悪の組織のTSマッドサイエンティストと就職失敗したやさぐれ助手くんの話。

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狂気のマッドサイエンティスト(TSモンスター娘製造業)

地下五〇〇メートル。地上の喧騒も、正義のヒーローたちの熱気も届かない、悪の組織「ネオ・アーク」第三科学研究棟。

 無機質な換気扇が回る低い音だけが支配する休憩室で、シュボッ、とジッポライターの音が響いた。

 

「……また吸ってんのかい、キミは」

 

 部屋の隅、パイプ椅子にだらしなく足を組んで座っていた白衣の人物が、机に向かったまま顔を上げずに言った。

 艶やかな黒髪を無造作に束ね、白衣の下には体にフィットした黒のタートルネック。膝上で組まれた脚は、誰もが振り返るほどに美しく、長い。

 この組織の頭脳であり、狂気のマッドサイエンティスト――ドクター•キリエ

 怪人製造の最高責任者であり、彼女の造る怪人にはある特徴がある。

 彼女にはある癖があり、それが反映されているのだ。

 それすなわち、TS――性転換だ。

 彼女は怪人を造る際に男を素材として、モンスター娘を造り出す。

 そして彼女も自らの手で元男から女として生まれ変わった人間の1人だった。

 

 そんな先輩がようやく、顔を上げ俺を見た。

 俺はというと、安っぽいスーツを着て、深く煙を吐き出している。

 目の下には消えないクマ、剃り残した無精髭。就職氷河期に「福利厚生充実、未経験歓迎」の言葉に釣られ、まさかここが悪の組織だとは知らずに入社して早一年。今ではすっかり、この異常な環境に馴染んでしまったドクターキリエこと、先輩の助手である。

 

「先輩こそ、また徹夜ですか。肌荒れますよ」

 

「うるさいねえ。アタシの肌は特殊物質を投与しているから、そんぐらいじゃ荒れないさ」

 

 先輩はふん、と鼻を鳴らし、手元のタブレット端末を俺に向かって放り投げてきた。

 

「お、おっと」

 

 煙草を灰皿に置き急いで、それを慌ててキャッチする。

 

「電子機器をそんな粗末に扱わんでくださいよ、先輩」

 

「それを見るんだよ助手くん」

 

 そこに映し出されているのは、かつてオフィス街だった瓦礫の山と、勝利を誇る極彩色のヒーローたち。

 そして、彼らの足元に転がる、巨大な軟体生物の残骸。

 

 ピンク色の巨大な触手。その中心には、少女の上半身を模した甲殻が、無惨に砕かれてしまっていた。

 

「……柳さん、ですね」

 

 俺が静かに名前を呼ぶと、先輩は天井を仰いだ。

 

「ああ。組織内コードネーム『クラーケン』。幹部候補として期待されていた、最高傑作の一つさ」

 

 俺は二口目の煙を吸い込んだ。肺に苦い煙が満ちていく。

 柳さん。本名、柳田 蒼空。

 元は気弱そうな、線の細い男の子だった……らしい。俺が初めて会ったときには既に怪人だったのでその姿を見たことはないが。

 

「先輩、クラーケンとも名高い彼?……彼女、倒されましたけど……可愛がってましたよね」

 

 俺の言葉に、先輩は目を閉じたまま、自嘲気味に笑った。

 

「可愛がってた? ……ハッ、そりゃあそうさ。だってあの子は、アタシが自分自身以外に、一番最初に性転換を含めた怪人改造を施した子だったからね」

 

 先輩の声は、いつもより低く、湿っていた。

 普段の狂気じみたハイテンションはどこへやら。そこにあるのは、手塩にかけた作品を壊された職人の怒りか、あるいは――。

 

「本当、ショックだよ」

 

 先輩は、まるで独り言のように続けた。

 

「あの子、いじめが原因で自殺しそうなところを拾ったんだ。『どうせ死ぬなら、アタシの研究材料になっておくれ』って言ってね。……我ながら酷い話だ。 ビルの屋上で靴を揃えていた少年にかける言葉じゃない」

 

 俺は何も言わず、ただ煙草の先を見つめた。

 この組織に来る人間には、大抵そういう「傷」がある。社会からはじき出され、居場所をなくし、絶望の果てに辿り着く場所。

 俺のような経緯で入る人間の方が稀だ。

 

「でも、あの子は頷いたんだよ。誰かの役に立てるなら、誰の役にも立てない今の自分よりマシだってね。役に立てれる所が悪の組織だなんて笑えないがね」

 

 先輩が空中に指を走らせる。

 

「手術は成功した。あの子は生まれ変わったんだ。改造後、あの子が真っ先にしたこと、知ってるかい?」

 

「……いじめていた連中への、復讐でしたっけ」

 

「そうさ。徹底的にやった。警察が動く前に、組織の力でもみ消さなきゃいけないくらいにね。……でも、戻ってきた時のあの子の顔は、血に塗れてはいたけど、本当に晴れやかで、美しかった」

 

 俺は想像を巡らせる。

 廊下ですれ違った時のことだ。触手の生えた背中を隠すこともせず、凜とした表情で歩いていた彼女。

彼女は自分との過去をそういう風に向き合って克服し、新たな自分、怪人としての自分を受け入れて堂々と自分らしく生きていたことになる。決してそのトラウマの克服方法は正解だとは言えない方法だが……俺はそれでもいいと思えた。

 

「それから、あの子は仕事を熱心に取り組んでくれた。ボスも一目置いていたよ」

 

 先輩はポケットから何かを取り出した。

 小さな、硝子細工のヘアピンだ。

 海のような深い青色。

 

「これ、あの子にあげたんだ。初めての給料で何を買えばいいか分からないって言うから、『なら、アタシが選んでやる』って。これは、現場に行ってもらって下っ端戦闘員に取ってきてもらったよ、これだけはアイツら(ヒーロー)には奪わせない」

 

 先輩の白く細い指先で、ヘアピンが寂しげに光を反射する。

 

「……そうですか」

 

 俺は短くなった煙草を灰皿に押し付け、新しい一本を取り出した。

 火をつける。ジッポの音が、先ほどより重く聞こえた。

 

「先輩」

 

「なんだい」

 

「俺、知ってますよ。柳さんが出撃する前、必ず先輩の部屋に寄ってたこと」

 

 先輩の肩がぴくりと震えた。

 

「メンテナンスだよ。身体の調整」

 

「メンテナンスだけじゃないでしょう。彼女、不安だったんですよ。強くなっても、姿が変わっても、心根の優しいところは変わってなかった。だからそんな柳さんを励ましていたんじゃないですか、先輩は」

 

「……買いかぶりすぎだ」

 

「柳さん、言ってましたよ。ちょっと前、柳さんとまともに話す機会があったんです」

 

 俺は煙を天井へ吐き出しながら、数週間前の記憶を語り出した。

 

『助手さん』

 

 彼女は、背中から生えた触手を器用に動かして、缶コーヒーを持っていた。

 

『私、今の自分が好きなんです』

 

 そう言った彼女の笑顔は、作り物めいた美しさの中に、確かな温度があった。

 

『先生……キリエ先輩がくれたこの体、この力。これがあるから、私は私でいられる。過去の自分を捨てて生き直せてるんだ。先輩はマッドサイエンティストなんて呼ばれてますけど、私にとっては……母親みたいなものですから』

 

「……母親、か。言い得て妙だな」

 

 先輩が、搾り出すような声で呟いた。

 彼女はマッドサイエンティストだ。倫理などとうに捨て去り、人を人とも思わない実験を繰り返してきた。

 だが、その根底にあるのは何だ?

 ただの狂気か?

 違う。俺は知っている。

 

「先輩が、自分自身を性転換の改造した理由」

 

 俺が切り出すと、先輩は鋭い視線を俺に向けた。

 だが、そこにはいつもの威圧感はなく、どこか縋るような弱さがあった。

 

「……言っただろう。究極の美と進化を求めた結果だと」

 

「表向きは、ですね。でも本当は、先輩自身が『変わりたかった』からでしょう。柳さんと同じだ。生きづらい自分を殺して、新しい自分になりたかった」

 

 先輩は沈黙した。

 ラボの機械の駆動音だけが響く。

 

「……アタシはね、弱かったんだよ」

 

 ぽつりと、先輩が語り始めた。

 

「男だった頃のアタシは、才能だけはある陰気な研究者だった。誰にも理解されず、愛されず、鏡に映る自分を見るたびに吐き気がした。世界を憎む度胸もなければ、自分を愛する勇気もない。中途半端なクズさ」

 

 先輩は白衣の襟をぎゅっと握りしめた。

 

「だから、自分の手で殺したんだ。メスを入れて、ホルモンをいじくり回して、遺伝子を書き換えて。『男のアタシ』を殺して、『ドクター・キリエ』という魔女を生み出した。……そうすれば、変われると信じて」

 

 彼女はヘアピンを強く握りしめた。

 

「柳も同じだった。あの子を見た時、昔の自分を見ているようだった。だから……救ってやりたかったんだ。手段が、こんな悪趣味な改造手術だったとしてもね」

 

「救われてましたよ、柳さんは」

 

 俺はきっぱりと言った。

 

「ヒーローに倒されて、世間からは怪物として処理されて、誰も同情なんてしないかもしれない。でも、彼女は最期まで、自分らしく生きていけたはずです」

 

 ニュース映像では、ヒーローたちが勝利のポーズをとっている。

 その影で、誰にも看取られずに散っていった、一人の元少年の、今は亡き美しい怪人。

 

「……彼女を救ったようで私が一番あの子に救われていたのかもしれないな」

 

 先輩は立ち上がると、俺の目の前まで歩いてきた。

 身長一八〇センチを超える俺と向かい合うことになるので、自然、先輩は上目遣いになる。

 香水の甘い匂いと、薬品のツンとする匂いが混ざり合う。

 

「ねえ、助手くん」

「はい」

「タバコ、一本おくれよ」

 

 俺は少し目を見開いた。

 先輩は嫌煙家だ。俺が吸うたびに「空気が汚れる」「肺が腐る」と罵倒していたはずだ。

 

「……吸うんですか?」

 

「今日は特別さ。……あの子も、たまに隠れて吸ってたみたいだからね」

 

 ギクッ。

 俺は彼女が先輩に打ち明けていなかった秘密をあっさり言い当てたことに驚きを隠せない。

 

「助手君の言う、まともに話す機会ってのも、一緒にヤニを吸う休憩時間に出来た時間だったんじゃないかい?君らにはほとんど接点がないから、それ以外で話すことになるきっかけが思いつかない」

 

 この人のこういうところには、勝てる気がしない。

 

 俺は黙って、胸ポケットから箱を取り出し、一本差し出した。

 先輩はそれを細い指で摘み、唇に咥える。

 俺はジッポの火をつけた。

 揺れる炎が、先輩の長い睫毛と、少し潤んだ瞳を照らし出す。

 

 スゥ、と先輩が不慣れな手付きで煙を吸い込む。

 直後。

 

「ごほっ、げほっ! ……はぁ、やっぱり不味いね、これ」

 

 涙目で咳き込む先輩を見て、俺は少しだけ口角を上げた。

 

「そんなもんですよ最初は……でも、落ち着くでしょう」

 

「……少しだけね」

 

 先輩は煙を吐き出すと、タブレットの画面を消した。

 黒い画面に、二人の顔が映り込む。

 改造人間を作り出す狂気の科学者と、それに加担する疲れた助手。

 どう見ても、正義の味方にはなれない組み合わせだ。

 

「泣かないんですか、先輩」

 

「泣くもんか。私は怪人を造り出す悪逆非道のマッドサイエンティストさ。 怪人が死ぬのは、織り込み済みのコストだ」

 

 強がりを言う先輩の横顔は、それでもどこか憑き物が落ちたように見えた。

 手の中の青いヘアピンを、彼女は白衣のポケットに大切そうにしまう。

 

「さて、仕事に戻るよ、助手くん。ボスの命令だ。次の『素体』が搬入されるらしい」

 

「……また、改造ですか」

 

「ああ。今度はもっと強く、もっと美しくしてやる。柳が残してくれたデータは無駄にはしない。それが、あの子への一番の手向けだ」

 

 先輩は白衣を翻し、ラボの奥へと歩き出す。

 その背中は、以前よりも少し小さく、けれど強靭に見えた。

 

 彼女の行いは100人いたら99人は悪だという。

 だが、残りの1人はそうは思わないかもしれない。

 ただそれだけの話。

 

「……了解です、先輩」

 

 俺は短くなった煙草を揉み消し、長く息を吐いた。

 紫煙が換気扇に吸い込まれていく。

 柳さんの魂も、どこかへ昇っていっただろうか。それとも、地獄の釜の底で、我々を待っているだろうか。

 

「待っててくださいよ、柳さん。俺たちも、いずれそっちに行きますから」

 

 誰もいない休憩室に、独り言を残す。

 

 悪の組織に就職して一年。

 俺はまだ、ここを辞められそうにない。

 


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