東方武神録   作:koth3

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偽物の月

 美しい桜咲く春も過ぎそろそろ初夏に入るころ、その異変は静かに人知れず起きた。人里の人間は全く気付かず、しかし妖怪たちのみが気付いた異変が。

 

「珍しいな、お前がここに来るとは」

「悪いけれども挨拶はまた今度にさせてもらうわ。命、気が付いているのでしょう」

 

 命の家に紫が訪れた。春の暖かさがまだする夜のことだ。

 紫は普段のように胡散臭い笑みをしているが、命からすれば虚勢を張っていることが分かりやすい。しかしそれも仕方がないことだ。窓からのぞく月を見上げる。その月は普段と変わらないように見える。深い夜闇に綺麗な満月が輝いていると人は思うかもしれない。しかし命からすれば、その月はあまりに普段と違い過ぎた。誰かの手により本物の月が偽物の月とすり替えられている。

 それだけのことができる者などそう多くはない。大妖怪ですら僅かな者たちを除きできないだろう。月を変えるなど、天を変えることに等しい。地に這い蹲る妖怪では不可能に近い。さらにいえば妖怪に不可能ならば、人間にできることではない。すなわちこの異変は人妖が起こしたものではないといえる。だとすると残る異変の実行者は神だけ。しかもそれはただの神でない。()()()だ。国津神は国土に関する異変ならば起こせるだろう。しかし天に関する異変は起こせない。天を支配するのは天照大御神と、他の天津神だから。

 すなわちこの異変は天津神ないし天津神に関連する者が起こした異変だ。しかしこの幻想郷に天津神はいない。命を除き。だが同時に命にこの異変は起こせない。偽物の月を造りだすなど、命には不可能なことだ。月を造り上げる術など高度すぎて命には決してできない。だが命の知り合いならば幾人かそれが可能な者はいる。だからこそ紫もこちらに来たのだろう。この異変の主が誰かを知る可能性を持つ命に。

 

「あの月のことだろう。しかし分からんぞ、私には」

 

 確かに月といえば思いつく神を命は知っている。だがその神が幻想郷にいるはずがない。だとするとやはり命に思いつく相手はいない、思いつく幾人かは、やはり幻想郷へ来訪するようなものたちでは決してない。

 紫もそれほど期待していなかったらしく、「そうよね」とこぼしため息をつく。

 

「現状、あの月をこのまま夜空に封印するしかないわね」

 

 しばらくし紫はそうつぶやいた。命もうなずく。下手に手を出せば、それだけの実力者を怒らせるかもしれない。だからといって対処しないわけにいかない。板挟みのなか紫が出した結論は、

 

「霊夢たちに期待するしかないのがつらいところ」

「仕方があるまい」

 

 人間の手によって異変を解決することだ。相手が神ならば、それが一番良い。下手に妖怪が手を打てば、高位の神ならば怒り狂う。妖怪風情にその力を覆されたと面子がつぶれるからだ。しかし人間によって解決したならば、試練という形で事態をあやふやにすることができる。もちろんいざこざは残るが、それでも紫が出張るよりかは幾らかましだ。

「失礼したわ」そう言い残し、紫はスキマを通りどこかへ行った。おそらくは偽物の月を封じに行ったことだろう。

 あとには暖かな風が花びらを纏い吹くだけだった。

 

 

 

 さすがに妖怪の身であっても、高度数千メートルもの高さになるとさすがに厳しいものがある。そこまで行ける妖怪というものがまずそうそういないが。

 しかし大妖怪であり一人一種の妖怪である紫は、その数少ない妖怪だ。偽物の月を前に、結界で身を守りながら近づいてく。紫は月を夜空へ封印しようと術式を構築する。

 

「あら。せっかく造った物をそう簡単に封印されては困るのよ」

「っ!?」

 

 声がする。しかしそれはおかしい。異変解決のために細心の注意を払っていた紫の意識を、そしてそれこそほとんど全能といっても過言でない紫の能力すらすり抜けてその場に存在する誰か。

 振り返りざま紫は大きく飛び退る。先ほどまで紫のいた場所の近くには、十字のラインで分けられ交互に青と赤に染まった奇妙な服を着た女がいた。好意的と見て取れる笑みを浮かべている。しかし紫は冷や汗が流れるのを止められなかった。

 自然体なその立ち姿はまるで命のよう。一切の隙がない。さらに感じられる力は、幻想郷でもかなりの力を持つ紫自身すら軽く超えている。

 

「そう、それは困ったわ。こんなものがあると、こちらも困るのよ」

「そこで折れてくれれば助かるのだけれども、まあそれはないでしょうね」

 

 戦えば勝ち目はない。少なくとも地力で勝つことは不可能。なんらかの策を練れば勝つことは可能かもしれない。理論的には導きだされた答えであるが、本能がそれを否定する。目の前にいる相手に策など通用しないと。

 

「貴方何者かしらん?」

「私について知る必要はないのでは? ……まあ、良いわ。貴女が直前まで会っていた人物に尋ねたらどう? おそらく私についてこの幻想郷で誰よりも知っているわ。妖怪の賢者さん。嗚呼、ついでに封印は許可してあげるわ」

 

 その瞬間紫は確かに負けた。恐怖を与えるはずの妖怪がなめられ、取るに足らない扱いを受ける。それはけして妖怪が許していいことではない。

 たとえ滅んだとしても紫は眼前の()へ挑みかかるだろう。幻想郷外では。この場で戦えばどれだけの被害が幻想郷へと降りかかることだろうか。故に誰よりも幻想郷を愛する紫であるがため、その屈辱を飲み込めた。唇の端から血を流し、紫は殺意を込めた眼差しを女へ向ける。

 

「幻想郷に危害を与えるというのなら、私が必ず滅ぼす」

「そう。覚えておくわ」

 

 気のない返事をして女は悠々と立ち去る。

 紫は血を顎へと滴らせながら再び命の家へスキマを開き、移動した。




永夜抄に入ります。
今回は命と永琳にスポットライトが当てられます。久方ぶりの命が主人公回です。
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