カクリヨ・レヴナント   作:華月 珠音

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第一話:隻腕の女武人

 みすぼらしい布切れが一枚。

 それが少年に与えられた全てだった。

 

(……寒っ)

 

 皮膚を刺す寒気から逃れるべく、少年は身を縮こませて熱を抑え込む。

 身長は平均的だが骨と皮しかなく、落ちくぼんだ目元や下瞼に浮き出た隈に血色の悪い肌と、不健康を絵に描いたような容姿だ。脂っ気のない短い黒髪は乱雑に切られており、唯一黒紅色の瞳だけがかすかな輝きを放っている。

 少年は断続的に脳を揺らす鈍痛に顔をしかめながら辺りを見回した。

 随分と狭い場所だ。ガッタガッタと揺れる木板の床はおよそ五畳ほど、立つと膝ほどになる柵と骨組みに薄汚れた白い布を被せただけの、いわゆる荷馬車のような空間。

 そんな場所に十人ほどが詰め込まれている。みな若者と言って差し支えない年齢の者たちだ。中には十歳にも満たない子供もいるが、一様に絶望に沈んだ表情で膝を抱えている。

 

(穏やかじゃないな……誘拐されたのか?)

 

 仮に誘拐なら、自分もその渦中にいるわけだが。

 何が起きているのか、思い出そうにも頭痛に阻まれて思い出せない。

 

「ねぇ、ここどこ?」

 

 隣で膝を抱えている青年へ問いかけても返事はなし。むしろ怯えた表情で口をつぐむ始末だ。

 委縮しているのか知らないが、ぱっと見健康優良児の癖に小声さえ出さない姿には苛立ちが浮かんでくる。

 深呼吸をして気分を落ち着かせ、周囲の状況を探るべく息を顰める。

 

(外にいるのは……十人? いやもっとか?)

 

 やけに重々しい足音をさせながら荷馬車の周りを囲んで歩いているようだ。

 よくよく耳を澄ますと、人間の足音に混じって偶蹄類の規則的な足音まで聞こえてくる。

 

(ほんとに荷馬車なのかよ……⁉)

 

 電気自動車なんて先進的な乗り物がある現代においては過去の遺物と言わざるを得ない。バンやトラックでは足が付きやすいから敢えて、なのだろうか。蒸気機関車より遥かに珍しいのだから無駄だと思うが……プロにはプロなりの合理的理由があるのだろう。

 少なくとも誘拐事件なのは確か。生活音より環境音が多い辺り、人目につかない田舎道を選んでいるようだ。誰かが通報してくれる望みは薄い。

 

(せめて自由に動ければいいんだけどな)

 

 両手も両足も太いロープで雁字搦めにされていて脱出は困難を極める。強引に引き千切るなんて芸当が出来れば些事だろうが、少年にそんな力は無い。

 かといって諦める気もさらさらなく、先ほど声をかけた青年に再度接触を試みる。

 

「ねぇ、このロープ解ける?」

「うっ……なに?」

「早く逃げないとマズいでしょ。無理なら後ろを向いて。何とか出来ないか試してみるから」

 

 再三の声掛けにも青年は微動だにしない。

 うじうじし続ける姿に段々ともどかしくなっていき、声もつい大きくなっていく。

 ついに。

 

「うるせぇぞガキが!」

 

 突如として天幕を捲って入ってきた男にこん棒で殴られた。

 頭頂部から尾てい骨にかけて凄まじい衝撃が走り、束の間呼吸が出来なくなる。

 

「またくっちゃべってっとこ見たらただじゃおかねぇからな」

 

 悶絶する少年に吐き捨てて男は去っていき、車内は暴力的な沈黙が制してしまった。

 青年の方も同様の目に遭ってしまい、恨めしい眼差しを向けられた。

 

(ほんとバカしちゃったな)

 

 後悔先に立たず。一度警戒されれば、たとえ小声で話そうとすぐに気付かれる。

 残されたのは奇跡を待つことだけ。

 諦めの二文字が脳を侵し、少年は力なく項垂れる。

 不意に、御者と思しき男が口を開いた。

 

「そろそろ泡沫(ほうまつ)領か。こいつらを良い値で売っ払えたら、のんびり湯治でもしてぇなぁ」

「同感だ。ここんところ働きづめだったからな。多少休んだって罰は当たんねぇ」

 

 行い自体が罰当たりだ、というツッコミは脇に置いて。

 泡沫領というのは観光地か何かなのだろう。よほどの過疎地で無ければ観光客がたくさんいるだろうし、荷車なんて場違いな乗り物に乗っていたら人が集まるのも時間の問題。

 ようやく希望が見えた気がした。

 

「そんなに良い値が付くのか? 骨と皮しかねぇガキがほとんどじゃねぇか」

 

 三人目の男がぼやく。

 御者の男は馬鹿にするように鼻で笑い、

 

「ガキってのは高く売れるんだよトーシロー。足りなきゃお前らの取り分から抜いてやるからな」

「勘弁してくれ。護衛ってのも楽じゃねぇんだ」

「よく言うぜ。お前らがしっかり見張ってりゃ、あの上玉を売っ払って、とっくのとうに温泉でくつろいでたところだってのによ」

 

 その後も男たちはダミ声でぶつくさ言い合いを続けた。

 どこか訛りを感じる口調に演技くさい言い回し、それぞれの配役といい現実味の無い連中だ。

 だが、これが芝居じゃないことは頭のたんこぶが証明している。次に騒いでいるのが見つかったら、それこそ骨を折られるかもしれない。

 その時、何の前触れもなく声が響いた。

 

「何をしているの?」

 

 凛とした声がその場の全員を静止させる。

 静謐な水面に一滴の清水が滴り落ちたような。心の深奥をつく声音。

 声の主は馬車の前方、進路を塞ぐように立っているみたいだ。

 

「———あ、えっと、行商に出てる者ですぁ」

 

 束の間の後、御者の男が答えた。

 動揺しているのが丸分かりな震え声で。

 

「行商? 荷台には商品が入っているの? 隠しているようにしか見えないのだけれど」

「陽や風に当たると質が下がるんですぁ。別に隠してるわけじゃありぁせん。ところであなた様は?」

「あなたたちが気にすることではないわ。それより、荷物を検めても?」

「えっ⁉ そ、そいつぁ———」

「構いませんよ」

 

 別の男が代わりに答えた。

 上擦った声で受け答えをしていた御者の男と違い、落ち着き払った様子で続ける。

 

「ですが、名も知れぬお方に容易に見せるわけにも行きません。失礼ながら、名をお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

 わずかな間を空けて。

 

天羽(あまのは)久遠(くおん)

 

 荷台に詰め込まれた全員が息を呑むのが伝わった。

 その名が何を意味するのかは不明だが、全員が希望を抱いたのは確かだ。

 

「天羽……ああ! 領主様でしたか」

 

 受け答えをしていた男は察したように声を上げた。

 

「先のご無礼をどうかご容赦ください。さあどうぞ、こちらです」

「ありがとう」

 

 恭しい一言と共に足音が荷台の入り口へ迫る。

 心臓が痛いほど鼓動する。それが救世主の登場によるものか、もっと別の理由なのかは分からない。

 ただ、荷台の入り口が開かれた瞬間、呼吸さえも忘れて魅入るしかなかった。

 

「……これは」

 

 眉を顰める隻腕の美女。

 陽光を浴びて艶やかに煌めく藍色の髪が胸辺りまで伸び、卵形の顔の輪郭を縁どる。芯の通った瞳孔を柔和な光を放つ深緑の虹彩が囲む様はいかなる名花をも凡百と跪かせるほどで、左の目尻にポツンと浮かぶホクロさえ魅力を引き立てる装飾でしかない。

 身長は……目算ですら測れないほど高い。確実なのは二メートルを大きく超えていること。厚手の和服の上からでも明確なほど蠱惑的な肢体をしながらも、堂々たる佇まいは下賤な考えを屈服させる気品に溢れている。

 何よりその姿には『静』なる気迫があった。右腕が肘から先が無いことも、憐れみを誘うどころか視界の隅にも入らない。

 貴人。そんな言葉がふさわしい女性だ。

 

「これが、あなたたちの言う商品なの?」

 

 首肯する男に、美女の垂れた目に鋭さが宿る。

 

「人売り、で合っているのかしら?」

「左様でございます」

 

 男に物怖じしている様子はない。領主と知っておきながら、隠そうという意思が一切ないみたいだ。

 しかし、伏せられたその瞳には剣呑な光が宿り、後ろで待機している武人たちも腰に———物騒な刀に手を置く。

 

「我々は人売りでございます。しかし、決して泡沫領にて人狩りを行ったわけではございません。この者たちは身に余る負債を抱え、その返済のために身を売ったのです」

 

 嘘だ。

 幼い子供がそんな負債を抱えるわけがないし、百歩譲って親が差し出したって人身売買は違法だ。

 反論しようと口を開きかけたとき、男の視線が少年に突き付けられた。

 「黙っていろ」と。

 

「私どもも可能ならこのような運命は避けたかった。ですが商いは商い、金銭は金銭、ここはひとつ、お目こぼしをいただければと。さすれば私どもはここを直ちに去ります。あなた様にも悪い話ではございません」

 

 そう言って男は懐から袋を取り出した。

 傍目からでも分かる重みとじゃりじゃりと言う音。高価な宝飾品か何かだろう。

 平然と買収を持ちかける男に、久遠と名乗った女性はじっとその袋を見つめ、やがて目を閉じた。

 

「分かったわ」

 

 安堵の顔が男たちに、絶望の顔が荷台の者たちに広がる。

 少年も失意のどん底に叩き落とされ、虚無感に瞼を閉じた。

 だが、

 

「———あなた達を見過ごすわけにはいかないようね」

 

 呟きと共に応対していた男の体が宙を舞った。

 見えなかった。辛うじて振りぬいた拳から、顎を打ち抜かれたのが分かった。

 呆然としたのも束の間、控えていた武人たちが刀を抜いて切りかかる。

 すかさず久遠は隻腕で一人の腕を絡めとり、挟み撃ちを図った一太刀を受け流す。

 つんのめった男の鳩尾に膝を入れて昏倒させ、流れるように腕を捻って武器を奪い持ち主の体を地に叩きつける。

 さながら舞を見ているようだ。カランカランと落ちた刀の柄を蹴って不意を狙った武人の膝に突き刺し、呻いたところを瞬時に近づき首筋に手刀を叩きこむ。意識を失った体を盾のようにして他を牽制しつつ体勢を整え、一呼吸で飛び出し近くの一人を蹴り倒す。

 戦いは数。そんな常識さえも無に帰す無双に言葉が出ない。

 

「チッ、こうなりゃ」

 

 武人の一人が顔をしかめて荷台に駆け上り、年端もいかない少女を掲げる。

 首元に短刀を突きつけながら。

 

「おい、それ以上動いたらこいつが———」

 

 続くことは無かった。

 何か、久遠が呟いたのが見えた刹那、武人が大槌で殴られたかのように吹っ飛んだ。

 荷台の奥へ叩きつけられたまま鼻血を出して昏倒。

 一瞥もせず久遠は背後から切りかかった武人の刀を奪って返す刀で峰打ちを首筋へ。

 鉄の棒で強打されて倒れた体を眺め、ようやく久遠の体から気迫が消える。

 そのまま顔を上げてこちらを見———微笑んだ。

 

「もう大丈夫よ」

 

 緊張を解すような柔和な笑みに、荷台に詰め込まれていた者たちは安堵の吐息や涙を零した。

 その中で、少年はじっと久遠を見つめていた。

 ———演舞さながらの優雅な動き。

 ———淀みない自信あふれる所作。

 戦いと呼ぶにはあまりにも美しく、舞と呼ぶにはあまりにも荒々しい一幕に、少年は心を奪われてしまった。

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