小鳥のさえずりに月夜見が目を覚ますと、眉目麗しい細工の施された木目の天井が見えた。窓から差し込んだであろう斜光が宙を僅かに舞う粉をきらきらと輝かせている。ぼんやりとした頭で、見覚えのない光景だと考えが回ったところで、月夜見は布団を剥ぎ飛び起きる。
地面に足を着くと疼痛が起き、掌を額に押し当てた。外傷こそないが、嫌に頭が痛む。まるで無呼吸で運動をし続けたように、頭蓋骨の内側がガンガンに痛み出し止まらない。
それでも猛烈な痛みを堪えながら辺りを見回せば、衝立で区切られた一部屋にいるらしく、そこには簡素な作りのベッドが置かれており、その近くにある小さな台にはいくつかの薬瓶が整頓して入れられていた。瓶を取り上げてみれば、ラベルには見覚えのある達筆な文字で名前が書かれていた。その瓶からは密閉していても隠しきれないほどの、軟膏特有の強烈な香りが漂いだし、月夜見の鋭敏な嗅覚を刺激する。毒の類いではないことを臭いから判別し、再び薬瓶を台に戻す。
辺りにあるものからおそらく病院の類いだろうと予測しつつも、なぜそんな場所にいるのか月夜見はわからなかった。鍛えに鍛え抜いた身体は鋼の如く頑丈で有り、怪我や病気なぞ寄せ付けない。故に医療関連の施設など月夜見にとって最も縁のない場所だ。だというのに、目が覚めたら病院で寝ているなど有り得ない。
不可解な事態に痛みを訴える頭を無理矢理に動かす。集中すればするほど痛みは激しくなるが、それでも思考を止めることはせず、その甲斐あってか寝起きでぼんやりとしていた思考が徐々にはっきりしだす。そして頭の中がクリアになるにつれ、病室にいるであろう理由を思い出す。
指先に理由が引っかかった瞬間、月夜見は衝立を引きちぎらんばかりに開く。衝立で遮られていた光線が大量に差し込み目を覆う。
視界が利かなくなったが、それでも月夜見はひるむことなく足を前に出す。
「命!」
月夜見の脳裏に浮かぶのは、ただ一つ。腹に風穴が開き力なく倒れる命の姿だ。否、月夜見自身の手で貫いた姿だ。捜さなければならない。何処を捜せば良いのかもわからず、それどころか自分が今どこにいるかもわからないというのに、頭の中でそれらはかき消え、とにかく身体を動かそうとする。
「ここは病室だ。静かにしろ」
その声は、辺りもきちんと認識できていない月夜見の耳にはっきりと届いた。多少弱々しいが、それでも重く低い聞き慣れた声。月夜見の動きが止まる。それと同時にようやく光になれたようで、視界が利き始める。
窓際の病床に、至る所を包帯で巻いた命が寝かされていた。
「み、命!? き、傷は!? 無事なのか!」
人智を越えた身体能力を駆使し瞬きよりも速く命のそばに近寄った月夜見は、布団を奪いとるや有無を言わさず命の服を引きちぎった。
露わになった命の身体は、巻かれた包帯ににじみ出た血の跡が残るものの血の臭いなどはあまりせず、すでに治癒に向かっているらしく、多少皮膚が強張っている程度だ。
震える手でその強張った皮膚に触り、月夜見は涙をこぼしその胸に抱きついた。
「命、命ぉ」
涙がぽたぽた落ちていく。確かな鼓動を刻む暖かな身体がうれしくて、月夜見は命の胸で泣きじゃくる。
「月夜見……」
優しげな声に月夜見が顔を上げると、いつも通り仏頂面な命が月夜見を見返していた。月夜見はゆっくりと顔を命へと近づけていく。お互いの顔が近づく度に心臓の鼓動が激しくなり、顔が熱くなるのを自覚する。月夜見の視線が命の口元に釘付けになった。
「いきなり何をするか!」
「ふぎぃ」
だから命の拳骨を避けることはできなかった。
「な、何をするッ! 命!」
「それはこちらの科白だ。ようやく起きたと思えばいきなり人の服を破くなぞ、お前はいつのまに痴女になった」
打たれた箇所を抑えた月夜見の涙ながらの抗議は、命は一切受け付けなかった。
反論しようとした月夜見だが、命の言葉がぐうの音も出ない正論であることに気づき、今更ながら顔を真っ赤に染め上げた。
「で、私はいつまで夫婦漫才を見せつけられなければならないのかしらん」
入り口の扉に背を預けた永琳が、二人を白い目で
淑女として考えられないような振る舞いを犯してしまい、あまつさえ旧来の友人らにそれを知られてしまい、いよいよもって月夜見は真っ赤になり小さくなり出した。
縮こまった月夜見を無視し、永琳が椅子に座る。椅子がぎしりと軋む。その動きはどこか草臥れたものだった。
「それで月夜見、命、貴方たちはこれからどうするつもりなのかしらん」
永琳の言葉で辺りに重い沈黙がのしかかる。
そんな中、月夜見が口を開いては閉じることを幾度も繰り返し、終いには絞り出すように震えた声で己の考えを口にした。
「帰るべきだろう、
「まあ、それが妥当なところかしらん」
ため息をしいしい、永琳は苦笑を浮かべた。その叡智を極めた頭脳でこれからのことを考えているのだろう。
そしてその計算を終えたのか、懐から一通の紙を取り出すと文をしたため、月夜見に持たせた。
「月にいる弟子達に渡しておいて頂戴」
「わかった」
月へ帰るための門を作り出そうとした月夜見だが、門を作る前に命へ背を向けたまま、一つ訊ねた。
「どうしてあのとき、拳を止めたのだ。あの一撃ならば私が先に打ち抜かれていただろうに」
命はそっぽを向いてぶっきらぼうに答えた。
「……もう、家族を傷つけるのは御免だったからだ」
「そうか……そうか……。まだ私を家族として扱ってくれるのか」
一筋の涙をこぼした後、憑き物がとれたように柔らかな笑みを浮かべ、月夜見は幻想郷から消えた。
「それで貴方はどうするつもりなの、命」
永琳の言葉に、命は歯をむき出しにし笑った。
「決まっているだろう」
「そう」
永琳もまた椅子から立ち上がると、病室から出て行く。
それを見送った命は、立ち上がると包帯を捨て去り、病室から抜け出した。
誰もいなくなった病室に、命の手甲がさび付いた表面を曝していた。
本作はここらでお仕舞いとさせていただきます。つたない作品でしたが、ご愛読ありがとうございました。