全てはあの時から始まった。あの時から歪みが生まれ始めていたのだろう。それを見て見ぬふりをし続けていたのはこの私だ。あの子を歪めてしまったのは私だ。その罪は償わなければならない。
高天原。神と人間の暮らす都市。その地には妖怪は簡単に近づく事が出来ず、防衛戦力も高く攻め落とすことなどほとんど不可能だった。そう、不可能
ある日、高天原はたった一柱の神によって襲撃された。それは余りにも唐突にその強大な力を振るった。
入り口であるゲートの付近は完全に破壊されて、そこから少し離れた建物も全て破壊されていた。破壊された建造物からは幾筋もの黒煙が立ち昇り焦げ臭いにおいが辺りに漂っている。
その為に彼、命はその鋭敏な感覚からその異常を真っ先に知る事が出来た。それを知れたからこそ彼はすぐに彼女の家へと走り出した。彼女の生存を、彼女の無事を心配した為に。
「月夜見!」
「命」
果たして彼女は無事ではいた。体を震わせながら顔を青くして。
「此処に居たか。さあ、シェルターに避難しろ」
高天原では有事の際には人間や戦う力を持たない、もしくはその有事に対応する事が出来ない神を守るためにあちこちにシェルターが用意されている。
命は彼女を連れてそのシェルターに避難するつもりだった。しかし、彼女はその命の気持ちに答えるわけにはいかなかった。
「いいえ。私は月夜見。月夜見
神々の中でも主神を務めるのは太陽神で有る天照大御神だけだ。たとえ天照の父である伊弉諾ですら主神にはなれない。それは天照という神の持つ力の象徴だ。そしてだからこそ、その妹である月夜見もまた力ある存在として信仰されなければならない。
「私がお前に技を教えたのは、力を身に着けさせたのは戦うためじゃない、自衛のためだ!」
「たとえそうだとしてもその力の利用法は私が決める。私は姉さんの妹として存在するためには戦わなければならないの。主神の妹として私は逃げるわけにはいかない。此処で逃げてしまえば私の力は弱いとほかの神が思ってしまう。そうなってしまえば私には価値がなくなる」
強く。だが怯えをはらんだ声で月夜見は命に言う。それが神だと。神は逃げることは許されないと。
「震えている奴が戦えるものか」
しかしたとえいくら理由があっても恐怖は消えない。その恐怖を月夜見は隠しきる事が出来なかった。
「それでも戦う」
「無理だ。お前は弱い。私にすら負けるような奴が如何して戦って生き残る事が出来る? そんな大口をたたくのなら力を付けてから言え。今のお前がどれだけ言ってもそれは不可能なことだ」
「……それでもよ」
自身の不安を、虚勢を暴かれていき声が弱くなっていくがそれでも彼女は自分自身が戦わなければならないと主張し続ける。
幼いころから周りから掛けられ続けてきた期待。神らしくあれという束縛。それらが頑丈な鎖となって彼女を縛る。本当は逃げたい。本当は目の前の人間に助けてもらいたい。けどそれは神がする事ではない。だからこそ彼女は自身を偽り続ける。
「……分かった」
「そう。ならばそこをどきなさい。私は高天原の神としてあの堕ちた神を始末しなければならないのだから」
命の脇をすり抜けようとして彼女は迫りくる気配に気が付いた。しかし気づくことと対処できることは別だ。
「な……んで?」
「すまないな。だが私はお前に死んでもらいたくはない。身近な人間が寿命以外で死ぬのはつらい。そんなことはあの一度で十分だ。お前は生きろ。お前は、朔はまだ若い。これから先いくらでも生き続けられるのだから」
首筋を叩かれて倒れていく彼女の体を命は支えながら目の前にいる老婆に彼女を渡す。
「この子を頼む、
「ええ、父上」
老婆はいつの間にか若い美しい一柱の女神になっていた。目の前の彼女は字迦之御霊と言い、食物に関する神だ。彼女は命とある女神の間に出来た娘でもあった。
「ですが一つだけお聞かせください父上。貴方は何故戦うのですか? 貴方もまた怖い筈です。貴方は私たちと違い人間です。堕ちたとはいえ一柱に対抗する力なんてある筈がありません」
それは事実。幾ら彼が力を振り絞っても彼一人の力では如何しようもない。どんな方法をとっても勝つことなどは出来やしない。それが彼の限界。彼には一切の超常の力を持たないただの人間なのだから。
「確かにお前の言うとおりに怖い。私はこの戦いで命をおそらくは失うだろう。それでもな、私は目の前で恐怖に戦っていたこの子を死なすわけにいかない。この子が戦えばすぐに死んでしまう。自分の弟子を死なす師匠がどこにいる?
それに戦いの中で一番悪いのは信念が無い事だ。この子にはそれが無い。先ほどまで言っていたことも結局はただ依存していただけ。『月夜見』という名に依存しようとしていたからあそこまで戦おうとしていた」
月夜見にとってその名は自分自身の全てだった。いつもいつも彼女は比べられた。優秀すぎる太陽の神であり、姉である天照に。そして何度も悔し涙を流し続けていた。比べられ劣っていると言われ続けていた日々に彼女の心は一度折れていた。それゆえに彼女は月夜見の名にこだわり続けていた。
「それに偶には私の力も見せなければな」
自嘲気味にうっすらと笑いながら命はそれだけ言い残して月夜見の家を出ていく。それを見送りながら字迦之御霊はそっと最後に命に語りかける。
「生き残ってください。それが私とこの子、月夜見の願いですから」
「ああ、せいぜい死なぬように最後まで戦うとする」
その場から有り得ないほどの脚力で一気に離脱していく命を見守りながら字迦之御霊は抱えている月夜見をシェルターへと運んでいく。
次回は、次回はもっと量を増やします。