カクリヨ・レヴナント   作:華月 珠音

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第六話

 使用人としての初仕事は直ちに始まった。一斉に使用人たちが散開する中、悠は久遠から直々に役目を与えられた。

 責任重大だ。無理を言って残してもらった恩義を返すべく、決意を新たにいざ出発———。

 

「とはまあ、行かないっすよね~」

 

 悠と俊人の二人は園の麓にある温泉郷に降りていた。麓に着くまでで既に二十分ほどが経っており、初春とは思えないほど体もホカホカだ。

 一方で、先輩使用人は息切れ一つ起こしていない。

 

「はぁ、てっきりお仕事を任してもらえると思ったのに」

「気持ちは分かるけど、お医者さんにはちゃんとかからないとダメだよ。何かがあってからじゃ遅いんだから」

「そりゃそうっすけど、折角『働くぞっ!』って気合を入れたのに自分の用事が先ってなると……ちょっと拍子抜けと言うか……」

 

 使用人の仕事は主に雑事と稽古。屋敷の管理や買い出しに始まり、必要なら麓の温泉郷で手伝いに奔走する。救援要請を受けることは稀だそうだ。

 しかし悠に与えられた仕事は医者に掛かること。付き添いの俊人は買い出しのためだが、悠は完全に自分の用事だ。

 異議は無いが、朝食を終えてすぐに行くことになるとは思わなかった。もとより朝食の時間が早かっただけに、朝日はまだ山の向こう側から這い上がっている途中だ。

 

「こんな朝早くからやってるもんすか?」

「朝早くって、もういい時間だよ? それに体を診せるなら早い方が良いでしょ?」

 

 俊人が顎で前方を指すと、通りにはすでに人の影がいくつも立っていた。

 

「今の時期は陽が沈むのだって早いんだから、僕らも急がないと」

 

 肩をぽんぽんと叩いて進む俊人に、悠も「そんなもんか」と納得して後に続く。

 朝方の温泉郷は昼とは違った趣があった。まだ通りに面した店は開いておらず、薄暗い軒下で掃き掃除をしている従業員も欠伸をかみ殺しながら働き、何らかの買い出しか通りを走る子供にのほほんと体操する老人と、緩やかさと忙しなさが同居する不思議な空間だ。

 独特な温泉の香りも相まってまるで別世界にいる気分。昨夜の温泉が筆舌に尽くしがたい心地良さだっただけに、通りを歩くだけで夢現な心地になる。

 

「あ~お風呂に入りたい。めっちゃ入りたい」

 

 熱湯に体をいれた瞬間の全身が沸き立つ感覚は、いかなる行為を以ってしても再現できない快楽の極地だ。アツアツの湯に身を沈めたときの心地良い重みと圧迫感はさながら胎内へ戻ったよう。一瞬だけ起こる激痛さえ乗り越えてしまえば、残る時間はまさしく楽園、至福のひと時と言えよう。

 匂いを嗅いだだけで涎が出てくる。

 

「そんなに気に入ったんだ?」

「気に入ったとかの範疇じゃないっすよ。こりゃもう欲求っすよ。『食欲・入欲・睡眠欲』っすよ」

「何を言ってるの?」

 

 トンチンカンなことを言われた俊人は見るからに困惑。彼自身も入浴の時間が好きではあるものの、恍惚とした表情で虚空を見つめる悠には些か引いていた。

 一方で目の前で先輩が引いていることなどつゆ知らず。

 

「ここのお湯ってすごいっすね。やっぱ妖刀なんて特別なものがあるからかな」

「……」

 

 何気なく放った一言に、しかし俊人の顔が一瞬で曇った。

 さすがに悠も気付いて大慌てで両手を振る。

 

「い、いや、ごめんなさい。別に軽く見てるとかじゃなくて」

「構わないよ。あながち間違いってわけでもないからね」

 

 俊人は立ち止まると、泡沫山の頂上へ視線を上らせた。

 

「知ってる? かつての泡沫領はだだっ広い平地だったんだ。でもある日、二体の妖が三日三晩戦い続け、莫大な妖力がこの地に深く染み渡ることとなった。戦いが終結したときに行き場を失った妖力は大地を変え、数十世紀を経て泡沫山が誕生した。以来ここら一帯は妖力が満ち、湧き出る湯を浴びると活力が漲るようになったんだ」

「ようりょく?」

「妖が持つ不思議な力のことさ。理を自在に歪めることが出来、同時に理を強制する力もある」

 

 魔法に似た概念だろうか。説明されたところで知覚できるわけもないが。

 ふと、悠は昨日の戦いの一幕を思い出した。人質を取った武人が吹っ飛んだ時、久遠が何かを呟いていたことを。

 

「久遠様も操れるんすか?」

「操れるよ、あの人は高名な妖術師だから。熾葉の封印も泡沫山に宿る妖力を駆使して強めてるんだ。だからアレはここに安置されてるのさ」

 

 言わば土地全体を駆使した封印。それを成し遂げてしまう久遠の凄まじさも、それほどまでに危険な熾葉の恐ろしさも、全てが規格外だ。

 何より、明らかに危険な場所で温泉郷なんて作ってしまう人々の逞しさには脱帽する。

 

「とんでもないとこっすね。ただの温泉町だと思ってたっすよ」

「ほんとにね。ま、戦いが起こったのは大昔のことだから、覚えてるのはよほどの歴史好きぐらいでしょ」

 

 俊人はそう締めくくりながら歩みを再開した。

 土を踏み固めて出来たうねる道。一見すると単なる道でしかないが、その下には戦いの痕跡が残っているのかもしれない。そう思うと胸に湧き上がるものがあった。

 案外、記憶を失う前は歴史好きだったのかも。

 

(今度、久遠様に聞いてみようかな)

 

 新たな楽しみも増え、上機嫌で俊人の後を追う。

 やがて進路は脇道へと変わった。お土産屋なんかが軒を連ねていた表通りとは違い、民家が密集する裏通りは洗濯に励む主婦なんかの井戸端会議やらどこかへ走っていく子供やらと、濃密な生活感が漂っている。

 まるで江戸の風景画を切り出したような光景だ。

 

「八百屋とか、暮らしに必要なお店はこっち。お菓子を買う時は表の方だから覚えておいて」

「了解っす」

 

 敬礼なんかして見せつつ、悠は物珍しさに当たりを見物。裏通りと言えど迷路のようにうねっているわけではないため、入ってから十分ほどで目的地に着いた。

 着いた……のだが。

 

「……もしかして、ここっすか?」

 

 恐る恐る訊ねると、俊人はゆっくりと首肯した。

 

「ここが温泉郷一腕の良いお医者様がいる『苦楽堂』だよ」

 

 俊人が名を口にしたその建物は、まさしく異形の溜まり場だった。

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