。
◇◇◇◇◇◇
ヘルタはいま、噂の失踪者――彼の部屋の前に来ている。
もともと今日はあまり立て込んでいなかった。一応ここの所有者だし、せっかくだから覗いておこう――その程度の感覚だった。
躊躇いなくノブに手をかける。鍵はかかっていない。
「……つまらない部屋ね」
研究用のノートや論文、参考文献などが乱雑に並べられた机。ただ、机には薄く埃が積もっている。少なくとも既に数か月は経過しているだろう。
机の上には、私の論文を追いかけようとした痕跡が並んでいる。
「……まあ、彼から見たら私の論文は“魔法”みたいな代物でしょうけど」
ヘルタは机に散らばるノートを一冊手に取った。そして、ぱらぱらとページめくり、流し見たあと、すぐに閉じる。
また一冊、同じようにめくって、同じように閉じた。何度も、何度も、同じ動作を繰り返す。
どれもがありきたりで似たような、途中で投げ出された計算と推論。
こうして流れるように手に取った最後の一冊。そこには仮説も理論も何一つない、ただの一個人としての記録のみが、拙い文字で書かれていた。
ヘルタは一つページをめくる。しばらくして、また一つページをめくる――
そして、最後のページの最後の一行。
ヘルタは動きを止め、小さく笑みを浮かべた。
――『君を一人にしないために』
「別に頼んでなんてないのだけど……ま、彼らしいか」
しばらくその日記を眺めた後、ヘルタは彼の部屋を出た。
手に残ったのは、その一冊だけ。机には、彼の研究ノートが取り残されている。
「……まあ、意味なんてないんだけど」