カクリヨ・レヴナント   作:華月 珠音

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第七話

 最初に目に付いたのは……付いたのは……なんだこれ?

 

「なんかの剥製……なんすかね?」

 

 四足歩行の哺乳類としか分からない謎の剥製。大きさは室内犬をちょっぴり大きくした程度、顔らしき部位は形状が鉄球のように針が並ぶ球体で、胴体は短い白毛がびっしりと生え、尻尾の代わりに針金ほどの細さの骨が一本だけ飛び出している。

 見るからに妖の類だが、医術と関わりがあるのだろうか。

 でなければおっかないとしか言えないが。

 

「うぉっ⁉」

 

 何気なく視線を上へ向けた瞬間、ぎょろりと覗く人間の眼球と目が合った。

 すぐに透明な瓶に入れられた霊長類の標本だと分かったが、外に面して設置された棚には他にも小型の爬虫類を黄土色の液体に浸した瓶や泡の立つ細い草と水を詰めた瓶など、材料も用途も分からない不気味な品が並んでいた。

 見ているだけで悪寒が走る。病院と知らなければ怪しげな黒魔術でも行われていそうな雰囲気だ。

 

「ここに入るんすか?」

 

 叶うなら否定してほしかったが、返ってきたのは首肯だった。

 加えて言いにくそうにポツリと。

 

「腕はいいから」

「『は』ってなんすか⁉ 余計不安っすよ!」

 

 帰りたい。猛烈に帰りたい。

 かといって久遠の厚意を無碍にするなど言語道断だ。覚悟を決め、悠は玉暖簾を潜って中へ入った。

 意外にも中は普通だった。入って正面の壁は一面が薬棚となっていて、土間には煎じ薬用と思しき釜や水瓶なんかが置かれている。

 本物の人体標本なんかを覚悟していただけにちょっと安心。

 

「すみませ~ん」

 

 声を掛けてみるも返事はなし。

 手が離せないのかと聞き耳を立ててみるも、特に忙しそうな音は聞こえない。

 

「すみませ~ん。診てもらいたくて来たんですけど~」

「ふんっ、患者以外の者が来るはずなかろう」

「ひっ⁉」

 

 いつの間にか奥の部屋へ通じる引き戸が開かれていて、背の曲がった老人が一人、小さく悲鳴を上げた悠を愉快そうに見つめていた。

 歳のほどは分からない。年老いているのは確実だが、六十代のようにも見えるし百歳を超えているようにも見える。皺だらけの顔に尖った鼻と魔女のような風貌で、ギラギラ光る目が見た目にそぐわぬ生気を感じさせておどろおどろしい。干乾びた白髪との対比が余計にそう感じさせていた。

 ぶっちゃけ解剖してきそうで怖い。

 

「失敬な小僧だ。誰彼構わず腑分けするほど飢えてはおらん」

「な、なんで考えてること分かって———あいやえっとそのべつにちょっとそういうわけじゃなくてっすね……」

 

 読心術———もしや妖術師⁉

 現在進行形でぶつぶつ聞こえる念仏のような声も、この老人がどこからか出しているのか。

 

「心を読まずとも、考えている事ぐらい想像がつくわい」

「やっぱ読んでるっすよね⁉」

「下らんことを言っとらんで入れ。何があったか、詳しく聞かせてみい」

 

 言葉こそ強いが、その口調はどこか愉悦を孕んでいた。他人とのやり取りを心の底から楽しんでいるみたいな。話していて不快感は感じない。

 どこから話すべきか、あれこれ考えつつ悠は口を開く。

 

「実は昨日より前の記憶が無くてっすね。戻れそうなら戻したいんすけど」

「ふむ。まあ座れ。早速診てみよう」

「お願いしまっす。あ、でもその前に」

 

 悠が診察を受けている間に俊人が買い物を済ませる手筈となっている。

 ここから先は一人でも大丈夫だ。そう伝えようと振り向くと、衝撃の光景が待っていた。

 

「……ですはい……いや……わけじゃなくて……はい」

「えっとぉ~、俊人くん?」

「ぐあいがわるくなったりは……はい……ないですね……いちおうみて……はい……」

「……すいません、ちょっと」

 

 ひとまず断りを入れて、壊れたレコードのような話し方をする俊人を連れて外へ。

 二人きりになった途端に俊人は元気を取り戻し、小首を傾げた。

 

「あれ? もう終わったの?」

「『終わったの?』じゃないっすよ!」

 

 先ほどから聞こえていたぶつぶつ声の出所が分かった。

 まさかここまで人見知りだったとは。

 

「てか何度も来てるんすよね? よく今までまともに話せたっすね」

「馬鹿にしないでよ。今までで一度だって役目をしくじったことは無いよ」

「絶対嘘だ」

 

 どこか頼りないとは思っていたが、想像を絶するダメっぷりには言葉も出ない。

 

「それでもマシになった方よ」

 

 家の奥から老人の声が聞こえてきた。

 

「初めのころは他人と会話するどころか目を合わせることだって出来やしなかった。幸い、ここいらの者は気が長い。毎日せこせこしとる都の連中と違って、日がな一日中暇してるからのう。此奴の相手は良い暇潰しになるのよ」

 

 要は周囲が親切だったおかげでこれまで仕事が出来たということ。甘えてばかりと言うのも申し訳ないが、本人がこの様子では克服なんて夢のまた夢か。

 

「とりあえず先に買い物だけ済ませましょっか。そのあとで診てもらっても間に合うだろうし」

「大丈夫だって。買い物ぐらい一人で出来るよ」

「出来そうにないから言ってるんすよ」

「心配性だな~」

 

 俊人は呆れたように苦笑しているが、呆れているのは(こっち)の方だ。

 

(って言ってもまあ、今まで出来てたんなら大丈夫なのかなぁ)

 

 悠が来るまでは一人でこなしていただろうし、案外良い練習になるのかもしれない。

 

「じゃあお願いするっす。困ったことがあった来てくださいよ」

「分かった分かった。じゃ、こっちが終わったら迎えに来るからね」

 

 不安は拭えないながらも悠は俊人を見送った。

 手を振って走り去る姿に呼び止めようかと悩んでしまうが、「これも練習だ」と自分に言い聞かせて中へ戻る。

 老人はいつの間にやら用意していた湯呑を手に板敷の縁に座っていた。

 

「心配せんでも、彼奴も泡沫の園の使用人よ。失態を演じはしまいて」

「かもしんないっすけど、なんかぼったくられそうで怖いなぁ」

「きひひっ、この泡沫の地でそのようなことをする命知らずはおらんよ」

「どういうことっすか?」

 

 確信めいた口調に聞き返すと、老人は湯呑を置いて滔々と語りだした。

 

「お前も知っておろう? 泡沫の園は単に泡沫領の中心というわけではない。世を二分しかねない妖刀を封じる、言わば巨大な結界よ」

 

 久遠や俊人からも聞いた話だ。だからこそ、園で暮らす者にはあらゆる危機に対抗するための武力が必要なのだと。

 老人は生気の漲る目をぎろりと動かした。

 

「熾葉は生きとし生ける者、文明を築き上げた者にとっての災厄に等しい。それを身を粉にして封じ込め、世界に平和をもたらしている園の者は、多くの者から敬われておる。邪険にする輩などおらんのよ」

 

 そう締めくくり、老人は湯呑を手にずずずっと啜る。

 知らなかった。園の一員が、大勢の畏敬を浴びるほど偉大な人々だったとは。

 悠も仮とはいえその端くれ。しかし、その肩書が持つ重荷は今なお計り知れない。

 

(俺は……耐えられるのかな)

 

 責任を、役目を、久遠の顔に泥を塗ることもなく完遂できるだろうか。

 身を焦がしていた熱情が現実の冷風に晒されているのを感じる。漠然とした焦りに似た感覚に、けれど向かう先も分からず混乱するばかり。突破口の見えない袋小路に閉じ込められた気分だ。

 呆然とする悠をよそに、老人は立ち上がって悠の頭を弄り始めた。

 

「ふ~む、怪我の痕のようなものは見られんな。痛むところはあるか?」

「急に始めるんすね」

「儂は医者だ。患者がおるなら診るのが仕事よ。何があったか詳しく話してみぃ」

 

 それもそうだ。

 悠は意識を切り替えて、か細い記憶の糸を辿る。

 口に出して説明するとより自分が幸運だったのだと実感する。久遠と出会っていなければ『悠』という人間は生まれなかった。

 彼女と出会わせてくれた人売りの連中には感謝してやらなくもない。

 

「———覚えてるのはこんぐらいっす。記憶を失ったって感覚は最初の時より無いんすよね。言葉だって話せるし」

「お前が失ったのは思い出だけよ。西方医学によれば、俗に言う記憶と知識は別々の領域が司っておるそうだ。だから記憶を失ったところで知識は欠けんのよ」

「だからなんすか。物知りっすね!」

「当たり前だ。儂は医者よ」

 

 ペチッと頭を叩かれた。

 

「外傷は無い。原因は分からんが、少なくとも命に関わる事態にはならんだろう。何日か様子を見て、具合が悪くなったら来い」

「ありがとうございます。あ、そうだ」

 

 ふと疑問が湧き、悠は茶のお代わりを持ってこようとする老人を引き留めた。

 

「外にある変なのってなんすか?」

「ああ、あれか」

 

 老人は振り向くと、皺だらけの顔をよりしわくちゃにし、おどろおどろしい声で語りだす。

 待ってましたと言わんばかりに。

 

「その昔、儂が誰もが羨む健脚の持ち主だったころ、とある里を襲ったそれはそれは恐ろしい怪物がおっての。空を覆い尽くさんばかりの巨体に無数の目玉がぎょろりと並び、その四肢は大地に根差す巨木のごとく頑強だった。何よりあの怪物には顔が二つあった。片方は狡猾な蛇の形をし、もう片方は生物とは思えぬ鉄の塊だった。怪物は毎晩里を襲い、若く精気に満ちた子供を攫って食っていたのだ」

「おぉぉぉぉっ! 怖いっす!」

「当然よ。誰もが恐れた。しかし儂は恐れなかった。儂は怪物と戦った。朝日が昇り、沈み、また昇りまた沈み、十を超えてなお戦い続けた。そして儂は彼奴を屠り、物言わぬ屍としてみせたのよ」

「うぉぉぉぉっ! かっけぇぇぇ!」

 

 両手をパチパチ打ち鳴らしながら大声で称賛。

 老人は心地よさそうに歓声を浴びるも、すぐに鋭い目つきへと変貌する。

 

「しかし、彼奴を完全に殺しきることは出来なかった。命の灯火は息絶えた今もなお屍の内でくすぶっておる。故に儂は彼奴の肉体を縛り、目の届く場所に置いておるのだ。この家の入口、異変があればすぐに分かるあの場所にな。今の彼奴は儂から離れることこそ出来ぬが、着実に力を蓄え、か細い怨嗟の呪詛を吐いておる。お前も気を抜けば心を取り込まれ、怪物となってしまうかもしれんぞ?」

「怖いっす! でもすげぇっす!」

 

 泡沫の園だけではなかった。麓の町にだって偉大な人物はいたのだ。自らの危険も顧みずに人々の安寧を守っている者が。

 この老人だって尊敬を浴びるべき英雄だ。たった一人の口じゃ到底足りない。俊人はもちろん巻き込むとして、瑞野にも頼んでみよう。

 久遠に伝えれば援助を受けられるだろうか。

 

「……怖くないのか? 大抵は慄いて逃げ帰るが」

「怖くないっすよ! むしろかっこいいっす! 他にも聞かせてくださいよ!」

 

 不思議そうな顔をする老人にも気が付かず悠はせがんだ。当初の目的なんて頭からすっぽ抜けており、目を輝かせながら傾聴の姿勢へ。

 これから聞くのは寓話の世界にしかない冒険譚。男だったら誰しもが心躍らせる物語だ。ワクワクドキドキ心臓バクバク、全身が続きを聞きたくてうずうずする。

 

「……妙な小僧よ」

 

 老人はどこかばつが悪そうに呟くも、背を向けて奥へと行ってしまった。

 呆れられてしまったかと不安になるも、奥から上機嫌な声が。

 

「儂の話は長い。菓子でも食うか?」

「いただきまっす!」

 

 老人はカカカッと笑い、奥から湯気の立つ湯呑と黄土色の茶菓子を持って現れた。

 渋めの煎茶と甘いお茶菓子をお供に添えて昔話は弾んだ。生身の人間が語る実体験は文字を通して味わう知識とは違い、まるで自分自身までが物語の一員となったかのようだった。

 時間もあれよあれよと進んでしまい、気付けば腹時計が動き出す時間になってしまった。

 

「え⁉ じゃあ無人島で暮らしたことがあったんすか⁉」

「そうだ。懐かしいのう。離島にしか生えぬ薬草を採って帰るつもりが嵐に阻まれたが、暮らしているうちに我が家のように感じてしまっての」

「だからって一軒家建てるってすごいっすね」

「キヒヒッ。存外、熱中すれば出来るものだ。若いうちなら多少の無茶が利くからの———と、どうやら迎えが来たようだな」

 

 老人が顔を上げたタイミングで躊躇いがちに柱を叩く音がして、悠は断りを入れて外へ出る。

 俊人は買い物を滞りなく済ませたそうで、背負い籠にはたくさんの野菜がぎっしり詰め込まれていた。

 

「お待たせ。遅くなってごめんね」

「全然全然。なんならもっとゆっくりでも良かったんすよ?」

「それじゃお昼に間に合わなくなるよ。それとも、なにか嫌なことでもあった?」

 

 心配そうな顔の俊人に慌てて手を振って否定。

 

「話が弾んだだけっすよ。俊人くんも聞いてくっすか?」

「遠慮するよ。悠くんも行くよ」

「はいっす」

 

 名残惜しい気もするが、園で暮らしていれば会う機会もあるだろう。

 園で働く楽しみが増えて気分も上々だ。

 悠は玉暖簾から顔を入れ、湯呑を啜る老人に言った。

 

「ありがとうございましたっす! また来るっす!」

「おう、あんまり顔を見せるんじゃないぞ。怪我人やら病人やらの世話は飽き飽きだ」

「へへっ、さよなら!」

 

 追い払う仕草につい笑みが零れ、悠はスキップしそうな勢いで苦楽堂を後にした。

 あまりの上機嫌ぶりに俊人は困惑。彼からすれば苦楽堂は物騒な場所なので当然だが。

 

「良いことあったの? 記憶が戻る手がかりでも見つけたとか?」

「そんなんじゃないっすけど、すげぇ良い話が聴けたんすよ。漂流した無人島で街を作った話とか、悪代官を懲らしめるために夜のお城に侵入した話とか、やっぱ長生きしてそうだったし、色んなことを経験してるんすねぇ~」

「へぇ、君はそういう話が聴けたんだ」

「ていうと?」

 

 やけに含みのある言い方に訊ねると俊人は苦笑した。

 

「僕の時は悪霊と戦って封じ込めたけど、その手下が今なお自分の周りにいるって話とかだね。あと入口の所にあった置物の話もしてたっけ」

「里を襲った怪物の話っすよね? あんな化け物と戦って勝っちゃうとかただ者じゃないっすよ!」

「……信じてるの?」

 

 驚きの表情をされた。

 まさかの反応に首を傾げると、呆れたように苦笑して。

 

「君もこう聴かされなかった? 『空を覆い尽くさんばかりの巨体に無数の目玉がぎょろりと並び~~』って」

「はい。そう言ってたっすけど」

「そんな怪物が小さな田舎町のど真ん中に居られると思う? 封印したって言ってるけど、別に小さくできるわけじゃないからね」

 

 言われてみれば、老人が言っていた怪物と玄関先の怪物は大きさからして雲泥の差だった。

 封印したときに小さくなったと思っていたが、そうじゃないのなら。

 

「じゃあ嘘なんすか⁉」

「子供騙し程度のね」

 

 裏切られた気分だ。完璧に信じていただけに衝撃は大きい。

 だとすれば、それ以外の話も嘘ということか? 数時間は熱心に聞いていた昔話は創作なのか?

 ……それはそれで面白かったから良い気もする。

 

「でも、なんでそんな嘘なんか……」

「子供を近寄らせないためだよ。医者に掛かる理由なんて怪我か病気の二つだけだし、どっちも命に関わるから。病院が怖いところなら、なるべくお世話にならないようにしようって思えるでしょ? 必要なら周りが連れてくから、成功してるみたいだよ」

 

 別れ際の老人の言葉が蘇る。

 子供から嫌われようと、本人が健やかに過ごせるよう最善を尽くす。あの人の心意気は、語っていた冒険譚に引けを取らず立派だ。

 

(やっぱりかっこいいな)

 

 自らを犠牲にしながらも表に出さない生き様。

 胸にジーンと染み込み、悠は静かに頷いた。

 

「お医者様からしたら良いことなんてないのに……かっこいいっすね」

「……無人島とかの下りは初めて聞いたから、多分本当のことなんじゃないのかな」

「へ? それってどういう———」

 

 突然のことだった。

 二人の間に影が差したと思った矢先、一羽の鳥が俊人の肩に降り立った。

 極彩色の胸毛を蓄えた緑色の小鳥だ。目の色は桃色と、どことなく既視感のある色合いをしている。

 

「可愛いっすね。俊人くんの知り合いっすか?」

「そうだね」

 

 俊人は低い声で答えた。ピリピリと肌を刺す嫌な緊張が伝わり、悠も思わず口をつぐむ。

 不意に小鳥がさえずった。見た目にそぐわぬ可憐な音色で、春の訪れを感じさせる声だ。

 しかしそれは———人間の声であった。

 

「大変だよ。詳しい説明は道中でするから、急いで屋敷に戻って」

「瑞野ちゃん⁉」

 

 予想外の声に驚きの声が飛び出す。

 確か彼女は式神だかを従えていたはず。一匹だけじゃないとすれば、この小鳥も彼女の式神か。

 

「なにがあったんすか?」

 

 状況が読めず慌てる悠に。

 可憐な装いの小鳥は切迫した声で告げた。

 

「屋敷が襲われてるの!」

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