カクリヨ・レヴナント   作:華月 珠音

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第十四話

 山間から覗く朝日に悠は目を細めた。

 そろそろ瑞野が朝餉の準備に取り掛かる頃だろう。ここ何日か手伝っていたが、今日は無理そうだ。

「ふぅ、ふぅ」

 早朝にそぐわぬ大量の汗を拭いながら、悠は石段を一歩一歩上る。

 とうに数百段は踏破したはずだ。それでもなお頂上が見えることはない。

 かといって弱音を吐くことも出来ず、黙々と石段を上っていく。

 前を行く久遠は呼吸すら乱れていない。悠とは違い袴の上から丈の長い衣を着ているので歩きづらいはずだが、下手したら悠より淀みなく歩みを進めている。

 ……強いな。

 単なる体力の問題じゃない。弱音どころか言葉さえ吐かず、重い沈黙の中を歩んでいる。

 どれぐらい経っただろうか。

 無限に続くと思われた石段が終わりを迎えた。

「ここは……」

 予想に反して、というべきか。

 たどり着いたのは、一軒の小屋がポツンと置かれた空き地だった。

「本殿じゃないんですか?」

「これが本殿よ」

「えっ、これが?」

 言われても分からない。

 生い茂る木々に囲まれた一軒家。本殿というより山小屋や避難所のようだ。

 一室しかないような木造の小屋で、屋根は青鈍色の瓦が張られている。目立った装飾や名前の刻印なんかは一切なく、妖刀が祀られている場所にしては随分と質素だ。

 久遠は階段の手前で草履を脱いだ。

「行きましょう」

「え? は、はい」

 悠も後に続き小屋の中へ。

 ところが、両開きの扉が開かれた瞬間、言いようのない感覚に支配された。

 形容しがたい感覚だ。

 泥濘のようにドロリとしていて、熱した鉄のように脅威的な熱を帯び、氷柱のように鋭利な冷気を放っている。

 言うなれば。

 ———殺意。

 縮み上がる全身の筋肉を叱咤し、悠は中へと足を踏み入れる。

 広さは十畳ほど。板張りの床は塵一つなく清潔で、部屋の四隅に燭台が置かれている。

 そして、扉を背にして正面の台に、それは安置されていた。

「……これは」

 優美な曲線を描く一振りの刀。打刀よりやや短い程度の刀身は浅く弧を描き、蝶の翅模様が彫られた紫紺の鞘に納められている。同色の柄には模様がない。左右非対称の短い鍔は西洋の剣を思わせる形状で、柄頭の輪には一枚の布が巻き付けられている。

 ただ、何よりその刀が異常なのは、絶えず発せられる殺意だった。

 殺気なんて生易しいものじゃない。気を抜けば一瞬で命を奪われる獰猛な意志だ。

「これが妖刀『熾葉(おきは)』よ」

「……ッ⁉」

 園の存在意義であり、同時に最大の脅威となるもの。

 低く呟くような言葉に、悠は固唾を飲み込んだ。

 不意に久遠は歩き出した。

「久遠様?」

 問いかけに応じず部屋の中心に立つと、その場に腰を下ろす。

「悠もいらっしゃい」

「えっ? ま、マジすか」

「もちろんよ。大丈夫、手に取らない限り害にはならないわ」

「そ、そうでしょうけど……」

 ただでさえおっかないのだから近づくなんて無理難題だ。

 しかし、ここで拒むほどの勇気もなく、恐る恐る久遠の隣に腰を下ろす。

 チラリと横を見ると、ちょうど目を閉じたところだった。

「あなたも目を閉じて、気持ちを落ち着かせてみなさい」

「出来るかな……」

「無理にはしなくて良いの。ただ目を閉じて、周りに耳を澄ませばいい」

「は、はい」

 躊躇いながらも目を閉じる。

 視界が遮断されたことで、その他の感覚器官が一斉に働き始めた。

 そよ風の音、木材の香り、床に伝わる自分の体温、舌を掠める瑞々しい森さえも鮮明に感じる。

 ただ何よりも、目の前の妖刀を感じざるを得なかった。

 そよ風に混じってリンと鋼の音が。

 木材に混じって無機質な鉄の臭いが。

 温もりも生気も無く、ひたすらに全てを黙らせるだけの死の気配。

 暗くなった世界の中で、ただそれだけが自らを主張している。

 恐ろしい。

 ひたすらに恐ろしい。

 理性ある言葉なんかじゃ言い表せない、本能が鳴らす恐怖の警鐘が、止まず心を蝕む。

 ……そっか。これが、人を殺す力なんだ。

「気付いた?」

「……なんとなく、ですけど」

 目を開け、ポツリと悠は訊ねた。

「熾葉はなんで生まれたんですか?」

「分からないわ。でも、いくら妖刀と恐れられていようと元は武器、誰かを害するために生まれたのでしょうね」

「害する……ため……」

「人間もそう。一度人を殺めてしまえば、絶えずその誘惑に罹ることになる。邪魔なあいつは殺せばいい、悪いあいつは殺せばいい。どんどんと歯止めが利かなくなって、気付けば誰かを殺すことで自分を保つようになってしまう。それは、強さでもなんでもない」

 久遠の口調は責めているわけではない。ただ事実を並べているだけ。

 それが何よりも心に響いた。

「力に形はない。人を生かすも殺すも当人次第。力は、その意志を助ける道具でしかないの」

 目を開け、悠を見つめる久遠。

 強い精気を帯びた瞳で。

「でもね、人を生かす力は、殺す力よりもずっと強くて難しい。だから、力だけを求めてしまえば、いずれ易しい道を———人を殺す道を進んでしまう。どれだけ崇高な意志を持とうとね。あなたは、人殺しになりたいの?」

「……っ!」

 首を振りたかった。

 でも、その資格がないことは分かり切っていた。

「いずれあなたは、この刀のようになっていた。今はどう?」

「……なりたく、ないですよ」

 断言するような言葉を、けれど苦悶の表情を浮かべながら絞り出す。

「じゃあ俺は、どうすれば強くなれるんですか」

 久遠の言葉は尤もだ。

 だが悠にそれを飲み込むだけの器はない。

 賊との相対、そして龍己の実力を見てしまっては、嫌でもその差を知らしめられる。

 悠長に一日一日を積み重ねるだけじゃ駄目なのだ。

「俺はここを出ていきたくないんです。だから———」

「どうして?」

「へ?」

「どうして、あなたはここを出ていきたくないの?」

「それは……」

 答えようと開いた口は、けれど何も紡ぐことなく閉ざされる。

 分からなかった。なぜ必死に園にしがみついているのか。

 漠然とした気持ちだけで、いざ理由を答えようとしても、言葉は喉につっかえたまま出てこない。

「恩を返したいと言っていたけれど、共に暮らす必要はないでしょう? 街で働きながらたまに手伝いに来るとか、やりようはたくさんあるもの。それに、すでにあなたはみんなに認められているわ。もう赤の他人などではない。「会えてよかった」と、「いてくれて助かった」と思っているはずよ」

「……」

「もう執着する必要はない。それなのに、どうして園に———私たちにこだわるの?」

「……それは……それは……」

 分からない。

 もう何も分からない。

 思考が勝手に役目を拒み、同調するように喉もぴたりと張り付いて開かない。

「……分からない、です。俺は、どうして……」

 ただ。

 ただ一つだけ。

 ———園に残りたい。

 その思いだけは、未だに強くこびりついている。

「本当に分からないんです。でも、なぜかここを出ていきたくない。ここを出ちゃ駄目だって、自分でも分からないのにそう思っちゃって」

「麓の街は見たでしょう? あそこならあなたを温かく迎えてくれるし、少し歩けば私たちにも会える。それでも嫌?」

「はい。嫌です」

 涙を必死に堪えながら悠は頷く。

 久遠は目元を赤く腫らした顔を見つめながら、囁くように言った。

「あなた、ここ数日はみんなのお手伝いをしているそうね。瑞野からも俊人からも聞いているわ。ただでさえ寒いのに頑張っているって。龍己も、稽古の時のあなたを見て驚いたそうよ」

「別に俺は、やるべきことをしているだけです」

「本来はあなたの仕事じゃないでしょう? どうして手伝ってくれたの?」

「……」

「また、分からない?」

「……はい」

「分からないことだらけね」

「……はい」

 久遠はため息を吐いた。

 失望された。胸にじわじわと広がる感覚に、悠は唇を噛みしめる。

「あなたが頑張っているのはとても喜ばしいことよ。でも、それが修羅となるためなら認められない」

 酷く冷たく、感情のない無機質な声。

 久遠は視線を外し、立ち上がって言った。

「今日からあなただけ稽古を禁じます。早朝はもちろん、午後にみんなとやることも駄目よ。答えが出るまで、それかあなたが園を去るまで」

 そう言い残して、久遠は去っていった。

 パタンと扉が閉まる音が、狭い本殿に空しく響いた。

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