風が吹き、砂ぼこりがまう。人が十人ほど輪になってもまだ足りないほどの巨木の枝を揺らす。揺さぶられた枝先についていた桜の蕾が、ぷつりと切れて落ちていく。頼りなくあちらこちらへ流され翻り落ちていくさなか、バラバラに分かれた花びらのひとつは宙を頼りなく舞い続け、木の根もとに倒れている命の背中に止まった。花びらは動かない。
うつ伏せに倒れていた命の横から手が伸びた。膝へ頭を運び仰向けへ寝かせ、幼子へ向ける様な微笑みを彼に投げかけその髪を梳いている。淀み始めた目を他人から隠すように、白くほっそりとした手を優しく瞼の上に置いた。命を抱えているのは青を基調とした白いフリルをあしらった和服を着ている西行寺幽々子だ。亡霊という元が人の種族である彼女は思う所があり、死した命を慈しむかのように、その瞼を閉ざした。
「ここは白玉楼。死した魂が一時の安らぎを与えられる場所。でもこの人は安らぎを求めるかしら。貴方達はどう思う。とはいっても、それが分かるのは故人だけ。だから残された私たちは、その思いを想うしかできないの。哀しいことだけれども。さて、私はこの白玉楼の主、西行寺幽々子。この異変を起こした者よ」
立ち上がった幽々子は、いまだ命の亡骸から目を離せない二人へ向かって話しかけた。毅然とした態度は普段の飄々とした彼女らしくない。
声をかけられたことでようやく幽々子に魔理沙は気が付いた。目を見開いたまま彼女へと顔を向ける。
「そ、そうか。な、なあ早く命を放せよ。どうせ命の事だ。苦手な弾幕ごっこを無理に挑んで負けたんだろう。いくら気絶しているからって、地面に寝っころがらせるわけにもいかないだろう」
声が震えて、何度も口籠りながら魔理沙はなんとかそう
「現実を見なさい。素戔命は、死んでいるわ」
「うそ、うそウソ嘘だ。そんなはずないだろう。あの命だぞ。魅魔様と闘っても傷を負うこともない命なんだぜ。なにがあったら死ぬんだよ」
口を閉じることなく矢継ぎ早に魔理沙は言葉をつく。肩を怒らせて、握り拳に力を込めた。それを見て、幽々子の眉が吊り上る。彼女は袖から取り出した扇子を魔理沙へ突き付けた。
「いい加減にしなさい! それは彼を侮辱するものよ。彼は死ぬまで戦ったのに、貴方達がそれを否定してどうするというの」
一歩、二歩と魔理沙は後ろへ下がった。頭を抱えて何度も横に振る。
霊夢は二人の問答を聞きながら、俯いていた。
首を振るのをやめた魔理沙が瞳孔を細ませ、幽々子を睨む。
「おまえが、おまえがころしたのか」
平坦な何もない魔理沙の糾弾する怒鳴り声に、幽々子は見るに忍びなく目を瞑り頭を振った。
「いいえ。彼が死んだのは誰のせいでもないわ。それでも誰かのせいにするなら、それは彼自身のせいよ。その身を蝕んでいた病を理解しながら、それでも一人無理をしてきた命がすべて悪いわ」
病。そんなこと魔理沙も霊夢も知らなかった。それどころか幻想郷中を探しても知るものなど数えるほどもいない。その事を本人から知らされていた紫と藍、そして病を見抜いた幽々子だけしか。だからこそ、魔理沙は振り絞った声で大げさに笑いだした。
「は、ははは。言うにおいて病気だぁ。命は病気知らずで有名なんだぞ。私の先祖が病気で死んだって話は聞いても、命が病気になったなんて一度も聞いたことないぜ。やっぱり命が死んだなんて大嘘じゃないか」
「それは違うわ。少なくとも何千年も命の体は病に蝕まれていたはずよ。私があった頃にはすでに死相が浮かんでいたわ。ここまで来たとき既に彼は限界を迎えていたの。肉は腐り、骨は脆く、血は濁り、それでも彼は苦痛に耐えて戦おうとしたわ」
「そんな、うそだ。だって、そんな。命が、命が病気なんかで死ぬわけが」
「事実よ。私は彼に何もしていないわ」
魔理沙の目から涙がこぼれる。泣きじゃくった。いっそみじめったらしいともいえる泣きっ面をして。魔理沙は自分を抑えることなど出来なかった。
そのみすぼらしくも情に溢れる顔を見た幽々子は、足元の命を見て悲痛な面持ちを晒す。これほどまで慕ってくれる者がいたというのに、彼は何者も信じなかった。もし誰かを信用していたならば、少なくともこんな冥界で死ぬことはなく、人里で大勢の人間に悲しまれながら死ねた。そう思うと、哀れで仕方がない。
「貴方はひとりぼっちだったのね」
魔理沙のすすり泣く声が寂しく響く。死者を悼むその声は、決して消えることなく冥界中に広がる。
「ふざ、けんじゃないわよ」
ぽつりと霊夢が体を震わせて言った。誰にも聞こえなかったその言葉を、今度は顔を上げて叫んだ。
「ふざけんじゃないわよ!」
彼女は泣いていた。魔理沙よりも激しく強く。
霊魂が無くなった命の肉体を見て、その両の眼から涙を滂沱の如く流していた。
霊夢はただ命の亡骸だけを見ていた。彼女自身の勘が告げている。もう素戔命はこの世にいない。それが分かっても、霊夢もまた魔理沙と同じくそれを受け入れる事が出来なかった。
「違う。そんなことある訳ない。まだ私は……、私は……」
頭を振って目の前に横たわる死体を拒絶しようとする霊夢だが、それすらも霊夢の能力は許さない。強制的にその恐怖から浮かび上がらせ、現実を認識させようとする。その認識自体が恐怖であっても。
嫌だ。その一言が霊夢の脳内を埋め尽くす。
霊夢が一度も感じたことのない熱が生まれる。体が熱く、抑えようとすると内側から破裂しそうになり、それが口から吐き出された。
「なんで死んでいる。なんで、生きてないのよ」
霊夢はがなり立てた。必死になって命へ問いかけるその姿は迷子になった幼子のようで、見ている方がいっそ
博麗の巫女の豹変。それは幽々子とて驚かずにはいられない。しかし誰よりも驚いたのは魔理沙だった。親友だと思っていた霊夢が泣いている。他の何も見えないほどに。信じられなかった。何よりあれだけ敵視していた命の死に憤り駄々をこねるかのようにそれを認めようとしない、博麗霊夢らしからぬその姿にいつの間にか魔理沙は泣き止んでいた。
霊夢は命へ向かって小刻みに揺れる手を伸ばす。その手は何かを求めて掴み取ろうとしている。怯えきった表情をしたまま。
「私はまだあなたに認められていないのに……!」
ある年の春、博麗神社は悲しみに包まれていた。
春というのに降りしきる雨は冷たく、神社を訪れている人々を容赦なくいたぶる。しかしだれもそんな事は気にしていない。ただ顔を伏せ涙をぬぐうか、目頭を押さえるか、あるいは嗚咽を抑えようとするだけだ。彼らは行列になり、博麗神社を出発した。人里の人間全員が列をなし、道という道をすべて踏破する。黒い行列は物言わず進み続けた。たどり着いたのは小高い山の頂上。幾人かの若い男たちが地面を掘りだす。深く、深くどこまでも。ようやく堀り終えた穴は一人が入れるだけの大きさがあった。
行列の中央から白木の棺桶が穴の前まで運ばれてくる。それを担いだ男たちは丁重に地面へ降ろす。蓋を開けると小奇麗な死に装束を着せられた、少し皺が出始めた女性が横たわっている。桶へと移し、穴へ静かに下された。上から人々が地面をかぶせていく。
最後までそこにいたのは三人だった。一人は幼い少女で、その横を八雲紫と素戔命が立っている。二人は目を瞑り、過去に思いをはせていた。
しかしいつまでもそうしている場合ではない。紫はスキマから傘を取り出して、開く。
「さあ、帰りましょう霊夢」
こくりと、母が死んだということをまだ完全に理解しきれていない少女は、八雲紫に促されるがまま神社へと帰っていく。一人立ちできるまでは八雲が後見人となる事は、人里の代表者や命と話し合って決まった事だった。
「少し待て、スキマ」
「……なにかしら」
「あとで話がある」
「分かったわ。ただ夜にして頂戴」
「ああ」
少女が眠った事を確認した紫は起こさないように布団から這い出て、命が待っている隣の部屋に入った。先ほどまで少女を眠りつかせていたせいか、少し服がはだけているがそれを手早く直して、紫は命の対面に座る。
「待たせたわ」
「構わん。あの子が新たな巫女か」
「不満でもあるのかしら」
「……ある」
珍しく歯切れが悪い命は、自身で用意しておいた湯呑を口につけた。
「それはあの子が巫女になるということが不満、ということでいいかしら」
「そうだ。あの子は巫女になるべきではないと私は思う」
「そうかもしれないわ。だけど仕方がないでしょう。巫女になれる人間はほかにいないんですもの」
悲しみに暮れていたのは人里の人間だけではない。この二人もまた亡くなった博麗の巫女とは親交があった。だから二人は気が付けなかった。それこそ普段であれば必ず気が付いただろう事に。
博麗霊夢は二人の話を聞いていた。ぬくもりを感じ取れなくなり、無意識のうちに母を求めた彼女は目を覚ましていた。聞こえてきた話し声が気になり、ふすまを開けて小さな隙間から覗き込んで。
先代の博麗の巫女を失った悲しみも、苦い酒で無理やりに飲み干せられるようになるほどの時間が過ぎた。
博麗霊夢は人々から拒絶されていた。先代が優秀だったこともある。しかし何より一番大きかったのは、命が先代と違う対応をしたことだ。先代が巫女を務めていた頃、命は良く神社で様々な話し合いを行った。小さい事から大きな事を。しかし霊夢の代になってから命は神社へ通う事をやめた。それが人里に与える影響を意識せず。
命は本人こそ神でないと考えているが、他者からすればまさしく神である。それだけの存在が巫女を頼らないということは、巫女を認めていない。そう人里の者は捉えてしまった。もちろん命にそんな意図はなかった。霊夢が巫女をしていることも、納得こそしていないが理解している。人知れず支援すらしていた。だがそれは誰も知らない事。気づいた時には、人々に根付いたその考えは治すことが出来ないところまで行きついてしまっていた。
巫女である霊夢への不信は博麗神社へも向けられる。元々祀っている神の名前すら定かではない博麗神社は、その信仰を巫女が一手に引き受けているともいえる。その巫女が信仰されなくなったら荒れていくのは自明の理だ。
先代の頃には少ないといえいた参拝客も、霊夢の代には来なくなってしまった。一人で生きていけるまで成長した霊夢は、いつも一人だった。
鳥居が見える賽銭箱の前に座り込み、誰か来ないかと待ち続ける日々。いくら待っても誰も来ない。成長したとはいえ未だ幼い霊夢にとってそれがつらくないはずがない。必死になって神社に人を呼び込む方法を考えた。
誰かが来ないのは自分がまだ頼られるほど強くないからだと考え、霊夢は努力を重ねた。博麗の秘術をいくつも覚え、神事を執り行い、幻想郷へつくした。それでも、誰も来ない日々に変わりはない。
霊夢は日が経つにつれて荒んでいった。ひがな一日空を眺めるようになり、その瞳からは感情が色あせていく。そして物思いにふけるようになっていった。誰にも知られず霊夢の心は孤独に押しつぶされていった。
一人は嫌だ。それが霊夢の心を埋め尽くす感情だった。
だったら、だったら浮けばいい。そう幼い霊夢が考えたのも無理がない。嫌な事から逃げたいと思うは当然だ。
一人が嫌なら浮けばいい。そう思う感情からも、すべての事象から浮けばいい。そうすれば嫌なことなんてなくなる。それが霊夢の心となり、『空を飛ぶ程度の能力』の大本へなった。誰もが望まない方向へ、霊夢は変わってしまう。
それでも満たされる事はなかった。だから探した。心が満たされる方法を。
誰からも拒絶される自分を認められるにはどうすればいいのか。人里の人間は巫女でないと否定する。巫女であれば否定されない。ならば巫女になればもう否定される事はなくなる。そう考えたのは当然だ。博麗の巫女たれ。彼女にはそれしか残らなかった。
博麗の巫女として認められれば、もうあんな孤独を感じなくていい。そうなればきっと幸せになれる。
紫が育ててくれたのは、巫女となる予定だから。お母さんが私を産んでくれたのは、巫女にするために。人に認められないのは、まだ私が巫女とは言えないから。
博麗霊夢は巫女にならなければならない。そう霊夢は思った。
――なら巫女になるにはどうすればいい。
「ああ、簡単なことじゃない」
幼き頃自身を巫女として否定した素戔命に認められる。それが博麗の巫女として認められることだと霊夢は思った。
巫女として存在すれば、私は生きていい。存在していい。それを証明するために、完璧な巫女になろうとした。では完璧な巫女とは一体何だ。自問自答の末、聡明だった霊夢はその解にたどり着いてしまう。
巫女は神の言葉を告げる者。すべからく公平でなければならない。
だからすべてを公平に接しようとした。彼女にとって幸福で不幸なことに、能力がそれを手助けする。すべてから浮いてしまえば、善悪、好き嫌いなどに捉われることはない。
しかしそれは不完全だった。どんな能力だって完璧ではない。歪といえ霊夢は人の子供だ。感情から逃れられるはずもない。頼ってくれればうれしくて仕方がないし、自分を傷つけている元凶である命を嫌いもする。しかしそれでは公平でない。悩みは霊夢の苦悩をさらに大きくしてしまう。
だから霊夢は命を求め続けた。たとえ憎くて仕方がなくとも博麗霊夢にとって、命に認められる。それで彼女のすべてが報われるから。
「起きてよ。起きて私を見てよ。博麗の巫女って、認めてよ……。ねえ」
命は目を閉じたまま霊夢の事を見ない。当り前だ。既に命は死んでいる。死者は生者と語り合えない。霊夢は永遠に救われる機会を失ったも同義だった。
「ああ、あああ。うああああああ」
すべてが流れていく。霊夢にとって生きる意味だったすべてが。目じりから流れ落ちるそれは冥界の乾いた砂へ際限なく吸い込まれていく。
だが、それでも霊夢は未だ縛られ続ける。博麗の巫女という役割に。巫女でなければならないという強迫観念は、何もかもを失った霊夢を突き動かす。涙で前も見えないというのに、霊夢は幽々子へ向かって飛ぶ。巫女として異変を終わらせる。その為だけに。
流れた涙が魔理沙の頬へあたった。その涙が冷たくて、彼女は悲しくなった。
ずっと魔理沙は霊夢に憧れていた。自分にはない才能を持っていて何事もそつなくこなし、いつも前を飛ぶその姿を追いかけ続けた。しかし何度手を伸ばしても、その背には掠る事すらできず、悔しさに涙を呑んだ事もある。
だが、今の霊夢はなんだ。泣き叫んでいるただの女の子だ。魔理沙は今初めて理解した。霊夢は巫女としては完璧だったかもしれない。だが、人としては不完全だった。霊夢は誰かが止まり木にならなければ、壊れるまで飛んでしまう人間だったと。
「そんなの、そんなの認められるかよ」
だったら、だったらなってやる。私が。浮かび続けようと、飛び続けようとする霊夢を捕まえて離さない止まり木に。いつまでも付き合ってやると。
飛び出した霊夢を追い、魔理沙も箒を最高速で飛ばす。全てを振り切る霊夢へ追いつくために。
「ああああ」
「こ、来ないで」
涙を流してすがるような眼で睨む霊夢に、息を呑んだ幽々子は弾幕で迎撃しようとする。
幽々子を中心に、旋回しながら放たれる弾幕。花が咲き開くかのように、美しい放射状に広がる弾幕は、その美麗さとは裏腹な極悪さを持つ。最初に放たれた弾幕ばかりに目が行くと、少し後に逆旋回で放たれた弾幕を避ける事が出来ない。美しいものにこそ、裏がある。そう思わせる弾幕だ。
しかし今の二人にはその美しさも目につかない。ただ邪魔なものとして目に映る。迫る弾幕を掻い潜り、近づいていく。幾ら弾幕を放ってもこれだけでは足止めにならない事を理解し、幽々子は懐から一枚のカードをひっつかみ取り出す。それ自体に別に意味はないが、相手に告げるという意味では大きな意味を持つカードを。
――スペルカード。
弾幕ごっこにおいて、最も重要と言えるカード。使用したらカードを消費する代わり、普段の弾幕を越える量の弾幕を放つ事が出来るカード。このカードを上手いこと使い、相手を落とす。それが弾幕ごっこという遊びだ。
『亡郷 ―宿罪―』
鋭い楔形の弾幕が霊夢達を外から内へと追い立てる。避けるために移動した場所を挟むように反対側から人一人飲み込めるほどの、レーザー状の攻撃が幾本も襲い掛かる。弾幕の量を減らそうと、何とか隙を見ては攻撃をしている二人だが、芳しくない。それどころか、追い込まれていくばかりだ。
しかしいくら強力なスペルカードといえ、いやむしろ強力だからこそ制限が存在する。時間制限だ。幽々子の放ったスペルカードの弾幕はある一定の時間を過ぎたため終了する。
だがいくらスペルカードを耐えきれたといっても、それで相手の弾幕が終わるわけではない。
幽々子の後ろに巨大な、扇状の一種の霊力で形成された場が出来上がる。それは籠と華の描かれた美しい絵が浮かび上がっていた。紫と朱色で彩られたその扇の様な場から、幽々子が放つ弾幕と共にたくさんの弾幕が放たれる。元々押されていた二人が、それに対処できるはずもなく、とうとう自分たちの攻撃を撃つ余裕すら失われていく。
「あああ」
「おい、霊夢」
「うあああああ」
「霊夢、聞けってば」
そしてなにより一番の問題は、博麗霊夢だった。魔理沙だけだったら何とかなったかもしれない。しかし今の霊夢は気が狂っているも同然で、魔理沙が弾幕から守らなければならなかった。泣きながら我武者羅に幽々子へと近づこうとする霊夢。そのくせ、天性の勘と体にしみついた動きで弾幕をある程度避けられるので、攻撃の激しい地点へと自分から飛び込んでいってしまう。魔理沙が霊夢を守り続けていなければ、今頃霊夢は堕ちていた。動きに精細さを欠いたどころではない。このままでは二人とも落ちるのはそう遠くなかった。
「聞いてくれよ……、霊夢」
「ああああああ」
「お前は、お前は博麗の巫女なんだろう。異変を止めるんだろう。だったらいつまでも泣くな!!」
厳しい言葉だと分かっていても、魔理沙は叫ばなければならなかった。目標が失われたその辛さは分かっている。全てを失った辛さも。家を捨て、家族から捨てられた。何もかも一度は失った。目標としていた師匠である魅魔は、いつのまにか消えてしまった。幾人かは魅魔の行方を知っていたようだが何度尋ねても、一度もその行方を教えられたことはない。それでも魔理沙は飛び続けた。自分の魔法を信じて。飛び続けてきた軌跡を信じて。だからこそ、霊夢もまた立ち直れる。そう信じた。
「あ、ああ。わた、わたしは、博麗の、そう、博麗の、巫女よ」
いまだ泣きながらも、それでも霊夢に魔理沙の声が届いた。その瞳に光が灯り始める。涙を目尻から垂れ流していようとも、いまだ衝撃から完全に立ち直っていなくとも、霊夢は自分を取り戻した。
「私たちが異変を解決するんだよ、霊夢」
「ま、魔理沙。異変を解決する」
「そうだ。霊夢。私たちが解決しなけりゃ、誰が解決するんだ」
おうむ返しをする霊夢に、魔理沙は肩を掴みしっかりとその目を見た。
「頼む、霊夢。力を貸してくれ。私に、お前の力を」
「あっ」
今まで流れていた涙と違うものが霊夢の頬を伝う。目頭が熱くなり、温かい涙がこぼれる。それが霊夢の心の中を満たしていく。魔理沙に、自分を求められている。博麗の巫女として、そしてそれだけではなく博麗霊夢として。
「分かったわ、魔理沙」
袖で涙をぬぐい、霊夢は毅然とした態度を取り戻す。
「頼んだぜ、霊夢」
「任せなさい」
もう言葉は必要ない。今必要なのは異変の元凶を倒すだけ。
『夢符 二重結界』
霊夢の二重結界が周りにある弾幕をかき消し、結界を張る。その強固な結界は、幽々子の弾幕が侵入するのを許さず、すべて結界で塞ぎ留める。時間は出来た。魔理沙が魔力をためるだけの時間は。
「特大の威力だ、喰らいやがれ『恋符 マスタースパーク』」
解除された二重結界から、魔理沙のマスタースパークが幽々子の弾幕を飲み込みながら吐き出され続ける。美しく死へ誘う弾幕も、パワーを信条とする魔理沙のマスタースパークに耐えきれるはずもなく、弾幕など端からなかったかのごとく消え去っていく。すべてを飲み込み壊しつくした魔力の塊は、幽々子をも巻き込み突き進む。
数秒間も莫大な魔力がミニ八卦炉から放出され、ようやく魔力の奔流が終わるころ、白玉楼には大きく長い傷跡が残された。そのえぐれた大地の先に、西行寺幽々子は仰向けに力なく倒れていた。その身から感じられる霊力は残り少ない。それでも彼女はまだ立とうとしていた。
幽々子は見たかった。咲かない桜の花がどれだけ美しいのかを。
白玉楼がある冥界は死者の国。生きている者はほとんど存在しない。それこそ半人半霊である魂魄家の者か、わざわざ冥界を訪れた異邦人くらいのものだ。しかしひとつだけこの冥界に生きているものがあった。それが西行妖と呼ばれる桜だ。不思議で仕方がなかった。なぜこの桜だけ生きているのか。親友である紫に相談もしたが、はぐらかされて終わってしまった。
春になっても桜が花を咲かすことはなかった。幾ら年月を経ても、枯れ果てた姿のまま冥界の大地に根付いている桜。だから幽々子は花を咲かそうと思った。一度も咲いたことのない花が咲いたら、どれほど美しい事か。きっとそれはえも言えぬ美しさを見せてくれる。そう思い幽々子は妖夢に命じて春度を集めさせ、桜に食わせた。その甲斐あって、今では見事な蕾を蓄えている。あと少しで、あと少しで花を見れる。
片腕が伸びる、ゆっくりと力なく。霊夢と魔理沙は息を呑み、構えている。あと少し。幽々子の腕は桜の木へ向かっていった。
――だけど、もう動かないわ。
霊夢に迫られたときに幽々子は彼女の気迫に怯えた。妖怪の命すら奪って春を用意した。桜を咲かすためだけにしてきたそれらすべてを放り投げて、身を守ろうとした。霊夢の執念に、幽々子の思いは既に負けていた。
腕が力なく落ちる。それを見た霊夢と魔理沙は今度こそ、気を抜いた。
「やった。やった。異変を解決したぞ、霊夢」
「ええ、解決したわね」
そっけない態度であっても、霊夢が一番喜んでいることは魔理沙にだって分かる。頬を赤らめそっぽを向いている霊夢に、魔理沙はやれやれと頭を振って、その肩を抱きかかえた。
「帰るか、……命もきちんと埋葬してやらないと」
最後は小さかった。
「……そうね」
命の亡骸へ二人が足を向ける。その足は重く、だがしっかりと大地を踏んでいる。力強く、巣立つ雛のように。
「うぅ、うぐぅ」
命の亡骸を拾うため数歩歩いた時、うめき声が聞こえた。霊夢達がその声の方を振り向くと、幽々子が喉を抑えのたうちまわっていた。体が薄れ、消えていく。
「なに、これ。……知らない。私はこんなの知らない。なにが起きているの?」
幽々子は二人の方へすがる眼をして手を伸ばした。
目の前で繰り広げられている光景が現実離れ過ぎて、二人はとっさに動き出す事が出来なかった。それでも慌てて幽々子へ駆け寄り手を差し出したが、あとわずかで指に触れるといったところで幽々子は消えてしまう。
それと同時に背後から紫色の光が立ち昇る。振り返ると西行妖が先ほどの桜色と全く違う、紫色をした満開の花を咲かせていた。立ち昇る光に込められた力は、二人が見たこともないほど強大で、鳥肌が立つ。何より異常なのは、光を見ていると無性に死にたくなってしまう。桜の木の下で死にたいと思わせる。人を死に惑わせてくる西行妖に、二人は冷や汗を流す。
「う、あ」
「冗談、きついわね」
花びらが散る。桜吹雪という言葉通り、視界すべてを紫色で埋め尽くされていく。
「ひぃっ」
「ほんと、冗談じゃないわ」
その花が何かを二人は知らない。それでも触れたら終わる。それだけは理解できた。ゆえに二人は必死になって花を避け続ける。花が近くを通り過ぎるたびに、怖気が奔るのを止められなかった。霊夢の能力ですらその花の能力を遮断しきれていない。それだけで霊夢は最大限の警戒を持つに至る。
二人はとにかく弾幕を打ち続けた。少しでもあの花を減らそうと。しかし西行妖の力は二人の力を合わせても足元に及ばぬほどで、通常の弾幕では傷一つ付ける事が出来ない。木を囲んで怪しく立ち昇る光は、西行妖の力の結晶であり、それに触れると霊夢と魔理沙の弾幕は空に溶けるように消えてしまう。
花びらの落ちる量が増えてきた。二人は避けることもだんだんとままならなくなってしまう。このままではただジリ貧になっていくだけ。しかしだからといって弾幕での攻撃は通用しない。それでいて相手が木では、説得もできない。そうなると取れる手段は一つだけだった。
「魔理沙。さっきと同じことやるわよ」
「さっきのって、あれか」
「そうよ。このままじゃなにもできないわ。だったら一か八かに賭けるしかないでしょう」
「……分かった」
ため息をついて魔理沙はミニ八卦炉を構える。ミニ八卦炉の限界魔力を越える量を叩き込む。
「……魔理沙。悪いわねつき合わせちゃって」
「別にいいさ。言っただろう。私たちが異変を解決するんだって」
二人は笑っていた。
ミニ八卦炉は灼熱に燃え上がり皹が入る。限界が近い。魔理沙の手をも焼いていく。苦痛に顔を歪めるが、魔理沙は決してミニ八卦炉を放しはしなかった。
『夢符 二重結界』
「耐えてくれよ、『恋符 マスタースパーク』」
結界が一瞬だけ花びらをとどめる。すぐに結界も壊れてしまう。しかしその一瞬を使い、マスタースパークは放たれる。それは魔理沙の生涯と似ていた。周りを見ることなく、自身の思うままを突き抜けてきたそれと。眩い光を霊夢は綺麗と思った。
花びらとぶつかり合い魔力が減少していく。それでもマスタースパークは負けずに進む。魔理沙の光と西行妖の光が激突する。拮抗し続ける光。しかし人と妖では力の差がありすぎた。魔理沙のマスタースパークが掻き消えていく。
だが“道”は出来た。人ひとり簡単に入れる空間が。そこを霊夢は全速力で飛ぶ。また花びらがその空間を埋め尽くさないうちに。たどり着いた西行妖の根本では、命の亡骸を根っこが掴んでいた。
「これが原因ね。残念だわ、こんな最後になるなんて」
霊夢には命が笑っているように見えた。それが癪に障った。
『八方鬼縛陣』
博麗の秘術のひとつ、鬼をも御すると伝えられている封印術が発動する。不気味な光を放ち続ける西行妖が霊夢の霊力によって縛られていく。それだけではない。霊夢の力以上のなにかが西行妖を縛り付けようとしていく。
「はた迷惑なの。もう二度と咲かないようにしてあげるわ」
霊夢の喝と共に、西行妖が発している光が弱まっていく。
「やった」
「っ、逃げなさい魔理沙!!」
喜びもつかの間、また強まっていく光。封印した先から封印が破られていく。博麗の秘術を喰らってもまだ動けるほどの力を西行妖は蓄えていた。
「ああ」
「終わり、ね」
散った花びらが天を埋め尽くす。避ける隙間なんてない。花びらが空を舞っている。これが最期か。霊夢と魔理沙はそれをさとり、ゆっくりと目を閉じた。悔いはない。そう呼べるだけの満足を二人は味わっていた。
「あんたとならここに住むのも悪くないわ」
「おいおい。巫女が永久就職したら拙いんじゃないか」
無駄口をたたき、最期の時を楽しむ。それが二人に出来る最後のなけなしの抵抗だった。
「……遅いわね」
「だぜ」
いつまで経っても、何も起こらない。不審に思い目を開けた二人の視線の先には、何もなかった。天空を埋め尽くしてたあの花びらが。
「え」
「どういう、こと」
「なにを呆けている。お前たち」
そして彼女たちの眼前には素戔命が立ち、拳を天へ向けて振り上げていた。
文体の研究中で今までのものと変わってきましたが、少し前と比べて読みづらいなど感想がありましたら一言でもいいので書いていただくとありがたいです。