素早く互いの距離を離した命は、歪みかける顔を強靭な意志の力で無理やり押しとどめた。
敵と相対して感情を表に出すわけにいかない。表情ひとつで戦況というのは変わりかねないものだ。少しでも情報を相手に渡せばより不利になる。それが分かっており常にしてきたというのに、命は浮かび上がりかける表情を隠すのに苦労していた。
敵と化したのが月夜見。たったそれだけの事実が、命を縛り上げていく。
拳に力を込めた瞬間、月夜見の顔にある顔がよぎる。それは自身が殺した姉の笑顔だ。拳が緩む。
それだけの隙を見逃すような敵ではないと分かっているのに。
一瞬の意識の隙間をつかれた命は、自身の顔を掴んだ手を咄嗟に投げ飛ばそうとする。しかしそれよりも早く体が浮遊し、地面へと叩きつけられてしまう。
衝撃で体が浮く。普通ならば地面が陥没するほどの威力といえ、命の身体からしてみればそれほどのダメージを受けない。だが地面へと叩きつけられた瞬間、命の意識は吹き飛びかけた。なんとか意識をつなぎとめたが、身体の方は誤魔化しきれないダメージを負った。傷口は開き、血が再び流れ落ちる。もし肉体を未だ持っていたならば間違いなく致死量の血を流しながら、命は足に力を込めて立ち上がる。
「まだ立つのか、命よ。もういいだろう? 私の方が強い。それは分かり切ったことだろう?」
死にはしないといえ、流れ出る血には命の力が込められている。それを失うということは時間が経てば経つほど命の力は弱まっていく。ただでさえ圧倒的な力を見せつけられているというのに、さらにその差が広がってしまう。
さほど時間をかけられない、頭では分かっていてもやはり拳に込める力は頼りない。
「どうしてまだ闘おうとする? 分かっているはずだ。私は月の神、海原すらも支配する万物の支配者。海神であるスサノオに勝ち目はないぞ」
月夜見は確然とした口調で命の行動を否定する。命とてその理由くらい分かる。命の力だけでは決して月夜見に勝てないだろう。
古来より月は多くの者を支配してきた。月が夜空を照らせば人々は眠りにつき、月の回数で暦は定められ、そしてなにより月の満ち欠けが海原の潮を支配した。その万物を支配する力こそが月夜見の持つ力、『森羅万象を支配する程度の能力』だ。言うなれば万能の神ともいえる。そしてその能力は、主神にして対の力を持つアマテラス以外ならば敵対した者の力を抑え込む。
能力だけでなくさらにもう一つ命が勝てない理由がある。それは神としての格の違いだ。月夜見は天照大御神と素戔嗚尊と合わせた三柱の神だ。伊弉諾よりうまれしもっとも尊い力を持つ神の一柱。それに対し命は素戔嗚尊と人間に呼ばれた素戔嗚を父に持つとはいえ、神としての格はかなり下がってしまう。それでも天津神として、国津神としては高位の神であるが。それでも月夜見と比べることはできない。
神として格が違うということは、神としての能力に差がつくということだ。元々神の力を使うことを不得手とする命にとって、この不利は決定的な差となる。
純粋な身体能力で比べれば、命と月夜見の間には圧倒的な差が生まれている。神としてどれだけの力を扱えるか。いくら高位の神といえど、最高位の存在に勝てるほどではない。
大人と子供ほどの力の差がある。だからこそ命は武術を鍛え上げてきた。力の差をなくす技法、技術を持って力をいなしたり、増加させる合理。だがそれを自身と同レベルに鍛え上げた相手ならば、それすらも通用しなくなる。
もはや命に勝ち目はないだろう。
だがそれでも命は闘う必要がある。
「言っただろう、いまのお前についていくわけにはいかない。自身の間違いを理解せず、周りを傷つける。そんな大馬鹿者は一人で十分だ。お前を止める、それが私の最後の仕事だ」
そう告げるや、命は体中に力を込める。
「禁術 静動轟一」
封印した業を再び命は発動した。