カクリヨ・レヴナント   作:華月 珠音

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第十八話

「……どうやらあの小童は滞りなく知らせたようだな」

 口の端を頬まで裂き、鎌鼬はおおよそ獣とは思えない笑い声を立てた。

 理性的で、理知的な残酷さ。

 他の生命とは一線を画した風格に、口内が瞬く間に乾いていく。

「やはり、わざと見逃したのだな」

「無論よ。儂があの程度の塵芥を仕損じると思うておるのか?」

「思っていない。だから疑問なのだ。なぜ、あの僧を見逃した? 俺をここへ連れてくるためか?」

「キヒッ、己を今一度鑑みろ、小童」

 侮蔑の籠った眼差しを向け、鎌鼬は深く嘆息する。

「儂が望む者はただ一人。貴様ら人間が身の程知らずにも守り縛る妖刀よ」

「……熾葉か」

 その名を口にした途端、鎌鼬の目に歪んだ精気が宿る。

「あぁ、熾葉……久しく聞かなかった名だ。今なお、その力は健在か?」

「貴様に知らせる義理はない。熾葉を狙うと言うならば、俺が相手となる」

 スラリと愛刀を抜き、左手で短く掌印を結ぶ。

 この場にいるのは泡沫の園の使用人として、だ。

 余計な感情を排し、自らの役目に徹する。それが龍己に課せられた使命。

 それでも、ふと気を抜けば嫌でも惨状が目に入る。

 ———そこは人の屍で作られた地獄だった。

 北東に位置する小さな村。村人全員が親族のように助け合って暮らしており、距離が近いこともあって園や町も懇意にしている。

 からからと回る水車、畑仕事に精を出す男衆の掛け声、代わり映えしないながらも平和な毎日に、和気藹々とした空気が流れていたのを覚えている。

 それが今や、家屋は巨大な刃で薙ぎ払われたように倒壊し、人々は全身を切り刻まれて物言わぬ屍と化してしまった。幼い我が子をかばおうとしたのか、女の亡骸の中には半身が千切れた子供の姿も見えた。

 むせかえるほどの血臭に、気付けば龍己は眉を顰めて睨んでいた。

 この惨状を生み出した根源へ。

「ほう、怒りか」

 抑え込んでいた殺意さえ、その一端が覗くほどの睥睨を。

 けれど鎌鼬は愉悦と言わんばかりに目を細めて。

「哀れなものだな。死ぬべくして死んだ塵芥に心を蝕まれるとは」

「死ぬべくして死んだ、だと? 狂言も大概にしたらどうだ、畜生ごときが」

 溢れんばかりの怒りを押し殺して、それでも口からは感情が漏れ出す。

「貴様が切り裂いた男は去年の暮れに女を娶った。人当たりの良い青年だった。おかげで結婚した時は家に入りきらないほどの人が祝福し、これから新たな人生を送るはずだった。貴様が徒に殺した母子は、父を早くに亡くしながらも女手一つで暮らしていた。子供はそんな母の姿を見て幼いながらも立派に育っていき、村の者に可愛がられながら再来年には一人前の大人として迎えられるはずだったのだ。この場において誰一人、死ぬべくして死んだ者などいない」

「キヒヒッ、愚かなものよ。身の程もわきまえず、あろうことか己のことも分からぬとは」

 金色の瞳には何も映っていない。

 倫理も道徳も単なる些事———いや、道化の一つにしか思っていない。

「弱き者は死ぬべき者。それすら分からぬのならば、死して学びとするが良い」

 人間と妖というだけではない。目では見えない、けれど絶対的な隔たりがある。

 到底理解し合える存在じゃない。

「そうか。ますます、貴様を生かしてはおけないな」

「死ぬべくして死ぬ者はおらんのではなかったか?」

「そうだ。だが貴様は徒に命を踏みにじった。ならばその命を消し飛ばされたとて、文句は言えないはずだ」

 短く呪文を唱え、全身に見えない鎧を纏う。

 風の防膜。一方向に絶え間なく流れる風の層によって周囲から肉体を遮断する術だ。

 ……相手は風の妖。気休めにしかならないだろうが、仕方あるまい。

「泡沫の園の使用人が一人、龍己。参る」

「来い。儂を楽しませて見せろ」

 口調とは裏腹に退屈そうに視線を外す鎌鼬。

 その横顔へ龍己は切りかかる。

 ガキンッ

 刃と刃がぶつかる。

「見逃すと思ったか?」

 ぞんざいに片腕を振る鎌鼬は、しかし次の瞬間に鼻先に鋭い痛みを感じ目を細める。

「ああ、思った」

 愛刀から手を放していた龍己は、半透明の短刀を掲げながら言った。

「目先のことも分からぬ阿呆だからな」

「ケッ」

 鎌鼬は風に乗って素早く飛び退いた。

 振り下ろされた短刀はただ空を切るのみ。

 前傾姿勢が生んだ隙を逃さず中距離から三連続の風刃が迫る。

 人間の粗悪な模倣とは違う、本物の妖の術。生身で受ければひとたまりもない。

 すかさず妖力を練り、地面から土の壁を顕現。バチンと重い響きを伴って壁は崩れ、対面するや否や龍己は妖力で苦無を精製する。

 妖力単体で形作る術は、土や風といった性質そのものを弄る術と違って不安定な反面、燃費と汎用性に長けている。

 計五本の苦無を中空に浮かべて一斉に射出。

 空を切る凶器に、鎌鼬は鼻を鳴らして片腕を上げる。

「貧弱だな」

 嘲弄と共に振るわれた腕が苦無を叩き落とす。

 その時すでに、龍己は死角へと入りこんでいた。

 妖力により強化された刃が白銀の体毛をかき分け皮膚へ。

 と、思った刹那、

「遅い」

 短い一言と同時に右肩に冷たい感触が走る。

 気付いた時には冷気は灼熱へ形を変え、鮮血を伴って噴出した。

「くっ」

「知らぬのか? 儂は風に乗り、風を操る者。その程度の動き、とうに見切っているわ」

 正面から迫る巨大な鎌の一撃。

 辛うじて刀で受け止めるも、強化されてなお鋼鉄の刃にわずかな亀裂が走る。

 切り結ぶなどもってのほか。近接戦では分が悪い。

 足元に意識を集中して呪文を唱え、龍己自身も風に乗ってその場を離脱。

 驚異的な膂力による一撃は地面を砕き、辺り一面に土ぼこりを巻き上げる。

「聞こえなかったのか?」

 離脱した龍己へ視線を合わせ。

「見切っているのだと!」

 鎌鼬の周囲の空気が動き、土ぼこりを巻き込んで一陣の風となって龍己へ迫る。

 すかさず術を唱えて風の防膜を重ね掛け。

 ところが、その隙に背後に回り込んだ鎌鼬が龍己の背中を切り裂いた。

「くっ、早いな」

「今更気付くか」

「再認識しただけだ。おかげで雑念を断ち切れそうだ」

 軽口を叩きながら治癒と身体強化を掛け、二撃目が放たれる前に距離を取る。

 風に乗って動く鎌鼬の前では距離など何の障害にもならない。

 ……下手に距離を取るぐらいなら、近接戦で方をつけるべきか。

 脳内で作戦を立てていると、不意に鎌鼬が口を開いた。

「いかに雑念を振り払おうと、人間ごときが儂に相対すことなど不可能よ」

 淡々と事実を告げるような口振りで。

 一方で、その瞳にわずかばかりの興味を浮かばせて。

「だがその腕、凡百な塵芥とは違うようだな。少しばかり見直したぞ」

「貴様なぞに認められてもうれしくない」

「たわけ。認めるにはまだまだ力不足よ。だが面白いものは見れた。一度だけ見逃してやらんでもない」

「見逃すだと?」

「命が惜しくばな。その腕前であれば、数年後には更なる強者へと至るであろう。故に見逃す。どうだ?」

 気安さでも出したいのか、歪な笑みを作りながら語り掛ける鎌鼬。

 ……答えはとうに決まっている。

「逃げるわけにはいかん。貴様に園の敷居を跨がせるわけにはいかんのでな」

「ほう、ならばこの場で死ぬというのだな?」

「死ぬ気などない。ただ、戦うだけだ」

 直後、両足に溜めた風の術を解放し、瞬間的に距離を縮める。

 鎌鼬の目と鼻の先に到達した龍己は刀を振りかぶった。

「ふんっ、下らん」

 怪訝な顔で片腕を上げた鎌鼬は、しかし十全に上がり切ることはない。

 今や地面の土は泥濘と化し、鎌鼬の両足を掴んでいたのだ。

「この程度、儂の妨げにはならん」

 空気が動き始め、刹那に白銀の獣は軌跡を残して龍己の背後へ回る。

 予期していたと知る由もなく。

 『晶針穿(しょうしんせん)

 水晶の針を生み出す妖術。込めた妖力に応じて大きさや強度が変わり、術の出の速さや威力は初歩の術の中でも特に実戦向きだ。

 攻撃の体勢を取っていた鎌鼬は、鼻先に迫る鋭い針に為すすべなく貫かれた。

 ……はずだった。

 ビュンと頬を空気が霞め、背後から強烈な殺気を感じる。

「ッ⁉」

 すぐさま体をねじって回避。

 ギリギリのところで避けた攻撃は背後の家屋へ衝突し、けたたましい音を立てながら吹き飛ばした。

「……存外悪くない」

 一瞬で移動した鎌鼬は言った。

「先の一撃は単なる囮、本命は背後へ回った儂への術、か? いや、避けることも織り込み済みであろう。そのうえで、次なる一手に対して反撃を考えていた。違うか?」

「……」

「沈黙。肯定か。だが見くびられたものよ。儂がみすみすその程度の攻撃に当たるとでも?」

 静かに怒りを携え、鎌鼬は体を持ち上げた。

「笑止。塵芥にしてはやるが、それでも貴様ごときにやられるほど落ちぶれてはおらん」

 強靭な四肢で大地を踏みしめ、眼孔を鋭利に光らせながら。

「ここまで耐えた褒美だ。最期に見せてやろう。我が風の妙技を」

 高らかに宣言した瞬間———鎌鼬の姿が消えた。

 否。空を切る音を立てながら、龍己の周囲を高速で動き回っているのだ。

「くっ、そういうことか」

 徐々に風を帯びていく動きに唇を噛む。

 瓦礫も土煙も取り込んだ風はたちまち小さな竜巻と化した。中心の龍己はまさに台風の目、けれど脱出不可能の現状に焦りばかりが募る。

 ……土壁を立てて身を守るか? いや、視界が遮られるのはまずい。風の防膜ももはや無意味。

「ならば……」

 刀を地面に突き立て、全身に余すことなく妖力を行き渡らせる。

 無色透明の妖力は体中に行き渡ると、細胞一つ一つの繋がりを強固なものへ変えていく。

 『金剛身(こんごうしん)』は生身の肉体を鋼の甲冑のように固くする術だ。身動きが出来なくなる半面、生半可な攻撃をものともしない防御力を得る。

 ……攻撃が途切れた瞬間が狙い目だ。

 妖術に意識を集中させ、けれど周囲にも視線を張り巡らせ。

 龍己は好機が訪れるのを待った。

 その時だった。吹き荒れていた風が一瞬にして止んだ。

 ……なにっ?

 突然晴れた状況に困惑する龍己。

 その直後、全身を激痛に襲われた。

「なっ———⁉」

 前触れなどない連撃に金剛身も解け、龍己は地面に倒れ伏した。

 体から血が流れていくのを感じながらも、次第に意識が遠のいていく。

「分かったか? これが我が力、我が特権よ」

 頭上で鎌鼬が告げる。

 明らかな勝利宣言。

 同時にそれは、園への宣戦布告だ。

「心配ない。すぐに仲間も送ってやろう」

 最後にそう言い残すと、一瞬にして周囲から動くものが消え去った。

「……あがっ……がっ……」

 急いで伝えなければ。そう思いながらも、体は言うことを聞かずその場に倒れ伏すばかり。

「……逃げろ……」

 届くはずのない言葉を呟いて、龍己は意識を手放した。

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