赤い霧で見え辛かったとはいえ、それでも豪奢な館であった事で知られている紅魔館は、今は見るも無残な外見になっている。崩壊一歩手前、廃墟と言われても、誰も怒れないだろう。それほどのダメージを受けた紅魔館ではあったが、その反対に館の主は自室の広々とした部屋に部下を招き入れ、むしろとても清々しく、晴れ渡った笑顔を晒していた。
「お嬢様、紅茶でございます。ダージリンにB型の血液を入れ、お嬢様好みの味になっています」
「ありがとう、咲夜」
メイドが完璧な作法にのとって差し出した、美しい絵柄で色鮮やかに彩られているティーポットの中でゆらゆら揺れる普通の紅茶より赤い液体を口にし、ころころと口の中で転がしながらレミリアは紅茶の味を楽しむ。その姿は、幼くあれども、確かに気品が含まれている。少女は、咲夜と呼んだメイドを手元に置いたまま、部屋の隅にあるソファーに寝転がらされている美鈴に笑みを浮かべて語りかける。
レミリアも咲夜も傷だらけで、痛々しいものではあったが、目の前で寝転がされている美鈴よりかはましだった。美鈴は包帯で体中を縛られ、さらには折れた腕は固定され、命を蹴り上げた足に至っては骨が砕け散ったのかどす黒い色をして、ぱんぱんに膨れ上がっている。
しかし美鈴の顔には痛みなど見分けられない。それどころか、今にも笑いだしそうなほど上機嫌だ。
「それで、貴方は一体あの戦いで何を見つけたのかしら。あの子と貴方の運命は今日、大きく変わったわ。それも、血にまみれ、油で汚れ、恐怖に塗りつぶされた道から」
「いや~、ちょっと言いすぎじゃありません? もう少し優しくして頂けると、うれしいのですが。まあ、簡単な話ですよ。ただ私は忘れたものを思い出して、フラン様は新しい事を覚えただけです」
うれしそうに、フランの名前を言う時に至っては誇りすら含んだその口調に、レミリアはさらに笑みを深める。
「ふふふ。まさか、貴方がそんな言葉を口にするなんて。つい昨日まで獣と呼ばれても可笑しくなかったのにね。今のあなたは間違いなく一人の妖怪よ。それにあの子の姉としては、それほど慕ってくれる従者が出来たという事は喜ばしい事ね。このまま落ち着いてくれると良いのだけど」
「そんなに褒められるのは、妖怪としては初めてかも知れませんね。それにフラン様は大丈夫ですよ。元々すれ違いが原因でああなったんです。お嬢様が話しかければすぐに良くなりますよ。何せ、私がフランお嬢様に会っている時、かならず隠れながら様子を窺っていたんですから」
顔を赤くしたレミリアは、そっぽを向きながら話をそらそうとする。その為には何かしらの生贄が必要で、それには近くにいた彼女しかいなかった。
「あら、そんなところで隠れるように身を小さくしてどうしたのかしら、咲夜。霊夢に一撃で負けた私の可愛い下僕?」
「わーん! 言わないでください、お嬢様!!」
泣きながら、先ほどまでの瀟洒な態度はどこに行ったと聞きたくなるほど情けなく、咲夜はレミリアの足に縋り付いた。さらりとした銀髪をレミリアは撫でて解き解す。
咲夜は異変の時、解決に来た霊夢に一撃で敗北した。もはや弾幕ごっこ云々ではなく、単純に力量不足によって。彼女はこれでもかなり強い。能力を使えば時を止めることもできるし、投げナイフはかなりの精度を誇る。それでも霊夢にあっけなく負け、少し前まではレミリアに泣き付いていたほどだ。
「あらあら。まあ、良いわ。それにしても、本当にこの異変では色々な事が起きたわね」
レミリアの脳裏には、今回の異変で変わった事が浮かんでくる。長い間悩み続けたフランの狂気が薄くなった。これはパチュリーに確認している。それだけでも彼女にとってうれしくて、思わず種族的に敵対している神に感謝すらしそうになったほどだ。さらには、雇ったのは良いのだが、予想以上に制御の効かなかった美鈴は、明らかに瞳の色が違う。わざわざ能力で確認する必要もないほど、今の美鈴は生き生きとしていて、建設的だった。なによりもフランへ向ける感情が大きく変わっていた。今までは押し殺していた無自覚の親愛だったが、今はそれを自覚し是としている。
「これもすべては、美鈴が相手にした男、素戔命とやらのお蔭かしら」
「そうかもしれませんね」
いまだレミリアに縋り付いている咲夜は、上目づかいで甘えるような瞳をしながら自身より幼い容姿の主に疑問を投げかけた。
「はぁ。私としては、美鈴を相手に戦える存在がいること自体が信じられません。まあ、やはり最終的には美鈴が勝ったようですが」
「え?」
しかしその呟いた内容に、美鈴は驚きを示した。
口元から僅かな血を垂れ流しながら、命は一人紅い館の門を出た。すでに霊夢は神社に帰っており、魔理沙はいまだ気絶したまま小悪魔と顔を赤くしたパチュリーに看病されている。
妖怪に負けたというのに、命の顔は少しだけ安らかだった。
「あら、出てこれたの負け犬」
「解決の為に動きもしなかった腰抜けめ。いまさら出てきたのか」
門を出て数歩もいかないうちに、先ほどまで誰もいなかったはずの紅魔館の城壁前に、八雲紫は立っていた。彼女は言葉こそ命を馬鹿にしてはいたが、その顔は固くこわばっていた。彼女にしてみれば、それだけ信じられないのだ。鬼の一撃すら耐えきった命。最強と戦い生きた命。それなのに、
有り得ない事態が起きてしまったからこそ、いやあってはならない事が起きてしまったから紫は現れたのだ。
「どういう事?」
「……どういう事とは、どういう意味だ」
「言葉通りの事よ。貴方があの程度の妖怪に負けるはずがないわ。だけど、手を抜くなんて貴方は絶対にしないわ。一体何が起きたというの?」
ただ命は黙って立ち尽くす。その背中は何時ものような、大きくて頼りがいのあるものではなく、そのことに八雲紫は困惑するしかなかった。
「……」
「黙っていては分からないわ。答えなさい素戔命。貴方は何を想い、あの妖怪に負けたの?」
「…………」
「……命?」
黙り続ける命の様子があんまりにも可笑しいのに、紫はようやく気が付いた。
「いやいや、私は勝っちゃいませんよ。確かに今回は勝てましたけど」
「あら、どういう意味かしら?」
「お嬢様も気が付いてなかったんですか? まあ、良いです。簡単な事ですよ。あの人は、本気で戦っていませんでした。いえ、正しく言えば全力で戦えなかったのでしょう。だって、あの人の気は、死人のようでしたから」
自分が吐き出した、人間ならば明らかに致死量と言える血の上に、命は倒れた。