カクリヨ・レヴナント   作:華月 珠音

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第十九話

「……帰ってこないっすね。龍己さん」

 一夜が明けた正午ごろ。

 昼餉の支度をしていた悠は、格子窓から外の景色を眺めながら呟いた。

 正午ごろには終わると言っていたが、待てど暮らせど帰ってくる様子はない。

「大丈夫なんすかね。もしかしてなにかあったんじゃ」

「なにかあったとしても、僕らじゃどうしようもないでしょ。ほら、早く野菜を切って」

「はいっす」

 不安はぬぐえない。

 それでも俊人の言葉には反論の余地もなく、悠は手元の作業に集中する。

 ……そもそも十五里じゃ時間もかかるか。

 往復で、しかも妖と戦った後では、さすがの龍己もゆっくり動くに決まっている。どうせ休み休みしながらのんびり戻ってきているに違いない。

 少なくとも今は、そう思い込むことで平静を保った。

「どうします? 龍己さんの分も用意しときます?」

「いや、いいんじゃないかな。多分間に合わないって気付いてるだろうし、道中で食べてくるでしょ」

 茶碗に米をよそりながら俊人。

 しれっといつもより大盛りにする姿に微笑ましさを感じていると、ふと調理台の空白が目についた。

「あれ、味噌って買い足してなかったんでしたっけ?」

「味噌? 無いの?」

「はい」

「う~ん。ここに無いんじゃ買い足してなかったのかもね」

「俺買ってきます」

「いいよ。どうせ僕らしかいないし。別ので代用しよ」

「ダメっすよ! 料理下手は手順通りにやらないとすぐに激マズ料理になっちゃうんすから」

 かつてもそんな経験があったのだろう。

 謎の気迫で俊人を説得し、悠は財布を持って外へ駆け出した。

 石段を下りるのも慣れたもので、三桁はあるだろう階段を難なく下りて温泉街へ。

 硫黄とは違う独特の芳香を楽しみながら雑貨屋へ。

 と、その時だった。

 カンカンカンカンッ———!

 けたたましい警鐘の音が前触れなく響いた。

「え、なに?」

 突然のことに呆然と佇む悠は、その足を正門の脇に立つ物見やぐらへ向ける。

 すると、対向から一人の男が必死の形相で走ってきた。

 男は悠を見るや否や、藁にも縋る勢いで肩を掴み。

「園の新入りだよな?」

「えっ? 新入りというか、まあ、見習いっすね」

「天羽様はいないのか? それか龍己さんは?」

「えっと、二人とも出払ってるっすね」

 至近距離で怒鳴られ委縮する悠。

 それでも答えると、男は顔を青白くさせた。

「そんな……他に誰かいないのか?」

「俊人くんならいますよ。連れてきた方が良いっすか?」

「早くしてくれ。じゃなきゃ手遅れになる」

「わ、分かりました。すぐに呼んできます」

 何も分からないものの、急がなければいけない状況なのは分かった。

 悠は園へ振り返り、俊人を連れてくるべく駆け出す。

 ———背後でぐしゃりと音がしたのは、その時だった。

「……え?」

 聞こえるはずのない、しかし明確に聞こえたその音に、悠はゆっくりと振り返る。

 先ほどまで男が立っていた場所に、白銀の毛をたくわえた巨大な柱が突き刺さっていた。

 根元には赤い水溜まりが出来ていて、中心には先ほどの男に酷似した肉塊が潰れている。

「なに、これ」

 鉄のようで、生臭く、吐き気を催す臭気が立ち込めた。今にも胃の中のものが出そうになり、悠はぎゅっと口を結ぶ。

 広がり続ける赤い水溜まりが、草履の裏までやってきた。身じろぎするたびにグチャと粘着質な音を立て、冷たいようで温かい感触を伝えている。

「これが今代の熾葉の守り手とな?」

 頭上で声がした。同じ言語を使っているはずなのに、その口調は無機物のように冷たい。

「嘆かわしい。貴様のような路傍の塵芥が熾葉を守っているとは。いつぞやの小童の方がまだ有望だった」

 顔を上げた悠は、巨大な獣を間近に見た。

 細い顔立ちはイタチのようだが、肉体は小さな蔵に匹敵するほど大きく、白銀の毛は尋常とは一線を画すきめ細やかさ。見るからに強靭な四肢のうち両の前足からは湾曲した巨大な刃が生え、金色の眼光と共に対話不可能の殺気を放っている。

「……か、鎌鼬……」

「そう名を呼ばずとも分かっておる。人間」

 心底愉快そうに鎌鼬は唇をゆがめる。

「軟弱な塵芥でかえって良かったかもしれぬな。貴様を甚振れば、園の長も冷静ではいられまい」

「狙いは、熾葉か」

「察しが良い。いや、園の使用人とすれば悪いか。儂を前にして手も足も出ぬようではな」

 嘲りが獣の顔に浮かぶ。

「守り手も落ちぶれたものよ。妖の何たるかも分からず、こうもひ弱なものを選ぶとは」

 事実の列挙が鋭い刃となって心を抉る。

 言い返せない自分も、久遠やみんなのことも馬鹿にする鎌鼬にも怒りが湧く。

 けれどそれが恐怖心を上回ることは無い。

 まるで喉元に刃物を突き立てられたような死の気配に、悠は無言で見つめ返すほかなかった。

「さて、参ろうか。まずは熾葉を手中に収め、それから園の主に会うとしよう。もちろん、貴様を手土産にな」

 鎌鼬はゆっくりと、獲物が浮かべる恐怖を堪能するかのように手を伸ばす。

 しかし、その手が掴むことは無かった。

 ガキンッ!

「———間に合ったね」

 一本の苦無が鎌鼬に当たると同時に、背後から聞きなれた声が聞こえて来た。

「俊人くん……?」

 振り返った悠は、しかしいつもと様子の違う姿に唖然とした。

 割烹着を外しただけの、普段通りの俊人。けれどその右手には長い太刀が握られ、左手には苦無が構えられている。

 親しみやすくて、どこか頼りない以前の面影はなく、触れれば皮膚が破けてしまいそうな鋭い表情をしていた。

「悠くん。こっちへ」

「は、はい!」

 俊人の後ろへ駆け込んだ悠は、今一度鎌鼬を見つめ返す。

「こいつが鎌鼬、っすよね?」

「うん。奴がここにいるってことは、龍己さんは……」

「……ッ! そんな……」

 息を呑む悠に、俊人は冷静に告げた。

「君は熾葉を持って逃げるんだ」

「え⁉ お、熾葉を?」

「奴の狙いは熾葉だ。けど、だからって熾葉を探知できるわけじゃない。遠くへ持っていけば見失うだろうし、そうすればこの街も屋敷もひとまず安全だ」

「俊人くんは?」

「僕はここで引きつけないと。大丈夫。君が逃げおおせるだけの時間は稼ぐさ」

「そんな! 無茶っすよ!」

 武術と妖術どちらにも長けている龍己が負けたのだ。

 ここは久遠の帰りを待つべき。

 その考えを読み取ったのか、俊人は静かに頷いてみせた。

「そう。一番は久遠様が戻ってくるのを待つこと。そのためにも、熾葉を渡すわけにはいかないんだ」

「そんなことを言ってるんじゃないんすよ! ここで相手したら俊人くんが———」

「これが使用人の役目なんだよ」

 静かに、しかし刻み込むように、俊人は告げた。

 腹の底へ響くような声音に言葉を失う悠に向けて。

「園で働くと決めた以上、どんなことがあろうと園も街も守らなければならない。もう覚悟は決めたんだ」

 振り返って、俊人はふっと表情を緩めた。

「君が無事に逃げおおせることを祈ってるよ。さあ、行って」

「……ごめんなさい」

 小さく謝罪を述べ、悠は石段を駆けのぼり始めた。

 背後で響いた音に立ち止まることもなく。

 

 

 

 悠を狙った風の一撃を払いのけ、俊人は苦無を仕舞った。

 恐怖はない。園のために命を懸けられるこの瞬間が、恐怖を上回る高揚をもたらしてくれた。

「なんともまあ、心に響く瞬間であろうな」

「あんたに人の情なんかあるのか?」

「無いな。やはり身の毛がよだつ瞬間であった」

 侮蔑の籠った一言に、俊人は心の中で舌を出した。

 所詮は先ほどのやり取りも茶番としか捉えていない。妖なんてそういうものだ。

「つくづく嫌になる。あんたみたいなのがいると、熾葉を守っている自分自身まで嫌いになりそうだ」

「ならばやめれば良かろう。己の醜悪さを出すほどならばな」

「生憎、やめる気は起きないんだ。ここの人はみんな優しくて、こんな僕でも受け入れてくれたから」

 血流にのって反吐の出る感覚が末端へ行き渡る。

 かと思えば、その感覚はやがて高揚となって心臓の鼓動を早め、意識を快晴のように澄み渡らせる。

 ……悠くんが逃げおおせるまで、こいつはここで足止めする。

「だから、引くわけにはいかないんだ」

 体の全面で太刀を構え、俊人は言った。

「泡沫の園の使用人が一人、俊人。参る」

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