最初に言っておくけど。
あたしは別に、大学に妖精を見に来たわけじゃない。
目的はいつも通り、
昼ごはんをおいしく食べること
ついでに、事件の手がかりがあれば拾うこと
さらに言えば、そのあとデザートまで行くこと
だ。
なのに、だ。
「弥子。今日は学食へ行く前に、寄り道をするぞ」
例の魔人探偵が、いつものへらっとした顔でそう告げたのだ。
「寄り道?」
「“妖精”が出る教室があるらしい」
「……は?」
一瞬、自分の耳を疑った。
「妖精?」
「そうだ。
人間どもの間で、昨夜から妙な噂になっている」
ネウロは、ポケットから何枚か紙を出した。
学内掲示板をプリントアウトしたやつだ。
そこには、こんな書き込みが並んでいた。
『B-304、ホワイトボードに毎日メッセージ増えてるんだけど』
『清掃さんかな? それとも教室の妖精さん?』
『:-) って誰のセンスだよw』
「……妖精さん……」
あたしの中で、何かがカチッとハマった。
「行く」
「切り替えが早いな、人間」
「妖精さんは尊いからね!? 行くに決まってるでしょ!!
むしろなんで今まで連れて行ってくれなかったのか問い詰めたいレベルなんだけど!?」
脳科学とかAIとかはよく分かんないけど、
妖精さんは分かる。
そういうものである。
というわけで、あたしとネウロは
B-304っていうゼミ室の前に来ていた。
「ここか」
「ねえねえ、もう中に妖精さんいると思う?」
「どうだろうな」
ネウロはドアの上のほう――
多分カメラとかセンサーとか、そういうの――をちらっと見てから、
わざとらしく普通の高校生っぽくドアを開けた。
中に入ると、よくある小さい教室だった。
机と椅子がきれいに揃ってて、
ホワイトボードが正面にどーん。
そして、その片隅に――
「あった……!」
小さく、マーカーで書いてある。
『おつかれさまです』
そして、その横に。
『 :-) 』
――顔文字。
「かわいい!!」
思わず叫んでしまった。
叫ばずにはいられなかった。
「え、なにこれ。
なんか、ちょっと古い感じの顔文字なのがまたいい……!」
コメント(心の中):
『わかる。こういう若干ダサかわのやつ、
逆に“妖精さん”感ある』
近づいてよく見ると、
「おつかれさまです」の字は、
なんか真面目な感じで、
顔文字のほうはちょっと力が抜けてる感じ。
「ねぇネウロ。
これ、清掃の人かな?」
「可能性は高いな」
「でもさぁ、
もし清掃の人でもさぁ――」
あたしはペン立てからマーカーを一本拝借して、
ホワイトボードの端っこにさらさらっと書き足した。
『妖精さん、今日もおつかれさまです』
その隣に、
さっきより大きめのニコニコ顔を描く。
(^▽^)
みたいな、古い感じのやつ。
「お揃いにしといた」
「人間のセンスは、
時々理解しがたい方向で揃うな」
ネウロが、あきれたように言う。
「いいじゃん、かわいいんだから。
見た人が『ふふっ』ってなる感じが大事なんだよ!」
「その“ふふっ”とやらは、
何の栄養にもならんがな」
「なに言ってんの。
おいしいもの食べてる時と同じでさ、
“ちょっと嬉しい”っていうのが明日生きる力になるんだよ?」
あたしは自分で言って、
ちょっといいこと言った気になった。
ネウロはその横で、
ボードの文字のインクの濃さとか、
消し跡とかをなめるように確認している。
(おい、現場検証モードやめろ。
今は妖精さん眺めてほっこりする時間だよ)
「ところで、人間」
「ん?」
「もし、“誰もいないはずの教室で
ボードに字が増えていた”としたら――」
ネウロは、
さっきあたしが書いたコメントの横に、
自分の字でさらさらっと付け足した。
『誰もいないはずの教室で
ボードに字が増えていたら――
それは妖精ですか?
それともシステムバグですか?』
「うわ、急に怖い聞き方するのやめて!?
せっかくの癒やし空間なんだけど!?」
「どちらにせよ、“普通ではない”ことだけは確かだ。
吾輩はそういう“普通ではない現象”が好きだ」
「知ってる。
あんたいつもそういうの拾ってくるもんね……」
でも、たしかに。
こうやって言葉にされると、
さっきまで「かわいい~」で済ませていたものが
急に“謎”っぽく見えてくるから不思議だ。
(妖精さんか、
それとも――)
そこまで考えたところで、
お腹がぐう、と鳴った。
「……今はごはんのほうが大事だな」
自分で考えるのをやめた。
「行こ、ネウロ。学食。
妖精さんは、また今度見に来ればいいし」
「食欲の勝利か、人間」
「はい! 安定の勝利です!
妖精さん見てほっこりしたから、
絶対ごはんもおいしいよ!」
ホワイトボードをもう一度振り返る。
「おつかれさまです」の横の顔文字と、
その横に並んだあたしのニコニコ顔と、
ネウロの妙に意味深な質問。
(……まぁ、いいか)
誰が書いたって、
かわいいものはかわいいし、
ちょっと不思議なものはちょっと楽しい。
それで世界が、
ほんの少しでも面白くなるなら、
それでいいんじゃないかなって気がする。
「ごちそうさまって言って帰ろう」
あたしはホワイトボードに向かって
ぺこりと頭を下げた。
「妖精さん、また来ます!」
ネウロはそんなあたしを横目に見ながら、
ほんの少しだけ口の端を上げた。
「……ふむ。
“謎”の味を、
少しだけ人間に分けてやるのも悪くないか」
「なにブツブツ言ってんの。
さ、唐揚げとカレーとプリンの時間だよ!」
「その組み合わせへのコメントは、
今さら不要だろう」
そうやって、
あたしたちは教室を後にした。
――ホワイトボードの前に、
誰もいないはずの教室をひとつ残して。
その“誰もいない”はずの空間で、
もしかしたらどこかの誰かが、
こっちを見て笑っているのかもしれないけれど。
あたしはまだ、そのことを知らない。
今はただ、
お腹がすいているだけだ。