東方武神録   作:koth3

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蝕まれる武神

 上白沢慧音は人里に住む半人半妖という変わった女性だ。半人半妖という相手に世間の風当たりは酷く冷たい。人からは妖の血を継ぐ者として嫌われ、妖怪からは脆弱な人間の血を持つ弱者として扱われる。半人半妖にとって、世界とはすべからく生き難いものなのだ。そんな彼女は、命が人里で暮らし始めて百年ほどたったころに流れ着いた稀人だった。最初の頃は人に警戒されていた彼女ではあったが、人里の為に精いっぱいの努力をして周りの信用を勝ち取り、今では人里で寺子屋の教師を務めている。その信頼は厚く、多くの人は小さな悩みならば慧音に相談しに行くほどであり、誰からも頼りにされており、本人もまんざらではなさそうだ。

 その慧音は人里の様子が可笑しいということにすぐ気が付いた。紅い霧が晴れたというのに、人々は口々に不安を訴えかけている。その理由は、命が里にいないからだ。

 命の強さは誰もが知っており、信頼もある。ではなぜ彼は今人里にいないのか。命が恐ろしき吸血鬼の館へ攻め入ったことは、何人かの里人が知っており既に全員に伝えられている。紅い霧が晴れたというのは命が勝ったということを示している。それなのに一向に姿を見せない命に、人々は最初喜んでいたというのに今は不安になっているのだ。異変が解決しても人心が乱れているこれでは、完全な異変の解決とならないだろう。

 彼ら人里の人間たちの心配を無くすために、慧音は立ちあがった。この一大事、私がやらねば誰がやる! その決心で命の住む屋敷を訪れた。手掛かりのない今、彼女が思いつく場所はここくらいしかなかった。

 勢い勇んでいた慧音は普段の冷静さが足りなかった。彼女は良い人(?)ではあるのだが、興奮すると落ち着きがなくなるという欠点がある。命の屋敷にたどり着いた彼女は、礼儀も知ったものではないと威勢よく扉をあけ放った。そしてそれを生涯後悔することになる。

 

「……」

「……」

 

 慧音の目の前には、幻想郷の中で命と最も仲の悪いといわれるスキマ妖怪、八雲紫がいた。なぜ命の家に? その疑問が浮かび上がるよりも前に、慧音は彼女の手が持つ物を見て、思考が固まってしまった。なぜなら紫は明らかに命の私物と思われるアレ(・・)をその手でつかんでいたのだから。

 それは白く細長い布で出来ている。ここ最近外の世界から代用品で使いやすいものが流れてきたので、使う人間は少なくなっているが、未だに根強い人気を持つ代物だ。特に森近霖之助は熱烈なファンであるというのが里に知れ渡っている。

 そう。八雲紫が持っていたものとは、命のふんどしだった。

 

「あの、その。うん。命には内緒にしておいてあげるから、盗みは良くないぞ?」

 

 悪い事をした子供を諭すような、慈愛溢れる表情で慧音は優しく紫に語りかけた。

 

「違うわよ!!!!!!」

 

 妖怪の賢者の叫び声は、幻想郷中を駆け巡り、地底にすら届いたらしい。後に、稗田阿求によってそう記された。

 

 

 

 顔を赤くした八雲紫は、慧音に命が人里に帰らないことに対して嘘の説明を重ねながら、何故こんな目に合わなければならないのかと心の中でハンカチを噛み、引きちぎろうとしていた。それもこれも全て全部みんな命のせいだと。

 少し前、紅魔館で発生した紅い霧の異変、後に紅霧異変と呼ばれることになる事件で命は倒れた。有り得ない事態に固まってしまったが、とっさの判断で紫はスキマを開き、誰の目にも触れないよう細心の注意を払い、自身の家まで運び入れた。

 

「おかえりなさいませ、紫さっ! 一体何が起きたのですか!?」

 

 スキマの開く気配に気が付いたのか、裁縫をしていた藍は帰ってきた主を迎えるために顔を上げた。その顔は心から輝いており、主の帰還を喜んでいた。それなのに、藍の視界に飛び込んできたのは予想していた光景ではなく、血だらけになった主の姿だった。思わず針を落としてしまったのは仕方がないだろう。

 度肝を抜かれはしたが、すぐにその血が主の臭いと違う事に気が付き、藍は落ち着きを少しだけ取り戻す。それでも何があったのか分からないで、混乱はしていたが。紫が担いでいた人影が見えて、藍は全く別の違う衝撃を受け、言葉を詰まらせた。

 血だらけの命が紫に背負われていた。あれだけの力を誇る命がなぜあんな状態になっている? 藍の思考は停止して戻れないでいる。

 

「藍! 急いで薬箱を持ってきなさい! 橙も呼びよせて! 部屋全体を暖め、命の体温をこれ以上失わないようにしないと! それとこの家の結界のレベルを上げて、誰にもこの家に近寄れないようにしなさい!」

 

 動きの止まった藍に、声を荒げて紫は命を下していく。式である藍は、その命にハッとし、すぐさま言われた通りにしていく。いつもの人をあしらう怪しげな笑みなどは、紫にはなかった。あるのは何処までも真剣な瞳。

 紫には分かっていた。ここで命を失ってしまったら何が起きるか。

 人里では人心が乱れ、下手をすれば人同士で殺し合いをするところまで行きついてしまう可能性が高い。妖怪の中には命がいないという理由で人里を襲うものも出るだろう。

 幻想郷を作ったのは八雲紫とそれに賛同した賢者たちであっても、その制度を維持し続けてきたのは素戔命なのだ。素戔命の名前によって人里は守られ、各勢力も余計な争い事を起こさなかった。極論、八雲紫は博麗の巫女までならば、失っても構わないと考えている。博麗の巫女ならば、代わりを用意できるからだ。しかし命に限っては違う。彼だけは代わりがおらず、失って良い存在ではない。

 命を幻想郷の人々の守護神にする為だけに、紫は様々な情報を集め、弱みを握った。その情報を得るのにどれだけの労力を払った事か。そのすべてが今水の泡となりかけている。

 

「熱っ!! 何ですか、この熱! それに、体が!!」

「そんな事を言っている場合じゃないわ! 境界を操っても、状態の悪化を防げているだけに過ぎない!」

 

 紫も藍も生きてきた年月は、千年はくだらない。その中でいろいろな経験をしてきた。だというのに、命の身を襲っているものが何なのか、全く分からないでいた。それが二人をさらに焦らせる。熱はある。しかし体の末端は氷のように冷たくなり始め、血に溺れているのか息は絶え絶えとしている。皮膚の一部は、壊死している。

 

「っつ! もう一度境界を操って!」

「無駄、だ。スキマ」

 

 ゴボリと喉の奥から一度血を吐きだし、命は気が付いた。そしてすぐさま自分がどうなったかを把握すると、無駄な努力をしようとしている紫を止めた。

 

「無理にしゃべらないでいて頂戴。あなたを失うわけにはいかないわ」

 

 余裕がないのだろう。酷く冷淡な口調で紫は命を押しとどめた。

 

「悪いがそういう訳にはいかん。良いか、聞け。私の身を蝕んでいる病は、『天津罪』というものだ。私の父も、私の姉もこの病によって器が崩壊した。これは、私たち家族三人のみがかかる遺伝子の病なのだ。何をしても無駄だ。高産巣日神ですら、何もできなかったのだ。お前程度にどうにかできるものではない。それよりも私が死んだ後の代わりを急いで見つけなければならんだろう。諏訪だ。諏訪に行け。あの地の神ならば、私の言葉に逆らわないだろう」

 

 異様な冷たい汗をかきながら、命は振りしぼるように告げた。それだけ語るのも、かなりの負担になるのか、語りつくした後は、咳が止まらず大量の血を吐き出していた。

 

「命!?」

「あ、んしんしろ。今は小康状態だ」

 

 とてもではないがそうは見えない。重病人と言われても可笑しくはない。いや、それどころか危篤の患者にしか見えない。しかしそれで小康状態。天津罪の症状は他の病と比べて重すぎるのだ。

 

「とてもじゃないけど、そうは見えないわ」

「だとしてもそれが事実だ。私の家に、この病の症状をごまかす(・・・・)薬がある。つい先日作ったばかりだ。まだあと数か月分はある。それをとってきてくれ」

 

 命ですらも、この事態は予想外すぎた。あと数年は持つと思っていた。おそらくはレミリアの作り出した霧が原因で、薬によってごまかされていた病の働きが、目に見える形で現れたのだろう。しかも、急速に進行した状態で。

 

「もはや私は助からん。人里の者には上手く誤魔化しておいてくれ。頼む」

 

 黒目が揺れながらも、命は一度も紫から目をそらさなかった。

 言いたい事はある。なぜこんなになるまで何も言わなかったのか。語りたい事はある。幻想郷の神はただ一人なのだと。伝えたいことがある。そんな事は不可能だと。人里の人間の希望である命がいなくなることなど、到底誤魔化せるはずがない。

 それでも、それでも紫は叶えなければならない。そう思ってしまった。すべてを捨ててまで命は託したのだ。紫に。ならばそれは受け取らなければならない。妖怪としての矜持ではない。八雲紫という存在であるために。

 

「分かったわ」

「そうか。では私は寝るとしよう」

「「え?」」

 

 深刻な様子であったというのに、急にけろりと態度を変えた命に、二人は思わずといった具合に間抜け面をさらしてしまった。

 

「なんだ、変なものを見たという顔は」

「えっ? いや、だって」

 

 紫と藍の二人が顔を見合わせるのだが、当り前だろう。今までの会話はどう考えても、今際の言葉としか捉えられない。そこまでいかなくとも、もはや後がないような言い方だった。それなのに、とうの命は先ほどより力強くなった声で明るい風に言った。

 

「まさか、このまま私が死ぬとでも? そもそも天津罪は一定の周期で急速に症状が進行する病だ。一気に症状が進む代わりに、それ以外の時は特に変わらずにいられる。ああ、ついでに私の部屋から私物を持ってきてくれ」

 

 その話を聞いて、二人は肩を震わせていた。一体何の為に、自分たちはあんなに慌てたのだか。

 

「この、莫迦筋肉男!!」

「あ、待ってください。紫様!!」

 

 いつも手に持っている扇子を命めがけて投げつけ、紫はスキマを通じてどこかへ消えて行った。後を追うように、藍もまたスキマを通じ、恐らくは主を追いかけたのだろう。家から消えてしまった。

 それを見送った命は、咳をした。

 

「阿呆。そんな都合の良い病がある訳ないだろう」

 

 その掌にはべっとりと血の塊がついていた。

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