が、オラトリオが来て諸々もあったので断念
供養
「......ここで、あっているのだろうか。」
ブラックマーケットの隅っこの、何の利用価値も無さそうな廃ビル。ガラスは全て砕け、フローリングが全て剥がされ、コンクリや配線が丸見えのビルの前で、スポーティな格好の短髪女生徒が、スマホ片手に佇んでいた。
「いや、何度も確認したはずだ。座標もマップアプリも、ここを指し示している。」
かぶりを振って、女生徒は湧き上がった不安を振り払う。勢い勇んで、集合時刻の30分前に来たのが不味かったのだろうか。それとも、もう何日もまともに食べていない為に、思考が後ろ向きになってしまうのだろうか。へそ出しの引き締められた腹から、「きゅぅ〜」っと、高身長な体躯に見合わぬ鳴き声が主張する。女生徒は慌てて自身のお腹を抑えた。誰も聞かなかったよな、と周りを少し気にしながら。
女生徒の名は錠前サオリと言った。件のエデン条約調印式襲撃事件、その主犯である。
古巣であるアリウスから脱走し、家族同然のスクワッドと一旦別れた彼女は、ブラックマーケットで怪しげな日雇いをしながら自分探しの旅を続けている。貧しくも、ただ教義に縛られない自由は、生まれて初めて感じる心地よいものである。中々に充実した日々だ。
しかし、その生活は今、苦境に立たされていた。
もともと爪に火をともす様な暮らしには慣れていた彼女であった。しかし最近は良い仕事に巡り会えず、よしんば仕事にありつけたとしても、大・人・な・依頼主によって劣悪な労働を強いられて、挙句料金未払いと言った事象が頻発してしまう。不当だと訴えようにも、ここはブラックマーケット。キヴォトスの汚い大人が支配する市場だ。当然というか、マーケットガードは動かなかった。
爪の火を灯すどころか、ぶっぱなす火器の弾薬すら補充は困難になる生活。焦りが募る。そんな中。
持っていた最後の携帯糧食を食べ終わったところで、ひび割れた型落ち端末に依頼が舞い込んできた。
「指名依頼 高報酬 休日確約 頭金アリ 詳細ハ現地ニテ」
サオリはスマホに表示された、簡素な電子メールに目をやった。もう六度目の仕草だった。
どう見ても怪しい文面。騙され続けたサオリから見ても、怪しさがびんびんに伝わってくる文面である。
まず何だ、指名とは。わざわざ無名の、実績のない彼女を指名するなんて不審極まり無いしその後に続く三つの文句なんて詐欺の典型だ。サオリも身をもって体験済である。そして極め付けは「詳細ハ現地ニテ」だ。仕事内容すら伏せられているし、カナ文字表記である意味が分からない。
何だこれは。新手の罠か。
サオリはその短文の意図を理解しようとするのにたっぷり30秒費やして、無駄に貴重な数キロカロリーを失った。だが文にこびりついた怪しさすら払拭できなかった。
だが結局のところ、サオリはこの依頼を受けようとしている。だから今こうして、添付された座標で待ちぼうけているのだ。これ以外には、サオリを騙したヤツらがのうのうと出してくる依頼しか無かった。選択肢は無い。まさに藁にもすがる思いだった。
(五分前か...)
バッテリーがあと僅かのスマホは、夕方6時5分前を表示している。宵は街路を仄暗く染め、空気を少しずつ冷やしていく。サオリの心にも宵が入ってくる様な気がして、彼女はぶるっと身震いした。
(もし、依頼主が来なかったら...?)
彼女は明日のことを想像した。できなかった。これから深まるブラックマーケットの夜の様に、彼女の生活の先には何も見通せない。続いているかも知れない。或いは一寸も行かぬうちに、道は途切れて、サオリは滑落するかも知れない。足を滑らせて、一人で、底へ。彼女のヘイローがどんどん小さく見えて、やがて消える。いつの間にかサオリは寒さ以外の為にも体を震わせた。
(...Vanitas vanitatum, et omnia vanitas. ...か。)
全ては虚しい。かつては当然のように受け入れていた教義が、今は恐ろしい警句となって目の前を覆い始めている。それがまさに真実であるのだと、今更そのように彼女を塞いでいる。
ああ、暗闇よ。何ゆえ彼女を覆うや。それとも、人の真とは正に其れなりや。
6時まであと少しである。ついにスマホは暗転して、それっきりになった。
「おい、お前。そこで何してる。」
不意にサオリに声がかけられる。依頼主か。ばっと彼女が顔を上げる。気づけなかった。よっぽど考え込んでしまったらしい。それとも、空腹で注意が散漫になってしまったのか。どちらとも言えそうだが、まぁなんにせよ、来たのなら問題はない。
「こちらはマーケットガードだ。先程から突っ立っているが、何をしている?どこの所属だ。」
「...所属は無い。流れの者だ。」
違った。人型ロボットのマーケットガードが二体、アサルトを構えてこちらを警戒していた。巡回だろうか、片方はトランシーバーに何やら報告している。戦闘するつもりはなさそうだったが、とはいえ簡単には終わらせてくれそうには無い。面倒なことになった。サオリは内心でそう思った。
「流れ?まあ、ありふれてるな。」
「ああ。それで少し人を待っているだけだ。悪いな。」
アリウス分校と言わなかったのは、明かしても伝わらなかっただろうし、自分が分校の所属であるかどうか、もう疑わしかったからだ。
かつての任務で、決してアリウスと名乗ってはいけないと厳命されていたのもあるが。
ロボットの片割れはまたもレシーバーに何かぶつぶつ言って、そしてプッシュボタンを離した。
「はは。いいぜ。そういう奴はごまんといる。ここはブラックマーケットだからな。ただなぁ...わかってるだろ?ここではなんでも金がいるんだ。」
「もちろん、お前が立ってる、そこのショバ代もな?」
ロボット二体の口調が明らかに崩れた。後ろ盾のない生徒とわかってのことだろう。親指と人差し指で輪を作り、サオリに見せた。つまるところ、賄賂を寄こせ、と。
「...持ってない。」
「あ?」
「1円もない。」
サオリは俯いた。少し悔しそうに、帽子を深く被った。
「マジでか?傑作だな。」
「嘘は良くない...が、その様子だと嘘じゃなさそうだな?ハハ、ウケる。」
質の悪いスピーカーから嘲笑がサオリに向けられた。無意識に、ぎゅっとスマホを握りしめる。ヴァニタス。心のうちで一つ唱えてしまった。銃弾に余裕さえあれば、今すぐにでも撃ってやりたかった。ただそれをやってしまえば、依頼は受けられない。あとに来るであろう増援を考えると、撃ち尽くすであろうことは目に見えていた。ヴァニタス。また一つ唱える。フラッシュバックのように、何度も何度も頭がそれに染められていく。
「じゃ、その銃とリュックとスマホ置いてけよ。いくらか金になんだろ。」
ロボットが銃を構えた。見かけ通り血も涙もなく無慈悲だった。ヒートアップした要求に、しかし怒りすらわかない。かつてアリウス分校で何度も分からせられていたヴァニタスの思想は、いよいよ彼女を再び覆わんと───
「6時、ピッタだオラァ‼︎‼︎」
する前に、一台の大型車が、宵闇を切り裂いて彼女の前に急停車した。
「「おわぁぁぁ⁉︎」」
二体のロボットを轢き飛ばして、である。地上発の流星が、空に向かってきらりと消えていった。
「すまんね、お姉さん!デートの待ち合わせはまだ有効?」
跳ね飛ばした車から、いやに明るい声がする。運転席の窓が開いて、偉丈夫な男子生徒がサオリへ人懐っこそうに笑いかけた。
「...デ、デート?」
普段から冗談の通じない、お堅い彼女である。空腹が拍車を兼ねて、その意図を受け取るのに失敗したようだった。
「あ、ごめんごめん。つまるところ、仕事の依頼だよ。指名したろ?」
「ああ。...えっ」
サオリは電池の切れたスマホの液晶と、目の前にいる男子生徒を交互に見た。何度も見た。
「依頼主か⁉︎」
「ソウダヨ」
カタコト染みた口調の返答。依頼主その人である。
この依頼のあとサオリを雇ったり云々する予定だった
また挑戦するかも?