カクリヨ・レヴナント   作:華月 珠音

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 遅れてごめんちゃい


第四話

 異世界と言えど、夜は現世と変わりない。聞き覚えのある虫の音と木々のざわめきが幽かな演奏会を繰り広げ、良い具合に微睡みを誘ってくる。

 風呂にも入り、夕食も摂った。しかも久遠の計らいで一人きりだったため気を張ることも無かった。

 ……悩み事さえ無ければ誘いに乗って眠っていたところだ。

 

「どう考えても異世界だよなぁ……」

 

 少年は敷布団の上で今日一日を振り返る。

 不思議の国のアリスやナルニア国物語を筆頭に、異世界を取り扱った文学は数多く存在する。どれも独自の常識や文化を持つ現世から独立した世界だ。

 この世界も例に漏れない。妖なんてものが当たり前にいるのだから、『テーマパーク説』や『タイムスリップ説』は除外だ。

 問題は、どうして自分が異世界にいるのか。記憶喪失が異世界転移による弊害だとしたら、何らかの事故で飛ばされた可能性もある。

 

(あるいは浦島太郎よろしく、開けてはならない箱でも開けたか……)

 

 腕を組んでうんうん唸ったところで答えは出ない。やはり記憶が無いのがかなり痛い。

 不幸中の幸いなのは、家族の顔も帰るべき家も覚えていないため、ホームシックに罹ることがないくらいか。

 

「……そっか。帰る場所が無いのか」

 

 ふと我に返り、隙間風が胸の内に入ってきた。

 今は屋敷に通されているが、異常が無いと分かればそう長くはいられない。

 記憶も力も、頼れる相手もいない世界に放り出されたら……、

 

(俺、生きられるのかな)

 

 奴隷売買や武器の所持が平然とある世の中だ。ほぼ裸一貫で放り出されたら、待っているのは死のみ。

 死にたくはない。記憶を失っただけでも、この身を襲った喪失感は二度と味わいたくないものだった。あれが心身を襲うと考えただけでも正気を保てなくなる。

 だからって駄々をこねたところで現実は非情だ。異常がないと分かればきっと屋敷を追い出される。

 それは死と同義だ。なんとかして生きる道を見つけないと。

 ……でも、

 

(どうやって見つければいいんだ)

 

 一寸先は闇、なんて言葉が脳裏を過る。

 疲れたからだろうか、鈍った思考のせいで悪い方向へと考えが傾いていく。

 瞼の裏に過った自分の屍に、咄嗟に全身を抱きしめたその時だ。

 

「起きてるかしら?」

「ひっ⁉ は、はい、起きてます」

 

 襖の反対から久遠の声がした。

 まさかの来訪者に緊張が走る。

 

「入ってもいいかしら?」

「ど、どどどどうぞ」

 

 身だしなみを手早く整え正座。

 すぐに戸は開き、久遠が入ってきた。

 お風呂から出たばかりなのだろう。若干濡れた髪が素肌にぴたりと張り付き、上気した頬をなぞる水滴が朝露に濡れる紅の椿の花びらのよう。服もゆとりのある寝巻となっていて、より強調された体形は目のやり場に困る。

 本人は自覚が無いのか、大人の色気を振りまきながら切り出した。

 

「少しは落ち着けたかしら。宿ほどちゃんとしたおもてなしは出来ないけれど、満足してくれたら嬉しいわ」

「そりゃもう、お風呂は気持ちよかったですし、ご飯もめっちゃ美味しくって」

「ふふっ、たくさんお代わりしてくれたものね。美味しそうに食べてくれて嬉しかったわ。あそこにみんなもいたら、きっと喜んでいたわ」

 

 我が事のように喜ぶ姿は、主人というより親のようだ。

 いや、本当に家族として見ているのだろう。領民にさえ親しみを持っていた久遠だ、部下との間に強い絆があっても不思議じゃない。

 羨ましい、と思った。孤独を埋める唯一の宝物を持つ彼女たちが、ただただ純粋に羨ましい。

 自分も加わって、同じように寵愛を受けられるならば……。そんな考えが鎌首をもたげる。

 

「動けるようなら、明日はお医者様に会いに行きましょう。記憶が戻る手がかりも見つかれば良いのだけれど」

「何から何まですいません……」

「気にしなくていいのよ。人として当然のことをしたまでですもの」

 

 驕るでも謙遜するでもない。自信に溢れる姿に目が離せない。

 戦う最中の猛々しい姿も、人と接するときの柔和な面持ちも。久遠を映す時の流れのどこを切り取っても、彼女の美点にしかなり得ない。

 一目惚れ……と言うのだろうか。多分あの瞬間から、彼女の虜になっていたんだろう。

 会話を交わすこの瞬間さえも、彼女の美声が鼓膜を撫でるたびに胸が堪らなくざわめき立つ。

 

「それで、今後のことなのだけど」

 

 言い淀みながら久遠は言った。

 冷水を掛けられたかのように、沸き立つ心が鎮まる。

 

「もし、このまま記憶が戻らなかったら、どこか身を置ける場所を探しましょう。温泉郷なら私も顔が利くから、良い場所がきっと見つかるはずよ」

「そんな……そこまでしてくれなくても」

「手を差し伸べたからには最後まで責任を取る。そう心に決めてるの。だから、心配しなくていいのよ」

 

 聖母のような微笑みとはこのことを言うのだろうか。

 相手を慈しむ利他的な心が覗く柔和な笑み。誰かを慮る表情が、故に胸をツンと刺す。

 いずれ少年は彼女の下を去る。当たり前の現実が、酷く無情に思えた。

 

「さてと、夜遅くにごめんなさいね。ちゃんと温かくして寝るのよ。まだ夜は寒いもの」

 

 少年の苦悶の表情を勘違いしたのか、久遠はそう言い残して早々と立ち去ろうとする。

 彼女が部屋を出ればそれっきりだ。本音を伝える機会なんて来ずに、そのまま違う道を歩むことになる。

 それこそが『運命』というやつなのだろうか。たまたま互いの道が交わっただけで、すぐに別々の方向へと伸びてしまう。

 たった一人で悶えようと、運命からは逃れられないのか。

 

 

 ———知ったことか。

 

 

 記憶すら奪っておいて、素直に従うと思っているのか。

 そんなものに縛られてやる道理だってありはしない。

 

「久遠様」

 

 少年は短く呼び止めた。

 ゆっくり振り返る妙齢の美女、鬱蒼と茂る樹海を思わせる深緑の瞳を見つめながら。

 

「俺を———ここに置いてください」

 

 荒い呼吸も脈打つ鼓動も意識の外へと弾き飛ばして。

 額を畳に押し付けて、少年は懇願した。

 

「雑用でもなんでもします。お金だって要りません。俺をここで働かせてください」

「駄目よ」

 

 即答だった。

 顔を上げる少年に、久遠は複雑な表情で告げる。

 

「あなたを置いておくことは出来ない。申し訳ないのだけれど」

 

 予期していた言葉だったが、いざ耳で聞くとその衝撃は重かった。

 少年は負けじと歯を食いしばり、

 

「なっ、なんでですか?」

「……泡沫の園には役目があるの。一つは泡沫山周辺の管理。今私たちがいる泡沫山と麓の温泉郷を纏めて泡沫領と言い、私が管理している。もう一つは」

 

 久遠は深呼吸をした。何か重大なことを告げようとしているかのように、引きつった呼気を漏らしながら。

 そして、

 

「妖刀『熾葉(おきは)』の管理と監視」

「熾葉?」

「聞き覚えは無い?」

 

 少年が頷くと、久遠は遠い目をして続けた。

 

「かつて、幾千の武者の手に渡り、幾億の屍を築き上げた邪なる一振り。手にした者に世界を制する力を与え、代わりに魂を食らい尽くすとされる危険な妖よ。熾葉を巡っていくつもの戦が起き、そのたびに大勢の命が奪われた。以来泡沫山の山頂に封じ込めて、二度と誰の手にも渡らないよう監視しているの」

 

 冗談めいた空気は無い。久遠は真実を語っている。

 話を聞いているだけなのに、得体の知れない悪寒が背筋を凍らせる。紡がれる一言一句が刃となって首筋に当てられたみたいに。

 

「あらゆる人間が園を訪れるわ。命知らずの武人に、欲に目が眩んだ盗人、言葉や金銭で掠め取ろうとする者もいれば、力づくで手に入れようとする者も。私たちの役目はそういった者たちから熾葉を守ること。力なき者を園に住まわせることは出来ないの」

 

 突き放すような物言いに、けれど少年に退く気は無かった。

 もはや少年は魅入られていた。凛々しい久遠の生き様に、郷愁さえ覚える園の空気に。

 そのためなら、

 

「なら———強くなります!」

 

 少年は断言した。

 

「園を守れるぐらい強くなります。武人だろうが盗人だろうが、誰が来ても熾葉には指一本触れさせません。だからここに置いてください。俺に……チャンスをください!」

 

 畳に額をこすり合わせて、少年は再度懇願する。

 証拠も何もあったもんじゃない。何一つ残されていない少年には、ひたすら頼み込むほかに無いのだ。

 だから……少年は未来を差し出す。起こり得るだろう苦難も後悔も、久遠に捧げるとばかりに。

 

「なぜ、うちにこだわるの? 記憶を失って気が動転しているのは分かるけれど、他にも良いところはいっぱいあるのよ?」

「ここじゃなきゃ嫌なんです。だって……」

 

 ———あなたに一目惚れしたから。

 浅ましくも、今の少年がそんなことを言い出せるはずもない。

 悩みに悩んで、誠実に嘘を吐くために、時間をかけて言葉を紡ぐ。

 

「だって、あなたに救われたから。あなたがいなきゃ———あなたでなきゃ、俺はすぐに野垂れ死んでたはずです。だからこの命は、あなたのために使いたい」

 

 孵化したばかりのヒナが目の前の生物を親と認識する習性となんら変わらない、幼稚な願望。

 いずれこの気持ちも冷め、彼女の下にいるのが苦痛で仕方ない日が来るのだろうか。この胸の熱は一時の迷いでしかなく、時が経てば鬱熱のように不愉快となってしまうのだろうか。

 

(いいや、気持ちが変わるなんてあるものか。とっくのとうに決めたんだ)

 

 少年は顔を上げた。

 

「お願いします。俺をここに置いてください」

 

 再三の懇願に沈黙が返ってくる。

 耳に痛い沈黙だ。それでも少年は堪え、待った。

 待って。

 待って。

 待って———。

 

「……分かりました。認めましょう」

 

 ようやっと、久遠は首を縦に振った。

 

「でも覚えておいて。園で暮らすからには、他のみんなと同じように厳しい稽古を受けてもらいます。万が一強くなれなかった時は、今回の件は白紙に戻します。そのつもりでね」

「肝に銘じます」

 

 少年は間髪入れずに頷いた。

 

「絶対に失望させません」

「ふふっ、期待しているわ」

 

 ようやく久遠が相好を崩した。

 見慣れた微笑につい少年の顔もだらけてしまう。

 

「さて、折角うちの子になるのだから、何か贈り物をしないとね」

「贈り物っすか?」

「ええ。うちの子になる子には、記念に一つ贈り物をするの。なるべく普段使いしやすい物を渡すのだけれど、なぜかみんな使ってくれないのよね」

 

 なんて不思議そうに呟いているが、慕う人からの贈り物なんて勿体なくて使えない。

 とはいえ、素直に理由を話すのも憚られ、苦笑いを浮かべるしかない。

 

「そういうわけで、予め何が欲しいか聞くことにしたの。あなたは何が欲しい?」

「えっと……」

 

 視線を彷徨わせながらあれこれ案を浮かべるが、どれもイマイチしっくりこない。

 どうしたものか、と悩んでいると、不意に妙案が浮かんだ。

 

「名前が欲しいです」

「名前? 私が決めて良いの?」

「はい。あなたに決めて欲しいんです」

 

 名前なら普段使いしたって消耗することはない。

 突然の願いに今度は久遠が悩みだした。

 小さくぶつぶつ言いながら思考を巡らせること数分。

 

(はる)。悠はどう?」

「悠……っすか?」

「あなたがずっと幸せでいられますように、って願って考えたのだけれど、どう?」

 

 そんなの。

 

「嬉しいです。ありがとうございます」

 

 悠。悠。悠。

 初めて貰った贈り物。これから生涯を共にすることになる己の分身。

 口の中で贈り物を転がしながら、少年は改めて頭を下げる。

 

「ありがとうございます。ずっと大切にします」

「そうしてちょうだい。これからよろしくね、悠」

 

 少年———悠は満面の笑みを浮かべた。

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