東方武神録   作:koth3

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起死回生の一矢

 湿った重苦しい音を立て落ちゆく鮮血で、地面が黒く染め上げられる。その量はけして少なくない。

 

「かっ、あ……」

 

 ゆっくりと月夜見の手が引き抜かれた。命の身体に穿たれた穴から勢いよく血が噴き出す。勢いは衰えることなく、むしろ増して溢れ出し続ける。あたりに鉄くささを含んだ生暖かい湯気が立つ。

 命の膝が崩れる。傷口から血とともに生命力を全部失ったかのように、力なく前のめりに倒れていく。だがその身体が傾くや否や、月夜見が命を愛おしげに正面から力強く抱きしめる。命の血が月夜見を汚していく。しかし月夜見はそれを見てむしろうれしそうに解顔する。

 

「さあ、帰ろう」

 

 命を抱えたまま、月夜見が手を動かす。円を描くその手に沿って、空間がねじ曲がっていく。歪曲した部分からは月の都が覗いていた。

 幻想郷と月の都を月夜見は直接つなげた。月の神であるが故にできる神業。たとい隙間妖怪と言われる紫ですら、同じことはできないだろう。

 

「っつ!」

 

 輪をくぐり抜けようとした月夜見であったが、いざ入ろうというその瞬間、バックステップをとった。

 直後、空から幾本もの柱が月夜見のいた場所に降りかかって地を揺らす。月夜見が見上げた天には二柱の神がいた。神奈子と咲姫、命の血族である二柱だ。

 二柱は一言も物言うことなく、神奈子の御柱を投擲した。建御名方神の力が込められた御柱だ。直撃すれば高位の神といえどもダメージは避けられない。しかし月夜見は音速すらも置き去りにしたその柱を裏拳で打ち、難なくそらす。

 

「邪魔をするな」

「邪魔だと? 笑わせるなよ。我が阿翁を傷つけ、あまつさえ拐かそうとするとは。その罪断じて許さぬ。ここで主は死ね。たとい月の女神であろうとも、その首ねじり落としてくれる」

「全くだ。こいつと考えが合うとは最悪だけど、馬鹿爺を連れて行かれるわけにはいかないね。その首斬り落としてくれよう」

 

 月夜見は袖から簪を取り出すと空へ放り投げた。簪は宙を一回転するごとにその大きさを増していき、地面に落ちたときにはゆりかごのような寝台へと変わっていた。簪でできた寝床へと命を優しく寝かせると、月夜見は眉根を険しく寄せた顔を一転し二柱へ向けた。

 

「よくも、よくも……。許さぬ」

「それはこちらの台詞だ」

 

 神奈子の返答が終わるとともに、咲姫が月夜見の眼前に現れ拳を放る。命の一族の中でも一等の速さを誇る咲姫にしかできないであろう神業だ。だが相手は命をも下した猛者月夜見だ。スピードだけではその身に触れることは許さない。

 だからこその二柱。だからこそのコンビ。

 攻撃を避けた月夜見のその背めがけ、背後をとった神奈子が御柱を振るう。轟然と風を切り分ける一撃。たやすく脊髄を砕くだろう威力がある。

 

「馬鹿力め……っ!」

 

 だが神奈子の全力を込めた御柱は、月夜見の片手で受け止められていた。どれほど神奈子が力を込めようとも、御柱はぴくりとも動かない。

 

「私に力で勝ちたくば、|天手力男≪アメノタヂカラオ≫を連れてくることだ」

 

 月夜見の手が音を立てて御柱にめり込む。神器、いな神奈子の神格そのものと化している御柱が傷つくなど、本来あり得ないことだ。

 罅が入り込む自慢の神器に神奈子の顔が驚愕にゆがむが、次の瞬間さらなる愕然が襲いかかった。神奈子の身体が浮かぶ。信じられないほどの力で月夜見が御柱を持ち上げたため、御柱を握り締めていた神奈子の身体も持ち上げられる。軍神である神奈子の抵抗すらも赤子の手を捻るようにねじ伏せられてしまう。

 だがその程度であきらめるならば神奈子は祟り神である諏訪子を下せなかっただろう。月夜見のあごを蹴り上げる。それも片手で防がれてしまうが、これで両の腕は潰せた。

 これこそが神奈子の狙いだ。

 

「疾っ!」

 

 月夜見が両腕を使えなくなったその決定的隙を突くために、咲姫が全速力で突撃しながら貫手を放つ。音を置き去りにした突撃は、さしもの月夜見でも神奈子を相手にしていてはよけることすらままならないだろう。

 確実に殺す。殺意とともに放たれた一撃。ソニックブームがあたりの土をはじき飛ばす。二柱の影が重なるのを、神奈子は目撃した。

 衝突した衝撃で砂埃が立ちこめ、視界が遮られてしまう。

 

「咲姫? 咲姫っ!」

 

 いくら待ってもあがらぬ勝利の声。仕留めたはずなのに胸によぎる不安。神奈子が咲姫と我知らず呟いた言葉に返答はなかった。

 土煙がようやく晴れたそこには、咲姫の渾身の突撃と貫手を片足でいなしきった月夜見がいる。体勢を崩した咲姫の身体を、足で押さえつけていた。

 身を強張らせた神奈子を、月夜見は鷲掴むと振り回す。神奈子が抗おうとするが、その五指は一向に離さない。振り回した速度が十分に乗ったら、そのまま咲姫の頭へ神奈子の頭を振り下ろす。

 辺り一帯が振動する。小さな隕石が衝突したほどのエネルギーが二柱をおそう。それでもなお死んでいないのは、神という種族だからか、それとも命の血族だからか。

 しかし二柱は地面に倒れ伏し、ぴくりとも動かない。さしもの二柱といえども、意識が絶たれていた。

 月夜見が足を上げる。二柱の頭部を狙い、足を降り下ろす。

 

「っ!」

 

 血が地面に散る。しかしその量は頭部をつぶしたにはあまりに少ない。

 

「そうか、そういえばお前もここにいたのだったな」

 

 月夜見の頬に一筋の傷ができ、血が流れ出している。

 それは一筋の閃光が原因だった。二柱を踏みつぶす寸前に迷いの竹林から飛んできたその閃光は、回避を行った月夜見の頬をかすめ“命が眠らされている寝台”へ飛び込んでいった。

 

「八意めっ」

 

 憎悪をはらんだ目を迷いの竹林へ向け邪魔者を排除しようと動きかけた月夜見だが、背後からした音に動きを止めた。

 

建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)

 

 素戔命がそこに立っていた。

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