壊れた腕をかばうそぶりも見せず、命は木鶏の如く静かに佇む。その様は余りに痛々しい。柘榴のように弾けた腕はおびただしい量の血を止めどなく流し、断裂した筋肉繊維の束があらわになり、引きちぎれた神経が風にそよぐ。
だが命はもはや腕を動かすことなどできやしないであろうと言うことを理解していながら、何ら後悔を見せず、じっと月夜見の顔を見ていた。
「どういう、ことだ。命? なぜお前の腕が?」
だが月夜見は明らかな動揺を見せていた。命に殴られた。だというのに、より大きなダメージを負っているのは自身でなく、命。その有り得ない不条理に戸惑い、困惑し一歩後退る。
その様子を眺めていた命が静かに語り出す。
「『素戔嗚尊』は、理論こそ単純明快な業だ。静と動の気をそれぞれ陰陽に見立て、反発させるのでなく完全に合一させ、力を手にするという業だ。『静動轟一』は反発した力を持って自身を強化するだけだが、『素戔嗚尊』は自身の中に陰陽説に準えた一つの世界を作り上げ、世界そのものという莫大なエネルギーを持って三貴子の力を再現する。それだけの業。故に三貴子が一人である月夜見、お前には意味のない業だ。父にあこがれ、父のようになろうとした愚か者が編み出した滑稽な業。それが『素戔嗚尊』だ。実際途方もない力こそ手に入るが、一度でも攻撃しようものならば、その部位が力に耐えきれず自壊する」
「馬鹿な、そんなのもはや業ではない。ただの自傷行為ではないかっ」
「そうだ。結局私は武を通じて父を求めていたに過ぎぬだろう。だからこそこれを是とすることができた。できてしまった」
故に間違いだったと命は断じる。父の面影を求め、それを手にしたことを間違いと。だがそれでも、命は止まらない。間違いなど、今更なのだ。神代の時代から間違えてきた。今更この程度の間違いを犯したところで、誰も文句なぞ言うまい。
「私の全てを賭けてお前を止める、月夜見」
ここに千早振る神代の時代から幾
大見得を切った命だが、その状態はけして楽観できるものではない。
身体は度重なった闘いのダメージにより限界まで秒読みだ。その上右腕は壊れきり、微動だにしない。たとえ動いたところで何の役にも立たないだろうが。防御に回れば月夜見の攻撃の前に圧壊するだけだ。
それでいて攻撃に打って出れば相手にダメージを与えられる代わりに自身の身体は壊れていく。勝ち目など一毛の隙間も存在しないだろう。
だがそれでも命は戦う。それが己のなすべき最後の仕事だから。
「うるさい! うるさい! さっきからごちゃごちゃと! お前は私に従えば良いんだ! そうすればもう傷つくことなく安寧とした日々を送れるというのに!」
もはや月夜見は、童が駄々をこねるかの如き言動と化していた。
そんな月夜見めがけ、命は一喝する。
「私はお前に従うつもりはない!」
それが最後の引き金だった。月夜見の髪が重力に反し遡る。身体から凄まじい力を迸らし、身体が金色に輝く。その様はまるで夜空に輝く月の如く。
命と同じ、否真性の三貴子の力を解放した月夜見は、理性の失った瞳に涙をため、命を睨んだ。
姿がかき消える。
命がその身を屈める。髪の毛が月夜見の両の手刀により刈り取られた。すぐさま、かがんだ勢いをバネに、後方へと背面を利用した体当たりをかます。
だが命の身体は月夜見の残像を通り過ぎるだけだ。再び眼前に現れた月夜見の貫手が命の首に風穴を穿たんと迫る。とっさにそれを払い、カウンターの回し蹴りを繰り出すが、後方回転をしながらバックステップを取られたことで月夜見の鼻先をかすめるに終わった。
幸い攻撃が当たっていないからこそ命の身体は壊れなかったが、それでもその負荷は確実に身体へたまっていく。今の命は自動車に戦艦大和のエンジンをぶち込んだ状態だ。オーバースペックどころではない。壊れない方がおかしい状態だ。
待つことを悪手と判断した命が地を蹴る。あまりの脚力に命を中心とした大地がくぼみ地割れを起こす。
暴風と化した命が月夜見へ正拳を放つ。音を置き去りにするその拳は難なく避けられ、腕をくみ取られる。
「なんの!」
されど、それが命の狙いだった。命の腕をつかむ月夜見の手を支点にし、跳び膝蹴りをかます。月夜見の頬へ強烈な足が炸裂する。
月夜見が吹き飛び、わずかに残っていた家屋の残骸に叩きつけられ止まった。
地に降り立った命の左足がはじけ飛ぶ。
足すらも壊れ、もはや立つことすら難しくなった命だが、それでも闘気だけは衰えることはない。むしろより滾る一方だ。表出した骨を地面に突き刺し、身体を固定する。もはや動くことはできない。ただ待つばかりだ。
体中から力をかき集め、残った腕に力を集める。
「これでおしまいだ。全てに決着をつけようぞ」
月夜見もまた、これが最後と本能で理解しているのか、その光量はより増していき、今や太陽と見紛うばかりになっていた。
一瞬の静寂。そして影が重なる。
「これで終わりだ。終わりにしよう」
「なぜだ……なぜなんだ、命」
呆然と呟く月夜見の眼前には、振り抜くことなく止められた命の拳があった。
「馬鹿者。弟子を傷つける師がどこにいる。それに、もう家族を傷つけるのは御免だ」
命の身体が傾く。命の血で染まった月夜見の手が腹部から引き抜かれる。倒れ行く命を月夜見はその血濡れた手でとっさにつかむが、血潮で滑り命の身体は地に伏した。
じわじわと広がる血だまりを前に、月夜見は膝をついた。
「いや、いやぁああああああああああっ――」
そして月夜見も気を失った。