今年もうちの子たちをよろしくお願いします。
悠は息を切らしながら石段を駆け上っていた。
突如として舞い込んだ銃撃の報せ。予め可能性は知らされていたが、昨日の今日で起こるとは思ってもみなかった。
「敵は何人? 構成は?」
前方を行く俊人が矢継ぎ早に訊ねた。頭上から二人を追尾する緑色の小鳥へ。
鳥が———獣が人語を介すはずがない。そんな常識を覆すかのように可憐にさえずる。
聞き馴染みのある、少女の声色で。
「全部で九人、うち四人は妖術師で、残りの五人は雇われの傭兵だよ。みんな本殿に向かってる」
「だろうね。久遠様と龍己さんは?」
「久遠様は山頂。龍己は修行小屋にいたけど、さっき報せておいたから本殿に向かってるはず」
「把握した。瑞野ちゃんはそのまま式神で相手の動向を探って。僕もすぐに本殿へ行く」
「気を付けて」
そう言い残すと、小鳥の式神は天高く舞い上がった。
「熾葉が狙いっすか?」
「そうだね。護衛役まで連れてくるなんて用意周到な奴らだよ」
「封印を解くつもりなんすかね。そう簡単に解けるとは思えないんすけど」
「よほど腕が立つのか、なにか算段でもあるのか。どちらにしろ急ぐに越したことは無いね」
焦りを口にしながらも、その平静が崩れる様子はない。
依然遠ざかる背中からは『日常茶飯事』なんて認識が透けて見えた。
(これが園の使用人か……すごいな)
改めて彼らの力を思い知る。単純な武力だけではない、緊急事態にも冷静に判断する肝の据わりようは熟達した戦士のそれ。そこに人見知りで頼りない先輩の面影は微塵もない。
真逆と言えるほどの変貌を遂げた姿に驚いていると、石段の終点から屋敷の玄関先が上ってきた。
荒らされている様子はない。脇目も振らず突き進んだようだ。
「急ぎましょう。本殿はこの先っすよね?」
「悠くん」
不意に俊人が名を呼んだ。
感情の失せた顔で。
「君は屋敷の中に隠れてるんだ」
「なんでっすか⁉ いくら龍己さんと久遠様がいるからって、戦力は多い方が———」
「君を戦力としては数えられないんだ」
淡々と告げられた言葉に悠は二の句が継げなかった。
「ごめん。責めるつもりはないんだ。戦う以上は怪我もするし死んじゃうかもしれない。準備の出来ていない君を巻き込むわけにはいかないだけ」
「そんな……」
「大丈夫だよ。一緒に稽古をすれば、いずれ君も戦えるようになる。それまでは自分の身を優先するんだ。いいね?」
何度も謝罪を口にして、俊人は瞬く間に屋敷の裏手へと走り去ってしまった。
ポツンと取り残された悠は拳を握りしめたまま、呆然と消えた背を見つめることしか出来ない。
強くなると豪語したが、今この瞬間は力のない一般人だ。園の役には立てられない。
それどころか……、
「なんてことを言わせたんだよ、俺」
俊人は何も悪くないのに、謝らせてまで戦力外通告をさせてしまった。
させたくなかったのに。してほしくなかったのに。
「くそっ。早く強くならなきゃ」
小さく自身に言い聞かせて、悠は玄関へと向かう。
その時だった。
「んだぁ? 山頂に集まったんじゃなかったのか」
声に釣られた悠が顔を上げると、一人の男が屋根の上に立っていた。
妙な男だ。内側に鉄板を何枚か重ね合わせた粗雑な鎧を纏い、頭には目元まで隠せそうな頭巾を被り、影の中で欲に光った目が嘲弄と共に悠を見下ろしている。腰には擦れた鞘に納められた刀が一振り。
男は品定めを終え、下卑た笑みを口元に張り付けた。
「お坊ちゃまは箸より重い物を持ったことねぇもんなぁ? そりゃ切った張ったの荒事は出来ねぇか」
「……お前が躾けのなっていない賊の一味か?」
「野蛮人みたいに言うのは止せ。俺ぁ崇高な理由でここにいるんだ」
浮かれたような口調で男は言った。
両腕を広げ、さながら演説でもするかのように。
「知ってるか? ここに封じられてる妖刀には世界を意のままにする力がある。金やら権力やらの話じゃない。生ある者なら誰もが頭を垂れる圧倒的な力さ。んなご立派な宝が辺鄙な山のチンケな蔵で眠ってちゃ勿体ねぇだろう? だから俺らが使ってやんのさ。有意義になぁ」
「驕るのも大概にするといい。見ているだけで惨めな気分になる」
「おおう、そりゃそうだ。お前ら口先ばかりの役人風情じゃ蟻んこ程度も思いつかねぇだろう」
「雇われの傭兵ごときが思い上がるな。自分が底辺だということも知らないうちは、いくら藻掻こうと道化でしかない」
「……人が優しく接してやってるんだ。少しは身の程を弁えたらどうだ?」
「自戒の念でも湧いたか。忘れる前に全うしろ」
ピッと、頬を冷風が掠めた。
次第に軌跡に沿って痛覚が働き始め、生温かい液体が顎へと滴り落ちる。
からんからんと、背後で金属が落ちる音がした。
「もう一度言う。身の程を弁えろ」
怒りで顔を醜く歪めながら男は言った。恐らく苦無が何かを投げたのだろう。凄まじい速度で、残像さえ見えなかった。
(だからなんだ)
この男は園を襲った。ただ己のくだらない欲望を満たすためだけに、平穏な暮らしを脅かしたのだ。
許せない。許せるはずがない。
怒りが全身を包み込み、どこか夢のような心地で悠は告げる。
「自分の立場も分からない下種が、人にものを言える立場だと思ってるのか?」
「チッ、なら正しい立場ってのを教えてみろ!」
男は屋根から飛び降り、そのまま悠の顔面へ拳を突き出す。
間一髪のところで避けるも足がもつれて体勢が崩れる。その隙が見逃されるはずもなく、胸倉を掴まれ一瞬で地面へ叩きつけられた。
背中から突き抜けた衝撃に肺の中の空気が外へ放出されるも、整える間もなく鼻先を拳が殴打。
鼻の奥にツンときな臭さが充満し、瞼の裏に星がちらつく。
「おいおいおいおい、あんだけ啖呵を切っといてそのザマか? こりゃ親が見たら惨めで泣いちまうかもな」
ニタニタと意地の悪い笑みを浮かべながら男は悠の顔を起こす。
鼻先が付くほどに近づくと、心底の愉悦を瞳に宿して。
「この俺を馬鹿にした報いだ。精々悔め」
「……お前がな」
悠は口の端を歪に曲げ———唾を飛ばした。
ほんのわずかに男の拘束が緩む。
その隙を悠は見逃さない。顔についた土が口内へ入るのも構わず、悠は男の頬へ噛みついた。
酷い悪臭とえぐみに混じって血の滴りを感じ、嫌悪感が顔を出す前に一息に噛み千切る。
最悪な感触だ。舌先をザラザラした異物が通り、鼻を刺す異臭も相まって腹の奥から何かが上ってくる。肉片を血と共に吐き出して、休む暇も与えず傷口に指を突っ込む。
「がぁぁぁぁっ⁉」
耳障りな悲鳴を黙らせるように両の目玉を抉る。指先で柔らかい球体がくちゃりと潰れ、指の腹から粘着質で柔らかい感触が伝わる。吐き気を催す感触に喉奥からせり上がるのを感じ、悠は我慢せず顔へ吐きかけた。
じゅっと音がして有機物に臭気が立ち込める。
悠は理性を失っていた。腹の奥底から湧き上がるどす黒い衝動に身を委ね、ただ霞みがかった視界に映る標的の息の根を止めようと突き進む。
……この男は死ぬべきなんだ。
……死ななければならないんだ。
「お前なんかが園を、久遠様を煩わせるんじゃない!」
眼球を抜いて眼孔のその先へ指を進め、爪の先端が柔らかい臓器に到達。
そのまま一息に脳を抉る寸前だった。
「くっ……『
男が何かを叫んだ瞬間、衝撃が全身を打ち据えた。
何が起こったか分からなかった。気付いたら地面に倒れていて、全身の骨が砕かれたように痛み、起き上がろうにも身動き一つ取れない。
まるで大槌で殴られたようだ。
「このクソガキがぁっ!」
拘束が解けたことで、賊は雄たけびを上げて立ち上がる。
その千切った頬は、抉った眼球は、痛々しい傷跡を残すのみとなっていた。
いくら回復の早い人間だろうと欠損した部位を蘇らせるなど不可能。
「まさか……妖術———ぐっ!」
強烈な蹴りが悠の鳩尾に刺さる。身悶えする体に立て続けに蹴りを浴びせらせ、悠の視界は深紅一色に。
賊は山頂へ向かったはずだ。戻るにしても妖術師が離れるとは思ってもみなかった。
「なんでお前が……熾葉を狙ってるんじゃ……?」
「手が空いたから来たんだよ。ちょうど久遠とかいう管理人の女がいたからな。人を脅すのに人数はいらねぇだろ」
しゃがみ込み、悠の耳元でしわがれ声が囁く。
「気が変わったぜ。テメェら全員皆殺しだ。だが俺は慈悲深いんだ。山頂にいた女は生かして、たっぷりと可愛がってやるよ」
下卑た笑みで口元を歪め、男は刀を抜いた。陽の光を浴びて、波打つ刃文が鈍く煌めく。
正真正銘の真剣が振り下ろされる。避ける余力など残っておらず、凶刃に甘んじるほかない。
思えば、今までが幸運だったのだ。ひと時の夢も見られた、身の丈に合わない願望も抱けた。荷台で震えるしかなかったときには想像もつかなかった時間を過ごせたのだ。
その夢から覚める時間が来ただけ。
微睡みに揺れる意識が次第に沈んでいき、悠はゆっくりと目を閉じた。
しかし、凶刃が振り下ろされることは無かった。
代わりに降ってきたのは———
———心強い味方の声だった。