昔、北の海の坐しし武塔の神、南の海の神の女子をよばひに出でてまししに、日暮れぬ。彼の所に将来二人ありき。兄の蘇民将来は甚貧窮しく、弟の将来は富僥みて、屋倉一百ありき。
――備後國風土記逸文より。
魔法の森。そう呼ばれる森が幻想郷にはある。人里の人間は決して寄り付かない場所だ。そもそもそこには有毒の茸が胞子を年中飛ばしているせいで、耐性のないものが入ればすぐに死んでしまうような危険な場所だ。
そしてそんな危険な場所は、ある種族に恩恵を与える。魔法使いと魔女だ。彼らはこの森で暮らすだけで強くなる。森に漂う茸の胞子は魔力を多量に含んでいるからだ。その魔力を呼吸する事で摂取していくのだから、強くなるのは当然だ。いうなれば、呼吸するだけで自分の許容量以上の魔力が得られる。器は肥大化した魔力を飲み込み、更に大きくなり頑丈になる。あとはそれを繰り返す。住むことで魔法を扱う妖怪たちは恩恵を受けられるのだ。そして、それは魔法使いを目指す者にとってもそうだ。
その魔法の森の近くで二つの人影があった。
「ほら、その程度か魔理沙」
「くぅ~っ!!」
魔理沙の周りには赤、白、黄色と様々な色合いの球が浮かんでいた。それぞれが違う属性なのだろう。球の中には他の球より小さい弾もいくつか飛んでいる。そして、それを操っているのは人間である魔理沙だった。人間には普通魔法は使えない。素質の問題だからだ。人間にも魔力はあるが、それに必要な魔力が圧倒的に足りないのだ。そして、魔法を扱うために必要な演算能力も。魔法は只使えば発動するものではない。術式を練り、その術式に相応しい属性に変換した魔力を、正しくそして丁寧に注ぎ込まねば使えない。魔法使いというのは一種の精密な絡繰りに近いのだ。だが、人間は違う。同じ動作を繰り返しても、差異は出てしまう。それは魔法を扱うものにとっては致命的だ。
だが、だからと言って人間は魔法使いになれないわけではない。魔法使いというものには、人から変化した存在もいる。だからこそ魔理沙にもその可能性はあるのだ。
「魅魔様、これ以上は!!」
「だらしないね。とはいえ、まだこれ位なのは仕方がないか」
魔理沙の魔法を見ていたのは、幻想郷に古くから存在する悪霊だった。しかし、悪霊という種族でありながら、その力は余りにも大きい。命ですら、下手を打てば、何もできず圧倒できる実力を持っている存在だ。命にはない莫大な魔力を惜しげもなく使いながら、魅魔と呼ばれた悪霊は魔理沙に一つの魔法を見せる。
「良いか、魔法って言うのはね、森羅万象に作用するもの。そう簡単に使える様なものではないんだよ。幸い、お前は人の身としては才能が有った。でもそれだけ。妖怪たちと比べれば、才能はない。だから精進しな」
そう断言しながら、魅魔は魔理沙に魔法を魅せる。魅魔が指をふるうごとに、美しく飛び交う魔法は、少女である魔理沙の心に強いあこがれを焼き付かせていく。それはまさしく恋のように燃え上がり、知らず知らずのうちに魔理沙は縛られていく。
魔理沙の目が、飛び交う魔法に釘付けになっているのを確認した魅魔は嫌な笑みを浮かべる。それはまさしく悪霊の笑みだ。知らず知らずのうちに生者を縛り、操り、良いように扱う悪霊の。
しかし、ふと表情を真顔に戻して魅魔は魔理沙に言った。
「魔理沙、今日の修行はここまでだ」
「えっ? 私の魔力ならまだあと少し残っている……」
「良いから」
不服でありながらも、ようやく見つけた魔法の師匠。渋々ながら魔理沙は従い、魔法の森に入っていく。それを確認した魅魔は、後ろに向けて話しかける。
「出てきたらどうだい? 武神」
「ふん」
魅魔が笑いながらそう周りに向けて声をかけると、命が何時の間にか立っていた。
「流石というべきかね。私の結界を完全にとは言えないようだけど、それでもほとんど全てに察知されずにいたのだから」
「そんな事はどうでも良い。お前は何を企んでいる?」
「企む? 人聞きの悪い事を言わないでほしいね。私は只、頼まれたから魔法を教えただけさ。あの子は良く頑張っているよ。少ない才能でありながらも、私自身が予定してた修行速度よりかは、幾らか早く魔法を学んでいっている」
笑いながらそう言う魅魔だが、その顔には一切の優しさがない。何故なら、それは。
「そうまでして、復讐したいか」
「ああ、したいね」
その心中には悪意しかないのだから。そしてその悪意には矛先がある。
悪霊とは人の悪意の塊。だが、それには核となる存在が必要だ。そしてその核となった人物は、
「お前たちの一族が何よりも憎い。なあ、素戔嗚の息子」
「巨旦の娘よ」
蘇民将来と呼ばれる神話がある。厄除けのまじないである民間信仰の一つの話。そこに登場するのは、国津神、素戔嗚だった。しかし、その素戔嗚は海の神としてではなく、牛頭天王、つまりは疫病神という形で現れる。そして彼が立ち去った後には、生き残ったのは蘇民と呼ばれた男の家系だけ。その話しの中で、巨旦という男が登場した。蘇民の弟であり、そして疫病で死んだ男だ。そして、その中に死んだ者は、巨旦の一族もまた含まれている。彼女は巨旦の娘だった。
「ならば、私を恨めばよいものを」
「ああ、もちろんお前と、お前の一族を恨んでいるさ! だがね、お前たちを本当の意味で殺すには、それだけじゃ駄目なんだ! 人間を滅ばさない限りは!」
風が辺りの草を薙ぐ。その中心にいる魅魔からは悪意そのものが放出されている。確かに、これだけの力を持てば、命ですら追い詰められる。しかし、それだけでは駄目なのだ。彼女は命の血筋を憎んでいるが、それだけでは命達を真の意味で殺しきれない。
「お前の感情の落とし前に関しては、私から言えることは何もない。私が言えるはずがない。それはお前だけが持っている憎しみで、お前だけのもの。自由に、それこそ私の命を奪おうとすれば良い。私は私で抵抗するだけ。しかし、だからと言って、幼子をお前のように悪意に囚われさせるわけにはいかない。それに、人を滅ぼしつくしたら、お前もまた消えるのだぞ?」
「構わないね。私は私がしたいようにするだけさ。なんなら、あの子を使って呪いを振りまいても構わないさ」
その言葉をきっかけに空気が変わった。先ほどまでは、魅魔から一方的な敵意が流れていたが、今は違う。命からも、怒気が流れ込んでいる。命は、自身が命を狙われる理由は分かっている。だが、それはあくまでも命と魅魔の間にある関係だ。そこに人間は存在しない。だというのに、魅魔は分かっていながら、気にしていない。そして、さらに最悪なのが、弟子として迎えた魔理沙を、利用しようとしていることだ。だからこそ、命は。
「今まで、私はお前に対してすまないと思っていたし、今も思っている。だがな、弟子を貴様の道具にするな! 反吐が出る!」
堪忍袋の緒が切れた。
常と違い、いやそれどころか
そして、その気に反応して魅魔もまた。
「上等ォ!」
今ここに、祟り神であり疫病神の息子である武神と、憎しみの余り悪霊となった存在が激突した。
魅魔様の設定を巨旦の娘に。そこから紆余曲折あって悪霊に。