鶏が鳴く。だが太陽は昇らない。天には丸い月が我が物顔で浮かぶ。
人里では多くの人が困っていることだろう。陽の光がなければ作物は育たない。畑も水田もこのままでは枯れ果ててしまう。そしたらどれだけの人間が飢えるか。人里は人間が大勢住む。その数は百や千はくだらない。万を超えているだろう。それだけの人間が飢えれば里内で争いが起きるだろう。数少ない食料を奪い合い、生き延びるために。
紅霧異変みたく人々の不安が大きくなっていく。さらに悪いことに、長い間月の光を浴びた知性の低い妖怪が暴れている。興奮状態に陥っているのか、普段は近寄らない人里にすら寄ってくる始末だ。いや月のせいだけではない。いま人里には命がいない。絶対的な強者が消えていなくなったためか、妖怪は獲物を奪い合う肉食獣のごとく鼻息を荒くさせ、我先にと人里へ集まってくる。
地を這う大蛇に、百足・蜥蜴・狼。空を飛ぶ鷹・鷲・烏。すべてが長い時を生き抜き、妖怪へと変貌した者たちだ。砂塵を巻き上げ近づいてくる。このままではそう遠くなく人々を襲うだろう。地をその行軍で震わせ、鋭い鳴き声を空へ響かせ、怖ろしい牙を光に
いくら妖怪退治の専門家たちが多くいる人里であろうとも、狂暴化した妖怪がそれだけいると倒しきれないのは明らか。討ち漏らしが出てくる。それら討ち漏らしが人里へ襲い掛かればどうなることか。火を見るより明らかだ。真っ赤で残酷な大輪が人里中に咲く。それだけは避けなけければならない。
だが人里の戦力などたかが知れている。博麗の巫女は異変解決が主目的だ。異変が起きている今、人里を助けることはないだろう。それに誰かが異変解決をしなければ、狂暴化する妖怪は増える。異変を解決しなければいつしか物量でつぶされるだろう。そのため助けは乞えない。
頼みの綱である命もどこかへ行ってしまっている。このままでは人里は滅ぶ。
「ああ、まさかこの月に感謝することになろうとは」
人里の入り口にて慧音はつぶやいた。その姿は普段と大きく違う。青と白銀の髪は碧と白銀へ代わり、その頭頂に二本の大きな月が緩やかな曲線で伸びている。それは鬼とはまた違った角だ。乳白色ですべすべした角。その角がまるで月をはさみむかのように伸びる。
慧音は人間でない。たしかにもともとは人間だった。しかし後天的にハクタクという神獣の力をえ、満月の夜にはその力が表に溢れ出す。その時慧音の力はまさしく神獣の名にふさわしいものへと変わりはてる。それこそただの妖怪ならば簡単に倒せる。普段の慧音ならば、人だったころに『歴史を食べる程度の能力』で人里の歴史をくい、その存在を隠しただろう。たしかにそれは賢明だ。存在しない物を襲えるはずがない。しかしそれは歴史が再び紡がれるまでの間だけ。歴史は完全に消え去ることはない。いつしか忘れられたものが再び世に出るように、隠した人里も妖怪たちの前で現れるだろう。そうなっては逃げることすらできやしない。やはり虐殺が起きるだろう。
だからこそ慧音は攻めに出るつもりだ。個人個人、あるいは家で戦う妖怪退治の専門家を一度ばらばらに解体し、再び慧音の手で編制し制御する。たしかにそうするとそれぞれの秘術や本来の戦い方などはしづらいものがあろう。しかし多くの力をまとめることで指揮しやすく、そしてそれぞれにかかる負担を減らせる。
すなわち慧音は英雄を用意し妖怪を蹴散らすのでなく、軍隊を用意し殲滅するつもりだ。それこそ妖怪退治以外にも狩人などは駆り出している。弓矢を射れる者、銃を撃てる者。はては罠を作れる者にはありったけの罠を作らさせている。どこまで戦えるかこれだけの用意をしても分からない。最終的にはどれだけ早く異変が解決し、妖怪たちが落ち着くかがこの戦いの分かれ目だ。
(頼んだぞ、霊夢)
特徴的なリボンをした影が月に照らされて空を飛んでいる。その影を見ながら慧音はただひたすらに願う。
竹藪を凄まじい速度で駆け抜ける影がある。命だ。その服はいたる所が破れ、切創が覗ける。もう幾日も命は竹の間を駆け巡っている。
紫から
そしてこの『迷いの竹林』でそれは叶った。
そこにいたのは八意だ。
変わらぬ姿で竹の幹へ体を預けている。腕を組み瞼を閉ざし、弓に弦を張り。近づくことはできなかった。八意からは殺気が放たれ、足を進められない。下手に進めば矢を射かけられるだろう。命の実力をもってしても、八意の矢を至近距離で防ぐのは難しい。迂闊な選択は取れない。
「久方ぶりね」
「ああ、本当に久方ぶりだ。以前は、そうか京に都が造られたばかりのころか」
かつて見た空から墜落する船。その燃え盛るなか命と八意は再びであった。
「あの時と変わらないな」
「そういう貴方はずいぶんと変わったようだけど」
ようやく八意は体を起こし腕をほどく。しかしその手に弓は握られ、こちらへ向けられている。
「私は貴方が死ぬことはないと思っていた」
「私もそうだ。うぬぼれだが、事実でもある。生き延びられる程度の実力はあった。身に着けただろう」
「ならばなぜ死んだ?」
引き絞られる弦。それに付随し、八意の
「……」
「もう一度だけ訊くわ。なぜ死んだ」
「お前には答えられない。お前だけには答えるわけにいかないのだ」
それが始まりだ。一瞬で霊力の矢が生まれ、命の眉間と心臓へ放たれた。