食べ物、というよりも肴がなくあるのは酒と飲み干した空樽ばかり。一緒に飲み明かすべき友人も、「用がある」とだけ告げて帰ってしまった。これだけではいくらうまい酒を飲もうとも、口が寂しく感じてしまう。うまい酒というのは、それに見合った肴が一緒になければ、うまくなくなってしまうものだ。
口がだめならば目で楽しもうにも、萃香のいる博麗神社には生えた桜くらいしか楽しめない。しかもその桜も、ここ数日で急速に葉桜になり始めている。これでは興ざめというもの。
うららかな、陽気な天候なくせしてさびしいものがある。いっそのこと屋根瓦を床に寝てしまおうかしらんと萃香はだんだんと思い始めた。酒精で愚鈍になってしまった意識は、うつらうつらと心地よい天気に誘われるように目がとろんと閉じられていく。
首をこくりこくりとし始めたころ、萃香はなにかが近づいてくるのを感じ取った。そのことを認識した瞬間、心は唐突に躍り上がり眠気は綺麗に吹き飛んだ。うれしくてうれしくて仕方がなかった。神社の屋根から転げ落ちるように参道へと跳び下りる。
感じたからだ。近づいてくる二つの、幼いながらも強い輝きを見せる心を。
鳥居をくぐる二つの影がそれほど時間も経たずに見えてきた。二人とも服のいたる所が破け、素肌が見えてしまっている。その肌には大きな傷や小さな傷が数え切れずあり、一見するとかなりみすぼらしい。だがそれが良い。足掻いて苦しんで、ここまで来たというのがよく分かる。
ようやく宴もたけなわになったわけだ。
「アンタが、この異変の黒幕ね?」
紅白の、腋が飛び出た奇怪な印象の巫女装束を着た女が疑問調で尋ねてくるものの、目をみる限り確信を持って尋ねている。怜悧な瞳は鋭いが、どこか脆さが隠れ見える。だがその脆さを支えるかのように、強さがその顔からは感じ取れる。
萃香は牙を剥き出しにさせるほど口を開いて笑う。心から沸き立つ熱を抑えるのが難しい。今にも内側からはじけ飛びそうなのをこらえる。楽しみは、たっぷりと楽しまなければもったいない。
「その通りさ。私が今回の異変の主犯よ」
肌がピリピリと粟立つ。緊張感が漂う
腰に下げた瓢箪を口元へ運び、流し込む。体中がカッとなるほど強い酒の味が、萃香の火を強めていく。煮えたぎる思いは、今にも吹きこぼれそうだ。
酒の香りが風下に運ばれたのか、二人が表情を歪めた。
「なるほどね。宴会を繰り返していたのは、酒が飲みたかったからか」
白黒の魔法使いが納得がいったとばかりに、呆けたことを言う。別にそのまま勘違いをさせても構わなかったが、そんなくだらないことが理由と思われるのは不快で、萃香は訂正する。
「違うわ。確かに私たちは酒が大好きよ。でもね、今回の異変では別に酒を飲みたいから起こした、ていうわけじゃない」
「じゃあ、なんのためにこんなことしたのよ。私はいい迷惑よ」
今度は紅白の巫女だ。二人同時に会話すると、入り乱れて面倒くさい。一人一人話をするのならば面倒が少なくてよいが、そこまでの我が儘を言うわけにもいかない。
ただ、巫女の語る言葉だけは、なにを置いてでも否定せざるをえなかった。
「嘘ね。私はずっと見続けてきた。あんたのことは他者よりかは幾らか知っているわ。あんたにとって異変は、力を見せつける絶好の機会。心の底でどこか望んでいる、異変を。劣等感から生まれた力が、私に敵うとでも?」
嘲笑い、糾弾する。鬼に嘘が通じるはずない。萃香の中で燃える火に、僅かであるが怒りがくべられた。
鬼は嘘を嫌う。ただしくは
だからこそ、巫女の言葉は看過できなかった。
「じゃあ、私の力ならばどうだ?」
一歩前に出てきた白黒の魔法使いの言葉に、萃香は笑い出す。腹の底から、笑いがこぼれだす。紅白が嘘吐きならば、白黒は身の程知らずだ。しかし愚かで馬鹿らしいが、こちらの方がまだ好感が持てる。
いいじゃないか、人間らしく。矮小でありながら、馬鹿みたいな夢を見て駆ける。特にこの魔法使いはそうだ。しばらく萃香は能力を持って様子を探っていた時期があったが、面白い人間だと思う。力こそないものの、鬼が好むような心をしている。惜しむらくは、まだ力が発展途上だということだ。
「馬鹿だね。あんた程度の力、鬼の私にかなうものか!」
もう抑えるのは限界だ。萃香は腕をぐるぐると回し、吠える。
「さあ、鬼を相手にどこまで戦える? 見せてみよ、人間! かつて日ノ本すべてを震え上がらせた太古の力を思い知るがいい!」
鬼が吠えた。ただそれだけというのに、鬼を中心に突風が威圧感とともに吹き荒れ、砂を巻き上げて吹き飛ばす。霊夢は腕で目をかばい、それでも鬼を見すえ続ける。なにかしようものならば、すぐ動けるようにと。
天目掛けて開かれていた口が閉じられると、一瞬だけ静寂が博麗神社に広がり、すぐさま重いなにかが空間を押しつぶすかのように霊夢たちを襲う。すぐさま霊夢は能力を使い、その影響下から離脱する。魔理沙も何らかの魔法を使ったのか、糸のようなもので覆われた結界が展開されている。
ひとまず安心を覚えた霊夢は、鬼へ再び注意を向ける。子供、どころか幼子程度の体格をした女鬼だ。そして真っ先に目につくのが、赤いリボンを挟んで、二つの螺子くれた角が天目掛けて延びていることだろう。その角から目を外すと、薄い茶色の髪を後ろへ垂らした毛先と両の手首に、三角と四角と球体の鉄球がつながった鎖を巻いているのが見て取れる。じゃらじゃらとその長い鎖が冷たい音を奏でている。
意識を切り替えて霊視して見ると、馬鹿げた量の妖気が鬼の体から漏れ出て、辺りの空間を手当たり次第禍々しいものへと変えていく。それは本来ありえない出来事だ。祭神が分からないといっても、博麗神社は神域であることに変わりがない。だというのに妖怪の力で神が御座す場所を侵す。それだけで、目の前にいる鬼が計り知れない力を持っていることが分かる。今までの異変と同じ心もちで戦うわけにはいかない。
霊夢はバックステップで距離を開ける。少なくとも、相手の間合いも分からず突っ込むほど愚かなつもりはなかった。横目で見るに魔理沙も同じように、鬼から離れている。
「はっ! 退くだけか?」
鬼は馬鹿にしたような笑みを向けてくる。安い挑発だ。乗る必要はない。白玉楼ではあっさりと挑発に乗ってしまったが、今の霊夢はいつも以上に、さざ波のごとく落ち着いた心境でいられた。なにも言わず鬼を観察していく。
ただ、魔理沙は耐えられなかったのか牽制の魔法を撃っていた。威力は全力と比べるべくもないだろうが結構な威力だし、速度は霊夢から見てもなかなかのものだ。少し前の魔理沙ならば、牽制の魔法ももう少し弱かった。今の一撃には、弱い妖怪程度ならば倒せる程度の力が込められていた。霊夢も予想外の練度に、驚かずにはいられなかった。
疾風を纏った魔法が迫る中、鬼は避ける動作もしない。何らかの防御手段でもあるのか? 霊夢が油断なく様子をうかがっていると、なにもしないままの鬼へと直撃した。魔法が鬼へと牙をむき、破裂音を鳴らして砂煙が立ち込める。状況の把握ができない。霊夢はいつでも動けるようにしながら、砂煙が静まるのを待つ。
風が吹き、霊夢の髪が軽くあおられる。砂煙も風に乗り、薄まっていく。
薄くなった煙の隙間から、傷一つなく先ほどと変わらず仁王立ちをした鬼が見える。
「うん。人間にしちゃあ、中々だったよ。だけどね、その程度でこの私が、技の四天王・伊吹萃香に傷をつけられるとでも思ったの?」
伊吹と名乗った鬼が足を広げ腰を落とす。その動きで霊夢は初めて気が付いた。あの鬼が今まで一度も、それこそさっきの魔法を喰らっても後ずさりをした後が地面にないことを。
鬼は純粋な体のタフネスだけで魔理沙の魔法を微動だにせず耐えきった。パワーこそを信条とする、霊夢が知る中で随一の破壊力を持つ魔理沙の魔法を。目を丸くして、霊夢は判断を下す。間違いなく、パワーファイターだと。近接戦はまずいと判断し、すぐさま裾から数枚の符を取り出して次の動きへと構える。
「次は私の一撃だ。精々死なないでくれよ、人間?」
轟音が響いた。霊夢が気付くと、鬼は大きくなっていた。いや、いつのまにか鬼が目の前にいた。対象との距離が一気に近づき、大きく見えただけに過ぎない。
「っ!?」
後ろまで振りかぶった拳が見える。霊夢は勘が導く通り、横へ跳び退った。一見すると華奢で柔らかな拳が霊夢の横を通り過ぎる。
ただそれだけ。ただそれだけだった。それだけのことなのに、霊夢はすさまじい風に弾き飛ばされ、地面へ何回も叩きつけられ、転がった。
体の節々が痛む。それでも鬼の居る場所を見て、愕然とした。
鬼が先ほどまでいた場所、境内の石畳。そこから後方が大きくくりぬかれている。そして背後にあった博麗神社へと石畳の残骸らしきものが突き刺さり、半壊させていた。見ればわかる。鬼はなにかをしたわけではない。ただ一歩、一歩踏み出しただけだ。それだけですべてを支えるはずの大地が耐えられなくなった。足を踏み出すだけで、あれほどの破壊を生み出す脚力。
そして振り振り切った拳も、まざまざと鬼の力を見せつけていた。
鳥居が壊れている。神域と俗世を区別するためにあり、神の力を長い間取り込んできた鳥居が。鬼の拳を一回叩きつけられただけで。妖怪が、それこそレミリアが全力を出しても、博麗神社の鳥居に物理的な方法で傷をつけるのは不可能だ。はっきり言ってしまえば、霊夢の結界以上に霊的な加護が博麗神社には存在する。その加護を超える物理的な力を持ち、傷をつけられる存在など霊夢が知る限りたった一人しかいない。素戔命という武神しか。
あの小さな鬼は、命と同レベルの力を持つとでも言うのか。霊夢がその考えにいたった時、足が、体が震えだした。
飛べない。体が急に重くなり、浮くことができない。命と同じ力。そう思うだけで、霊夢の能力は空回りするようになってしまう。
唇をかみしめる。生暖かくて塩気のあるものが口内に入る。だがそれすらも霊夢は気にならなかった。
ただ自分が情けなかった。戦うと決めたのに、尻込みしている自分の姿がちっぽけで嫌になる。命ならば、正面から挑み打ち破るだろう。でも霊夢にはそんなことできやしない。それが情けない。
鬼がこちらを向く。倒れている今の霊夢は、格好の獲物だろう。だけれども、
「こんな程度で、負けてやるものですか!」
情けないのも自分だとこの異変で知った。抗うと、足掻いて新しい自分を咲かせるというのに、このていどで足掻くことを止めるなど、ありえない。
気力で立ち上がる。体がよろけ、踏ん張ることすらできない。鬼の足が弧を描いて顔面へと近づいている。このままでは、蹴りぬかれてしまう。あの馬鹿げた力で蹴られたならば、いくら強固な結界を張ろうとも障子のように破られ、風船のように頭を破裂させられてしまう。
けれども、今戦っているのは霊夢一人ではない。
「やりなさい、魔理沙!」
「応!! そのつもりだぜ!」
高まる魔力。魔理沙の一撃。それも全力の。破壊力ならば幻想郷でもピカ一の、魔理沙の攻撃だ。いくら鬼だといえども、身を守らなければ無事では済まないはず。
「マスタースパーク!」
膨大な魔力が鬼を飲み込む。そしてその魔力が霊夢をも飲み込もうとした時、スペルカードを宣言した。
「私は変わるのよ! 霊符 夢想天生」
すべての攻撃から浮く、飛ぶ程度の能力を持つ博麗霊夢しかできない禁じ手。能力は上手く発動できないが、それでも不思議と失敗する気はしなかった。スペル宣言をすると同時に、博麗霊夢は三次元という空間から浮き、より高度な次元へと飛ぶことに成功した。
この技があったからこそ、霊夢は躊躇うことなく魔理沙に攻撃を促したし、魔理沙も攻撃をためらうそぶりを見せなかった。
鬼を飲み込んだ極光の一撃が、終わりを告げる。だんだんと光線が細まっていく。地面までもを大きくえぐり取った魔力の塊は、斜め上へと突き抜け雲を突き破った。相変わらずの馬鹿げた威力だ。霊夢はあきれることすらできずにいた。あれだけの魔力ならば、山一つ飲み込めるだろう。それだけの一撃だ。さしもの鬼も少しは堪えたに違いない。
夢想天生のスペル時間も終了した。霊夢は目を開ける。夢想天生をすると、最高の回避能力をえるが、意識しての行動が難しくなる。目を瞑ってしまうのも、欠点のひとつだ。一応スペル中は周りを認識できるが、スペル終了後に隙が生まれるなど、やはり強力ゆえに使いずらい部分がある。それを補って有用だから、霊夢も切り札として使っているが。
そして目を開けると、眼前に傷ひとつない鬼がいた。
「え?」
「残念。あの程度じゃ、鬼は殺せない」
鬼が笑うと牙が見えた。拳が近づくのを霊夢は見た。躱さないと。そう思ったが霊夢の体は動かなかった。
作中にてレミリアが出ましたが、本作の設定としましては、純粋な肉体において吸血鬼は鬼を越えられないとしています。その代わり、飛行速度が速かったり、鬼を超える回復能力を持っているとしています。