カクリヨ・レヴナント   作:華月 珠音

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第五話:泡沫の園

 姿見の中で少年が笑っている。

 不健康そうな見た目だ。ぼさぼさの黒髪、下瞼に隈が浮き出た黒紅色の瞳、着物の上からでも分かる骨の出っ張りようは見ていて憐れみさえ芽生え、ひょろひょろした体躯はちょっと風が吹けば飛んで行ってしまいそう。

 見るからに日陰者で、見るからに貧弱で、見るからに情けない姿。

 ———それが俺だ。

 文句あるか。そう言わんばかりに偶像が胸を張る。

 今の少年には名前がある。住む場所がある。何よりも、心の奥深くから際限なく湧き上がる理想がある。

 新たな生を受けた今、後ろ向きになるつもりは毛頭ない。

 

「っし、頑張るぞぉ!」

 

 姿見の中の自分へ発破をかけて。

 少年———悠は帯を固く締めた。

 

 

 

「よく眠れたかしら?」

 

 居間の入り口には久遠が立っていた。

 使用人の服に着替えた悠を眺め、口元をかすかに歪める。

 

「よく似合っているわ。新しいのを見繕う時はこの寸法で充分ね」

 

 悠の服は先輩使用人のお下がりを使っている。紺色を基調としたシンプルな羽織に筒袴と、身動きを取るのに邪魔をしない機能的な作りだ。

 

「わざわざありがとうございます。ぶっちゃけこのまんまでも良いんすけど」

「ダメよ。うちの子になったんだもの、専用の服を見繕わなきゃ。それに俊人のお古なんだから返さなきゃ」

 

 ウキウキ顔で言うあたり前半が本命だろう。

 まさか初っ端から一員として扱われるとは思っておらず、『うちの子』呼ばわりに胸がときめく。

 

「それとね、悠」

 

 久遠は襖越しに室内を一瞥すると、小声で語り掛けた。

 

「みんなにはまだあなたを雇うことを伝えていないの。食べ終わってから話すから、そのつもりでね」

「はいっす」

 

 昨日は終日一人で過ごしていたため、使用人と会うのは今日が初だ。

 緊張に高鳴る胸を押さえながら、悠は久遠に続いて入室。

 どこか懐かしい内装の和室は、さながら展示品でも見ているような綺麗さだった。二十畳ほどの空間の中央に長方形の台が置かれ、五人分の座布団が囲むように置かれている。

 すでに座っていた三人の視線が悠に集中する。

 

「あ! 君!」

 

 入口側の少女が声を上げた。昨日、式神とか言う怪鳥と一緒にいた少女だ。

 確か……。

 

「瑞野さん……でしたっけ?」

「あれ? 会ったことある?」

「いや、昨日久遠様がそう呼んでたっけなーと」

「おぉぉ! 記憶力いいね!」

 

 瑞野という少女はかなりの元気っ子みたいだ。緑と白が混じった不思議な髪を腰まで伸ばし、大きくクリクリした瞳は桃のような淡いピンク色、笑顔が絶えないのか頬骨が盛り上がっていて愛らしい笑窪を生み出している。

 そのお転婆度合いは服装にも表れていた。着崩した着物からはサラシやら生足やらが覗き、動くたびに胸元やら何やらが見えてしまいそう。

 注意すべきかしないべきか。初対面では感じなかった難問に悩む悠の心情などつゆ知らず。

 

「あたしのことは呼び捨てで良いよ! 君の名前は?」

「えっと、悠って言います」

「よろしくね! 悠!」

 

 鼻と鼻が付きそうなぐらい近くで騒がれてしまい圧倒される。

 見兼ねて久遠が。

 

「こら瑞野、興奮するのは分かるけれど落ち着きなさい」

「はーい!」

 

 素直に席に着く瑞野。

 空いている座布団は彼女の隣。未だ止まらない眼差しが居た堪れないが、机の上に置かれた湯気の立つ朝食に胃袋を掴まれ腰を下ろす。

 

「昨日は大丈夫だった?」

 

 斜め左の少年が話しかけて来た。

 優しそうな少年だ。水色の髪は癖が無く清流のように伸び、隙間から覗く灰色の瞳はさながら丸みを帯びた小石か。若干頼りなさげだが、落ち着いた様子で話しかけやすい。

 

「人攫いに連れていかれてたそうだけど、殴られたりはしてない?」

「平気っす。一発もらったぐらいっすよ」

 

 あははと後頭部を掻きながら笑っていると、少年はすぐに表情を歪めて、

 

「ぐらいじゃないよ。ちょっとでも調子が悪くなったら言うんだよ。絶対に隠しちゃ駄目だからね」

 

 圧を感じる言い方に思わず口が閉じる。

 返事を間違えたか? なんて考えていると、無言を貫いていた男が口を開いた。

 あの偉丈夫だ。

 

「瑞野、俊人、今は朝餉の時間だ。問答は食事を終えてからしろ」

 

 案の定な態度に安心感さえ覚える。

 白髪金眼の偉丈夫は、例えるなら太く鋭利な刃物といった印象だ。固く結ばれた口に鋭い目つき、筋肉のついた肉体は鋼のような鈍い輝きさえ見えてしまうほどで、背丈も三人の中では一番高い。

 どっしりと座る様は大岩を見ている気分だ。着物も毎日アイロン掛けでもしているのかと思うほど皺ひとつなく、壮年特有の貫禄に溢れている。

 

「それじゃ、ご飯にしましょうか」

 

 場が落ち着いたのを見計らって久遠が口を開いた。

 示し合わせたわけでもなく全員が手を合わせ、朝食は始まった。使用人たちは箸を使っているが、久遠だけはスプーンで食事をしている。

 異世界と言えど献立は普通だ。風味豊かな玄米を主食に、野菜の旨みが滲み出た味噌汁と冷たく引き締まった豆腐、材料は不明だがコリコリした食感の漬物は玄米と実によく合う。

 空腹も相まってがつがつ食べ進んでいき、あっという間に一杯目が消えてしまった。

 お代わりの米と漬物を貰って欲望を満たす悠に、隣で瑞野が胸を張る。

 

「おいしいでしょう? あたしが漬けたんだよ! 毎日欠かさずぬか床を確認してるし、材料だって質のいいものをちゃぁんと選んでるんだもん。そこにあたしの腕前が加わっちゃったらもう最強よ!」

「うぉーっ! 最強ー!」

「静かにしろ」

 

 偉丈夫に怒られた……。

 そんなこんなで仲良く腹を満たしていき、大満足で朝食は終わりを迎えた。

 全員の食器が空になったのを見計らい、久遠が立ち上がる。

 

「片付けは私がするわ」

「久遠様⁉ 片付けは手前らが済ませますゆえお任せください———」

 

 慌てて引き留めようとする偉丈夫を制し、悠を見やって。

 

「俊人も龍己も自己紹介を済ませていないでしょう? 早く済ませておきなさいな」

 

 柔和な笑みでそう言い残し、久遠はあっという間に食器を集めて居間を出ていった。

 取り残された一同は沈黙。先に済ませていた瑞野が目線で男衆を急かすも、一向に始める気配はない。

 先に名乗るべきか。唇を舐めて準備しつつ迷っていると、

 

「えっと、悠くんだったよね?」

 

 優しげな少年が切り出した。

 ぎこちないながらも人懐っこい笑顔を浮かべて。

 

「俊人って言います。何かあったら遠慮せずに言ってね」

「……龍己だ」

 

 続くように偉丈夫が名乗る。随分とぶっきらぼうな言い方だ。

 

「ごめんねぇ悠~。龍己は人付き合いが悪いだけだから許してやってね」

 

 瑞野が申し訳なさそうに言った。明らかに本人に聞こえる声量で。

 だが、龍己は気にする素振りも見せず、じっと悠を見つめていた。

 

「悠と言ったか。思い出せたのは名前だけか?」

「えっ?」

 

 意図が分からず首を傾げる悠だったが、すぐに合点が行った。

 龍己は昨日あの場に居合わせていた。名前すら分からないことは知っているはず。

 

「いやっ、別に思い出したわけじゃないっすよ」

「ではその名はなんだ? 思い出すまでの仮の名か?」

 

 矢継ぎ早に問う龍己は、剣呑な空気を纏っていた。

 疑われている。それも本能が警鐘を鳴らすほどの威圧を以ってして。

 当然と言えば当然か。記憶喪失ゆえに屋敷へ来たのに、実は嘘でした、なんてことがあれば疑うのも仕方ない。

 

「えっと、仮の名前というか」

 

 手っ取り早く誤解を解くなら、使用人(仮)として雇ってもらったことを話すべきだ。

 しかし雇い主がいない状況では嘘と思われるかもしれない。龍己ならとうに悠が力不足なことを見抜いているだろうし、安易に伝えたところで信じてもらえるか不安だ。

 チラリと他の二人を見るも、どちらも傍らで静観を貫いている。

 誤解を解くには事実を話すしかない。一か八か、悠は口を開く。

 

「昨日の夜に、俺をここで雇ってもらえるよう久遠様と話したんです。この名前は、その時に贈り物として久遠様に付けてもらいました」

「貴様がか? 妖術の心得でもあるのか?」

「妖術?」

 

 思わず聞き返すと、龍己は頭を振って。

 

「嘘ならもう少しまともな嘘を吐け。それとも泡沫の園が平穏な場所だと思っているのか?」

「い、いやそうじゃなくて———」

「黙れ」

 

 龍己は怒鳴っていない。静かに、端的に、己の意思を伝えているだけ。

 ただそれだけの言葉が、悠の身動きを完封する。わずかでも不自然な動きをすれば首が跳ね飛んでもおかしくない。武勇に長けた傑物だけが放つ比類なき迫力だ。

 失敗した。一瞬で尋問の場と変貌した空間の中、悠は小さく歯噛みする。

 

「俺たちの使命は園を守ること。だが、敵はただの荒くれ者だけではない。更なる力を求める妖からも守らねばならんのだ。超常の力を操る者たちと戦うには、相応の力を持っていなければならん。人狩りに捕まる程度の人間が太刀打ちできる相手ではないのだ」

「……分かってます」

「ならばなぜ園に居座る? 貴様のようなひ弱な人間が生きてゆけるほど甘くはないぞ」

「……」

 

 言い返そうにも言葉が出ない。突きつけられた事実を前にして出せる戯言など皆無。

 だけど、悔しい。

 龍己は努力してきたのだろう。自分の倍ぐらいの時間を鍛錬に捧げて、兵を率いるほどの地位にもつけて。

 彼なら園に住む資格は十二分にある。園での生活を求めて現れた軟弱者を追い返す資格だって。

 だから……。

 

「だから、なんすか?」

 

 悠は顔を上げて龍己を睨む。

 努力の末に今の立場を得たのなら、努力の大切さだって知ってるはずだ。

 

「弱いままでいる気はないっすよ。俺は強くなります。絶対に強くなります。たかが一日顔を合わせたぐらいで、俺の限界を勝手に決めないでください」

 

 悠には捧げるべき物は何一つない。家族も、故郷も、自分自身が存在したという歴史(思い出)さえも残っていない。

 だから———これからの未来を捧げてやる。

 

「なぜそうも園にこだわる? わざわざ苦労せずとも生きる術は数多とあるだろう」

「気に入ったからっすよ。俺はこの場所が好きだ。だから守りたい」

「派手に啖呵を切った割に随分と曖昧な理由だな。その程度のことに命を懸けるのか?」

「懸けるっすよ」

 

 挑発的な物言いの龍己に、刹那も無く即答する悠。

 バチバチと迸る稲妻が幻視出来るほど苛烈な睨み合いだ。互いの根拠を潰し合った末に、剥き出しの意地をぶつけ合うだけの戦い。

 龍己にとって悠など視界の隅にも入らない一般人だろう。庇護の対象であって肩を並べる関係ではなく、不相応な願望を抱いた時点で身の程知らずでしかない、と。

 冗談じゃない。一・二度顔を合わせたぐらいで全てを知ったつもりか?

 彼は悠の意志を軽んじた。自分の常識に全てを当てはめ、外れた悠の心を()()()()と罵った。

 ふざけるな。

 

「俺にとって、ここはその程度なんかじゃない」

 

 眼球に血が集まる感覚を気にも留めずに悠は睨む。

 お互いにお互いを軽んじた末の戦い。呼吸を挟むことさえ困難なぶつかり合い。

 それが———不意に終わりを迎えた。

 

「……分かった」

 

 龍己が目を閉じて言った。

 

「先の非礼を詫びよう。気分を害して悪かった」

「へっ?」

 

 あっけない終わりに変な声が出る。本当にやる気が失せたようで、すでに剣呑な空気はどこかへ行ってしまった。

 じっと見ていた二人も終局を感じてほっとため息。

 

「なんか、凄かった」

「う、うん。僕、あんな怖い龍己さん初めて見たかも……」

「……二人もすまなかったな」

 

 仏頂面は相変わらずだが、どこか気の緩んだような顔で龍己は謝罪。

 と、一段落したところで襖が開かれた。

 

「お待たせ。自己紹介は済んだかしら?」

「遅いよ久遠様! どこにいたの⁉」

「洗い物をしていたら、ちょっと時間が掛かってしまったの。それで」

 

 久遠が悠と龍己を見る。

 

「……話し合いも済んだみたいね」

「うぅぅ、怖かったですよ。急に龍己さんが尋問みたいなことを始めたし、悠くんも悠くんで雰囲気が変わっちゃって」

「ほんとすんません」

 

 こればかりは平謝りするしかない。

 チラッと久遠を見ると、見慣れた微笑を浮かべていた。なにがあったか追及するでも、喧嘩を りつける様子もない。

 まるで、初めから喧嘩が起きると知っていたみたいに……。

 

「久遠さ———」

「ていうか本当なの? 悠が園で暮らすって?」

 

 訊ねようと口を開くも瑞野に妨げられた。

 久遠は座布団に腰を下ろすと頷いて。

 

「ええ。使用人として今日から働いてもらうつもりよ」

「やったー! 新入りだー!」

 

 よほど嬉しいのか膝立ちでぴょんぴょんしだす瑞野。

 俊人も満更でもないのか、笑顔を隠せない表情で悠を見る。

 

「記憶が戻るまで、なのかな?」

「どうなんすかね。ぶっちゃけ戻る様子は微塵もないんで、しばらく厄介になりそうっす」

 

 あるいは、力不足のまま追い出されるか。

 無意識に俯いてしまった悠に俊人は気付かず、嬉しそうに言った。

 

「それもそっか。困ったことがあったら先輩に何でも聞いてね」

 

 初めての後輩だからか、言葉の端々にやる気が滲んでいる。

 実際、世話になることは多そうだ。悠は会釈をしつつ愛想笑いを浮かべた。

 

「さて、顔合わせも終わったことだから、お仕事を始めましょっか」

 

 よく通る久遠の一言で、長かった朝食の時間は幕を閉じた。

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