戦闘描写苦手……。
2013年11月15日改訂完了
天から降り注ぐはずの星光も届かないほど、木々が深々と生い茂って薄暗い山中を、手が傷だらけの、いかにも農民じみた容貌の男が息を切らして駆け抜けていた。その体には至る所に草木でできたであろう切り傷があり、足に至っては豆が破け、痛々しいほどの血が草鞋をまだらに染め上げている。歩くだけで痛みが走るのだろう。顔を歪めて、辛そうにしている。だがそれでも男は走る。一向に足を緩める気配はない。それどころかさらに速くと、足を急かすばかり。
「う!」
とうとう限界を迎え、坂道を走り続けていた男は、足がもつれて転んでしまう。筋肉は悲鳴を体に訴え、震えて泣いていて、足首は赤紫色に黒ずんでいく。転んだ時に、鈍い音が足首からしたのだが、それでも男は立ち上がる。体重をかけるだけで叫びたくなる激痛を無視し、近くの木に体を預けてわずかな距離だろうと進もうとする。
「そこまでするとは本当に困っているようだが、何かあったのか?」
あんまりにも必死に先を急ぐ男の様子に、山の中にある岩に腰を掛け、休息していた人物が話しかけた。
鬼気迫る表情で走ってきて転び、ひどく足を痛めたというのになおも先へ行こうとする男が気にかかったのだろう。その声には心配する色が含まれていた。しかし岩の上に座っている人物の質問には男が答えることなく、歯を食いしばって足を引きずり、その場を去ろうとしていた。
「やめた方が良い。その足首は砕けている。このまま無理をし続ければ足を切り落とさなければならなくなるぞ」
返事は返ってこなかったが、それでも諦めずに話しかけるその声に、男は邪魔だとばかりに声を張り上げる。
「うるさい!! 俺は都に行って息子を助けてもらわなければならないんだ!!」
「息子? どういうことだ。山賊か何かに襲われたのか?」
「違う! 妖怪だ! 村に妖怪が攻め入って、誰か一人を生贄として要求したんだ。なあ、もういいだろう? 俺は急がなきゃいけないんだ。陰陽師に頼んで息子を助けてもらわないと!」
顔を真っ赤にしてのどをからさんばかりに叫んだ男に、岩に腰かけた人物は一度だけ首を振り、世のあはれを感じたのか、空を眺めて諭すように語りかけた。
「都に行っても息子は助からんよ」
「なんだと!? どういう意味だ!!」
「陰陽師は貴族が抱えて平民の訴え程度では動かん。そもそもお前の恰好から見るにこの近くの農村から来たようだが、それではおそらく都に入れてくれもしないだろう。悲しい事にな。昔は違ったというのに。人には上も下もない。始まりはすべからく同じだというのに、発展するために必要とした社会が人を傷つける」
男が助けを求めようとしている陰陽師達は、今や貴族が召し抱え、男とは雲泥の生活をしている人物がほとんどだ。そんな優遇を受けている陰陽師が、高々一農民の子供を救うためだけにわざわざ快適な都を出て、農村などに来るはずもない。都に至ってもそうだ。厳重な警戒が行われている。税を納めるために来た人物以外、近頃の都は入れることすらしない。一昔前ではそんなことは起きなかったのだが、今の帝が急遽貴族たちに勅命を下した。しかしそんな理由が分かっても、男の息子が救われるわけではない。
それが悲しい。岩に座った人影にとって、それはあんまりにもなことであった。
「そんな! そんなことって、あるのかよ! 畜生!!」
膝から崩れ落ち、クシャクシャに顔をゆがませた男は地面に力なく言葉を吐く。ぽたぽたと涙は落ち、地面がぬれていく。声がかれるまで男は叫び続けた。
「クソ! クソ! 俺は自分の息子が死にそうだというのに何もできないのか!? 神よ、息子を救ってください! お願いします。お願いします……!」
もはや頼る寄る辺を失い、それでもどうにか息子を助けたく神に祈りをささげる男の言葉は、物悲しい慟哭へと変わっていく。
「救いたいか? 子供を」
「救えるというのなら、何でもするさ! たとえ、祟り神の大切にする宝を持ってこいと言われても、絶対に叶える! 俺の子供が助かるなら!!」
涙ながらに叫ぶその声に、感じ入るところがあったのか岩から降りた人影は、その瞳だけを強く光らせていう。木陰で見えなかったその姿が男にもだんだんと見えてきた。
「ならば、救おう。お前の気持ちは分かった」
「え」
呆然と顔を上げた男の前には、見たこともない服を着て、これまた不可思議なものを手や足に着けている、桁外れに体の大きい男がいた。
「我が名は素戔命。神として生まれ、人として育った。ゆえに私は人を愛し救う。安心しろ。お前の息子は助けよう」
力強いその言葉が、男を癒す。傷の痛みが気にならなくなり、悲劇におぼれていた心は救い上げられた。
「ああ! あああ!! ありがとうございます! ありがとうございます!」
何度も、何度も涙を流しながら、男は命の言葉を信じ、感謝した。
息子は助かる。そう確信して。
山中に生える樹木を蹴り、命は通常ではありえない速度で移動をしていた。命クラスの実力者にでもなれば、生命の力を感知し、居場所を探る程度はいくらでもできる。そしてここらへんにすむ生物の中でも、とりわけ大きな力を持った存在が、山中を跋扈していた。
その力の源のところに、命は急ぐ。夜は既に白け始めている。すぐにでも男の語ったその妖怪を止めなければ、村の人間は黙って妖怪に男の子供を差し出すであろうことは、火を見るより明らかだった。
最後に命がひときわ強く、大きな楠木がしなって折れるほどの勢いで跳ぶ。隕石と見間違う速度で、移動した命はとうとうその妖怪に追いついた。
「な、何だお前⁉ ここは俺の山だぞ!」
空気が漏れだすように、若い樹木であるならば百ほど蜷局を巻けそうな長い体の、黒い鱗をした蛇の妖怪は叫んだ。あんまりにもいきなりな事態に、その妖怪は混乱の極みに陥っていた。只慌てふためくばかりで何もしない。
だが命が静かに構えをとった瞬間、その蛇はとっさにではあろうが勢いよく突進してきた。命はあわてることもなく、その動きを見切り半身で避けると、縦に振りおろす手刀でその長い体を寸断した。まさしく手の刀というにふさわしい滑らかな切り傷からは、大量の血が飛び出てくる。
「っ! しまった!!」
いや、出てくる量が異常だった。地面を血の海にするほど蛇の妖怪に血が多い訳が無い。蛇の妖怪の体積以上の血は一瞬で気化し、赤い水蒸気となり視界と鼻を鈍らせる。
蛇というものは狡猾であり、そして同時に恐ろしいほどの生命力を持っている。普通の蛇ですら、頭をつぶさない限り生きているといわれる。蛇の神に至っては永遠の命と考えられ、不死性の象徴と捉えられることもある。さすがにそこまでの生命力ではないだろうが、もともとすぐれている蛇の生命力は妖怪化している分、さらに強化されているはずだ。それこそ、体が切られた程度では堪えない程度には。
「貴様、あの村の人間がよこしてきた陰陽師の式だな。ほとんど霊力もない癖に、よくも俺を傷つけやがったな! 人間を喰う前に、お前で小腹を満たしてやる!」
ザワリと木の葉が揺れる。茂みに隠れたのか。それとも木を登ったのか。普段の命ならばわかるのだろうが、空気中を漂う血の所為で、はっきりとした居場所が分からないでいる。目ではとらえられず、匂いは血で消され、気配を探ろうにも、おそらく血液を使った妖術で、この場全体に蛇の妖怪がいるように感じてしまう。
いくら蛇の妖怪が長く目立ちやすいとはいえ、ここまで厳重に五感をつぶしにかかって来られてしまうと、命には対処の仕様がない。これが他の神ならば、風を起こすなり、水を支配するなりで苦境を脱することなど容易なのだろうが。
「まあ、それが私だ」
自身にできないことは求めない。手が届かないものに手を伸ばしても無駄。それが分かっていて、諦められないほど命は幼くない。
無意味な感傷は、すぐに命の中から消えていく。今必要なことは、蛇の妖怪の位置を見抜くこと。命の予想では、この血液自体が一種の呪いであり、命の五感を鈍らせている。さらにこの血の中にいる限り、居場所がばれていると考えるべき。かなり不利な状態だ。
命には呪いを解くことはできない。低下した感覚で妖怪をとらえるしかない。そこまで分かったのなら、それで良い。命には十分すぎる。たとえ縛られた感覚でも、研ぎ澄ませば役には立つ。
山の中で立ち尽くす命に音が近寄る。いまだ瞳では蛇の影すらつかめず、気配はあやふやなまま。どこに蛇の妖怪がいるのか全く分からない。
ガサガサという音が、シュッシュッという音に変わり、
「死ねぇ!!」
ぴくりとも動かない命へ、蛇は背後から先ほどと同じように突進をかます。しかし助走がついていたためか、前の突進よりはるかに速く、また口を大きく開きその毒牙をきらめかせている。
「秘剣 薄刃陽炎」
それに対し静かに紡がれた言の葉に沿い、命の右腕が陽炎と化す。ぶれた右腕は、音もなく蛇の妖怪の頭を切り落とし、返す左手は深々とその口を貫いている。
「何故? 俺の居場所……が?」
どうっと崩れ落ちた蛇の妖怪に、命は一瞥し冥土の土産として答えた。
「三角測量を応用しただけだ」
ある地点。ここをM、つまりは命がいた場所とする。そこへ近づいてくる音の発生源は、蛇妖怪の居場所だ。ここを求めるXとする。そしてここは山中。いくらでもやまびこはある。全方位から反射してきた音をそれぞれA,B、C……とし、音が返ってくるまでにかかった時間差から、蛇妖怪の居場所を探り当てた。あとは長い間に鍛えた勘の出番。命が持つ戦闘の勘は、蛇の妖怪を捉えていた。
「貴様のように、その知恵を人を喰うしか生かせぬ程度の妖怪では到底たどり着けぬ人の英知だ。さあ、終わりだ」
その言葉に絶望で瞳を染め、黒い蛇の大妖はその生涯を終えた。
蛇が死んだことにより、血が鎮められ、登ってきた太陽が顔を見せる。人を、自然を、そして妖怪すらも照らすその慈悲深い光は、命の体を暖かく包み込む。一つのいのちを奪った命を、優しく愛おしげに。
命が見ている先では、あの男を含めた村人たちが、恐る恐るといった具合に妖怪の死体へと近づいている。これでもう、あの男の村が妖怪に襲われるという事はないだろう。もちろん、他の妖怪が来たときはその限りではないが、その時はその時だ。世界が変わり、陰陽師が昔のように人を守る者たちの集まりに戻っていることを願うだけ。
冷淡な考えだとは分かっていても、命には何をすることもできない。悲しい事に。何度我が身を呪ったことか。多くの場所で助けを乞われても、命は一つの体しか持たない。たった一つの場所しか救えない。分霊わけみたまを造れるのならば話は別だが、そんな事が出来るのは神だけだ。肉体の器に幽閉されている命の魂は、外に出ることなどできはしない。
「本当にままならないものだ。このままこの村をひっそりと見守っていきたいという気持ちもあれば、他の助けを願う者たちの元へ向かう必要があるという事を知っているというのは」
男に背を向け、命はまた旅路へ戻る。しかしそんな彼には一つの懸念があった。ここ最近、命は似たような妖怪退治をしてきた。今までならば精々妖怪たちも、どこそこの村で何が出たという具合の噂話くらいになる程度にしか暴れない。だというのに数年前からは、人々がいつ妖怪に襲われるのかと体を震わせ、身を守るために縮こまるしかないほどの頻度で暴れまわっている。
「妖怪が活発化しているのは、月の力が段々と強くなっているのが原因か?」
見上げた月は、過去に命が見上げていた月よりも大きく、強く輝いていた。
全体的に分量と、命の感情の動きを増やしています。改訂した部分にも、感想や意見を頂けると幸いです。