カクリヨ・レヴナント   作:華月 珠音

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第二十話

 石段を上り切った。

 息も絶え絶えで、両膝は生まれたての鹿みたいにがくがくと震えている。

 目に汗が入って沁みるのも構わず、倒れこむように本殿の戸を開ける。

 あの時と変わらず、熾葉はそこに鎮座していた。下界の喧噪など気にも留めず、人が必死に守ってきた平穏を日常のように享受しながら。

 妖刀だなんだと恐れられておきながら、結局は自ら立ち向かうことなく甘んじる……。

「お前……いい加減にしろよ」

 無意識———否、それは決壊だ。

 恐怖によって蓋をされていた感情が、怠惰な者を前に噴出する。

「誰が頑張ってお前のことを守ってると思ってるんだ? 盗賊が園を襲った時だって、お前を守ったのは俺たちだったじゃないか。今だって命を張ってるのは俊人くんや龍己さんなんだぞ。お前は何もしてないじゃないか!」

 なにが妖だ。

 なにが危険な刀だ。

 どれほどおどろおどろしく語られていようと所詮は道具、自ら何かをするような殊勝な心掛けなんてありゃしない。

 バカバカしい……こんな鉄の棒きれ一本のために、どうして命まで懸けなきゃならない。

「園が無事ならそれでいいんだ。お前なんか、壊れようが錆びようがどうだっていい」

 もはや最初の威圧感などない。

 怯むことなく熾葉へ歩み寄り、ご丁寧に台座に置かれた刀をむんずと掴む。

 抗議でもしているのか、その肌はじんわりと不愉快な熱を帯びている。

「それで抵抗してるつもりか? みんなが味わってる苦しみはこの程度じゃないんだぞ」

 ……全部こいつのせいだ。こいつが立ち向かおうとしないばかりに、無関係の命までもが奪われる。

「お前なんか、この世にいなきゃ良かったんだ」

「ほう。ならば儂が貰って行ってやろう」

「ッ⁉」

 振り返ったのと同時だった。

 入口から本殿の中ほどまでが吹き飛び、入れ替わるように鎌鼬が姿を見せた。

「俊人くんは……どうしたんだ?」

「あの小童か? 言わずとも分かるであろう?」

 赤い鮮血を滴らせる歯を見せつけるように、鎌鼬は邪悪な笑みを浮かべる。

「逃げおおせるだけの時間を稼ぐと息まいておったが、どうやらできんかったようだな。それとも、貴様の足が遅かったのか?」

「……嘘だ。俊人くんは死んでない!」

「であらばどうする? 貴様に何が出来るのだ?」

「……っ」

 金色の瞳には悠など映っていない。

 ただ獰猛な光を湛え、熾葉だけを見つめている

「早くその刀を寄越せ。さすれば命だけは助けてやろう」

「……」

「どうした? 恐怖で震え、答える余力も失せたのか? ならば良い。その腕もろとも刈り取ってくれる」

 ゆっくりと、悠を脅かすように近づいてくる鎌鼬。

 ただ、悠が口を利けなかったのは恐怖が理由ではなかった。

「……お前もいい加減にしろ」

 目を見開き悠は叫ぶ。

「自分勝手に人の家に入り込んでめちゃくちゃに荒らして。こんな刀が欲しいんなら交渉の一つでもしろよ!」

「……は?」

「大体なんでどいつもこいつも自分のことしか考えないんだ! 自分が良ければいいとでも思ってるのか? 周りの色んな人に支えられて立ってるくせに、そんなことも分からないなら消えちまえ!」

「……何を言うかと思えば。死に際の呪詛の方がまだ楽しめる」

 鎌鼬は片腕を軽く振るった。

 ただそれだけで強風が吹き荒れ、悠の体を台座へと叩きつける。

「うぐっ!」

「生は己のもの。他の者など意に介す必要などない。それとも貴様は、己が生をみなまで他者に預けるとでも言うのか?」

「違う。もっと、周りを見ろって、言ってるんだ」

「偏狭な物言いよな。貴様の言う周りも己の世界で生きている。己の世界において他者など端役、全ては己を軸に回っておるのだ。貴様の言っていることは、ただ己の芯を他者に委ねているに過ぎん」

 その瞬間、金づちで殴られたような衝撃が脳を揺らした。

「よもや、欲望を卑しいものと決めつけておるのではなかろうな? それこそ笑止千万、愚者の物言いよ。己の欲望を知らぬ者は己を知らぬことと同義、故に他者に己の芯を求めるのだ。貴様のようにな」

「違う……違う。そんなんじゃ———」

「ならばなぜ逃げぬ? なぜそこで蹲っておるのだ?」

「それは———」

「逃げおおせる気がしないからか? いかにも弱き者の考えよな。自らの意志を軽んじ、ただ出来るか否かだけですべてを決める。なんとも惰弱な考えよ」

 一言一言が鋭利な刃となって胸に突き刺さる。

 ———龍己も俊人も手に懸けた怪物を相手に逃げ切れるはずがない。

 どう考えてもそれが事実。だからって、このまま死にたくはない。

 ……なら、俺はどうすればいいんだ?

 何もできないのなら、何をするべきなんだ。

「三度はない故、よく聞け」

 いつの間にか眼前まで迫っていた鎌鼬が言った。

「熾葉を儂に寄越せ。さすれば貴様の命は救ってやろう」

「……久遠様は?」

「殺す。新たな力を試すには良き相手だからな」

 下卑た笑みを浮かべる鎌鼬。

 確信を込めて差し出されたその手に。

「なら嫌だ」

 悠は背を向けた。

 驚いたのか、鎌鼬はポカンと間を空けて。

「……ほう。ならばここで死ぬのだな!」

 一拍の後、鋭利な風が背中を切り裂いた。

「がっ」

 耐えきれず吹き飛び、台座を壊しながら床を何度も転がる。

 冷たい傷口に沿って焼き鏝を押し付けたような熱に支配され、涙を浮かべながらも距離を取ろうと這いずる。

 その背中に、再び強力な風圧が圧し掛かった。

 体のどこかでバキバキと音が鳴り、口から血が飛び出た。

「ふむ、動きを封じる程度にしたのだが、こうも貧弱では手心を加えるのも一苦労だ」

 嘆かわしいとばかりのため息すら混濁した意識では拾いきれない。

 ただ……漠然と悔しさが胸いっぱいに広がった。

 鎌鼬を倒せない自分が、悔しい。

 仲間の頼みを果たせなかった自分が、悔しい。

 園を守る約束を果たせなかった自分が、悔しい。

 ……なんだ。全部自分のせいじゃないか。

 当然だ。自分より強い人は、自分より強い勇気で戦いに行ってしまったのだから。

 結局、最後の最後まで足を引っ張るだけだった。

 ……俺は、なんのためにここにいるんだろう。

 

———園を離れる気はないよ。ここは居心地が良いし、みんな優しいし、何よりこのお役目が性に合ってるから———

———あたしもここぐらいしか居場所がないから———

 

 俊人に瑞野。年齢が近いからなのか、特に話すことが多かった二人。

 二人が園にいる理由はとてもシンプルで、とても身勝手で。それでも、しっかりと理由があった。

 悠は違った。命の恩人たちに恩返しするためと思っていたのに、心のどこかでは違和感があった。

 本当のことなんか分からない。もしかしたら、ただ園で目覚めたから居ついただけなのかもしれない。

 ……違うだろ。

 明確に、自分の心が否定の声を上げた。

 みんなで囲んだ食卓も、一緒にお仕事をするのも、園の暮らしが好きだから残りたかったんだ。

 ……そうだ。園が気に入ったからなんだ。

 あまりに単純で、あまりに身勝手で、だから、これまでずっと無意識に抑えてきた。

 記憶も持ち物も、存在を証明する何もかもを失った自分が、ただ一つだけ得た居場所。泡沫の園を離れた自分が想像できなくて、身の丈に合わない願いを持ってしまった。

 ———ふと、視界の中心に紫の刀が浮かび上がった。

 数秒も経っていないのか、背後では風が渦を巻く音が聞こえてくる。

 ……怒るだろうな。

 久遠が激怒する姿なんて想像できないし、したくもない。

 それか失望するだろうか。

 ……失望されたくないけど、それよりもっと嫌なんだ。

 園が———唯一の居場所が消えてしまうことが。

 泡沫の園(いばしょ)を守るためなら、なんだってしてやる。

 悠は柄を握りしめ、一息に引き抜いた。

 刹那、本殿を爆炎が包み込んだ。

「なっ———⁉」

 驚き飛び退った鎌鼬は、鼻先に飛んだ火の粉を払いのけて叫んだ。

「熾葉を抜いたか! そこまで考えなしとは知らなんだ!」

 嘲弄の言葉も悠には届かない。

 炎の渦の中心で、悠は叫ぶことすらできず悶えていた。

 それは熱と呼ぶにはあまりにも暴力的だ。皮膚が引きつり、肉が焼け、骨が炭化し、ただ『痛み』だけを絶やすことなく発している。

 もはや思考している意識が生者のものか死者のものかさえ判断が付かない。

 ……どうだっていい。

「お前……怒ってるのか? あんだけ自分勝手だって責めた奴が、自分勝手な理由で利用しようとしてるのを」

 妖刀にも怒りを感じる機能がある。

 その事実が堪らなく可笑しい。

「何が悪いんだよ。俺には他に居場所なんて無い。お前に分かるか? 起きたときから自分を証明するものが何もなくて、周りなんか自分のことを何も分からない人しかいないんだ。俺はずっと……ずっと心細かったんだぞ!」

 初めてみんなを失望させたあの日からは、何としても自分の利用価値を証明したくて励んだ。起きたくもない早朝に起きて、無駄と言えるぐらい過剰に掃除に力を込めて、稽古だって孤独と寂寥感に苛まれながらも歯を食いしばって耐えてきた。

 全部全部……ぜんぶぜんぶぜんぶ!

「一人になりたくないから頑張ったんだぞ!」

 結局無駄だった。

 そう、無駄だったんだ。

 いくら頑張ったところで凡人の手の届く範囲は決まっている。

 どれだけ努力したって身の丈に合わない願望は叶いっこない。

 ……だったら最後ぐらい、身勝手な欲望を叶えさせてくれ。

「お前が怒ろうがどうしようが勝手だ。焼きたいなら心行くまで焼いたってかまわない。でも、少しでも園に思い入れがあるんだったら———」

 全身の感覚が消え、目の前が真っ白になる。

 やがて意識が消失する今わの際、全力を振り絞って鯉口を切った。

「力を貸してくれよ。熾葉」

 耳元で、キンッと鋭い音がした。

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