一人の子供が、人里の路地裏を歩いていた。片手には大きく膨れあがった風呂敷が握られており、どこかふてくされた顔をしている。親にでも買い物を頼まれたのだろう。足元の石を蹴って弄んでいる。蹴った小石が建物の影に消える。
「チェ、
確かに少年に運はなかったのかもしれない。なぜなら――。
「そこの人間命をどこに隠した」
狂いし神にその姿を見咎められてしまったのだから。
幻想郷にいる神ではない。月に住む天津神、月夜見に。
今まで見たこともない、そして幻想郷の神々と比べてもはるかに勝るほどの神々しさを放つ月夜見を前にした子供は腰を抜かしてしまう。目の前に強大な力を持った存在がいる。しかもわけのわからないことを呟きながら。何か一つの行動がその怒りを買うかもしれない。そうなれば自身の命が失われる。理論でなく、本能がそのことを感じ取ってしまい、子供はただへたり込むことしかできなかった。なにかをしなければと思えば思うほど、体の自由は失われていく。
怯えた子供が口を開くよりも早く、月夜見はその首を掴み上げた。
「言うつもりはないと」
わずかに首を掴む手に力が籠められる。女神からしてみれば僅かだけだが、子供からしてみればそれだけで首の骨が軋みを上げ、尋常ではない苦しみを感じ首を振って否定の意志を伝えることすらできない。苦悶の表情に顔を歪め、涙をながす。視界が白く染め上げられていく。
「まだ言わぬか。ならば死ね」
その首が鈍い音を立ててへし曲げられる――。
その寸前、子供が消えた。
「ほう、これはいい。態々新しい者を探す必要はなくなった」
片腕に気を失った子供を抱え、もう片方の手の爪を赤く染めた星熊勇儀が、路地裏の中ほどの場所で顔を俯かせ、身体を震わせていた。
「……黙れよ、この糞尼。それ以上口を開いてみろ、お前を殺す」
その声はなんと底冷えすることか。もしこの場にほかの人間がいたら、全員意識を失っただろう。振り返った勇儀の瞳は怒りで塗りつぶされていた。
「命はどこだ」
その言葉を皮切りに、子供を表通りへ怪我をしないように投げつけ、勇儀は鬼の身体能力を持って月夜見へ襲い掛かった。
唸りをあげる豪腕。命ですら防御に専念せねば危険な一撃。だというのに、月夜見はその一撃を片手で受け止めた。
もちろん勇儀が手加減したわけではない。その証拠に、月夜見の後ろ側にあった建物はすべて衝撃波で跡形もいなく吹き飛び、更地と化している。大妖怪すら屠れるだけの力を込めた拳、命ですら受け止めるのでなくいなすことしか選択できない自慢の力が破られたことに、勇儀は一瞬驚いたもののすぐさま獰猛な笑みを浮かべた、瞳の中にさらなる怒りをくべた炎をともし。
受け止められたのならば、受け止められない一撃を放るのみ。勇儀は猿叫をあげ、もう片方の腕にさらなる力を込めて殴り掛かる。
大気が振るわれた腕の後から力づくで引っこ抜かれたかのごとく追いかける。暴風と化したそれを、月夜見は涼しい顔をして最小限の動きで避けきる。ダメージを喰らう紙一重で完全によけきる、怖ろしいまでの冴え。しかし勇儀は決して猛攻を止めない。むしろ避けられれば避けられるだけヒートアップさせていく。
一撃がだめならば連撃と、すさまじい威力と速度の拳がガトリングのように放たれるが、月夜見にいなされ大地を吹き飛ばすだけに終わる。巻きあがった砂埃を切り裂き、後ろ回し蹴りを繰り出したがそれも難なく防がれてしまう。
その反動を利用し後ろに大きく飛び退る勇儀だが、着地した瞬間バランスを崩して倒れてしまう。
見れば足首が有り得ない角度にねじれていた。
先胃の後ろ回し蹴りの際に、勇儀が近くできない速度とタイミングで外されようだ。
そのことを気にも留めず足首を素早くはめなおすと、勇儀は再び一気呵成に攻め入る。足の痛みを感じさせない力強い踏込で駆け出す。
余波で家屋が数軒空へ放り投げられる。
後のことなど考えやしない、全力の暴走。鬼の四天王である勇儀が暴れることで人里は壊れていくが、それだけの暴力を持っても、月夜見は傷ひとつない。
「命はどこだ」
「それしか言えないのかっ、糞尼が!」
勇儀の問いに月夜見は答えることなく、ただ黙っている。鬼を相手に平然としているその姿が許せず、勇儀は怒りの咆哮をあげた。
憤怒のままに駆け出そうとしたが、それよりも早く、勇儀の足が動くよりも前に月夜見が眼前へ移動していた。こわばる身体。首目掛けて放たれた貫手はギリギリ避けたが、次の瞬間に地面が天へと変わっていた。
「がっ!」
強かに地面にたたきつけられた。投げ飛ばされていた。
すぐさま横へ転がり、追撃の拳を裂けた。勇儀のすぐ横を凄まじい破壊力を内包した拳が突き抜けた。お返しとばかりに蹴りを叩き込むが、片手で防がれてしまいダメージを与えることができない。
地面を手で叩き、その反動で立ち上がり頭突きをかます。鋭利な角は月夜見に刺さる。しかし月夜見がかき消える。当たったと思ったそれは残像だった。
どれほど攻撃をしようともあたらな状態にこのままでは負けると人並み外れた直感で嗅ぎ取った勇儀は、最大の一撃を放つことを決めた。消して避けられず、そして一撃で決着がつく技。己のすべてを込めた『三歩必殺』を。
体中に妖力を巡らせ、ただでさえ強い肉体がさらに屈強となる。
再び視界に月夜見の姿を捉えるや、勇儀は勝負に出た。
「消し飛びなっ!」
「命は、どこだ」
総てを消し飛ばす一撃を前に、月夜見は相も変わらずただその一言を呟くだけだった。