もう太陽が高く上っている真昼間だというのに、あちらこちらで生えている茸が吐き出す魔力によって霧が出て、視界がいつも薄暗い魔法の森、その入り口に比較的近い場所に、霧雨魔理沙の家が建っていた。いつももくもくとせわしなく、魔力を多く含んだ煙を立ち込めさせる煙突は、今日はまだ何も吐き出していない。ここ数日は珍しいことにほとんど使われていなかった。
「こんにちわ~」
物音一つ立てず静まり返っている魔理沙の家に、コウモリの羽に良く似た翼をパタパタと揺らし、小悪魔が訪れた。しかしいくら扉の前で待っても返事は返ってこない。少しだけ困った顔をして、すぐに人差し指が軽く振られた。勝手知ったる何とやらというべきか、鍵がかかっているはずの扉は歓迎するかの如く自然と開いた。今は小悪魔と呼ばれているが、その本性はソロモン72柱の悪魔の一つ。盗賊を助ける力を持つ悪魔である。鍵を開けて民家に侵入する事など、赤子の手をひねるがごとくでお茶の子さいさいであり朝飯前なのだろう。
足を踏み入れた瞬間、そのにこやかな笑みは固まってしまった。
「こんな汚くして!」
至る所に様々な実験道具や、実験に使ったであろう材料が散乱している床を見て、小悪魔はため息をつくと近くに転がっていた箒(魔理沙が普段空を飛ぶのに使うものではない)を拾う。それをしばらく眺めた後、一度大きくうなずくと床に散らばったものを拾い始めた。そのまま楽しげに鼻歌を歌いながら部屋を片付けるその姿を、もし地獄の同僚が見たら驚きの余り暴れまわるだろう。あの悪魔がこんなことをするなんて、と。
「~~~♪」
悪魔という種族が歌っているとは思えないほど透き通っている歌声は、魔理沙の家で教会の鐘のように清々しく響き渡る。美しく子供を寝かしつけるかの優しげな小声で歌われる歌は、眠っている魔理沙にも聞こえたらしく、その寝顔をさらに安らかな、気持ちよさげな顔へ変え、より深い眠りに引きずり込む。
普段ならば魔理沙はすでに起きていて、尋ねに来た小悪魔を追い帰しもしただろうが、異変の解決をするのに疲れ切ったのと、魔力を完全に使い切ったせいか、あの『紅魔異変』から数日が経ってもこうして回復に努めなければならなかった。
魔理沙が寝込んでいる事を知った小悪魔は、何を思ったのかパチュリーから休みをもらい、こうして家を訪れていた。そうして今家中をピカピカに磨き上げている。家中汚れるままにされていたというのに、小悪魔が通ったあとは染み一つ存在することは許されない。ゴミがあふれているとまでは言わなくとも、幾らお世辞を言っても片付いているとは言えなかった魔理沙邸はすっかり小悪魔の手によってきれいになった。
それに満足した小悪魔は、今度は家の裏手に生えていた食用の茸を使い、時間的に言えば昼食であり、魔理沙にとっての朝食を作りだす。もはや悪魔ではなくブラウニーか何かなのではないだろうか。後ろ姿はコウモリの羽さえ無視すれば、もはや優しい品のある母親にしか見えない。名乗るべき種族を間違えているようにしか感じられない。
「おはよう、お母さん」
だからだろうか。寝ぼけまなこのまま、魔理沙は部屋から出てきて小悪魔へとそうあいさつした。寝ぼけているせいか、どこか声も舌足らずで、普段の活発な彼女の印象がくつがえる。らしくないその挨拶に、小悪魔が芽生えた悪戯心から「ええ、おはよう。魔理沙」と声だけは母性溢れ、顔はいやらしさ満開の笑みで返した。
しばらくして洗面場について顔を洗う頃に、魔理沙もようやく頭が回り始めたのか、鏡の中で顔を真っ赤にし震えだす。
「あ、ああ、ああああ!!」
「起きたばかりに騒ぎすぎですよ。血圧が上がりすぎて倒れちゃいますよ。ほら、ご飯が出来たんで食べてください」
震える魔理沙が発す奇怪な言葉をよそに、着々と皿を並べ、他の家事を片付けていく小悪魔。そんな彼女をよそに、バタバタと廊下から慌ただしい音がし、扉が勢いよく開く。
「何でお前が私の家にいるんだ!!」
ドスリと豪快な音を立てて、キノコと小悪魔特製トマトソース和えパスタにフォークが突き刺さる。突き刺した本人は、不愉快なことを隠すつもりもないのか、荒々しく口にパスタを運んでいく。
「もう。そんなに怒らないでくださいよ」
「怒っていない」
そういう人間は往々怒っているものだ。
がつがつと食を進めていく魔理沙を眺めながら、小悪魔は手を叩いた。
「そうそう。さっきの質問に答えないといけませんね」
「あん? さっきの質問?」
「おや、忘れていますか? 私がこの家にいる理由が知りたいのでしょう」
「ああ、そうか。そうだな。何でお前が私ん家にいるんだよ」
小悪魔の言葉に最初疑問を浮かべていた魔理沙は、話を始めてすぐに自分の言葉を思い出し、納得顔になった後、また疑問符を頭に浮かべた。
「簡単な事ですよ。今日来たのは、私が休みを取って、魔理沙さんの看病をする事にしたからです。パチュリー様、魔理沙さんの事を話したら、顔を赤くしていましたよ」
「このこの」と言いながら、尻尾で魔理沙をつんつんとつつく小悪魔。それを鬱陶しそうに払い続ける魔理沙は、しかしその本意を掴む事が出来なかった。
「顔を赤くしていたって、何か病気にでもなっているのか? 薬位なら私も作ってやれるぜ?」
「あー、そっち行っちゃいましたか」
見当はずれなその言葉に、小悪魔はため息をつくがすぐにまた元のテンションに戻り、魔理沙の瞳を覗きながら言う。
「まあ、怪我を早く治してパチュリー様に会いに来てください。パチュリー様も楽しみにしているんですから」
結局今日一日小悪魔は魔理沙の面倒を見るつもりらしく、行く先行く先で一緒の姿が見られた。何とか
客を招こうとする活気立った喧騒をよそに、魔理沙は迷うことなく道を進んでいく。あまりの雑踏に流されかけながらも、小悪魔は必死についていく。たどり着いたのは一軒の家だった。家とは言っても、他の人里の家々とは比べ物にならないほど立派だ。里の家は茅葺き屋根だが、この家だけは瓦で拭いている。また、屋根には贅沢な細工を施された四神がおかれ、見えない悪意を追い出しているかのようだった。
人里にはいくつか特別な建物がある。例えば稗田の一族が住まう屋敷であったり、上白沢慧音が教師として働いている寺子屋などがそれにあたる。そしてその中で最も特別で、人里の人間から一番大切にされている屋敷がある。それこそが素戔命の家だ。六十年に一回建て直すその屋敷は、前回の建て直しから大分時間が経ったせいか、至る所に生活の汗が染みわたっている。
ときたまこうして魔理沙や色んな人たちが訪れて、相談事をする為か基本的にこの家は鍵がついていない。まあ、そもそもこの家に盗みに入ろうなどという大馬鹿者はいないのだが。今日魔理沙がここに来たのは、ある事を知りたかったからだ。
「あれ、おっかしいな。命の奴、いないのか? あの異変の時の事詳しく聞き出そうと思ったのに」
魔理沙も関わった異変。しかしその最後が一体どう終決したのか分からない。完全に気を失っていたために。目が覚めたら小悪魔の顔が額にくっつきそうなほど近くにあり、叫んだ事だけしか知らない。
決着が気になりわざわざ来たというのに、普段開いているはずの扉は固く閉ざされている。呼びかけるなど様々な方法を使い、命と会おうとしたのだが、返事もなくそれどころか生命の気配もない。小悪魔がカギを開けようかと提案したが、最終的に家の中に命がいないと判断した魔理沙はそれを断わり、博麗神社に向かう事にした。霊夢ならば、神社に必ずいるはずだろうと思ったからだ。
屋敷を後にした二人はすぐに空を飛び、博麗神社を目指した。ただ幻想郷でもかなり速く空を箒で飛べる魔理沙と、今の小悪魔では速度差に厳しいものがあり、あわれ小悪魔は蟲のように羽をはばたかせるしかなかった。
必死になって後を追いかけている小悪魔に気がつきながらも、特に気にかけることなく神社の上空から霊夢を探す。
「お~い、霊夢!」
巫女はいた。紅白の縁起色に腋が大きく開いているという珍しすぎる巫女服で、箒を持ち境内を掃いていた。仕事がないのだろうか。神職というのは年中儀式で忙しいはずなのだが。しかしこの神社はもう幾年も前から何の神を祀っているのかすら分からなくなっているので、それはそれで良いのかもしれない。信仰を失った神は消えていくだけなのだから。いない神に祈りをささげても無意味というものだろう。
「あら、魔理沙じゃない。それに
可愛らしくこてりと首をかしげる霊夢に、すっかりくたびれて汗だくになった小悪魔を紹介する。
「ああ、あいつか。小悪魔って言われている。紅魔館の図書館にいたんだ」
「図書館? 見かけなかったけど」
「そりゃ単にお前が見ていないからだろう」
「それもそうね」ともう気にも留めなくなったのだろう。霊夢はそれ以上とやかく小悪魔の事を聞こうとしなかった。
「ふうん。まあ、良いわ。それで何の用?」
「いや、この前の異変有ったろ。あの異変で最後の方私は気を失っていたからさ、どういう風に決着ついたのか知りたいんだぜ」
「ああ、そういう事」
縁側に座り込んだ霊夢の横に魔理沙、小悪魔と順々に並んで座り込んでいく。
「そうね。私が知っているのはレミリアを倒した後、命と門番の戦いが終わった事を人づてに聞いた程度ね。それ以外は知らないわ」
「相も変わらず、お前は命に対して他以上に興味を持たないな」
あきれた魔理沙の一言に、霊夢は憤慨やるかたないと言い返す。
「あら、だれだって自分の事を否定されたら怒るでしょう。博麗の巫女ではないと否定されたあの日を、私は一日たりとも忘れたことはないわ」