月夜見の住んでいる屋敷で、修行の合間に月夜見は命におずおずと話しかけた。
「ねぇ、命」
「何だ?」
「貴方、いつもここにきているけど、家族とかはいないの? 私の面倒ばっかり見ていなくて、自分の子供の面倒を見たりとかしないの?」
「いや私の家族は確かにいるが、もう全員面倒を見る必要がない。それに、私の最後の血族は既に立派な風の神だ」
「風神? 軍神や武神じゃなく?」
「私をどう見ているのかが気になるが、まあ良い。あの子は八卦で乾を司る。まあ、確かに私の最後の子孫で一番軍神に向いているとは言えるだろうが」
「ふうん」
「満足したか? では、また修行に入ろうか」
「いや、一寸待て! まだ五分も休憩していないでしょう!?」
「そんなのは関係ない」
抵抗しながら、「じぇろにも~~~~」という声を辺りに響かせ、また中庭へと月夜見は連れられていく。
命が紫に出会ったあの日から、十年時間が流れた。その年月の間に、少しの変化があった。例えば、村の近くに、いつの間にか新しい神社が出来た。とはいえ、この人里では大概の人間が命を守り神として信仰していたので、信者などはほとんどいなかったが。また、流れてきた半獣半人が寺子屋と呼ばれる施設を作り、子供たちに教育を始めたりもした。
しかしそう言った変化とは違う問題もある。それは命にとって、いや村にとっても重要な問題だ。
あの夜、命は八雲紫が出した条件をのんだ。それは必要だったから。命とて分かっていた。何時の日か、月夜見に見つかる日は来るだろうと。だからこそ、紫が出した条件は渡りの船であった。だから何も聞かずに約束した。しかし、それでも今の状態ではそうも言っていられない。
彼は村人の起きていない時間帯に、とある場所にいた。鬼の住処にして、かつてある妖怪と会った場所。そこに一人立ち尽くして待っていた。
とある気配を感じ取った命は、その気配の主に語りかける。
「それで、私にここを守らせて何をしたいのだ。お前は?」
「きまぐれって言う回答では納得しないでしょうね。貴方は」
「ああ、そうだ」
過ぎ去った年月が重なるたびに、命は自身の後ろに唐突に現れた紫が分からなくなっていった。
紫は合理的な考えを好む。確かに時折無駄を入れないわけではない。だが、それはあくまでも退屈という事で自身を死なせないように調整しているだけに過ぎない。そんな彼女が、只人間を守らせるという事をするはずがない。理由があるはず。そう命は考えた。
幾ら命でも、紫が何をたくらんでいるかわからない。そして、その未知の部分が命を警戒させていく。
「それにしても今頃、聞くとは思わなかったわ」
「ある程度なら我慢できる。しかし、お前という存在が人里に悪影響を与えるのなら、話は別だ」
「おや、私が何かしたとでも?」
「貴様……!」
ひしひしとあたり一体がざわめく。命の殺意にあたり一帯が悲鳴を上げているのだ。
紫は今、間違いなく命の地雷を
「分からないとでも思うか!!」
轟音と共に、命と紫がいた場所が崩れていく。命が激昂した際に、拳を地面に叩き付けたことによって、地面が耐えきれなくなってしまったのだ。
「貴様がひそかに妖怪をこの地に招きこんでいることは分かっている!」
そう憤怒の声を上げて、命は紫を掴む。その顔は憤怒に染まり、我を忘れかけている。
神話にて、素戔嗚はこう語られている。曰く、
「おや、気が付かれていましたか?」
「貴様、初めからあの里を家畜として扱うつもりだったか!」
「私はそのようなことまでは考えていませんわ」
「如何だかな!」
「事実ですわ。私があの里をあなたに守ってもらっているのは、狼から羊を守らせるためでありません。私が貴方に望んだのは、人間でありながら、幻想を許容できる存在」
「……如何いう意味だ」
動きが止まる。今だ警戒していることに変わりがないが、その情報は、命を止めるには十分すぎる内容を含んでいた。だからこそ、命の動きはぴたりと止められてしまう。
「ねえ、貴方は未来が分かる?」
「そんなもの分かるはずがない」
「ええ、そうね。でも推測はできる」
「お前は何が言いたい?」
イラつきを抑えるように、命は幾分か先ほどより怒りをこらえて、尋ねる。
「私の能力は境界を操る。その境界が昔からだんだんと変化し始めていた。幻想が、少しずつなくなっていき、現実が世界を侵食していった」
「!!?」
「分かったようね。幻想がなくなるという事は只妖怪が消えるわけじゃない。幻想には神も含まれる。神がいなくなれば、ありとあらゆる祝福はなくなる。豊作を司る神が消え、作物はできなくなり、天候を司る神がいなくなれば雨も降らなくなる。それは人だけではなく、最終的に生命という全ての種を滅ぼしてしまう」
「莫迦な! 幾らなんでもそんな事!」
「貴方とて分かっているはずよ。昔と比べてこの地でも幻想の力が徐々に弱くなっている。だからこそ、私はこの地に幻想を集めた。人は身近な幻想に恐怖して、より強い幻想を産み出す。生み出された幻想は、更に人に恐怖を与える。だけど、そのままでは人が無意味に死ぬだけ。けれども、そこに貴方が加わることで、新しいサイクルが生まれる。幻想はそう簡単に人を襲えなくなる。でも、それでも幾らかは人を襲う。幻想に対する恐怖は生まれるけど、自身を守る存在にも感謝が生まれる。それはいつしか新たな信仰になる。そういう新しい形が今は必要なの」
「まさか、貴様!」
「貴方はもう、逃げることはできないわ。ほかの神なら自分自身が生き残ろうとする。妖怪も同じ。でも、貴方は神ではなく、人間。他者を見捨てて逃げる事なんて出来やしない。それに、貴方は月夜見の尊を守ろうとするでしょう?」
そこまで聞いて、命はとうとう耐え切れなくなった。メキメキと音を立てて拳は握られて、音を置き去りにして放たれる。拳の進む先には紫の顔。殺気をはらんだその一撃は、しかし赤い角を持った鬼に止められた。
「お前らしくないよ、命」
「……勇儀」
「お前の拳はこんなに軽くないだろうが。まあ、お前さんの怒りももっともだとは思うがね」
勇儀に止められた拳を降ろして、命は勇儀にただ一言すまないと謝り、二人の前から消えていく。
山を下りる最中、空を仰ぎながら、命は呟かずにはいられなかった。
「世界は変わっていく、か。私は変わらなさすぎたのかもしれないな」
天に浮かんでいるはずの月は、出ていなかった。