「息はあるか? 悠」
「たづき……さん……」
石畳を踏む固い音を鳴らしながら現れた白髪金眼の偉丈夫。
その目に明確なまでの怒気を滲ませながら、けれど労わるような口調で告げる。
「案じるな。すぐに終わる」
言葉は悠へ向けたものだが、その眼差しは傍らに佇む男を離れない。
一方で男は見るからに手強い増援の登場にたじろぐも、すぐに勝気な調子を取り戻す。
「なんだ、死にてぇ奴がまだいたのか。探す手間が省けて助かったぜ」
「そうだな。こちらも逃げた一人を追いかけずに済んで助かった」
「あ? 逃げただ? 誰が逃げたってんだ? 俺ぁ自分の仕事を果たそうとしてただけだ」
「理由はなんであれどうでもいい」
腰の刀に肘を置き、ため息を零しながら龍己は告げる。
「他の賊はすでに捕縛してある。大人しく投降するのなら手荒な真似はせん」
「ハッ! 馬鹿言え。んな嘘に引っかかると思ってんのか?」
男は鼻で笑っているが、悠は確信していた。
彼の言葉は本当だ。あの時、一人で幾人もの武人を制圧した久遠が負けるはずない。
「そうか。ならば、力づくで大人しくしてもらおうか」
全身からもうもうと気迫を滾らせながら、龍己はスラリと刀を抜く。
打刀ほどの長さで反りは浅い。直刃の刃文は華美な装飾を排した機能美を象徴していて、円環の鍔も拳一つ半の柄も使い勝手を追求したシンプルなもの。艶消しされた鞘も相まって一つの武器を思わせる。
だが彼は知らない。この男が妖術師だということを。
刀一本で立ち向かえる相手じゃない。このままじゃ悠の二の舞になる。
(伝えなきゃ……!)
悠が唯一出来ることは———やらなければならないことは、痛みに蹲ってることじゃない。
龍己の勝てる可能性を最大まで引き上げること。
……自分なんかに目をくれるな。
……全身全霊で役目を果たせ。
「た……つきさ……ん」
感覚のない手を握りしめ、悠は叫んだ。
「龍己さん! こいつは、妖術師です!」
「ああ、知っている」
文字通り血反吐を吐きながら叫ぶも、返ってきたのは淡白な声のみ。
依然として佇んでいる龍己は、策を講じている様子も講じる様子もない。
呆気にとられる悠の眼前で、先手を打ったのは男だった。
「死ね……『
男が奇妙な形に指を折り曲げた瞬間、男の周囲の空気が蠢き、見えない刃となって龍己目掛け射出された。ぴゅんと空を切る音を立てながら、不可視の殺意が標的へ殺到する。
しかし、堂々たる佇まいの偉丈夫はピクリとも動こうとしない。
ただ一言何かを呟いただけ。
———刹那、甲高い音を立てて奇妙な風が霧散した。
「覚えておけ、悠」
余波に髪を靡かせながら、さながら教鞭をとるように龍己は言った。
「大抵の術師は術の名を口にすることで妖力を練る。故に口さえ先に潰してしまえば、体内で完結する簡易な妖術でもない限り易々とは行使できん」
場違いとも言える教授に悠は頭が真っ白になった。多量の出血と大怪我のせいで混濁した意識では、彼の言葉は欠片も分からない。何を言っているのか分からない。
ただ、賊の男はすべてを理解したようで。
「チッ、テメェも俺と同類かよ」
「一緒にするな。ならず者風情が」
身がすくむほどの怒気を纏いながら龍己は宣言する。
「行くぞ」
はっきりと聞こえた声が風に攫われるより早く、龍己は男の眼前へ接近。
反応が遅れた男の腹部へ手のひらを押し付け、叫ぶ。
「『風槌』」
「ぐほっ———‼」
男は体をくの字に曲げて吹っ飛び、離れた柵に突っ込んだ。
ガラガラと崩れる柵を払いながら、激情に滾る眼で龍己を睨みつけながら刀を掲げる。
「馬鹿にすんのもいい加減にしろ!」
体勢を整えないままに突進するも、刀の側面を押されてすんなり受け流される。
大きく前方へ体勢を崩す男の顔面に拳を叩きこむと、龍己は身を翻して倒れこむ体を躱し、首筋を柄で殴打。
踏ん張る力などあるはずもなく、男は顔面から地面へ激突し、そのまま意識を失った。
一瞬の出来事だった。誰が何をどうしたか、詳しいことなど把握する余裕なんか無く、あっという間に妖術師は無力化された。
確かなことは、これで一件落着ということ。
肩の力を抜く龍己を見て確信すると、悠もまた眠るように意識を手放した。