そこには一人の霊がいた。すがすがしく、何処までも広がる晴天の下。存在も希薄で、誰にも気が付かれないような女の霊が。
腰まで届く黒髪を垂らし、彼女は途方に暮れていた。一族が死に絶え、自身も死んだが死者の国へ行けなかった。どうすれば良いかわからない。このままこの地に居れば死者の国に行けるのだろうか? それとも何かをしなければならないのだろうか。わからない。わからないから途方に暮れるしかなかった。
しかし、そんな彼女に一人の男が話しかけた。彼女がかつて生きていた村では見たこともない男が。
「こんなところで何をしている? 早く根の国に行った方が良いぞ」
「私はそこに行くまでの道がわからないのです。一族全員が病で死に絶えました。しかし、私だけがこうして現世に残されたのです。どうすれば、根の国へ行けるのでしょうか?」
彼女は、自身を見つけた男に一つの希望を見出した。霊である自身が見えるのなら、それは神かそれに使える巫女、或いは神職ではないかと推測した。ならば、もしかしたら黄泉の国へ行く方法を知っているのではないかと。
尋ねられた男はしばらく考えた後に言った。
「ならば、ついてくるか。今は無理だろうが、それでも時期が来れば黄泉比良坂へ行くための道が開かれる場所を知っている。それまで私が面倒を見よう」
それが巨旦の娘と、仇である素戔嗚の息子である素戔命との出会いだった。
魔法の森の木々が軋み、抉れて草が音を鳴らして揺れる。その間を疾風よりもなお速く動く大柄な男と、それを追随する光の球があった。光の球は次第に鋭い苦無のような形に変形していき、殺傷能力を高めていく。さらに、球体から円錐の形に近くなったことにより、それらの魔力弾は魔力抵抗が少なくなり、さらに速度を上げていく。
魔力弾が通った後は、すべからく切り裂かれて道が出来ていた。その出来た道を目印として魅魔は飛行して命を追っていた。自動的に命を追うようにしてある弾は、確かにその役目を果たし、同時に魅魔の道しるべとなっている。それは命にもわかっていたが、少しでも動きを止めれば、今命を追っている弾幕と、魅魔が繰り広げるであろう圧倒的な火力の魔法の大群に、なすすべもなく圧殺されるのは分かっている。だから、それを防ぐために命自身が出せる最速に近い速度で逃げ、打つべき手を練っている。
(まずはあの弾をどうにしかしなければ)
狙うべきものはわかっている。しかし、だからと言ってそれが今すぐに達成できるかと言えば、命は首を横に振るしかない。幾ら命でも走りながらあれだけの弾を防げない。今できることは錯乱の為に不規則的な動きや、一度使った道を使い、魅魔を振り回す事しかできないのだ。だが、それでは命が余りに不利すぎる。命と違い、魅魔の魔力弾は疲れを知らない。また、魅魔も悪霊であるがゆえに体力という概念は意味をなさない。確かに命自身は三日三晩寝ずに戦場へ出れるだけの体力はある。しかし、だからと言って、体力をむやみに減らせば集中力の低下などを招いてしまう。そしてこの相手に集中力乱せば、如何なるか命には良くわかっていた。どこかで反撃に出なければならない。今できることはその機会を待つだけだ。
「っち。相変わらず速い。それに気配を完全に殺されている。しかも逃げる間に、私の弾幕で私の探査結界を跡形もなく破壊したか」
五十は超える弾を相手に、良くそこまでできる。そう一種の関心を覚えながらも、魅魔は新たに弾幕を放つ。例え見当違いの方に撃っていたとしても、すぐに弾幕は命をめがけて飛んでいく。例え気配を殺せても命は消せない。魅魔が放っている弾幕の効果は、ある程度以上の力を持っている生命を自動的に追いかけるという効果だ。既に死んでいる魅魔には意味が無いが、未だ肉体の器を持っている命には最悪の相性だ。どれだけ逃げても、必ず追いつめる。
放たれた弾幕は、すぐさま方向を変えて飛んでいく。それを見た魅魔は口角を上げて、その方角へ全速力で飛んでいく。その先に、命はいた。だが、今までとは違う。逃げているのではない。魅魔目掛けて突撃をしているのだ。
「はっ! 限界か!!」
捌ききれる弾幕ではなくなった。だから一か八かの特攻を仕掛けたと魅魔は判断した。しかし、同時に思う。随分となめられたものだと。魅魔からしてみれば、幾ら命が速くても、今の距離なら十分魅魔は対処できる。追撃を加えて、命を消滅させることすら可能だろう。だから、嘲笑わずにはいられない。最強と謳われた武神。それがこの程度だったかと。
四方八方から飛来する弾幕。それらの中央で命は走り続ける。迫る弾幕。前方から感じられる圧力。凄まじいまでの魔力の高まり。それらを無視して。
しかし、この距離からでは、命の腕は、脚は届かない。届かないのでは、どんな手段でも魅魔には勝てはしない。
「っあ!!?」
だが、その手段はあった。
魅魔は蹲り、掌を抑えている。そこに突き刺さっているのは、鋭くとがっている木片。そして、魅魔の動きが止まった瞬間、命は迫る弾幕全てを迎撃した。お互いの弾幕を衝突させて相殺して、力づくで粉砕し、力の向きをずらして地面に衝突させたりして弾幕を無効化したのだ。
命は逃げながら一つの武器を作っていた。あたり一帯で削れ、吹き飛んでいた木片で。それを少しずつ削って、棒手裏剣を作っていたのだ。そして、その棒手裏剣で魅魔の手を射した。
深く突き刺さり、思わず魅魔は動きを止めてしまった。そして、命相手にそれは拙かった。既に状況は逆転されて、うずくまっている魅魔の前には命が憤怒をまき散らしている。
「……あの時の約束を果たそう。お前を根の国に送ってやる」
「……そうかい」
いや、それは決して魅魔に向けていなかったのかもしれない。ふがいない、自分自身に向けての言葉だったのかもしれない。しかし、もはや命は決めた。その腕を降ろす時は、魅魔の存在を奪う時だけだと。
拳を振り上げる。目に見える程莫大な筋肉が稼働して、命の腕が力を蓄えながら後ろにひかれていく。その様は、長弓を引く武人のようにも見える。
「ぬ」
しかし、その拳を振り下ろす前に、命はその場を飛び下がる。今まで命がいた場所に、星形の弾幕が殺到したのだ。普段の命なら気が付けただろうそれは、命が魅魔から受けていた心理的な圧迫感から見過ごされていた少女が放った物だ。
「……魔理沙」
「や、やめで! みまざまも! みごども!!」
ぐしゃぐしゃに顔を歪めたまま恐怖で涙を流しながら、魔理沙は掌を命に向けていた。
魅魔と命が戦う前、魔理沙は魅魔に言われた通りに、魅魔が用意した家に向かっていた。
しかし、その家路の最中に唐突に恐怖を感じた。怖気が奔るなんて生ぬるい、そこでいるだけで死ぬ。そう感じ取れるほどの殺意を。それが何かは幼い魔理沙には分からなかったが、しかし、魔理沙の周りの生き物たちはそれを理解して、逃げる事しかできなかった。さらに強い殺意がもう一つ生まれて、魔法の森にわずかに生息している鳥たちが落ちていく。鳥たちは白目を剥いて、口ばしの端から白い泡を吹き、体を痙攣させて落ちていた。そして、その恐怖は魔理沙も味わった。
魔理沙の体が痙攣をする。濃厚な死の気配に、意識が精神を守ろうと切れかける。がくがくと足は震え、体中から冷や汗がつうっと流れていく。それを理解することもできず、只々魔理沙の口からは言葉にならない音が漏れていた。
怖い。只、その感情がが魔理沙の頭を埋め尽くしていく。理性を溶かして、本能のまま逃げ出そうと。しかし、魔理沙はそんな状態でありながら、白目をむきかけながらも、震える足で上手く呼吸出来もしないのに、脚をひるがえし、来た道を走っていく。何が起きたのか分からないが、魅魔に何かあったのではないか。只恐怖に埋め尽くされた頭でそう考えた。
そして震える足を、騙し騙しやってきた先で行われていたのは、いつも無愛想だが遊びに付き合ってくれる命と、魔法を教えてくれている魅魔の殺し合いだった。
草むらの中で隠れながら、魔理沙は動けなかった。どうなっているのかが分からない。どうしてあの二人は闘っているのか。しかも、あそこまで怒りながら。幼いながらも魔理沙は聡明だ。だからこそそこまでわかってしまった。しかし、分かるからこそ、分からない事に気を取られて動けなくなってしまう。
それでも、魔理沙は動いた。とっさに。命が腕を振り上げ、魅魔にとどめを刺そうとしていたのを見て。
「う、うう!!」
命に睨まれ、気を失いかけながらも魔理沙は掌を命に向けたままだ。
魔理沙とて、命に勝てるとは思っていない。先ほどの闘いを見れば、勝ち目がないことくらい分かる。しかし、だからといって魅魔を殺させるわけにはいかない。やっと見つけた師匠というわけだけではない。そこには魔理沙もまだ気が付いていない理由があった。
それに、命にもそんな事をしてほしくなかった。子供たちに群がれても苦笑しながら相手をするような、そんな優しい命が好きだった魔理沙にとって、今の命は只恐ろしかった。だから止めたかった。
魔理沙にとってかなり離れた距離にいた命が、一瞬で魔理沙の目の前まで来る。余りの速さに魔理沙の瞳では影すら追えなかった。そのまま命は、呆然としている魔理沙に向けて片腕を伸ばす。その伸びてくる腕を見て、とっさに魔理沙は頭を腕で覆って守った。
だが、その腕は魔理沙を叩くわけでもなく、只頭をなでるだけで、それ以上の事はしなかった。
「え?」
素っ頓狂な声を上げる魔理沙をよそに、命は後ろを振り向き、未だ蹲っている魅魔に、告げる。
「……どうやら私が思う以上に貴様は、いやお前は師としては適しているようだ」
「はぁ!!?」
驚く魅魔だったが、命の中では既に決着がついたのか、そのまま一方的に言葉を続ける。だが、その言葉は紛れもなく命の本心だった。
「ふん。弟子がこうして師匠の為に命を賭けたのだ。そこに師弟の絆がなければできん。憎まれ口をたたいて嘘を吐こうが、弟子にまで嘘を強要する事なんて出来やしない。それに、恐らくはまだ魔理沙は数日しか魔法を教わっていないだろうに、ここまで魔法が使えるのだ。師としてはそれで十分だ」
「何を言って」
「私の目的は、魔理沙の師がふさわしくなかったら、魔理沙を無理やり連れて帰る事だ。しかし、師が良かったのなら、何も私はせん」
そうして命は瞬きの間に、この場から立ち去ってしまった。魔法の森と反対側の草が揺れ、命の痕跡がわずかに見える。それを少しだけ眺めた後、魅魔は魔理沙に優しく話しかける。
「あ~あ、たく。帰っていろって言ったんだけどね。魔理沙、帰るよ。ほら、そんなべそをかくもんじゃない。せっかくの可愛い顔が台無しだ」
「だって、だって!」
魔理沙をあやしながら、魅魔達も帰っていく。魔理沙を抱きかかえている魅魔の顔に、僅かな微笑が浮かんでいたことは本人以外誰も知らない。
命が見逃した理由には、もう一つ理由はあります。