今回もよろしくお願いします。
プロローグ:得体の知れない焦燥
瞼を閉じた先は戦場だった。
狂乱、混沌、無秩序の中に広がる、根源たる劫火。
鼻の奥に突き刺すような自分の血の臭いがこびりついて、炎の熱が筋肉の戦意を引き千切って。
———刹那の間に右腕が彼方へと飛ばされる。
「……やっぱり駄目ね」
諦めの吐息を小さく漏らし、女は瞼を持ち上げた。
記憶の中を抜け出して現れたのは一振りの刀、それが安置されている質素な台座だ。
「いつになったら落ち着くのかしら」
毎朝欠かさずに瞑想を行ってきた。全ては過去の記憶を葬るために。
だが、そんな努力をあざ笑うかのように、心の中の修羅は大きくなっていく。
「平穏なんて、私には贅沢な願いなのかしら」
諦めにも似た言葉を零しながら、女は陽炎のように顔を上げる。
安置されている刀は初めて見たときから変わらない。簡素ながら美しい意匠、仄かな反りを携えた紫の肢体。
鞘に納められてなお、内から漏れる殺意には鳥肌さえ立つ。
女の役目はその殺意を守ること。内からも、外からも。
生ある限り。
「私が私である限り、永遠に訪れないようね」
女は立ち上がった。
わずかな痺れに眉を顰めつつ刀に背を向け扉の方へ。
観音開きのそれが開かれたのはその時だった。
「失礼いたします」
口調は変わらず、けれど焦りを覗かせながら一人の男が入ってきた。
断りを忘れることのない男の行動に女は訊ねる。
「なにかあったの?」
「つい先ほど、瑞野の式神が林道にて例の一団を発見いたしました」
背筋をじっとりと嫌な汗が伝う。
絶対に周囲に知られてはならない。腹に力を込めて平静を保ちながら。
「確かなの?」
「はい。人数、風体、どれも手配書に記されていた通りです。現在は泡沫領と隣領の境界を跨ごうとしているところです」
「分かりました。私が行きましょう。あなたは隣領の守り人に文を届けてからいらっしゃい」
「承知しました」
男が去った後、女は再び安置されている刀に振り返る。
「……考えすぎかしら」
超常的な力を持とうと刀は刀。使い手さえいなければ凡百な鉄塊でしかない。
……そう思いたいのに、否定すればするほど嫌な予感は膨れ上がる。
万が一、本当に万が一。
この予感が当たるとしたら。
「……いえ、弱気になっては駄目ね」
たとえ災難が降りかかろうと役目を果たすまで。
それが女の———泡沫の園の管理人の責務なのだから。
「行ってきます」
別れの言葉を残して、両開きの扉が閉じられる。
無人となった本殿。外の音が空しく反響する暗がりで。
刀は鈍い光を放っていた。