立派な門構えを潜った先には、郷愁を感じさせる町並みが広がっていた。
独特の時間が流れる町だ。踏み固められた土の道を世話しなく行き交う法被姿のおっちゃんたちがいるかと思えば、瓦屋根の軒下で呑気に湯呑を啜るおばあちゃんがいたり。典型的な古民家様式の建物が並ぶこじんまりとした通りは見たことのない懐かしの光景をしており、つい気を緩めて眺めてしまう。
(でも、電柱とかないのか)
いくら地方と言えど電気が通っているのが当たり前。インターネット回線ならいざ知らず、電話線も無さそうな景観には自分の目を疑うほどだ。
風情があると言えば聞こえがいいが、文明を逆行した町並みは現実味を欠いていた。
「逆行……まさかタイムスリップしたってこと?」
「ん? なにかあった?」
「いや、なんでもないっす」
ただでさえ身元不明の人間だ、下手に聞かれたら今後の信頼に影響しかねない。
幸い久遠には聞かれておらず、人の良い微笑を浮かべている。
「気に入ってくれると嬉しいわ。私の数少ない自慢の一つなの」
そう語る彼女の横顔には嘘偽りのない郷土愛が見て取れた。
泡沫温泉郷。泡沫山から湧き出る上質な湯を利用した湯治場で、遠方から足を運ぶ客もいるぐらい有名なのだそう。
小高い山の麓、森に囲まれた長閑な町並みは、確かにのんびり療養するにはもってこいの場所だ。
「これから行くのは
「泡沫の園?」
「私のお屋敷。山を少し上るのだけれど、疲れたら言いなさいね? おぶってあげるから」
「あはは……どうも……」
愛想笑いだけして、少年は久遠の後を続く。
天羽久遠という女性は、領主としてかなり領民に親しまれているようだ。曲がりくねった道を進む道すがら、老若男女問わず多くの領民に話しかけられていた。その内容も千差万別、お礼を言う者や相談話を持ち掛ける者から、単に世間話に誘う者までおり、一様に親愛と尊敬の念を以て接している。
対する久遠自身も親しみやすさを前面に出した態度は目上と呼ぶには庶民的だ。立場の違いこそあれど、両者に壁も溝もない関係は、まさしく理想の関係だ。
やがて二人は小高い山の麓に到着した。正門からさほど遠い距離ではないが、事あるごとに足を止めたことで三十分ほど掛かってしまった。
神社によくある鳥居に似た形の門に区切られた山道は石造りの階段だ。その段数、目算で数百はくだらない。
(だからっておんぶされるのもヤダな)
男としての矜持を守る……には手遅れな気もするが、最低限の努力はすべきだ。
ということで、少年は意を決して久遠の後に続き、途方もない石段の群れへ挑む。
十五分か二十分ほど経っただろうか。
息が上がってきたころ、ようやくお屋敷の屋根が見えて来た。
(やっとか……)
安堵の吐息を漏らしたのも束の間、上空からその喚声は聞こえて来た。
「キュオォォォンッ!」
「へっ⁉ なに⁉」
反射的に身を低くする少年。声はすぐに止んだが、背を向けた上空から低い羽音が断続的に聞こえる。
「く、久遠様⁉ これは———」
「大丈夫よ」
彼女が何をしたのかは分からない。
ただ上空へ向けて謎の合図を送ると、たちまち羽音は遠ざかってしまった。
「今のは?」
「すぐに分かるわ。さ、行きましょう」
説明してもらえるような空気でもなく、少年は言われるがままに久遠の後を追う。
そして、石段が終わりを迎えた時だった。
一階建ての古風なお屋敷が目の前に現れた。まさしく誰もがイメージする豪邸だ。
その玄関の前、石畳と砂利で整えられた空き地に、獣は立っていた。
「……」
「……」
「……マジ?」
どこか理知的な目をしている獣は、闖入者と言える少年の来訪に警戒心を剥き出しにしていた。
一言で言えば巨大な鳥だ。体表は緑を基調とした羽毛に覆われ、胸元は極彩色の胸毛で華やかに飾っている。
ただ、その頭部は生物の常識を覆すものだ。草食動物を思わせる面長の顔に四つの目、記憶にあるどの動物の姿とも合致しない異形の姿は、おとぎ話に出てくる怪物そのもの。
どう考えても現実の存在じゃない。
「あ、やっと来た!」
不意に快活な少女の声がした。
間を空けず、獣の背後から一人の少女が現れる。緑と白の毛が絶妙に混じった長髪に淡い桜色の瞳、よっぽどお転婆なのか髪と同系色の着物を着崩していて、胸元のサラシや太腿なんかが露わとなっている。
少女は不機嫌そうに両頬を膨らませて、
「心配したんだよ! 今から迎えに行こうと思ってたんだもん!」
「ごめんなさいね。予定より時間が掛かってしまったの」
「ふ~ん。まあいいや、怪我もないみたいだし。ところでその子は?」
少女の注目が少年へ。
返事に困って久遠を見上げると、彼女は微笑みを返して、
「誘拐されていたところを助けたのよ。記憶を失っているそうだから、身元が分かるまで私が預かることにしたの」
「そうなの⁉ 大丈夫?」
「だ、大丈夫っす……」
距離感の近い対応に少年は終始困り顔。
幸い少女はそれ以上追求することなく、どんと自身の胸を叩いた。
「困ったことがあったら言うんだよ! あたしが助けてあげる!」
「ふふっ。頼もしいわね」
後ろで保護者が満足げに呟いた。
「さ。少しこの子は休ませてあげてちょうだいな」
「分かった! またね~」
手を振って少女と(獣と)別れ、少年は屋敷の中へと通される。
案の定、屋敷の中には電気のでの字も見つからず、代わりに蝋燭や行灯なんかが所々に置かれている。
奥ゆかしい甘さのある香りはお香だろうか。久遠からも似た香りがしたのを思い出し、勝手に湧き出てくる邪な考えを急いで払い落とす。
「びっくりしたでしょう? 瑞野は妖と仲良くなるのが得意なの」
「あ、妖って?」
「あら、聞いたことがないの?」
久遠の反応からして名前ぐらいは一般常識に収まる程度のようだが……。
「覚えは……ないっすね……」
「そうなのね。自分以外のことも忘れてしまったのかしら」
顎に手を当てながら思案する久遠。
やがて、艶やかな唇を開いて一つの単語を口にした。
「
「むら……すみません、分かんないっす。何かのテーマパークかなんかっすか?」
「て、てぇま……いえ、この国の名前よ」
一瞬、我が耳を疑った。
いくら何でもテーマパークという単語を妙齢の女性が知らないはずがない。しかし何度思い返してみても、彼女の言い方は聞き馴染みのない単語を呟いたそれだ。
何よりも、この国の名前……。
「日本じゃないってことっすか?」
「……ごめんなさい。私の方こそ聞いたことが無いわ」
久遠は悲しげに呟いた。
その後は来客用の応接間らしき部屋に通され、覚えている限りを話すことに。内容自体はさほどだったが終日かかってしまい、全部が終わるころには空が茜色に染まり切っていた。
分かったことは二つ。一つは少年に欠けていたのは大部分が記憶だということ。ある程度の知識は持ち合わせているが、こと自分自身の家や過去については何一つ残っていなかった。
もう一つは、この世界は少年が記憶する世界とは違うということ。時代が違うというだけではない。妖なんて存在が当たり前に存在し、国名は聞いたことのないもの。逆に江戸や尾張などの地名は無かった。
タイムスリップという、ただでさえ非現実的な現象でさえも説明がつかない状況。
認めるしかなかった。
(ここは……異世界だ)