分厚く重苦しい灰色の空から白い綿のような柔らかい雪がしんしんと舞い落ちる。茅葺きの屋根の上にはずっしりと圧し掛かって家を潰そうとし、地面を少しほの暗い白で覆ってしまう。幻想郷は見渡す限り銀世界に包まれていた。
歩くのも難儀する中、人里では朝早くから総出で雪下ろしがなされ、男たちは鍬の代わりにスコップを手にして雪かきを励む。潰れかかっていた家々はようやく重みを下ろされ、白一色だった地面はひょっこりと凍った地肌を晒していく。
せわしなく人々が積もる雪をえっちらこっちらとかき分け右往左往しているように、人里から離れた山の頂上近くにある博麗神社でも、境内を除雪している人物がいた。紅白色の腋が開いているという独特な巫女服を着て、髪を赤い布でまとめている博麗霊夢だ。
博麗神社の境内は人里と同じようにすっかり雪景色に侵され、膝まで埋まってしまうほど雪が積もってしまっている。何度か足を取られそうになりながら、霊夢は雪かきを続ける。まだ新しい上辺の方にある柔らかい雪は軽くてすんなりと退かせるが、下にある雪はスコップを使って無理やり削っていく。雪自体の重さで固まってしまったのを掘って退かすのは重労働で、まだ二十歳にも満たない、それどころか十代前半の霊夢にはかなり体力や筋力的に辛いものがある。
しかし博麗神社には霊夢一人しか住んでおらず、一人でどうにかしないといけない。ぐちぐちと文句をこぼしても、手を休めることなく雪を掘る霊夢の体を汗が伝い、吐息は白く天に昇っていく。途中で雪を掘るのを止めて、額で光る汗を拭ってはまた作業に戻る。それをせっせと繰り返し続ける。
もしかしたら奇跡的に参拝しにくる人間がいるかもしれないという一縷の望みを持って。しかし積もった雪を掘っているうちに、せっかく掘り終えた場所をうっすらとだがまた雪が積もり始めてしまう。ため息をついて彼女はまたそこを掘り起こす。幾度もそれを繰り返すうちに、丁寧に掘っていたのがだんだんと荒々しくなっていく。
暫くの間際限なく降る雪と格闘していた霊夢だが、面倒になったのかそれとも次第に体が冷えて寒くなったのか、粉雪交じりの風が吹くと、体をぶるりと一度震わせ、雪かきに使っていた箒や道具を元有った場所に戻して、縁側で体を一しきり拭いて風呂場へ足早に向かう。風呂場につくと、霊夢は近くの壁にある絡繰りをポチポチと操作してから居間の炬燵へ逃げ込んだ。
「うう、さむさむ!」
寒さで震える体を温めるために入った炬燵ではあったが、一度入ってしまうといかに霊夢と言えどその快適さから外へ出る事が出来ず、しばらくの間だんまりと温かい炬燵の中で体を震わせていた。外では風が強くなり雪が舞うさまが障子に影法師として映る。その影をぼんやりと眺めながら、霊夢は段々と体が温まったのか、震えるの止めて顔を緩やかに蕩けさせていく。体が段々と前かがみになり、とうとう額が炬燵についた。
「今日は境内を掃除しなくても良いわよね。こんなに寒いんだもの、神様だって許してくれるわ」
うんうんと頷いて、自分勝手な結論に満足した霊夢はそのまま炬燵の上に置いておいた蜜柑に手を伸ばす。炬燵の熱で少ししなび始めているが、それでもそのオレンジ色は霊夢を引き付けてやまない。一つ食べてはもう一つと、甘酸っぱい香りを漂わせる蜜柑の皮の山が霊夢の前に築かれていく。最後の一個に霊夢が手を伸ばした瞬間、
「お邪魔するぜ、霊夢!」
庭に面している障子が勢いよく開け放たれた。そこにはいつもの黒い三角帽子を被り、珍しく首元を襟巻で覆った霧雨魔理沙がいた。
「いやあ、大変だったぜ。寒くて寒くて。下手に飛ぶと体が凍えちまう」
バサバサと、魔理沙は肩や帽子に被った雪を庭へ落とす。開け放たれた障子から吹き込んでくる寒さに、せっかく温まった体を震わせてジト目でにらむ霊夢を無視して、あらかた冷たい雪を落とし終えた魔理沙は炬燵へ滑り込み最後の蜜柑を確保して剥き始める。
「ああ! それ、最後なのに!!」
「良いじゃんか、それくらい。そんなケチケチすんなって。それに私が食べたほうが、蜜柑もうれしいだろうぜ。何せ、一人でそんなに食べているんだからな。腹の中がパンパンなやつより、腹をすかしているやつが食うべきさ」
霊夢の前にある蜜柑の皮の山を見た後、魔理沙は視線をずらし霊夢の腹を見てくすりと笑う。
「あんたね!」
寒さとは別の理由で肩を震わせ、霊夢は魔理沙に飛びかかった。
「ああ、生き返るわ~」
「本当だぜ」
二人は今、神社にある風呂で、湯気が沸き立つあっつい湯に入っていた。
幻想郷の風呂は基本的に五右衛門風呂式だ。薪をくべて燃やし、水を湧かす。薪の火を見る必要があり、本来そう簡単に風呂に入れない。しかし、博麗神社の風呂は違う。先々代の博麗の巫女はとにかく風呂好きで、ある時絡繰り好きな妖怪に頼み込んで風呂を快適に、毎日入れるように改良してもらった経歴がある。今でも博麗神社の風呂は、他の人里の風呂と違って、燃料さえ用意しておけば後は全自動で風呂を沸かし、湯の温度を調整してくれる、何とも便利な風呂になっていた。その恩恵はこうして今二人が体感していた。
「白々しい。どうせ、うちのお風呂に入りたいから来たんでしょうに」
「ばれたか」
はにかむ魔理沙をよそに、霊夢は雪かきで冷えて固まった体をほぐすように伸ばす。ピリピリと皮膚が痛むが、それがまた何とも言えない心地よさで、酷使した霊夢の体と心を癒す。ヒノキの浴槽に体を預け、力を抜く。幻想郷一の風呂好きだったといわれている先々代が愛用した風呂らしく、至る所に様々な工夫やこだわりのあるこの風呂は、自分というもの晒す事のない霊夢が、素でいられる特別な場所であった。
「まあ、良いわ。魔理沙だもの」
「そりゃあどういう意味だよ」
「そういう意味よ」
力なく魔理沙は上の空で返答する。霊夢の答えもこの様子ではもう忘れているだろう。巫女と魔女。神に仕える聖なる女に、悪魔に魂を売り払った魔性の女。相反する存在なのに、こうして一緒に風呂に入るという滑稽さに、霊夢は魔理沙にばれないようくすくすと笑った。
ひとしきり笑い気が済んだ霊夢は、わずかに空いている換気用の窓から額へ落ちてきた冷たい雪が降る雲をそのわずかな隙間から見つめる。
「はあ、気持ち良いわ。……それにしても、いつまでこの雪は降るのかしら?」
「そんなもん、雲にでも聞け」
「それもそうね」
「それにしてもこれに酒がつけば文句なしなんだがなぁ」
「だったらお金でも払いなさい」
もう春が近く、例年ならば雪は降らないというのに、いつまでも振り続ける雪に霊夢のうなじのあたりがチリチリと泡立った。
おぼろげな月明かりが地上を照らす。あれ程厚く幻想郷を覆っていた雪雲は、どこかに消えていた。
山から吹き付ける山おろしはどこか肌寒くおどろおどろしい。それは当然だろう。今は草木も眠る丑三つ時。人は寝て、妖どもが跋扈する刻。しかし、人が眠っているはずのこの時間、二つの人影が暗闇の中にあった。
そのうち一つの影はススキ草原を縦横無尽に駆け巡っている。その影は人の目では追い切れぬほど速く、その後を追うには倒れたススキを追うしかない。雷の如き速さで突き進んだかと思えば、毬の縁のように円を描いてススキが倒れる。サササとススキが擦れ、折れる音があたりに空しく響く。
月と星明り以外に光のない世界に白銀の閃光が煌めく。一つ、二つ、三つ……。閃光のように輝く白銀は速度を増し、いつしか世界そのものを埋め尽くさんとばかりに、白銀の光は踊り狂い闇を埋め尽くす。
白銀の光が突如消え去る。すると膨らんだ何かから水が勢いよく飛び出す音があちらこちらで一斉に鳴り響く。そして影は止まった。はためくススキの中で、ただ一人月明かりを真上から一身に受けて、少し前までは影しか見えなかったその少女は立っていた。幽鬼のような白が肌と髪を鮮やかに彩り、冥界から逃れてきた美しき穢れのない玉肌を卑しき人目から阻むように、緑色のスリーブの服と、人知れずひっそりと桜を縫い付けられたスカートで隠している。二つの瞳は亡霊のように冷たい。その瞳を覗きこんでしまえば、心の臓が凍えてしまうほどに。
彼女は、一度くるりと右手で持つ物を一回転させた。何か生暖かいものが辺りのススキに飛び散り、先ほど消えたはずの白銀の輝きがまた現れる。
「あらあら、ずいぶんと腕を上げたわね、妖夢」
「いえ、まだまだです幽々子様。私程度では、このくらいしかできません。お爺様なら、もっと早くことを終えていました」
「そうかしら? それほど強くはないとはいえ、妖怪百匹を斬り捨てて返り血ひとつ浴びないなら十分というものよ? それに、ここで戦いを始めてからまだ四半刻も経っていないというのに?」
「はい、まだまだ私は未熟です」
扇子で口元を隠し、もう一人の人影がその姿を見せる。そこにいたのは、白玉楼の主である西行寺幽々子。死んでいるから当たり前であるが血の気の通わない頬は、珍しいことにうっすらと紅がさしていた。吐息は熱く、上品なしぐさと相まってなまめかしさすらある。
幽々子が踏み入った薄草原に山おろしが吹き込み、倒れ込むススキからわずかにではあるが、地面に倒れ伏したそれらの無様な面を晒した。うわん・がしゃどくろ・がごぜ・こだまネズミ・狂骨・狗神・肉人・一つ目小僧等々。それらがススキの上で血を流して無残にも死んでいる。
全ての妖怪が、一刀の元で命を絶たれている。どれほどの技の冴えがこの神技をもたらすのか。倒れ伏している妖怪の切り口をつなげれば、今にもまた元のように繋がり、動き出しそうですらある。滑らかなその傷口から零れ落ちていく、暖かな鉄臭い血を眺めながら、魂魄妖夢はその刃をようやく鞘に収めた。
それを横目で見た幽々子が手に持つ扇子を横にゆっくりと振るうと、何かが亡骸からこぼれ出る。桜色をした蝶のような姿をした何かだ。その蝶が飛び交う場所は、雪が連日降る幻想郷とは思えぬほど暖かだ。
冷え冷えとした眼で、妖夢は蝶が飛び交うその蠱惑的な火を見つめていた。主である幽々子が今にも飛び出しそうになるほど夢中なのとは対照的に、妖夢はその蝶に興味を示していない。それどころか、今自分が斬り捨てた妖怪たちに注視している。
「貴方達が死んだのは私の勝手です」
ぽつりと薄い色合いをしている口から洩れる。確かに主の命で魂魄妖夢は斬った。しかしそれはただの言い訳だ。単純に妖夢が妖怪を斬りたかっただけ。自身の実力を確認し、より高めるために。その為に主の命を利用した。殺す必要は本来なかった。精々、動けない程度に痛めつければ良かった。しかしそうしなかった。せっかく生きている存在を斬れるのだ。その機会をふいにはできなかった。
「私は誰かの手を取ることなど出来ず、結局剣を振る事しかできないのでしょう」
かくして、異変は静かに起こり始める。今は誰にも知られないそれは、春先になり分かることだろう。そこで戦うのは、巫女か魔女か、あるいは病に侵された神か。それは誰にも分からない。運命の神などは存在しないのだから。